あるバイオリニストを紹介します。お名前は 神尾真由子さん、1986年生まれ。2007年、二十歳のときにチャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で優勝しました。神尾さんはとても印象的な方です。受賞したことで、以前テレビで特集番組が組まれています。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。それは、彼女の普段の生活を追うというものでした。
小学校時代、先生が「通ってはいけません」と言っている道をわざわざ通って学校へ行く。最近のリサイタルでも、先生がこう弾きなさい、といわれたのと正反対の弾き方をする。怒られそうなことをわざとやっているようにさえ見うけられます。しかし、番組が進むにしたがって、彼女はどこまでも「自分で考えて行動する人」なのだ、ということがわかってきます。
あるメロディーに、二通りの弾き方があります。高名な大ベテランの先生から「こう弾きなさい」と言われたら、あなたはどうしますか。神尾さんは「どうしてそっちなのか理由が分からない、という意味で、こっちを弾きます(笑)」、と静かにそして力強く答えていました。さらに、「いつまでも先生が教えてくれるわけではないので、いつも自分で判断して弾く、そういうことを常にやっています」と続けます。
これは驚くべきことです。もし私なら、いや大概のヒトが、大先生の言うことなので間違いないと思い、素直に一生懸命その通りに弾くでしょう。しかし、神尾さんは違います。いつも自分で納得したことでないと決して受け入れないのです。そうやって自分自身の音を作り上げていきました。
彼女の偉大さは、その技量もさることながら、「どうしてこうするのか、このやりかたは本当にベストなのか」ということを常に考え、自分で出した答だけをもとに次へと進んでいる点ではないでしょうか。これは、本当に勇気がいることです。
素直に「はい」と言うほうが、印象が良いし、目立ちません。間違いないような気もします。学校は毎日そうした生活の連続ですし、日本人はそういう風土に長く生きてきました。彼女の生き方は、あえて波風を受ける生き方あり、自己責任とともに自分自身を最も厳しい環境におくものなのです。
それにしても、神尾さんのレッスン風景はある種、異常です。チューリッヒに留学中、先生のアドバイスに「はい」などのうなずきや微笑みはありません。かっと目を見開き楽譜を見つめ、怖いくらいに無表情で、全身で集中し先生の言葉に耳を傾けます。そして、また弾き始めるのです。張りつめた空気を感じます。そこには、一つの道を極めんとする「妥協なき孤高の人」がいるのみです。
小学校時代、先生が「通ってはいけません」と言っている道をわざわざ通って学校へ行く。最近のリサイタルでも、先生がこう弾きなさい、といわれたのと正反対の弾き方をする。怒られそうなことをわざとやっているようにさえ見うけられます。しかし、番組が進むにしたがって、彼女はどこまでも「自分で考えて行動する人」なのだ、ということがわかってきます。
あるメロディーに、二通りの弾き方があります。高名な大ベテランの先生から「こう弾きなさい」と言われたら、あなたはどうしますか。神尾さんは「どうしてそっちなのか理由が分からない、という意味で、こっちを弾きます(笑)」、と静かにそして力強く答えていました。さらに、「いつまでも先生が教えてくれるわけではないので、いつも自分で判断して弾く、そういうことを常にやっています」と続けます。
これは驚くべきことです。もし私なら、いや大概のヒトが、大先生の言うことなので間違いないと思い、素直に一生懸命その通りに弾くでしょう。しかし、神尾さんは違います。いつも自分で納得したことでないと決して受け入れないのです。そうやって自分自身の音を作り上げていきました。
彼女の偉大さは、その技量もさることながら、「どうしてこうするのか、このやりかたは本当にベストなのか」ということを常に考え、自分で出した答だけをもとに次へと進んでいる点ではないでしょうか。これは、本当に勇気がいることです。
素直に「はい」と言うほうが、印象が良いし、目立ちません。間違いないような気もします。学校は毎日そうした生活の連続ですし、日本人はそういう風土に長く生きてきました。彼女の生き方は、あえて波風を受ける生き方あり、自己責任とともに自分自身を最も厳しい環境におくものなのです。
それにしても、神尾さんのレッスン風景はある種、異常です。チューリッヒに留学中、先生のアドバイスに「はい」などのうなずきや微笑みはありません。かっと目を見開き楽譜を見つめ、怖いくらいに無表情で、全身で集中し先生の言葉に耳を傾けます。そして、また弾き始めるのです。張りつめた空気を感じます。そこには、一つの道を極めんとする「妥協なき孤高の人」がいるのみです。