先週初めは節分で、吉田神社にもイワシ売りの出店が出ていました。節分といえばヒイラギの葉とイワシが風物詩。故事来歴があるのですが、それぞれに一人歩きしています。そう言えば以前、新聞の投書欄に「カタクチイワシが店に並ばない。どうしたものか。」という内容が載りました。イワシ漁は大漁期と不漁期が20年くらいの周期でやってくるそうで、今は不漁期とのこと。店には並ばないし、並んでも高級魚といわれるくらいの高値がつくこともあるそうです。
生のカタクチイワシは別名アンチョビです。アンチョビは、日本ではカタクチイワシを塩漬けにして発酵させたものを指すことが多いようですが、本来は生そのものの名称です。アンチョビの塩漬けは、パスタやゆでたジャガイモに絡めたり、ピザのトッピングやドレッシングの味付けに使われたりします。アンチョビという名前は知らなくても、家やお店で知らぬうちに食べていることは、あるかもしれません。
アンチョビの塩漬けの作り方自体は何も難しいことはないのですが、発酵するまでの時間が長く……、ひたすら日が過ぎるのを待つのみとのことです。その意味では、近年何かと耳にするスローフードの最右翼でしょうか。
ネットで「カタクチイワシ」を検索してみました。スローフードジャパンが、長崎県で作られるカタクチイワシの塩辛を、「味の箱舟」として2005年11月に認定していることがわかります。イタリアでスローフード運動が始まった背景は、「食の画一化・安全性の軽視・スピード重視」にあるとされています。それに対する危機感や不安感、意識の高まりによって、運動が広がり具体化したとのこと。スローフードジャパンでは、「食の源となる種の多様性を守る・生産者と消費者を結ぶ・味覚の教育」を、自らの使命として掲げています。
昨年、食品偽装のニュースが連日のように報じられました。それらの報道されたニュースの中で、偽装をした食肉会社の社長が「この業界は大なり小なり(みんな偽装を)やっている」と言い放っていました。このような発言がまかり通る背景には、私を含めて一般の消費者が、業者に対し不信感を持ちながらも、食べるには買うしか方法がない場合が多いからでしょう。
さらに、消費者自身の問題として、見た目がよいもの・安価なもの・手軽なものに気持ちが向くということも、否定できない要因です。現在、生産者と消費者の間の信頼関係は崩れ、食の基盤が大きく揺らいでいます。改めてスローフードの意図するところを考えてみる機会かもしれません。
食であれ、教育であれ、画一化されスピード重視とされてしまっては、豊かなものは生まれません。カタクチイワシに芳醇なアンチョビとなる時間が必要なように、いかような場合にも、手間と時間を惜しまず、固い信頼関係が介するとき、真に価値あるものが成熟します。食を通していろいろなことが見えてくるのは、食が人にとって必要不可欠のものだからに相違ありません。
生のカタクチイワシは別名アンチョビです。アンチョビは、日本ではカタクチイワシを塩漬けにして発酵させたものを指すことが多いようですが、本来は生そのものの名称です。アンチョビの塩漬けは、パスタやゆでたジャガイモに絡めたり、ピザのトッピングやドレッシングの味付けに使われたりします。アンチョビという名前は知らなくても、家やお店で知らぬうちに食べていることは、あるかもしれません。
アンチョビの塩漬けの作り方自体は何も難しいことはないのですが、発酵するまでの時間が長く……、ひたすら日が過ぎるのを待つのみとのことです。その意味では、近年何かと耳にするスローフードの最右翼でしょうか。
ネットで「カタクチイワシ」を検索してみました。スローフードジャパンが、長崎県で作られるカタクチイワシの塩辛を、「味の箱舟」として2005年11月に認定していることがわかります。イタリアでスローフード運動が始まった背景は、「食の画一化・安全性の軽視・スピード重視」にあるとされています。それに対する危機感や不安感、意識の高まりによって、運動が広がり具体化したとのこと。スローフードジャパンでは、「食の源となる種の多様性を守る・生産者と消費者を結ぶ・味覚の教育」を、自らの使命として掲げています。
昨年、食品偽装のニュースが連日のように報じられました。それらの報道されたニュースの中で、偽装をした食肉会社の社長が「この業界は大なり小なり(みんな偽装を)やっている」と言い放っていました。このような発言がまかり通る背景には、私を含めて一般の消費者が、業者に対し不信感を持ちながらも、食べるには買うしか方法がない場合が多いからでしょう。
さらに、消費者自身の問題として、見た目がよいもの・安価なもの・手軽なものに気持ちが向くということも、否定できない要因です。現在、生産者と消費者の間の信頼関係は崩れ、食の基盤が大きく揺らいでいます。改めてスローフードの意図するところを考えてみる機会かもしれません。
食であれ、教育であれ、画一化されスピード重視とされてしまっては、豊かなものは生まれません。カタクチイワシに芳醇なアンチョビとなる時間が必要なように、いかような場合にも、手間と時間を惜しまず、固い信頼関係が介するとき、真に価値あるものが成熟します。食を通していろいろなことが見えてくるのは、食が人にとって必要不可欠のものだからに相違ありません。