水曜日
自由化・個性化が叫ばれ『ゆとり教育』が始まろうとしていたとき、
その理由はいくら考えても分からないものだった。
ごまかしだらけの教育論が横行していた。
これは教育論では解けないものだった。
政治上の問題だった。
そしてそれはアメリカからの外圧だった。
お調子者の御用学者がそれに便乗した。
あれから10年以上たって、『ゆとり教育』の見直しなどといっている。
見直すのは当たり前、遅すぎた。
ゆとり教育を受けた世代も、もう大人になっている。
どういう大人になったのだろうか。
非常に線の細い、ガラス細工のような大人だ。
そしてそんな体で就職氷河期に巻き込まれた。
多くの引きこもった若者がいる。
小泉・竹中をはじめ、誰も責任を取らない。
日曜日
人間の社会には、社会学でいう『互酬性』の原則がある。
1.借りたものは、返さねばならない。
2.もらったものは、返さねばならない。
物の貸借だけではなく、行為の貸借においてもその原則は成り立つ。
人が困っているのを助けてやれば『貸し』、自分が困っているときに助けてもらえば『借り』。
『貸し』はいつか返してもらうことが期待されているし、『借り』はいつか返さねばならないと期待されている。
三木清が言ったように、人間の社会は『期待』の原則によって成り立っている。
動物には『貸し』『借り』はない。仮に『借り』を作ってもそれを返すことはない。
動物は単に実力の世界である。暴力の世界といっても良い。奪い合いの世界である。力の世界である。
人間の金融社会もそれに負けず劣らず暴力的ではあるが、それが他の動物の暴力性と違うのは、他の動物にはない『貸し』『借り』の関係を媒介としてその暴力が成り立っていることである。
それはあまりに人間的なものを媒介にして、他の動物よりも破壊的な暴力性をもたらすことである。
人間社会の、『貸し』と『借り』で成立する暴力性は、他の動物とどう違うのだろうか。
2の『もらったものは、返さねばならない』というのも、広い意味では『貸し』と『借り』の世界である。もらったものそのものを返さなくてもよい。しかし、もらったという行為に対して、それに類する何らかの『お返し』をしなければならない。それが『返済』である。
そういうルールを守らない場合には、その社会から追放される。
だから、世の中の総体としての『貸し』の量と、『返済』の量は等しくなる。
『借り』の量と、『返済』の量も等しくなる。
それが等しくならない場合、社会が崩壊する。
『貸し』『借り』の量に対して、『返済』の量が縮小すれば、人間社会は成り立たない。
ところがお金を扱う銀行の場合、銀行は預金という『借り』に対して預金引き出しという『返済』を行うよりも先に、新たな融資先に対してお金の『貸し』を行う。
ここから変なことになる。
他人からもらったものに対する『返済』を履行する前に、自分から他人に対する『貸し』を発生させるのである。
つまり相手からの『借り』という負債を返済する前に、他人に対する『貸し』という債権を発生させる。
そうすると世の中全体では『返済』よりも『貸し』の量が圧倒的に多くなる。
『返済』の量1に対して、『貸し』の量が2になる。
そしてその『貸し』に莫大な利益が宿る。
しかしこの形態が普及すると、世の中は『貸し出し過多』になってしまう。
貸し借りの発生はもともと救済措置として発生したものだが、これが今では『貸すこと』『借りること』が常態となり、社会の基底に『借金』が常に存在することになる。
もともと救済措置として発生した一時的なものが、社会に常に存在する恒常的なものになると、その上に築かれた現代社会の巨大な社会構造は非常に不安定なものになる。
一時的で非常時的なものの上に、日常的で恒常的なものが築かれることになるからである。
社会が逆三角形(▽)のような形になって不安定になる。
このことが現代社会を大きな不安のなかに陥れている。
古来、『金貸し』が蔑まれていたことには理由がある。
このお金に関するタブーが取り払われる過程はいまだ未解明である。
それはマックス・ウェーバーの資本主義成立の説明とは全く別のところにある。
土曜日
