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動画道⑪ 鬼気迫る武術俳優ブルース・リーの「ドラゴンへの道」

2010年07月24日 23時12分36秒 | Weblog

 

 

 

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 もうこの世にいない俳優は多いが、中でも今存命なら絶対に見たい俳優がいる。それは、強靭な肉体を持ち、鋼のようなアクションを披露した武術俳優ブルース・リー(李小龍)である。最近、このブルース・リー主演作品を何作か見たが、本当に素晴らしいアクションなのである。これほど洗練されたアクションは、これまでの武術作品の中にも無かった。それほど、映像に引き込まれてしまう、言うなれば、本当の真剣勝負の世界に見せられてしまうという感じなのである。1973年に32歳という若さでこの世を去ったブルース・リー。彼が心底情熱を傾けて制作された「ドラゴンへの道」(1972年制作)が、脚光を浴びる頃、もうこの世には存在しなかったのである。
 
截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても有名であり、俳優としてもそうであるが、真の武道家と言う存在でもあった。
俺が強い、といえば鼻にかけていると思われるだろう。だが、一番じゃないといえばウソをつくことになる」生前のブルース・リーが好んで口にし、文字にもしたフレーズですが、それだけ武術家、マーシャル・アーティストとしての自分の技量には絶対的な自信があったようです。
 香港時代は詠春拳や功力拳といった古典的なクンフーを学ぶ一方、外では喧嘩に明け暮れ、学んだものを実戦で使うことに夢中になり、挙句の果てには相手に大ケガを負わせて警察沙汰にもなっております。それが生誕地でもあるサンフランシスコに渡るきっかけになるわけですが、渡米直後の1960年には日本人空手家に挑まれ、シアトルのYMCA内の体育館で立ち合い、わずか10数秒で相手を倒しております(このときレフリー役を買って出たブルースの教え子の白人青年がストップウォッチで時間をはかっており、「10数秒」という時間の根拠はここにあります)。また1964年には、クンフーをアメリカ人に教えていることをめぐって地元の中国人コミュニティーとのあいだに摩擦を生じます。中国人以外にクンフーを教えるのはけしからん、というわけです。誰に教えようが自由だとの立場を崩さぬブルースと、白鶴拳というクンフーの使い手とがこれ以上の話し合いは無理とこのとき立ち合いますが、ブルースはやはりこれを負かし、以後、教授の自由を得ます(このとき相手を倒すのに2分も3分もかかったことを反省し、持久力強化のため、以後、循環器系を強くするためのトレーニングメニューを採り入れたことは有名なはなしです)。後年、映画撮影中もたびたび喧嘩を売られたブルースですが、大勢のスタッフその他が見守るなか、いともたやすくこれら挑戦者をあしらったとの目撃談は数多く残っており、ブルース・リーという人がただのアクション俳優などではなく、真の武道家であり、「マジ強かった」ということを、これらは強力に裏付けております。
 ブルース・リーの葬儀は、香港とシアトルの2ヶ所で行われたが、シアトルでは、映画関係者の中に、弟子だったジェームズ・コバーンとスティーブ・マックイーンも葬儀に参列しています。

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