3月末、大学時代からの友人が、アメリカへ旅立って行きました。やっと落ち着いたみたいで、つい先日近況報告がありました。彼にすれば2回目のアメリカ勤務。ましてや今回は単身赴任です。この年での海外駐在は結構苦労でしょうし、業種は自動車関連。会社にすれば窮余のエース派遣なのかもしれませんが、彼の気持ちを考えると励ましの言葉しか有りません。つましき者は宮仕え。体だけは気をつけて無理せずにいて欲しいものです。
不思議なことに、いつも「元気か?どうしているか?久しぶりに聞いてみよう」と思っているところにタイミングよく連絡が来たり、反対にこちらから連絡をすると「ちょうど話したいと思っていた」と言われることもしぱしば。頻繁に会うわけではないけれど、心のどこかではお互いにいつも気にかけている、そんな存在だったのでしょう。
役員間近の海外勤務。これも人生の大きな転機なのかもしれません。ずいぶん悩んだ末でした。前回の帰国から約5年。いつでも会えると思っているうちに、いつでも会えなくなりました。アメリカへ行ってしまうと、今までのように会いたいときに会えるわけではありません。「チョット飲みながら近況でも…」というわけにもナカナカいきません。そんなこんなで、送別会を近隣の同窓生と開きました。その席での話し、誰かがこう言いました。
「『幸せ』という字は『+・-・=・-・+』の記号を縦に並べて書くとできるねんって、テレビで言ってはったで。『幸せ』って、いいことも悪いこともプラス・マイナス半分ずつやねん。まさに『人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり』『禍福はあざなえる縄の如し』ちゅうこっちゃ。まぁ~お互い頑張ろうや」…と。
その時、彼は、「大きな幸せはいらんわ。後が怖いしな(笑)。『そこそこの幸せ』がいちばんエエやんかぁ。」と、言いました。私たちは人生の半分以上を「友人」として過ごしてきました。彼とは、いいことも悪いことも、だいだい包み隠さずに話し合ってきたように思います。何しろ、妻や子供よりも長い付き合いですから。数々の喜びを味わい、苦労を重ね、人生の「山」も「谷」も見てきた彼。これは、そんな彼なりの人生を受け入れる識見なのかもしれません。
次に会えるのはいつになるでしょう。「お互い『そこそこ幸せ』にな(笑)!じゃあ、また!」と手を振り、別れました。昔のままのチョット弾んだような足取りで改札へ去っていく彼の後ろ姿が、滲みます。そこには、見送る私たちみんなの人生も映っているような気がしていました。この別れも、きっと私たちの『幸せ』という字の一部なのだと思いながら…。
不思議なことに、いつも「元気か?どうしているか?久しぶりに聞いてみよう」と思っているところにタイミングよく連絡が来たり、反対にこちらから連絡をすると「ちょうど話したいと思っていた」と言われることもしぱしば。頻繁に会うわけではないけれど、心のどこかではお互いにいつも気にかけている、そんな存在だったのでしょう。
役員間近の海外勤務。これも人生の大きな転機なのかもしれません。ずいぶん悩んだ末でした。前回の帰国から約5年。いつでも会えると思っているうちに、いつでも会えなくなりました。アメリカへ行ってしまうと、今までのように会いたいときに会えるわけではありません。「チョット飲みながら近況でも…」というわけにもナカナカいきません。そんなこんなで、送別会を近隣の同窓生と開きました。その席での話し、誰かがこう言いました。
「『幸せ』という字は『+・-・=・-・+』の記号を縦に並べて書くとできるねんって、テレビで言ってはったで。『幸せ』って、いいことも悪いこともプラス・マイナス半分ずつやねん。まさに『人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり』『禍福はあざなえる縄の如し』ちゅうこっちゃ。まぁ~お互い頑張ろうや」…と。
その時、彼は、「大きな幸せはいらんわ。後が怖いしな(笑)。『そこそこの幸せ』がいちばんエエやんかぁ。」と、言いました。私たちは人生の半分以上を「友人」として過ごしてきました。彼とは、いいことも悪いことも、だいだい包み隠さずに話し合ってきたように思います。何しろ、妻や子供よりも長い付き合いですから。数々の喜びを味わい、苦労を重ね、人生の「山」も「谷」も見てきた彼。これは、そんな彼なりの人生を受け入れる識見なのかもしれません。
次に会えるのはいつになるでしょう。「お互い『そこそこ幸せ』にな(笑)!じゃあ、また!」と手を振り、別れました。昔のままのチョット弾んだような足取りで改札へ去っていく彼の後ろ姿が、滲みます。そこには、見送る私たちみんなの人生も映っているような気がしていました。この別れも、きっと私たちの『幸せ』という字の一部なのだと思いながら…。