イギリスの植民地支配の方法は、実に巧妙である。
とてもパブリックな政府のやることとは思えないほどである。
イギリスの金融勢力は、あるときは政府と協力し、またあるときは政府から独立して独自の動きをしている。まるで二つの生き物が動いているようだ。
イギリス東インド会社というものが得体が知れない。
そこにイングランド銀行という民間資本の政府の中央銀行が加わる。そしてこの民間銀行が、ポンド紙幣という正式通貨をいくらでも印刷できる構造になっている。
だからイギリス政府は、イングランド銀行を頼っていくらでも借金できる。(いくらでも国債を発行できる。イングランド銀行が買ってくれるから。)
その植民地支配の方法は、金にモノを言わせて敵同士を戦わせる、あるいは敵を分断させ、自らは直接手を下さないばかりか、敵に協力するように見せかけて、敵国の実権を乗っ取っていくやり方だ。
例えば、イギリス最大の植民地インドは、ムガール帝国というイスラム国家であった。そこに乗り込んできたイギリスは、支配層のイスラム教徒ではなく、逆に被支配層のヒンドゥー教徒を優遇する政策をとり、彼らを東インド会社の役人に取り立てていく。その結果、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒との対立が深まり、長い抗争が始まる。
その結末は、ヒンドゥー国家インドとイスラム国家パキスタンの分離独立である。そして今もインドとパキスタンの根深い対立は続いている。
日本の幕末の志士たちは下級武士である。彼らは藩の命令を受けて行動している。上級武士の支配下にある。
活動内容は諜報活動である。秘密情報を集めることだ。いわば忍者である。そしてその情報を藩にもたらす。そのために敵に近づく。
ところがイギリスはそのことを知っている。
イギリスは、彼ら幕末の志士(忍者)たちが欲しがっている情報をわざと与える。
時にはそれは彼ら忍者たちの想像を超えることもある。
やがて忍者たちはとても自分の手に負えるものではないことを悟るばかりか、自分たちを動かしている藩の権力でさえ、それに太刀打ちできないものであることを悟る。
彼らはいつしか藩の忍者から、イギリスの忍者になっていく。
幕末期、そこには外交面では攘夷思想があり開国思想があり、政治面では佐幕思想があり尊皇思想があり倒幕思想があった。
しかし藩が滅び、大名がいなくなり、武士がいなくなることなど誰も考えていなかった。
これは明治新政府が樹立された時点でさえそうである。
戊辰戦争のあとも藩は厳然としてあった。戊辰戦争を戦った武士たちは藩に帰って行ったのである。
徳川と戦った藩をつぶすことなどありえない。まして武士身分をつぶすことなどありえない。
武士たちは何のために戦ったのか。
廃藩の思想は明治になるまで全く表に現れない。
それは幕末の志士(忍者)たちの中に隠されていた思想である。だから誰もそのことに気づかなかったのである。
幕末の志士たちは藩の命令で動いている。藩は生き残りをかけている。見かけ上その藩の命令で動いている幕末の志士(忍者)たちが、廃藩の思想を漏らすわけがない。
大政奉還で一気に藩がなくなったと勘違いしている人がいる。
あれは徳川幕府が消滅しただけで、徳川は日本最大の徳川藩として生き残る思想である。
当然、他の藩も大名も生き残るはずであった。
廃藩の思想は藩命に逆らうことであった。
このことに苦しんだのは西郷隆盛だけである。
あとの多くの志士(忍者)たちは、簡単に藩主を裏切り、仲間の武士たちを裏切り、武士をこの世から亡くしていった。
明治維新以後、名をあげ新政府高官として出世した多くの志士たちは、故郷に戻ることを躊躇している。
明治維新当初、新政府の実力ナンバーワンであった大久保利通は、地元薩摩では今も人気がない。
同じく大隈重信も総理大臣に二度もなりながら、地元佐賀では人気がない。
長州の伊藤博文もそうである。
彼らは藩命に背き、故郷を裏切ったため、故郷に錦を飾れなかったのだ。
明治維新には地元の人間が表には出さない複雑な感情がある。
