ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

退屈なとき

2007年09月13日 | 中学受験 合格力随想
20数年前、東京に6ヶ月くらい住んでいました。その後、長崎県の離島に引っ越して、今、京都に住んでいます。そんな田舎暮らしに慣れてから出てきた頃の私は、ある時、電車やバスの待ち時間がとても退屈なことに気づきました。

とはいえ、都会の電車やバスの待ち時間なんて、田舎に比べたらすごく短いものです。島には電車はありませんし、バスも1時間に1本(!)ぐらいです。それが、都会ではたった数分で次の電車が来るのに、なぜ待っているのが嫌なのか。……答えは、田舎では、車を利用することにありました。家のドアを出て、数歩歩いて車に乗る。渋滞はまずないし、そのままスムーズに走り続け、目的地に着き、そこからまた数歩で建物に入る。待ち時間は、途中の信号の分しかありません。信号自体もあまりないし、赤に引っかかったらちょっといらついたりします。

都会にいると家と職場が遠く、待って、歩いて、また待って、歩いて、……そのくり返しです。それがとてもおっくうに感じられたのでした。ところで、現在その都会の電車に乗ると、車内全てが携帯電話・メールのオンパレード。子供まで、そしてたまにはおとなも、携帯ゲーム三昧。今では島でも、たとえばレストランで食べ物が出てくるのを待っている間、子供や若者たちはゲームやメールをしています。その間、家族で、あるいは何人かでテーブルを囲んでいても、会話はありません。知り合いの車には、後部座席にもナビの画面がついています。「長いドライブの時、DVDを見せてると、退屈しなくて助かるのよ~」と、若いお母さんは言っていました。私はびっくりしました。目的地まで、景色も見ないで、子供達はただ運ばれていくのでしょう。

私はこれは、世の中の人みんなが「待てない病」にかかっているのだと思います。昔は手紙だったから、返事を何日も待ったのに、今はメールで即返事。ぼーっとした時間があると退屈だから、すぐにゲーム。ちょっとでも待たされると、いらつく。(話題の食べ物屋さんに何時間も行列している人たちは別ですが。)この「待てない病」が加速していくと、いったいどうなっていくのか、なんだかちょっと恐ろしい気がします。

環境問題のバイブル、『沈黙の春』の著者であるレイチェル・カーソンは、少女時代、ヘビの脱皮を2時間くらいながめていたそうです。また、評論家の吉本隆明氏は、娘である吉本ばななさんの育て方について聞かれた時、「特別なことはしていないが、何かに夢中になっている時は絶対に中断させなかった。」と言っていました。これは「ご飯よ!」「早くお風呂に入ってしまって!」「早く宿題しなさい!」と、「早く」「早く」を連発しがちな保護者の方にとって大変耳の痛い話です。「どれくらい待てるか。」それが子どもの成長にシンクロするとしても、現代人にはナカナカ難しいことです。


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