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「室戸へ」 お遍路記 8日目 恩山寺(18番) 立江寺(19番)

2020-09-30 08:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【8日目】 雨のち曇り
 【札所】恩山寺(18番) 立江寺(19番)
 【地域】徳島市(佐古 → 徳島城) → 小松島市 → 勝浦町
 【宿】 歩き遍路宿びざん → 金子や


 朝食は2階の食堂で4人でテーブルを囲んでとりました。ジャンヌ親子2人は、昨日買ったコンビニの朝食を食べていました。朝食の生卵とか、食べられないものがあるようで、好みのコンビニの弁当を買っていたようです。
 7時10分に民宿びざんを出発しました。出発する前に4人で記念写真を撮りました。

 写真を撮ったあと、「さあ出発しよう」というときにちょうどひどい雨が降ってきて、急きょカッパに着替えて出発しました。70歳前後の男性は「自分のペースで行くから、お先に」ということで先に行かれました。
 私とジャンヌ親子は徳島市の眉山(びざん)の手前あたりまで約30分ほどいっしょに歩いたあと、私は「見たいところがあるから、ちょっと寄り道していく」ということで別れました。
 川沿いの公園を歩き、眉山ロープウェイが見えたところで、左折して徳島駅方面に向かい、それからその裏の徳島城に入ってお城の公園をしばらく歩きました。雨はずっと降り続いていました。


●写真 7時55分 徳島市中央公園沿いの川(南方向)



 川の左側は公園で、ここに「阿波おどり」の桟敷が設けられるようです。阿波おどりは盆踊りの一種で、どうも神様よりも仏様に近いようですが、お遍路との関係はあまりないようです。というより、別種の文化のようです。異界のお遍路、地元民の阿波おどり、といった感じです。阿波踊りはきれいです。一度見てみたいものです。でも昨日も駅周辺に宿が取れなかったことを考えると、宿を取れるかどうかが一番の問題のようです。


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●写真 7時55分 徳島市中央公園沿いの川(北方向)



●写真 7時58分 眉山(びざん)を望む(西方向)

眉山に登るにはロープウェイがありますが、時間がありませんでした。今日泊まった「びざん」はこの山の名を取ったものでした。この先に「阿波おどり会館」もあるようです。


●写真 7時58分 徳島駅前大通り



●写真 8時00分 徳島駅前大通り



●写真 8時2分 徳島駅前大通り



●写真 8時3分 徳島駅前大通り そごう



●写真 8時13分 徳島城

徳島駅の裏手が徳島城でした。一昨日泊まった一宮城の城下町がここに移ったようです。鮎喰川の山手から吉野川の河口近くに、お城が下りてきています。


●写真 8時13分 徳島城



●写真 8時15分 徳島城



●写真 8時17分 徳島城の門



●写真 8時17分 徳島城のお堀



今日は27キロ、先を急ぎます。


●写真 8時30分 徳島県庁前の通り



●写真 8時31分 徳島県庁前の川

川岸には船が停泊していました。


●写真 9時10分 川の鴨



●写真 9時47分 徳島市内の遍路用品店



●徳島市と眉山(海側から西を見る)

徳島市中心部は川に囲まれて川中島のようになっていますね。左上が眉山(びざん)。その手前の小さな山が徳島城。その隣が徳島駅。眉山の先の平野部が阿波国府のあった国府町(国分寺一帯)。そこを南に山に向かうと山城の城下町があった一宮町(大日寺付近)。西の焼山寺からここまで下りてきました。ちなみに県庁は川中島の対岸。右上に吉野川が流れる。吉野川の北と南で、同じ徳島県でも何か雰囲気が違うような。