では幕末の志士(忍者)たちは、誰の命令に従って、藩をつぶし、大名をつぶし、武士をなくしてしまったのか。
伊藤博文などの長州ファイブは決して藩の力によってイギリスに密航したのではない。(1863年密航)
彼らを後押ししたのは、イギリス政府とグラバーなどのイギリスの武器商人である。
彼ら忍者たちは、イギリスの指示を受けたか、そうでなければ、イギリスの圧力のもと自らの判断で廃藩の思想を持ったのである。
つまりイギリスから見れば、敵を分断させる、敵同士を戦わせる、といういつもの手段に成功したのである。
それは『幕府VS天皇』という構図ではなく、天皇方の下にある『大名VS忍者』という構図においてそうなのである。
実権を握ったのは大名ではなく、忍者である。
イギリスは、天皇に協力したのでも、大名に協力したのでもない。忍者に協力したのである。
そしてこの忍者たちを動かしていったのである。
このことに疑問を持った者は政府を追放された。それが西郷であり、板垣であり、江藤である。
ちなみに薩長同盟の立役者とされる土佐の坂本龍馬は、明治維新直前にイギリスの方針に疑問を持った節がある。
それは大政奉還の発案者が坂本龍馬だからである。大政奉還は、坂本龍馬 → 土佐藩士後藤象二郎 → 土佐藩主山内容堂という経路を通じて将軍徳川慶喜に献策されている。
この思想は先に見たように藩の生き残りを説いたものだ。徳川が大藩として生き残れば、当然他の藩も生き残る。しかしこれはイギリスの方針とは決定的に違う。
そして龍馬は大政奉還発表の1ヵ月後(1867.11月)、何者かによって暗殺される。犯人は今も歴史の闇の中に隠れている。
そして龍馬の大政奉還論は小御所会議で破棄される。
徳川慶喜は戦わなかった。それが江戸城無血開城として今では美談になっているが、本当は美談でも何でもない。
彼はここでイギリスをバックとする幕末の志士(忍者)たちと戦うことがいかに危険なことかを知っていた。アヘン戦争の二の舞はごめんだった。
戊辰戦争は徳川と戦った戦争ではない。徳川と戦わなかった戦争である。恭順の意を示す徳川慶喜に対して、幕末の志士(忍者)たちが京都から江戸に攻め上った一方的な戦いである。
彼ら忍者たちに正統性はない。だから正統性の根拠として天皇が錦の御旗としてますます必要になったのだ。
天皇を錦の御旗として立てることにより、イギリスという本尊はうまく隠された。
(この天皇に関しても、現在の天皇家は北朝であるが、明治政府は南朝を正統とするという考えられないことをやっている。ここにも深い謎がある。)
金曜日
伊藤博文など明治の元勲と呼ばれる人々は、若い頃は幕末の『志士』と呼ばれた。
彼らのほとんどは下級武士出身である。
下級武士がどうやって藩論を牛耳るまでに成長し、日本を西洋化する明治の元勲にまでなったのか。
彼らの行動は今もって断片的にしか分かっておらず、多くの謎に包まれている。
この謎の多さが彼らの特徴であると言ってもいい。
西郷隆盛は、藩主島津斉彬のお庭番として登用された。
身分が低いから、座敷に上がることができないお庭番である。
しかし本当はそんなことではない。
お庭番とは、諜報活動が役目である。そうは言えないからお庭番といっているだけだ。
諜報活動とは一言でいえばスパイである。
スパイなどというと、小説の読み過ぎかと人は思ってしまうが、どこの国でも政治と諜報活動は切っても切れない関係にある。
古くは忍者である。漫画にでてくる分身の術などは使えなかったのかもしれないが、諜報活動を行う忍者は江戸幕府以前から厳然として存在した。それを疑う人はいるまい。
江戸城の半蔵門は、服部半蔵の半蔵門である。伊賀出身の忍者の家柄である。
戦前の日本でも、陸軍中野学校といえば、スパイの養成機関であった。
イギリスのMI6、アメリカのCIAなど、現在でも諜報機関は現存し、我々の知らない情報をしっかりと握っている。いや本当の情報はここだけに集められているといっても過言ではない。
そういう現実を見る目を切り落とされてしまったのが、戦後の日本だ。
スパイは捕まっても口を割らない。そして黙って殺される。秘密は墓場まで持って行く。そしてそのことは誰にも知らされない。
