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「室戸へ」 お遍路記 5日目 焼山寺(12番)

2020-09-30 11:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【5日目】 晴れ
 【札所】焼山寺(12番)
 【地域】吉野川市(鴨島町) → 神山町(鍋岩)
 【宿】 旅館吉野 → なべいわ荘


 今日は祝日です。私はそのことをその日の午後まで忘れていました。歩き遍路をしていると、世の中のことが遠いことのように思えてきます。朝が早いのでゆっくり新聞を読む時間もありません。そう言えば歩き遍路の人が朝、新聞を読んでいるのを見たことがありません。関心がわかないのです。やはりここは世間とはちょっと違った異界です。

 毎日ヘトヘトになりながら歩いていると、日付の感覚さえなくなってきます。今日が何日なのか、何曜日なのか、そんなことは歩くこととは何の関係もないのです。世の中で何が起こっているか、それはお遍路の日常からはほど遠いことです。そんなことよりもっと大事なことが目の前にあります。とにかく歩いて次の宿にたどり着けるかどうか、それがもっとも大事なことで、それ以外のことは小さなことです。

 トイレは男女共用のところも多く、この宿もそうでした。私が小用を足していると、同じトイレの二つ並んだ後ろから隣同士でフランス語の話し声が聞こえてきました。何と言っているのかは分かりません。しかしトイレの壁を挟んで話している親子の声がはっきり聞こえてきます。こういう光景は経験したことがないですが、さほど気になりません。お遍路をやっていると小さなことは気にならなくなります。それよりも身支度を調えて出発することです。今日、最大の難所といわれる焼山寺の山を越えられるかどうか、それが最も大事なことです。

 6時45分に、旅館吉野を出発しました。出発前に、昨日注文していた昼食用のおにぎりを包んでもらいました。いつもより早い出発です。でも宿泊している5人の中では私がいちばん遅い出発のようです。今から12番札所の焼山寺に登ります。

 ここから焼山寺まで約13キロですが、問題はその距離よりも山のアップダウンです。焼山寺は標高700mですが、1つの山を登るのではなく、3つの山を登ります。2つの山を越え、3つ目の山の中腹に焼山寺はあります。
 しかも2つ目の山は焼山寺よりも高く約750mです。そこから350m下って山間の集落に出たあと、また300m登って標高700mの焼山寺にいたります。ですから、実際には1000m以上の標高差を登ることになります。
 さらに標高600mの1つ目の山を登ったあとも100m下りますから、その分も入れるとさらに登り坂は長くなります。

 登りに弱い私は、「とにかく無理をしないことだ」と思い、ゆっくり登りはじめることにしました。登山口は昨日打った藤井寺の敷地内にあります。藤井寺に入り、大師像の横にある小さな登山口を登り始めました。


▼ 7時 藤井寺境内の焼山寺への登り口

7時、大師像の左側のこんな獣道のようなところから上りはじめます。ちょっと恐いです。


▼ 焼山寺を登りはじめてすぐ

祠が祀ってあります。


▼ 7時10分 最初の遍路ころがし



 登りはじめてすぐに「遍路ころがし」があって、かなりきつい道です。遍路ころがしとは「お遍路さんを坂道からころがす」という意味でしょう。それをしているのは仏様なのでしょう。この言葉には「ころがされても、仏様に遊ばれてるだけで必ず助けてもらえる」という遊びのニュアンスがあります。そこにお遍路の救いがあります。人間は「ころがされる」ものなのです。山を征服するなどという気はサラサラありません。


▼ 7時半 端山休憩所



 登山口から約20分ぐらい登って、標高225mの端山休憩所で休みました。ここまで来るだけで汗びっしょりです。濡れた背中のタオルを取り替えました。20分ぐらい休みます。いま7時50分です。また出発します。


