少し手前味噌の内容にもなるのですが、あまりにもうれしいのでここにご紹介します。
先日ひとりの生徒が学校で使っている日記帳を持参して、あるページを開いて読んでといいます。読んでいると涙が出てきて困ってしまいました。彼は小学2年生ですから、凝った表現や殊更難しい言葉を使って書いているわけではありません。しかし、彼のその時の心情が彼の優しい心とともに手に取るように伝わってきます。私たちが忘れている何かがそこにあります。
敢えて本文通り、学校の先生の寸評とともに掲載します。先生の寸評も時宜を得たもので、この子がこれからも他者を労るであろうことの動機付けになっています。教育とはなどと大上段に振りかぶらずとも、人が人たり得る道は示せるということなのでしょう。この子がこの心根のまま成長していってくれることを祈らずにはいられません。
『きょうりゅうが大へんだ
家ていほう問の時に、ぽくが作ったきょうりゅうを先生はおぼえていますか?でもその一つがこわれてしまいました。そのきょうりゅうは、鳥みたいのです。なぜこわれたかというと、ロボット教室のバッグをさげる所がうらがえしになっていて、ぼくが「ママ、たすけて」といったので、お母さんがびっくりして走ってきてそのきょうりゅうの右足をふんでしまったからです。
お母さんははすぐに「ごめん、どうしよう。本当にごめんなさい」と言いました。ぼくは「大丈夫。大丈夫。なおるから」と言いました。ぼくはおこりたかったけど、おこれませんでした。なぜかというと、お母さんは、わざとじゃないし、いっぱいあやまっていたからです。でも、心の中ではなきそうでした。
ぼくは、こわれたきょうりゅうをもってロボット教室へ行きました。すると先生は、「大丈夫だよ」と声をかけてくれました。そして、先生はなおして、その足に水色のリボンをむすんでくれました。ぼくは、とてもやさしい人だなぁと思いました。そして、僕もそんな人になりたいと思いました。』
『とってもいい日記ですね。○○さんの心の動きがよく分かって読んでいてもとても楽しいです。お母さんをおこらなかったので、先生が優しくしてくれたんだと思います。やさしさはめぐりまわってきますね。』
いかがです、ホントに優しいうちの自慢の生徒の日記です。