そういう役回りは上級武士にはさせられない。
それは下級武士の役なのだ。
伊藤博文はもともと農民である。それが足軽という最下層の武士になった。英国大使館に火をつけ、人を殺している。その後、「長州ファイブ」としてイギリスに密航している。その資金源は謎である。(映画「長州ファイブ」の説明は子供だましである。)
坂本龍馬は土佐の脱藩浪人である。やはり下級武士である。
佐賀の江藤新平も手明鑓(てあきやり)という最下層の武士である。彼は脱藩して京都に赴いたが、藩に戻ると死刑にもならず、蟄居処分になっている。そして不思議なことにその蟄居機関の間にも他藩で政治活動をした記録が残っている。
彼らの本当の仕事は何だったのか。
諜報活動である。つまり日本流にいえば忍者であり、西洋流にいえばスパイである。
幕末の志士とは何なのか、わかりやすくいえば幕末の忍者である。
だから明治維新は秘密のベールに包まれている。
本当の明治維新はまだ何も分かっていない。
イギリスの武器商人で長崎で商売をしたトーマス・グラバーはたんなる武器商人ではない。イギリス政府に中国とのアヘン戦争を仕掛けさせるほどの力を持つ貿易会社ジャーディン・マセソン商会の代理人として来日している。
今でも香港ドルの発行元である香港上海銀行は、そのジャーディン・マセソン商会によって設立されたもので、アヘンの売り上げを本国に送金するための銀行である。
その邸宅グラバー邸は今では市民や観光客に親しまれる庭園であるが、当時は幕末の志士たちの巣窟であった。
そしてそのグラバー邸のある丘の入り口には、今も香港上海銀行長崎支店が記念館として建っている。
彼ら幕末の志士(忍者)たちには、驚くほど大きな資本の圧力がかかっていた。
明治に入って、『光栄ある孤立』を誇り、どことも同盟を結ばなかった大英帝国が、極東のちょんまげ国家となぜ『日英同盟』を結んだのか、明治維新の謎はそのことにまでつながっている。
火曜日
フェイクニュースの本家であるマスコミが、他の機関が流すフェイクニュースに対して、
『フェイクニュースにだまされないように』などと言っている。
ネット上などにあふれる明らかに誤った情報に国民の意識を向けさせ、注意喚起を促すことにより、
自らが流すニュースと違った情報に国民が接するときに、無条件にそれをフェイクニュースとして受け取る思考回路を形成しようとしている。
『世の中はフェイクニュースであふれてますよ。注意してください。我々マスコミの流す情報こそ確かな情報ですよ』
これこそフェイクニュースです。
月曜日
初の世界恐慌が起こったのが1857年、日本が貿易を開始する日米修好通商条約の前年である。震源地はアメリカである。
これは大したことなく収まったが、本格的な世界恐慌が1873年に始まる。これも震源地はアメリカである。この恐慌は20年にも及び、世界は不況のなかに落とし込まれた。
これは急速な工業化による世界経済の過剰生産力から起こったもので、デフレーション(物価下落)が進行した。
この時期に、イギリスは工業生産力世界1位の地位をアメリカに抜かれる。さらに1900年代にはドイツに抜かれる。
またこの時期は産業の発展が、軽工業から重工業に移る時期で、第二次産業革命の時期に当たる。
アメリカやドイツが、イギリスの工業生産力を追い抜いたのは、綿織物などの軽工業部門ではなく、鉄や鉄道などの重工業部門であった。(この時代はアメリカでは金ぴか時代といわれ、否定的なニュアンスで語られるところが時代の雰囲気を伝える。)
その新しく勃興する企業形態がアメリカから発展した株式会社であった。
鉄や鉄道などの重工業部門は、大きな資本を必要とし、その資本を集めるためには社会一般から資金を募る株式会社の形態が有効であった。
イギリスの銀行資本はこの株式会社という企業形態を好んで利用することはなかった。
産業構造の、
イギリス → アメリカ、の変化は、
軽工業 → 重工業、 への変化であると同時に、
個人企業 → 株式会社、への変化でもあった。
そしてそれは同時に、
イギリス流銀行資本主義 → アメリカ流株式資本主義、への変化であり、