▼ 7時50分 端山休憩所からの道



▼ 8時 端山休憩所からの道



▼ 8時10分 端山休憩所からの道

右側は谷です。


▼ 8時半 端山休憩所からの道

水飲み場です。先に祠もあります。


▼ 8時40分 長戸庵が見えてきました。



▼ 長戸庵



 8時50分頃、標高440mの長戸庵に着きました。般若心経を唱えました。途中の端山休憩所で休憩を20分ほど取りましたが、登山口からここまで約2時間弱かかりました。1つ目の山の頂上まであと160m登ります。


▼ 9時10分 山からの眺め 昨日歩いた無住の地の畑が見える





 このあとしばらく、登りがきつくて写真を撮る余裕がありません。



▼藤井寺~長戸庵



▼ 10時 長戸庵からの道

標高600mまで上ったあとの道です。100mほど下ります。


 登りはきつくて写真を撮る余裕がありません。下りに入ってやっと一枚撮りました。1つ目の山をやっと登ったところです。
 それから20分下って、柳水庵が見えてきました。


▼ 10時20分 柳水庵が見えてきました



▼ 柳水庵



 午前10時半、標高500メーターの柳水庵で休憩しました。ここは1つ目の山と2つ目の山の間の谷間にあります。お堂で般若心経を唱えました。以前はここに宿泊できたようですが、今は誰も住んでいないようです。社務所の前のベンチで休憩しました。休憩していると2人の男性がやって来て、休憩もそこそこにまた歩いて行かれました。みなさん健脚です。


▼ 11時 柳水庵下の休憩所

ここだけ日が当たっていました。山の中には日は届きません。


▼ 柳水庵下の休憩所の室内



▼ 柳水庵下の休憩所

宿泊禁止の張り紙がありました。


▼長戸庵~柳水庵



ここから250mほど登ります。登り始めると写真を撮る余裕がありません。
約50分登って浄蓮庵に着きました。


▼ 11時50分 浄蓮庵に着きました



 ほぼ12時に、標高745mの浄蓮庵に到着しました。ここが今日の最高峰地点です。やっと2つ目の山に登りました。


▼ 後ろからみた浄蓮庵の一本杉



▼ 浄蓮庵



 浄蓮庵で休憩しました。そこにはさっき柳水庵で追い越していった男性がおられました。「京都の嵐山から来た」と言うことでした。
 もう一人の男性は、この浄蓮庵に上る途中で、反対側から降りてこられるところですれ違いました。「もう少しですから頑張って下さいね」と声を掛けられました。その方は地元の人だそうです。
 京都の男性は山に登る途中でいっしょになり、いろいろ説明を受けながら登られていたようです。
 浄蓮庵で会ったその内山(仮名)さんという人に、おやつのスルメをもらいました。年齢は70才ですでに八十八ヵ所の結願を果たして、今回は2回目だということです。今回は区切り打ちで「明日には帰る」ということでした。前回の巡礼の時のことを楽しそうに話されました。
 「ここを降りたあと最後の焼山寺への登りがきついですよ」と言われました。内山さんは「ではお先に」と言って出発されました。
 この浄蓮庵が今日の山の最も高い地点ですが、このあとはここから350m下り、その後また300m登って焼山寺に着きます。

 休憩しているときは、靴を脱ぎ、靴下を脱いで裸足になります。こうすると足が解放されて、解き放たれたような気になります。次に汗に濡れた背中のタオルを交換して汗が冷えるのを防ぎます。それから水を飲み、やっと昼食のおにぎりを食べます。宿でつくってもらったおにぎりです。ここにはコンビニどころか人家もありません。タバコを吸い、裸足で土を踏みながら周りを歩きながら足裏の回復を待ちます。足裏のマメの状態を見て、手持ちの電動ツボ押し機で足の裏をマッサージしながら少しでも疲労をとろうとします。30分や1時間はアッという間です。でもまだまだ歩かねばなりません。

