アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

歴史都市・京都の超再生 町家が蠢く、環境・人権・平和の ための都市政策(リムボン)

2017年07月13日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年7月13日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!リムボンさんの『歴史都市・京都の超再生』だ
 登場する記述は
 京都の本質を述べるところで
 平和を希求する都市の段 

 京都という都市は、1200年にわたる歴史を振り返ってみると、一貫して、平和と安寧を求め続けて来た都市であったことがわかる。そもそも、その成り立ち自体がそうであった。平城京での政治に行き詰まりをみた桓武天皇は、即位後ただちに遷都を考え、784年に平城京から長岡京への遷都を行った。
 ところが、「長岡京遷都は、早くから揉め事が絶えず、いわば失敗の兆しが見えていた。遷都後一年も経たない延暦四年(785年)九月、造営使の藤原種継暗殺事件が起こり、その無実の罪で早良(さわら)皇太子を廃太子とし、皇太子は餓死した。それでも造営は続いていた。延暦十一年(792年)、洪水が長岡京を襲い、天皇は皇太子・皇后・夫人の病気や死亡が廃太子早良親王の祟りといわれて悩んでいた。この年、天皇はたびたび付近を遊猟して洪水の危険のない土地を探していた。
 こうして桓武天皇は遷都後10年で長岡京を放棄し、再度の遷都を実施し新たな都を自ら「平安京」と命名した。
 とある。

 脇田修・脇田晴子さんの「物語 京都の歴史」からの引用して記述されたそうだ。」
「長岡京から平安京への移り変わりが良くわかりますね
「だろ・・・で

 京都は・・・戦禍の舞台となってしまった。それゆえに、京都の人々は平和と安寧を希求しあるいは尊ぶ人々であった。平和を尊ぶ、これが京都が継承すべき伝統であり、世界平和に貢献する、これが京都に課せられた新たな役割の第一点目である。
 
 と記述している。」
「なるほど
「サッ!
 祇園祭に行かないと!」
「そういえば17日ですね
「そう。17日は山鉾巡行
 ほら本の表紙を見て山鉾が写ってるだろ?」
「ほんとだーなんていうの?
 長刀(なぎなた)鉾
 33の山鉾の中で1番は長刀鉾に決まってるンだ」
「じゃあ2番目は?
「くじサ!京都市役所の議場でくじ引きするンだ
 2017年の山一番は占出(うらで)山
 早く行って準備しないと~」
「いったい・・・
 何の仕事を掛け持ちしてるの?
 つづく
≪アッくんの長岡京新聞


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。