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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

「書を読むのみに非ざるなり」

2009年02月04日 | 中学受験 行雲流水録
「書を読むのみに非ざるなり」
この言葉は、幕末多くの志士を輩出した松下村塾で吉田松陰が言った言葉です。『気概を持ち節操を固くし、正しきことを行うこと、そしてそのような人物になることを目指しているのであり、いたずらに書物を読んでいるだけではない』、という意味です。

吉田松陰という人は小さな頃から厳しく育てられ、スケールの大きな思想を持つに至った人です。また、さらにその自己の資質を他者に伝えることのできた希有の教育者でもありました。今回は、松陰の言葉を少しご紹介したいと思います。

「すべて酸辛(さんしん)」
……才能を伸ばし、人としての徳を身に付けることは、つらく、苦しい。

「一日この世にあれば」
……人は一日この世の中にいれば、一日分の食事をし、一日分の衣服を着、一日分家や学校にいる。とすれば、一日分の学問、一日分の事業に励まなければいけない。

「能はざるに非ざるなり。為さざるなり。」
……できないのではない。やらないのである。

まだまだ多くの言葉が残されていますが、これら幾つかの文言を並べただけでも、彼の考え方を垣間見ることができます。彼は、短い生涯の中でつらいことがあっても、その苛烈ともいえる精神力で力に変え、乗り越えてきました。

怠けたい。しんどい。きついからやりたくないと思う心は私たちの誰にでもあります。けれどそこで、松陰ほどではないにしても、何のために奮励するのか考えるべきです。全ては自己の精神的かつ物質的な生命活動を豊かにするためであるはずです。

確かに、楽しいことから学ぶこともたくさんあります。しかしだからといって、苦しいことから逃げてばかりいては本当に大切なことを逃してしまうことになります。高く跳びあがるためには、しっかりと低くしゃがまなければならないのと同じように、悩んだり、壁にぶつかることや思い惑うことすらも、各々の成長の糧となるはずです。

たとえば、国語の学習は答えが曖昧で、直接的に物事をゴールに導いてくれるテクニックを身に付ける学科とは言えないかもしれません。実際、教えている生徒から「何の役に立つの~」と言われることもあります。しかし、私達は「いたずらに書物を読んでいるだけではない」のです。本や文章を読むことで、筆者の気持ちを読み取ったり、誰かに気持ちを伝える方法を考えます。また、多くの知識を身に付けることは心を豊かにする道に繋がります。

つまり、どんな迂遠な作業であろうと学習というものにムダというものは無く、かえって、その積み重ねによってのみ峻烈な思考は形成されていきます。きっと松陰もあらゆる学問の領域に通じていたからこそ、広く深い思想を持つことができたのでしょう。今、イヤイヤながら頑張っている学習とはそういうものなのです。とはいっても、私もシンドイときにはゴロゴロしたりしましたね(笑)。


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