 マメができると痛いだけではなく、疲労が倍増します。これは気分の問題ではなく、本当に疲労が倍増します。ほとんどのお遍路はマメの痛みと闘いながら歩いています。たかがマメではありません。長時間の歩きにマメは大敵なのです。そこに雨が降って靴が濡れるとマメの状態はさらに悪化します。疲労はピークに達します。
 マメは歩いているときだけではなく、宿に着いてからもしばらくは大きくなります。1日だけの歩きならそのままにしておいてもいいのでしょうが、毎日の歩きとなると、どうにか手を打たないと、マメはさらに悪化します。いかにマメを作らないように歩くか、いかにできたマメを治療するか、そんなことをいつも考えながら歩いています。針とテーピングは必須です。



▼柳水庵~焼山寺



▼浄蓮庵~焼山寺



 12時50分、浄蓮庵を出発しました。


▼ 13時 浄蓮庵からの道

下り道です。浄蓮庵から300mほど下ります。


▼ 13時半 左右内(そうち)集落が見えました



▼ 13時40分 左右内谷川(下流方向)



 350m下った左右内(そうち)集落の裏を抜けて、この標高400mの谷を流れる左右内谷川を渡りました。村の裏側に遍路道があるため左右内集落のなかを通ることはありませんでした。遠回りして村の様子を見る余力はありません。早く今日の宿に着きたい一心です。


▼ 左右内谷川(上流方向)



 清流を見て、川の音を聞くとホッとします。でも川は谷を流れますから、ここでは川は登りの合図です。天気は晴れですが、山の中は鬱蒼と木が茂っています。快適なハイキングとはだいぶ様子が違います。
 山登りがスポーツになったのはいつからでしょうか。歩いている感覚として、これはスポーツではありません。スポーツだったら止めていたかも知れません。やはりこれは修業です。修業の感覚です。何の修業かは分かりませんが、私がやっていることは決してスポーツではありません。その感覚が、どこかで自分を支えています。


▼ 13時40分 最後の遍路ころがし



 左右内谷川を渡るとすぐに最後の遍路ころがしがありました。あと約1時間です。いつの間にか、周りの樹木はすでに杉の植生に変わっています。


▼ 13時50分 最後の遍路ころがし



 そのあと1時間10分歩いて、3つ目の山の焼山寺に着きました。
 2つ目の山の浄蓮庵から2時間10分かかりました。谷にある左右内集落からは1時間半かかりました。
 やはり写真を撮る余裕がありません。


 人間きついときには、何も考えないものですね。何も覚えていません。何も降りて来ず、何も浮かんで来ません。まだか、まだかと思いつつ、ひたすら歩きました。私を追い抜く人もいなかったので、ここで倒れたら誰も助けに来ないだろうな、などと自分の都合だけ考えながら歩いていました。悟りは遠いと思いました。
 凡人が異界にいても、考えることは凡人のままです。


▼ 15時 焼山寺の山門



 午後3時、やっとの思いで12番札所の焼山寺につきました。ここにたどり着いたときには、多少フラフラしていました。


▼ 焼山寺の境内



 境内では今朝まで宿でいっしょだったフランス人親子が日なたに座って休んでいました。娘さんはジャンパーを着ていました。座っていると寒いのでしょう。着いてからかなり時間が経っているようです。私はまだ汗が噴き出しています。2人のそばに行って挨拶をしました。今日のホテルはどこかと聞くと、「3キロほど」と言って地図を見せました。「なべいわ荘」でした。今日も私と同じでした。フランス人親子2人は先にお寺を下っていきました。
 境内には、歩き遍路をしている若い外国人男性の姿もありました。彼らの歩きは早いようです。私が歩くペースとはだいぶ違うようです。

 昨日、宿でいっしょだったあと二人の男性の姿はありません。たぶん先に行かれたのでしょう。やはり私の足は遅いようです。昨日からフランス人親子の2人組と、抜きつ抜かれつを繰り返しています。女性の足と同じぐらいのスピードなのでしょう。フランス人のお母さんのほうは50才前後に見えます。娘さんはそのお母さんの足に合わせているようです。どうも私の足のペースは50才前後のフランス人の女性の足と同じぐらいではないでしょうか。とくに登りでは私のペースはガクンと落ちるようです。