それが混じり合う時期でもある。
そしてそれが、1914年の第1次世界大戦を経て、1929年の世界恐慌へとつながっていく。
この時期に通貨量は飛躍的に増大し、企業は大量の資金を借り入れ、経営規模を拡大すると同時に、莫大な利息の支払い義務を負った。いや一度お金を借りると、その莫大な利息支払いのために是が非でも企業規模を拡大しなければならなくなった。
そのためこの時期は、金(きん)という実態のある貨幣ではなく、紙幣という実態のない仮想通貨が、極端なまでに膨張していった時代である。それは経済発展の速度を超えて膨張していった。
それを可能にしたのが、銀行資本と株式資本の結びつきである。
経済発展の速度を超えて通貨量が膨張していった場合、それはいつの時代も資産バブルを生み出す。
通貨が、実体経済には流れず、金融経済のなかで投機を呼び、資産バブルを生み出すのである。
1929年の世界恐慌はこうやって引き起こされていく。
日曜日
津軽三味線は独特な音楽である。
高橋竹山は、『三味線を弾く』のではなく『三味線を叩く』といったそうだ。
叩き三味線ともいわれる。
しかしその旋律はどこかもの悲しい。
それでいて力強い。
私はこの力強さがなんなのか、長いこと分からなかった。
もの悲しくて力強い音楽、というのを聞いたことがなかった。
高橋竹山は半盲目の津軽三味線奏者である。(亡くなってもう20年になる)
若い頃は家々を門付けして歩いた。
私が子供の頃はそういう人たちがよく私の家にも門付けしに来ていた。
母は米櫃から升で米をすくうと、彼らの米袋の中にそれを入れていた。
それが謝礼であった。
ありがたくもあり、ありがたくもなし……
村人が彼らを見る目は異界を見る目だった。
私が津軽三味線のルーツが瞽女(ごぜ)唄にあることを知ったのはかなり後のことである。
瞽女とは旅に暮らす盲目の女性芸能者である。
最後の瞽女 小林ハル 津軽三味線の源流 The Last Goze, a blind female strolling musician,Kobayashi Haru
運命に立ち向かうとはどういうことなのか。
盲目という瞽女の運命は、敗戦という運命を背負った日本人の姿に重なる。
バブル崩壊後の日本人は、目をふさがれたまま、心の目で本物を見ようとする気概を失った。
戦前の日本を知っている日本人はほぼこの時期、社会の第一線を退いた。
あとに残るのは我々戦後育ちの人間ばかりである。
日本人が誇りを持って生き、誇りを持って死ぬとはどういうことなんだろう。
『日本人が死ぬというのはこういうことなんだ』といった、篠田正浩(映画「はなれ瞽女おりん」の監督)の言葉が胸に残る。
土曜日
経済の風とは……。
風には北風や南風のような予測できる季節風もあるが、予測できない台風や竜巻もある。
風にはリスクがある。
予測できない風の中ではじっとしているしかない。
異常気象は経済のなかでも起こっている。
風は気圧の差がないと起こらない。
風が高気圧から低気圧に向かって流れるように、
お金も高いところから低いところに向かって投資される。
一国の経済は、台風の渦に似ている。
その台風の渦のなかで通貨が飛び交っている。
その通貨がどこに飛ぶか分からないなかで、投資をするにはかなりのリスクを負う。
約100年前、勃興するドイツ経済を前にして、恐怖を覚えたイギリスとアメリカが戦争を仕掛けたのが第1次世界大戦である。
20年後の第二次大戦では日本とドイツが標的にされた。
日本の軍部は解体され、牙をもがれた。
それから50年経って、日本はまたバブルでやられた。
日本経済はかなり痛んだ。
それ以降、経済成長が止まった。
まず銀行がお金を貸さなくなった。
そして今は誰もお金を借りなくなった。
いわば凪(なぎ)の状態である。風は吹かない。
政府は高低差をつくり出そうと、貧困層を作り始めているようにも見える。
国民は、勝ち組・負け組という形でそれを感じている。
これは政府の脅しともとれる。
その脅しに対して国民はなにも言わなくなった。
国民はリスクを背負おうとはしない。
負け組にならないことだけを願っている。