 午前10時15分、まだ雨が降っています。9時にいったん雨が上がったと思いましたが、目に見えないほどの小雨が降り続いて、10時頃からまた雨が降り出しました。雨宿りするところを探すのも一苦労で、国道55号線沿いを歩いていても、雨宿りに適当な場所がなかなか見当たりません。勝浦川の橋を渡ったところでお遍路用の休憩所がありました。
 やっと腰を下ろして休憩できました。雨をしのげる遍路休憩所は本当にありがたいことです。この遍路休憩所は徳島中央ロータリークラブによるもののようです。そこで一息入れました。
 雨のなかを歩くことがこんなに大変なことだとは思いませんでした。自分が天気にいかに無頓着だったか、本当に身にしみて分かります。お遍路で野宿する人にとって、雨が降るかどうかは死活問題です。
 橋の下には弘法大師が寝ているという言い伝えがあって、お遍路は橋の上で杖をつかないというルールがあります。雨宿りする場所を探すのが大変です。昔は橋の下でも雨をしのげるありがたい場所だったと思います。橋の下には誰かが寝ていると思うと杖はつけないのです。昔の橋は木造で小さいですから、なおのことです。


●写真 10時10分 勝浦川橋を渡ってすぐの遍路休憩所



 10時20分、まだ雨です。あと1時間ばかりで3キロ先の18番札所の恩山寺に着く予定です。


●写真 10時54分 弘法大師御杖の水

やっと雨が上がりました。


●写真 11時15分 恩山寺近くの民宿ちば



●写真 11時19分 恩山寺の入り口



●写真 11時21分 恩山寺の山門



 11時半ごろ、18番札所の恩山寺に着きました。そこで休憩していると、約15分ぐらい遅れてジャンヌたちが来ました。私は遠回りしたので、先に行っているとばかり思っていましたが意外でした。
 私はそこで昼食を取るつもりでしたが、彼女たちは昼食を持ってなかったので、カロリーメイト2人分を彼女たちに渡しました。彼女たちも「アリガトウ」と言って食べ始めました。ジャンヌからは手持ちのミカンをもらいました。私はいつものように、靴を脱いだり、足のマッサージをしたりしたあと、3人いっしょに歩き出しました。こういう時に言葉が通じないというのは、お互い諦めているためかムダな会話をする必要がなく、かえって気楽な面もあります。

 でも境内の写真を撮り忘れていたことに後で気づきました。

 次の立江寺に向かう途中の釈迦庵に行こうとして、通りがかったおばさんにその場所を聞いてみたところ、「台風で倒れてしまって、今は何もなくなっている」ということでした。草しか生えてないということでしたので釈迦庵には行きませんでした。ジュリアンは札所の途中にある祠にはあまり興味を示しませんが、この釈迦庵には行きたかったらしく残念がっていました。
 私はこの日、宿の到着時間が気になっていました。金子屋の宿の主人からは「遅くとも6時までには着くように。そうでないと夕食は出せません」といわれていたことが気にかかりました。



●写真 13時41分 お京塚



●写真 13時42分 お京塚のお地蔵さん



 お京塚は大阪の芸者お京が夫を殺して、浮気相手とともに逃げてきたところだそうです。こういう所も番外霊場として組み入れられています。

 真言宗には他の宗派に見られない特徴として、男女の性的な交わりを煩悩としてみるのではなく、悟りの一種として捉えようとするところがあります。男女の豊かな交わりは人生を豊かにすると。空海が最澄から「お経を貸してくれ」と言われて唯一貸さなかったお経がその「理趣経」です。「あなたにはまだ早い」と。確かに誤解される恐れのある教えです。私も最近そのことを知ってビックリしました。妙に生々しいのです。でも生身の人間にとっては大事なことです。
 お京は、愛欲の果てに懺悔し、一心に地蔵尊を念じるようになったと言います。何か恐ろしいような話ですが、誰もが避けたくても避けて通れないものがそこにはあります。

 午後2時、赤い橋を渡って立江寺に着きました。


●写真 13時52分 立江寺入り口の赤い橋



●写真 13時52分 立江寺付近



●写真 14時19分 立江寺の塔



●写真 14時19分 立江寺の本堂



●写真 14時26分 立江寺奥の院入り口

行きたかったのですが、ここには立ち寄りませんでした。



 午後2時20分頃、立江寺を出発しました。
 立江寺のある立江町から山の裾野の旧道を西へ向かいます。その南には平行して新しい県道28号線が走っていますが、旧道を歩きました。山裾の田舎道です。立江中学校横を通り、農協を過ぎ、櫛渕小学校前を通り過ぎます。下校途中の小学生とすれ違います。
 途中、法泉寺前のバス停のところでジュリアンがトイレを借りたいと言ったので、すぐ横の小さな工場で作業していた人にお願いしたところ、工場横のトイレを貸してもらいました。女性のお遍路はトイレが大変です。私はその10分前に、何も告げずに草むらにはいり、立ったまま済ましていました。

