大学入試の英語の問題への対応力の殆どは国語力です。英文で書いてある内容自体が難しくなるため、難解な文章を読む国語的な力がないと、英文も当然読みきれません。また、英語の選択問題も、現代文の選択問題と同じように消去法で対応します。したがって、論旨を明確に把握していく力は不可欠です。大学入試のような問題になればなるほど、国語力がなければ英語そのものの力があっても得点が取れなくなっていきます。
古文や漢文についても同様です。古文の対策には、古語の文法や古単語の力が必要ですが、難しい問題になると最後は国語力が物を言います。選択問題においても、現代文の選択問題を解く力がなければ解けなくなるのが必定です。
数学の学習では、易しい問題をいくらたくさん解いても、難しい問題が解けるようにはなりません。難しい問題を解けば、易しい問題を解く力はつきますが、易しい問題だけ解いても数学の実力は一向にはつきません。よって、問題集を解くことは、解くこと自体に意味があるのではなく、できなかった問題を解けるようにすることで初めて学習の意味を持つことになります。
数学は社会に出るとあまり必要ない、と言う声を良く耳にします。しかし、数学は私たちにとって必要不可決です。では、数学が何の役に立つかといえば、一つは、その学習の過程において合理的な世界像が形成されるということです。数学の得意な子は、世界には答えがあり、それは努力すれば解明できるというような世界観を持つことになります。この世界観があると、困難なことに直面しても最後までがんばろうという気持ちを自然に持ち、困難に立ち向かう心構えが醸成されていきます。したがって、数学の好きな子は、仕事をするときでも忍耐強く取り組む傾向があります。
二つめ、数学のより現実的な意義として、形のあるものを作り上げるとき、数学が必ず必要になってくるということです。例えば、橋や道路を建設したり、自動車を作ったりするとき、数学は絶対必要です。また、プログラムを作製するというような仕事に関しても、数学が無ければ成り立ちません。形のあるものを作るとき、その形に応じて様々な数学の仕様が必要なのです。それが物理的な形であればあるほど、数学の必要性は増していきます。
社会人になると数学はあまり必要ないと思うのは、私たちがものを作ることにあまり深く直接的にタッチしていないからであり、決して社会生活の中で数学が不必要だということではないのです。
このように考えていくと、究極、学習でいちばん大事なものは、国語と数学なのだという考えに思い至るのですが…。
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