それは政府にとって都合の良いことだ。
無理なリスクは背負わない。
お金を借りて利子を支払うほど、利益が上がらないことを感じ始めている。
会社のために働いても、会社は自分の生活を保障してくれない。
また経営者も従業員の面倒を見るゆとりはない。
いっぽうでは『ゆとり』なきゆとり世代が社会に出ている。
今、風はどこに向かって吹こうとしているのか。
それが見えない。
土曜日
凧(タコ)を糸で引くことはできるが、凧(タコ)を糸で揚げることはできない。
風がないからである。
金融引締めで過熱する景気を押さえることはできるが、金融緩和で停滞する景気を浮揚させることはできない。
風がないからである。
アベノミクスから5年目。
景気は浮揚したか。物価は上がったか。生産額は増えたか。給料は上がったか。正社員は増えたか。
何の効果もない。
なぜなら、揚がろうとしない凧(タコ)を糸で揚げることはできないからである。
金融緩和で停滞する景気を浮揚させることはできないからである。
このことは経済のイロハである。
景気が過熱しているときは金融引締めを行って景気を沈静化させ、景気が低迷しているときは財政出動を行って景気を浮揚する。これはケインズ経済学のイロハである。
金融緩和だけで日本の景気が浮揚するなど、初めから妄想にすぎない。
いくらお金を刷っても、風が吹かなければ凧は揚がらない。
そもそも本当に刷ったお金が国内にあるのかさえ疑わしい。
お金もなく、風も吹かなければ絶対に凧は揚がらない。
三流学者の言説に踊らされたアベシンゾーの賞味期限はすでに切れている。
高校生でも習うことだが、アベシンゾーのアベノミクスには、金融政策と財政政策の両方で経済の舵取りをするというポリシーミックスの発想が初めから欠けている。
浜田某という三流学者の幼稚な発想に踊らされただけ。
誰も責任を取らないのだろうな。
金曜日
国内総生産(GDP)では、中国に抜かれたとはいえ、日本は世界第3位を保っているが、その成長率は恐ろしく低い。
ここ20年間の成長率はほぼゼロ、GDP約500兆円のまま、ほとんど成長していない。
陰りが見え始めているとはいえ高成長を続ける中国とは比べるべくもないが(中国はここ20年間で約10倍)、凋落の激しいアメリカでさえここ20年間で2倍に成長している。
ドイツやイギリス、フランスなどの先進国も、ここ20年間で約1.5倍に成長している。
もし日本がこの程度の成長率を維持していれば、20年前のGDP500兆円から現在は700兆円超えしていなければならないはずだが、実際は500兆円のまま、全く成長していない。
これは先進国のなかでも『異常』な数値である。
トヨタが世界一になったと浮かれている人がいるが、日本全体を見ると、かつての高度成長の見る影もないというのが実態である。
『異常』ということは『正常ではない』ということである。
確かにバブル崩壊後の日本経済は異常なことに包まれている。
いやバブル経済そのものからして異常であった。
『正常ではない』ということは、誰かが意図的に『異常』にしたということであって、自然にそのようになったということではない。
そうでなければ、先進国中、日本だけが20年前と同じ生産力のなかに停滞しているなど考えられないことである。
1960年代の高度経済成長期と比べているのではない。
先進国が2~3%の安定成長を続けていることと比べても異常なのである。
ここ20年間、日本だけが成長していないのである。
小泉某が、『構造改革』なるものを唱えて10年以上経つが、その結果日本経済がどうなったか。
先進国から取り残されるいっぽうである。
バブル崩壊後の日本経済は異常なことに包まれている。
1990年、バブル崩壊が始まったにも関わらず、日銀の三重野は逆に金利を上げた。
中央銀行の中央銀行だと勝手に自認している国際決済銀行(BIS)が日本の市中銀行の自己資本比率が低すぎるとしてBIS規制なるものを適用し、日本中の銀行に『貸し剥がし』を行わせた。または『貸し渋り』が横行した。
通貨量を増大させなければならないこの時期に、逆に通貨量を縮小させる政策をとってきた。