 尾籠な話ですが、日本の失われた風俗に、女性の立ちオシッコ姿を見なくなったことがあります。私が子供のころまでは、地元の農作業風景でよく見る姿でした。女性は農作業の合間に、立ったまま後ろ向きで用を足していました。前から出して後ろから垂らすのです。これは私の地元だけの風習かと思っていたら、私の友人が、若いころ観た今村昌平監督の映画「ええじゃないか」のなかで、桃井かおりが後ろ向きに立ったままオシッコするシーンがあった、と言ってましたので、かなり全国的に広まっていたことだったと思います。
 昔は女性は腰巻きでパンツをはいてなかったから、こういうこともしやすかったのだと思いますが、女性がパンツをはくようになって次第に失われていったようです。女性のお遍路さんがこの技術を体得したら、かなり便利になるのは間違いないことのように思えます。
 そんなことでも考えていないと、立江寺から金子屋まで約10キロの道のりは長すぎます。


●写真 14時33分 立江寺過ぎの農村風景(南) 北側は山が迫っています



●写真 14時39分 立江寺過ぎの農村風景(南)



●写真 14時43分 立江寺過ぎの農村風景(西) 前にジャンヌ親子



●写真 14時46分 立江寺過ぎの農村風景(南)



●写真 15時18分 峠の車道

立江町のある小松島市と金子屋のある勝浦町との町境には峠があって、そこを越えて勝浦町に入りました。


●写真 15時44分 えびっさんの生まれた神社(道路南)



 途中に「えびっさんの生まれた神社」というのがありました。「えびっさん」というのは恵比寿さんのことです。私の地元でも「えべっさん」というのですぐ分かりました。四国で「えびっさん」、九州で「えべっさん」、どちらも同じようなものです。遠くから来た異国の神様ですが、それがどうしてここで生まれたのか由来は分かりません。こういう外来の神様が「ここで生まれた」とする発想がおもしろいと思いました。でも時間が気になり、足もヘタってましたので、立ち寄らずに先を急ぎました。ちょっと残念でした。

 ローソンのある三叉路で、今まで歩いてきた県道22号線が終わり、勝浦川沿いに走る県道16号線と合流しました。そこを左に曲がり、勝浦川沿いの県道16号線を歩きました。ここから約4キロの道のりです。勝浦川は美しい川でした。しかし、それに沿って走る1本道はとても長く感じました。足もかなり疲れてきました。「まだか、まだか」という気持ちで歩きました。「あとどれくらいか」と、ジャンヌたちとそればかり話していました。いつも最後の2~3キロはとても長く感じます。
 ジャンヌ親子は時折フランス語で話していますが、私には何のことか分かりません。何か聞かれないかぎりは、構わないことにしています。言葉が分からないと、逆に気楽なところがあります。言葉というのは、無ければ無いほうが良いのかも知れません。そのほうが便利なのです。


●写真 15時44分 勝浦町に入りました(西)



●写真 15時54分 北側の勝浦川と道(北東)



●写真 15時54分 北側の勝浦川と道(西)



●写真 15時54分 南側の山と平野(南西 奥に勝浦の町)



●写真 15時54分 南側の田んぼの花(南西)



 勝浦町の町中に入ってきました。もう宿はすぐそこです。


●写真 16時34分 金子屋近くのコンビニ(南西)



 金子屋の近くのコンビニでカロリーメイトとビールを買いました。ジャンヌたちはお菓子を買っていました。ビールは宿に着いてから飲もうと思っていましたが、ジュリアンたちがコンビニの前に座り込んで、「ハングリー」と言いながら買ったお菓子をムシャムシャと食べ始めたので、私も買ったビールを待ちきれずに飲みました。こういう飲み方が本当は一番おいしいのです。


●写真 16時35分 コンビニの南うしろの山(南)

