いよいよ、NHK大河ドラマ「真田丸」が終盤の大合戦である「大阪の陣」に入ってきた。実にこのドラマが面白いのである。豊臣秀頼を支えた大阪五人衆の一人で、名武将である真田幸村の活躍が、大注目なのである。大阪城の手前に真田丸という出城を造り、徳川の大軍勢を迎え撃つ。痺れるような展開が待っており、目が離せないのである。
ところで、真田幸村という名は、当時の正確な武将名ではない。真田信繁が、世に言う真田幸村の正式な名なのである。なぜ、当時使われていなかった幸村の名が一般的になったのかははっきりしないが、江戸時代の武将の武勇伝を講談師たちが伝えるとき、江戸幕府からの強い監視の目があったことが原因だったことからだろうと思われる。当時の幕府からの規制で、実際の武将の名、特に徳川方に反旗を示した武将の名を、例え講談にしても使ってはいけないということがあったことから、真田信繁の正確な名ではなく真田幸村という通称名を使用して、真田の武勇伝を講釈したことが、一般大衆に伝わり、今日の真田幸村という武将の名前になったのではないかと考えられる。
出城である真田丸は、真田幸村が最初に築いたと言われているが、最初に砦を同所に築こうとしたのは、大阪五人衆の一人、槍の名手である後藤又兵衛(本名は基次)であったらしい。この出城の場所に大量の木材を持ち込み、巨大な砦を作ろうとしたらしいが、真田幸村は石垣で囲まれた城を建築する方針で、後藤又兵衛の集めた材木を全て処分してしまったという。このことから、双方の関係は険悪になったとも言われているのである。
しかし、この「真田丸」という出城により、大群の徳川勢に大打撃を与えることになるのである。それだけ素晴らしい戦略であったということである。難攻不落の名城「大阪城」の籠城を決め込んだ豊臣方にとっては、大きな戦略になったのである。
この真田幸村の大きな武勲が、ドラマで展開されていく。そして、真田幸村を中心とする豊臣方が崩壊していく、まさし活況に入っていくのである。
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