 私が境内でいつものように、汗でびっしょりになった背中のタオルを交換していると、そこに昼に浄蓮庵で会った京都嵐山の内山さんが本堂から降りて来て、「焼山寺の最後の登りはきつかったでしょう」と声を掛けられました。「自分はこれから神山(かみやま)町の温泉に入って、それから夜行バスで神戸まで行き、そこからJRで京都に帰ります」と言って、山を下って行かれました。神山町というのは、今日私が泊まる「なべいわ荘」からさらに4キロぐらい先にある町です。息が上がっている私に比べ、すごい体力と持久力です。

 しばらくそこで休んでいると、本堂から降りてきた別の男性(70歳前後)から「今日はどこから歩いてきたんですか」と尋ねられたので、「旅館吉野からです」と答えると、「私は明日そこに泊まりますよ。旅館のご主人に無事に焼山寺に登られたことを伝えておきますね」と言われました。その方はすでに八十八ヵ所巡りを一度されているようで、今回は車で回られているようでした。歩き遍路を経験された方は、歩き遍路を見るとどうも他人事とは思えないようで、気さくに話しかけてこられます。
 こうやって、ちょくちょくと初対面の人が、歩き遍路の私にまるで昔からの知り合いのように話しかけてこられます。歩き遍路には、歩き遍路同士の仲間意識が生まれるようです。重い荷物を背負いながら辛い遍路道を歩いていると、自然とそういう仲間意識が生まれます。さっきの人は今回は車でも、それ以前に歩き遍路で八十八ヵ所を巡ったときのことを思い出されているのでしょう。他人事には思えないようです。

 境内にはカロリーメイトの自動販売機がありました。カロリーメイトの自動販売機などめったに見かけませんが、それがこんな山奥のお寺にあるということが、このお寺がどんなところかを表しています。私もやっとここで昨日から探していたカロリーメイトが買えました。昨日と今日のまる2日、コンビニはありません。人によってはこのカローメイトで命をつなぐ人がいるかもしれません。本当に笑い事ではありません。


▼ 焼山寺の本堂



 しばらく休憩したあと、お寺の鐘に一礼して手を合わせ、ゴーンと鐘を鳴らしてから、本堂とその横の太師堂にお参りをしました。

 納経所で奥の院に行けるかと聞いてみました。奥の院とは修行する場所のことです。「もう今日は行けない」ということでした。行くためには、「焼山寺に届け出をしなければならないが、時間的にもう遅い。戻ってこないと捜索隊を出すこともある」ということでした。行き戻り自分で行くようですが、「山の稜線を行くので右左両脇は崖になっていて、かなり危険で崩落の危険がある」ということでした。どういう道か想像がつきませんが、思いつきで行くような場所ではないようです。もう4時近かったので時間的にも、そして何よりも体力的に「無理だな」と思い、奥の院へ行くのはあきらめました。奥の院への道の入り口は、焼山寺の境内にあるということでした。



●焼山寺奥の院



 宿への道を急ぎました。ここから宿の「なべいわ荘」まで下り道です。もう登り道がないと思うとホッとします。

 3時50分、焼山寺を出発しました。


▼ 16時10分 杖杉庵



 急勾配の遍路道を下ると、杖杉庵がありました。お遍路をはじめたという衛門三郎の言い伝えのあるところです。


▼ 杖杉庵



▼ 杖杉庵近くの民家のお墓

家の横にこういったお墓が所々にあります。町中でも見かけました。


▼ 16時50分 鍋岩を流れる渓流

下流を望む


 鍋岩の集落が見えてきました。


▼ 鍋岩の家並み



▼ 鍋岩の風景

後ろの山中を焼山寺から降りてきました。


▼ 鍋岩の風景




▼ 17時 なべいわ荘



 5時に宿の「なべいわ荘」に着きました。標高700mの焼山寺から一気に500mほど下って、ここは標高200mのところです。
 フランス人の親子2人はすでに宿についていて、風呂から出て来るところでした。
 宿に着くと早速、いつもの手順で選択と風呂を済ませました。

