
少し前、宮崎県の新知事に、元タレントのそのまんま東(東国原 英夫[ひがしこくばる ひでお])さんが当選しました。今朝のワイドショウーにも出ていましたが、カラスの鳴かない日はあっても東国原知事がテレビに出ない日はありません。私生活等に問題があり、毀誉褒貶相半ばしているようですが、少なくとも官製談合・鳥インフルエンザと続いた宮崎県の負の連鎖を払拭できてはいるようです。結果的に、既成の行政人以外の人が新しい風を吹き込むことは、それはそれでよいことなのではないか、と今感じています。

ところで、その東国原知事誕生の時の新聞記事を読んでいて、面白いものをみつけました(朝日新聞)。彼が小学校の時、「将来の夢」に、「フランス人になりたい」と書いたのだそうです。それは彼なりのギャグだったのか、それとも何か意味があったのか、本人のコメントがないのでわかりません。ですが、その「夢」に対する先生の言葉がナカナカ秀逸。先生は、こう書かれていました。「がんばれば、なれます。」

どんなに努力しても、フランス人になれないことは明らかです。あるいは、「こんなことを書くなんてふざけている、真面目に書きましょう」と指導する先生がいるかもしれません。場合によっては、書き直しを命じられることも…。そこにあえて、こんな気の利いたコメントを書いた先生は、感性が伸びやかですばらしいと思います。

入試もそうですが、結果が出れば、それは本当にすばらしいこと。しかし、たとえ結果が出なくとも、フランス人にはなれなくても、そこに至る「がんばり」には、次の何かを生むだす力があります。私も人生の半分を過ぎて、やっとそのことを実感できるようになりました。

ある目標に向かって、がんばって、山道を登っていく。ある程度登ると、その先が見えてきます。時には、向かっていた目標と違う山の頂上だということがあるかもしれません。また、突然頂上が見えなくなって不安を感じることもあるでしょう。しかし、続けて少し登ると、また別の道が見えてくるはずです。麓にいた時には見えなかったいくつもの道が行く手に広がります。その中には、最初の目標よりさらに高みを目指す道も存在します。

『努力は無駄にはならないんだよ』…そんな熱い想いを感じることができた「がんばれば、なれます」というコメントでした。
澪標