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満足創造経営のクロネコヤマト

2012年11月15日 20時28分25秒 | Weblog

 昨日は、講演会に参加した。表題は、「クロネコヤマトの満足創造経営」で、ヤマトグループの木川社長が講演してくれた。木川社長は、はえぬきの経営者ではなく、銀行出身者。ヤマト運輸が持株会社を設立しようという時期に会社に入って、経営態勢を構築し、現社長として経営の陣頭指揮をとっているのである。ヤマト運輸と言えば、「宅急便」と言われるくらい有名で、認知度も高い。この「宅急便」という名は、ヤマト運輸の宅配にしか使えない登録商標である。他社は、宅配便等の名で、個人宅配送を行なっている。木川社長は、「日経ビジネス次世代を作る100人」にも選出されている。
 ヤマト運輸の創業は、1919(大正8)年11月29日で、民間の運輸会社では最も古い歴史を有する。大正8年当時の日本には、輸送用のトラックが全国で204台しかなかった時代。その内の4台をヤマトが所有し、荷物の運搬を行った。その後、1929年に第一のイノベーションとして、個別に荷受けしていた事業ではなく(片道にしか荷物を積載の方式)、路線事業と「輸送のデパート」時代へ進化した。この時はじめてデパートの荷物を往復運搬する路線運送を行ったのである。そのデパートは、当時の「三越呉服店」、現在の三越百貨店である。路線輸送という形態が整ったのである。それまでは、目的地に荷物を運ぶ片道輸送が中心であった。
 1976年第二のイノベーションとして、「宅急便の開始と市場開発」の時代に突入する。当時、個人の家に荷物を届けるものは、ほとんどなかった。個人宛に郵便や電報が届くのみだったので、荷物が届くという世界はなかったのである。個人の家に荷物を届ける事業に着目し、ヤマトは、「宅急便」事業を開始した。それまでは、事業主から多くの荷物を引受て、決まった場所に届ける輸送がほとんどの時代だった。個人の、あまり計画性のない荷受をやったとしても採算が合わないという批判を業界からも受けたが、ヤマトはこの事業を強力に進めた。この時代を経て、今では宅配は当然の事業となっている。多くの運輸業者が個人宅配に参入してきたからである。この当時、ヤマトは荷物を届ける概念を大きく変革した。荷物は場所に届けるという認識だったものを、人に(個人に)届けるものであると改革したのである。
 2005年第三のイノベーションとして、「新ヤマト運輸の時代」がやって来たのである。宅急便を進化させ、全国のどこにでも翌日には届けるという、現代の形態が完成したのである。そして、今後は当日宅配を強力に進めていく予定である。
 ヤマト運輸には、受け継がれる創業の精神が「社訓」としてある。

<社訓>    
    
一.ヤマトは我なり ー 全員経営
    一.運送行為は委託者の意思の延長と知るべし ー サービスが先、利益は後
    一.思想を堅実に 礼節を重んずべし ー コンプライアンス


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