宿はこの山の麓の村



●写真 16時52分 金子や近くの民宿



 金子やの他にも民宿がありました。
 ここから7キロ西奥へ行った山手の坂本には「ふれあいの里さかもと」という宿があり、ここまで送迎してくれるそうです。


●写真 16時54分 金子や






 午後5時に金子やに着きました。6時前に着けたことにホッとしました。でも私には長い行程でした。

 宿の金子やは鶴林寺の登山口にあります。宿の泊まり客は全部で6人です。ジャンヌ親子2人と私、それからオーストラリア人の年配の男女2人、それに茨城県から来たという71歳の男性、その男性は2回目の遍路だということです。1回目は3年前の68歳のときに打って、今回2回目ということでした。
 オーストラリア人の男性は異形の格好をしていて、上半身刺青、ブロックカットの髪型、両耳に大きなピアスの穴、芸能人なのか、ちょっと何をしているのかわからない人でした。もう一人はその奥さんのようです。やはり60歳前後に見えます。彼らもお遍路は2回目ということでした。私が九州から来たというと、12月には九州に行く予定だと言ってました。どういうことなのか、よく分かりません。外国人が多くて、日本であって日本ではないみたいです。一昨日は2mを越えるオランダ人男性と2人でしたし、いつもとは違う世界です。

 ジャンヌの母親は仮にナンシーと言ってますが、本当は覚えにくい名前です。何度聞いても覚えられませんでしたが、やっと覚えました。
 母親のナンシーの家はパリではなく、聞き取れませんでしたが、ドイツに近い町だそうです。彼女の英語は半分フランス語がはいっているようで分かりにくいのです。私の英語もロクなものではないのですから、お互いよけいに分かりません。2人で話すのは苦労します。母親のナンシーと比べてジャンヌの英語が聞き取りやすいのは、たぶんジャンヌがちゃんとした英語教育を受けているからでしょう。


●写真 20時2分 部屋の様子

洗濯物は乾燥機で乾かしてますが、あと少しというところなので、しばらく畳の上に広げています。



 部屋に戻るとまず明日の宿の予約をしました。明日は二つの山を越えて、一番最初にあるのが一軒宿の山茶花(さざんか)です。そこに予約しました。廊下ですれ違いざま、ジャンヌにそのことを伝えました。一種の情報交換です。ジャンヌは「オーケー」と言いました。ジャンヌたちもそこにしたようです。


 本当はもっと勝浦川の上流を西にさかのぼっていくと坂本という町があり、その坂本の山の奥に慈眼寺(じげんじ)という別格霊場があるので、そこまで行ってみたい気もしましたが、宿の主人にそのことを聞くと、「そうなると連泊になる」ということでした。その慈眼寺の近くには空海が修行したという鍾乳洞の穴禅定があり、また高さ140mの潅頂の瀧があります。興味をそそられる場所でした。
 あとで調べてみると、焼山寺からこの勝浦町まで、いったん平野に下りて、徳島市の中心部を通ってここまでやって来ましたが、地図で見てみると直線距離ではそんなに遠くはありません。ただその間には高く大きな山脈がさえぎっていて、そこを直接乗り越えてここまで来るのは並大抵のことではないようです。しかし空海のような修行者たちはその山を直接乗り越えて、明日向かう鶴林寺や太龍寺の山に向かったようです。坂本の町の奥にある慈眼寺はその中間地点にあり、焼山寺、慈眼寺、太龍寺はほぼ一直線上に並びます。別格霊場慈眼寺は断念しました。


●焼山寺~勝浦町~太龍寺


左下の焼山寺から右下の太龍寺の中間地点に慈眼寺があり、そこも修行の場所でした。ふつうのお遍路がその間の山を越えるのはムリだから、焼山寺からいったん神山町を流れる鮎喰川に沿って山を下り、地図の上方にグルッと遠回りして、徳島市を通り、また山に向かって勝浦川の流れる山すそを歩いて、勝浦町まで来たわけです。


 ジャンヌ親子とはたまたま歩くペースが同じようで、付かず離れず毎日同じようなところを歩いています。
 明日はいよいよ二山越えの遍路ころがしです。

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