比喩をうまく使える子と、ありきたりの形でしか使えない子とがいます。この差はどこから来るかというと、やはり語彙に対する習熟度の違いから来ます。言葉を自分の手足のようによくなじんだ形で使える子は、面白い比喩を作ることができます。しかし、言葉を不便な道具のように使う段階の子は、まだうまく比喩が使えません。
語彙力の差は、読む力の差として表れます。漢字の書き取りの力は、書き取りの練習量に比例していますが、漢字の読みの力は、練習量よりもむしろ読書量に比例しています。
大学入試センター試験では、語彙を問う問題が毎年出ます。この語彙の問題を正しく答えられる人は、本をよく読んでおり、正しく答えられない人は本をあまり読んでいないということがわかります。この差は通常の学習の差と違って、読書の蓄積の差なので、短い時間ではなかなか埋めがたいものがあるようです。そんな生徒は暗記に頼ることになりますから、味気ない受験学習にならざるを得ません。
センター試験の問題にこういうものがあります。
(問)名状し難い
1.言い当てることが難しい
2.名付けることが不可能な
3.意味を明らかにできない
4.何とも言い表しようのない
5.全く味わったことのない
答えは4
(問)気の置けない
1.気分を害さず対応できる
2.遠慮しないで気楽につきあえる
3.落ち着いた気持ちで親しめる
4.気を遣ってくつろぐことのない
5.注意をめぐらし気配りのある
答えは2
(問)是非に及ばない
1.言うまでもない
2.話にもならない
3.善悪が分からない
4.やむを得ない
5.判断ができない
答えは4
ほかに、「老成した」「率先垂範」「のっぴきならない」「小康」「固唾を呑んで」などの語彙を問う問題もあります。これらは国語の学習というよりも読書の中で自然に身につくものです。読書量の多い生徒は無自覚の内に受験の準備をしていることになります。
この語彙を自然に知っているということが、比喩を使う上で大きな力になります。私は、比喩を上手に使った文を認めることのできる人は、自ずと自分自身の人生を味わい深いものにしていくことのできる人だと考えます。そんな思いから『読書取り組む秋』も、また一興かと思うのですが…。