夕食は、フランス人女性2人と、香川県高松市から来られたという70才の男性、それに私の4人でテーブルを囲みました。
 フランス人の娘さんは、以前自宅に日本からの交換留学生を1年間にホームステイさせていたようで、その関係で16才の時に交換留学生として台湾に住んでいたことがあるらしく、そこで東洋文化に触れて興味を持ったそうです。それで四国のお遍路に出てきているということでした。娘さんは20代に見えます。彼女たちとの会話はカタコトの英語で、所々分かり、所々分からないといったもので、分からないところはこちらで勝手に想像しながら話しました。遍路用の地図は、日本語のほかにも英語の地図が出ているようで、その英語の地図を頼りに四国を回っているようでした。

 70才の男性は、八十八ヵ所を1度回ったあと、時々こうやってお遍路を回っているということで、今回はバスなどの乗り物で回っておられるようです。
 その70才の男性は、「最近外国人のお遍路が多いね」と言われました。「多いのは日本人お遍路が減ったということですか、それとも外国人お遍路が増えたということでしょうか」と私が尋ねると、「その両方ですよ」と言われました。多いときは宿の客の大半が外国人で埋まることもあるそうです。
 男性はお遍路事情にかなり詳しく、また私の心配のタネの宿についても、「自分が作ったものではないけれども」と言いながら、お遍路の宿の一覧を私に見せてくれました。「よかったらやるよ」と言われましたので、ありがたく頂きました。「へんろみち保存協力会編」の地図に載っていない宿もいくつかありました。

 特に20番の鶴林寺と21番の太龍寺に登る山の登山口には宿が一軒しかありませんが、その西隣の町の坂本町に登山口までの約7キロを送り迎えしてくれる宿があって、町の人たちが総出で輪番で役割を担っていることを教えてもらいました。そのことは私も気になっていて、もしその登山口の宿が取れなかったらどこに泊まろうかと考えているところでした。予定では3日後にそこに泊まる予定です。

 「四国の人は車で来ることが多く、しかも日帰りで来ることが多いから、四国の人の歩き遍路にはなかなか会わないでしょうね。札所が身近にあるから日帰りでも札所にお参りに行ったりするから、なかなか歩かないんだ」と言われていました。

 徳島には住友という名前の家がチラホラあります。昨日お参りした藤井寺のある吉野川市でも何軒か見ました。実は今日泊まっている「なべいわ荘」は、もともと住友産業という企業の保養所だったようですが、私はてっきり住友財閥の保養所だと思っていたら、その70才の男性が、「同じ名前の財閥の住友とよく間違うけれども、実は財閥の住友ではなくて、大阪かどこかにある企業ですよ」と教えてくれました。
 その住友という名前は四国一帯にあるのか、この徳島だけなのか。住友財閥というのは、もともと徳島の出身なのか。てっきり私は大阪とばかり思っていましたが、もとは四国の出なのかも知れません。

 食事をしたあと部屋に戻って、スマホで電話し明日の宿を決めました。大日寺のすぐ横の「かどや旅館」に泊まることにしました。約20キロの道のりですが、途中に標高450mの玉ヶ峠があります。250mほど登らなければなりません。

 山の空気は何度か低いようで、部屋に戻ると急に寒けがして体が震え出しました。そのまま浴衣をズボンに替えて布団に潜りこみながらスマートフォンで自宅へメールを打っていたら、いつの間にか寝てしまいました。夜の8時からウトウトして、気づいたら11時でした。「しまった」と思いました。頭痛がします。
 手持ちの睡眠剤を飲んで、お灸もして(家でも時々します)、「寝れるかな、風邪を引いたのかな」と多少不安を覚えながら、どうにか眠ることができました。一度5時に目覚まし時計で起きましたが、気づいたら6時になっていました。3時間のうたた寝のあと、7時間寝たことになります。合わせて10時間寝ました。ここ数日の疲れが一気に出てきたようです。しかしどうにか眠ることができて、今日の体調はまずまずというところです。一安心しました。

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