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宗教とは?神とは?考えさせられる奥の深い映画『PK』

2017年08月20日 22時59分04秒 | Weblog

 これほど考えさせられる映画があるだろうか?宗教とは?神とは?それに関わる人間とは?生きる上での希望とは?その先の「人間は何のために生きているのだろうか?」・・・・。という、とてつもなく重いテーマを扱った映画が『pk』(2014年インド制作)である。
 2009年公開の『きっと、うまくいく』の監督ラージクマール・ヒラーニと主演のアーミル・カーンが再びタッグを組んでいる。地球の調査を目的としてやってきた宇宙人が、女性テレビジャーナリストに出会い、地球における宗教の信条や迷信に関して疑問を投げかけるという物語である。コメディやラブストーリーの要素を持ちながらも、差別や偏見など世界中で巻き起こっている社会問題に切り込んでいる。世界興収は100億円を突破し、インド映画の全世界歴代最高興行収入を記録した。映画批評サイトRotten Tomatoesでは93%の支持率を得ている。

【ストーリー】

人間の見た目をした裸の宇宙人(アーミル・カーン)が調査ミッションとしてインドのラージャスターン州に到着したが、宇宙船のリモコンが盗まれてしまい地球に足止めされてしまう。宇宙人は、泥棒からパナソニックのカセットレコーダーを何とかして奪い取る。同じ日のベルギーのブルッヘでは、ジャグー(アヌーシュカ・シャルマ)という女性が、サルファラーズ(スシャント・シン・ラージプート)に出会い、彼と恋に落ちていた。しかし、ジャグーの父(パリークシト・サーハニー)は熱心なヒンドゥー教信者であり、パキスタン人のムスリムであるサルファラーズとの交際を猛反対していた。父は慌てて導師のタパスヴィー様(サウラブ・シュクラ)に相談に行くが、サルファラーズはジャグーを裏切るだろう、と預言される。ジャグーはその預言が嘘だと証明するために、サルファラーズにプロポーズし成功する。しかし彼女は、文化の違いのために結婚をキャンセルしたいという旨の手紙を受け取り、結婚式のチャペルで悲しみに暮れる。
 ジャグーはインドへ戻り、テレビ記者となるが、街でその宇宙人と遭遇する。宇宙人は「神さまが行方不明」と書かれたチラシを配っていて、ジャグーは興味をそそられる。彼女は、彼が賽銭箱から金を盗んで捕まりそうになっているところを助け、彼の信頼を得る。その宇宙人は彼女に、自分は他の惑星から調査としてやって来た科学者であり、自分の星の人間は服を着ることもなければ、宗教を信じることもない、と語る。彼らは握手をすることで意思の伝達ができるため、会話をすることもないという。彼は、カーセックスをしているカップルから衣服と金を盗み、人間に溶け込む。
 彼はうっかりトラックに轢かれてしまうが、その運転手の楽団長バイロン(サンジャイ・ダット)と仲良くなり、楽団一行と一緒に連れて行かれる。宇宙人は、街ゆく人々の手を握ることで意思疎通を図ろうとするが、変態だと思われて追い払われてしまう。そこで、楽団長は彼を売春宿へ連れて行き、そこで宇宙人は売春婦の手を6時間握り続けることで、ボージュプリー語を習得する。
 会話ができるようになった宇宙人は、楽団長から泥棒はデリーにいるはずだと教えてもらい、デリーへ出発する。その宇宙人の奇怪なふるまいから、人々は彼のことを酔っ払いだと思い込み、「PK」(ヒンディー語で"酔っ払い"の意味)と呼ぶ。さらに彼らは、彼のリモコンを見つけることを手助けできるのは「神」だけだと教える。PKはその言葉を真に受け、「神」を見つけるためにあらゆるインドの宗教的行為を実践するが、役には立たなかった。その後、彼は、導師のタパスヴィーが自分のリモコンを持っているのを発見するが、導師はそれを神からの贈り物であると主張し、リモコンを返すことを拒む。そこで、ジャグーは、彼女がリモコンを取り返し、自分の星へ帰らせてあげようとPKに約束するのであった。
 PKは、タパスヴィーら導師達は神と連絡をするにあたって、電話番号の「かけ間違い」をしていて、それゆえに民衆を無意味な宗教儀式に巻き込んでしまっているのだと推測する。そこでジャグーは、自分の局へ動画を送ることを民衆に促し、導師の不正を暴こうとする。この「かけ間違い」キャンペーンは民衆の間で一気に広がり、タパスヴィーは狼狽する。一方で、楽団長のバイロンは、泥棒を見つけ出してPKに連絡し、彼がリモコンをタパスヴィーに売ったと認めたことを伝える。それによってPKは、タパスヴィーが実はいかさま師であり、「かけ間違い」は存在しなかったことに気づく。楽団長は、泥棒を連れてデリーへ向かうが、PKと再会する直前でテロ攻撃に遭い死亡してしまう。そのテロ攻撃は後に、タパスヴィーの集団が、彼らの神を守るためにしたものだと明かされる。
 逃げ場をなくした導師のタパスヴィーは、PKとの対決を了承し、ついに二人は生放送の公開討論番組で直接対決することとなるのである。

 この映画は、インドの単なるコメディ映画と思っていたが、内容はコメディタッチで映像が流れるが、全く違う深い意味を見事にえぐり出している映画なのである。pk(酔っ払いの意味)は、宇宙船を呼び寄せるリモコンを強盗されたことから、どうしたらリモコンが見つかるかと多くの人に聞くのであるが、それぞれの人は、「神に祈りなさい」と言うのである。そのため、多くの宗教の仕様によって、その宗教が崇める神に祈るのであるが、リモコンは戻らない。そんな中で、pkは「きっと神様に繋がるべく電話(交信)が掛け間違いをしており、神にお願いが通じないし、神からの回答も伝わって来ないのだ」と感じるようになる。実にユニークな発想である、しかも、宇宙人の発想なのであるが・・・。イカサマの導師様とTV討論する最終場面で、pkは言う、「神様には2種類ある。人類を創造した本当の神と、あなた(導師)が勝手に作ったニセ神だ」。
 人類の誰もが見たことのない神という存在を、何故人間は信じるのだろうか?しかも、自分の希望を叶えてもらうべく祈るが、その希望は叶えられることがないのに、それでも神の存在を信じる。導師は言う、「自分の作った神を人々が信じることで、彼らは明日を希望を持って生きていけるのではないか」と。神の存在?、宗教とは何か?非常に深いところで考えさせられる映画であり、重いテーマである!!