さらに1997年には消費税を3%から5%に引き上げ、庶民から通貨を巻き上げた。(2014年には8%に再引き上げ)
そんななかで金融ビッグバンなる『嵐のなかで窓を開ける』ようなことを行い、通貨の売買が自由化された。
その結果、ハゲタカといわれる外資が日本に入ってきた。
日本長期信用銀行が破綻し、国有化されて再建されるかと思いきや、リップルウッドというアメリカのヘッジファンドに二束三文で買い取られ新生銀行になった。
日本債券信用銀行も破綻し、国有化されたあと、竹中某によって米国資本のサーベラスに買い取られ、あおぞら銀行になった。
名前こそ日本名だが、これらは日本企業ではない。アメリカ企業になった。
こんななか、郵便局が民営化され、株式会社になり、外資もまじえた自由な株の売買が可能になった。
この間、政府は財政投資を行ったが、その原資が国債の大量発行であったため、日本は借金大国になった。日本の国債発行残高は約1000兆円、日本の年間GDP500兆円の2倍、日本の国家予算100兆円の10倍である。
年収100万の家庭が、借金1000万を返すのと同じである。とても返せない。
だからアベシンゾーなる人が出てきて、日銀にその国債を買い取らせている。実質上、それは法律で禁じられている『国債の日銀引き受け』である。
表向きはデフレ脱却のためといっているが、実際は、借金帳消しのためのトリックである。
子供が借金で倒れそうになったから、親がお金を貸したが、その子供は外国に買い取られて、今度はお金を貸した親が借金で首が回らなくなっている。
結局、日本の富がアメリカに吸い取られていく道筋をつくっただけのバブル崩壊後の20年間(30年間)ではなかったのか。
アメリカに吸い取られた富の負担は、国民の賃金カットによって補充されている。
正社員の賃金もここ20年間全く伸びていないどころか逆に減少しているが、もっと悲惨なのは、派遣労働者や契約社員、フリーターなどのアルバイト労働者である。
1990年代半ばから『就職氷河期』がおとずれた。この時期に社会に出た若者たちは、現在も非正規労働者として働く人が多い。
国は彼らに対して有効な手立てを打ってこなかった。結婚できず未婚のまま暮らす人も多い。
彼らもすでに40代にさしかかっている。
それでいて国は少子化の原因を彼らに求めている。
お笑い芸人が茶の間を席巻するなかで、日本は自殺者の多い国である。
ちょうど2000年頃、小渕恵三首相は自らを『世界一の借金王』といって、国債の大量発行を行ったが、その国債を購入したのは日本の市中銀行である。
政府はその金でせっせと米国債を買い続けた。しかしこれは決して返済されない外国債である。
『米国債を売りたい』といって首相の座を追われ、やがて不審死した首相もいる。
日本が買った米国債の額は今も公表されない。政府予算の外為特会のなかにあるという。
そんなことをするぐらいなら、政府は国債など発行せずに(それを市中銀行に買い取らせずに、市中銀行にその預金を持たせたまま)、市中銀行の融資活動を活発化させた方がよほど効果があったのではないか。
そうした方が世の中の通貨量は、信用創造によりよほど増大する。
日本の国債は結局、米国債購入のために使われただけではなかったか。
このことも日本の経済活動が活発しなかった一因である。
日本はお金を巻き上げられたため、日本全体にお金の量が足りないのだ。
政府に巻き上げられた日本のお金は、米国債を買うことに使われたり、負債を抱えて倒産した会社の更生資金に使われ、あげくにその会社は米国資本によって買いたたかれることになり、政府はその手助けをしただけで終わったりした。
こういう愚策とも失策ともつかぬことが繰り返し行われた。
それが意図的だった可能性もある。
少なくとも金融大臣竹中平蔵は意図的だった。
小泉某は意図的だったか、あるいは理解できなかったかのどちらかである。
同時に行われた『ゆとり教育』は、そういうレベルの日本人を育てるためのものだった。
物事を深く理解する人間をアメリカは嫌った。
小泉はうってつけだった。
木曜日
銀行と証券会社は今でも金融界の双璧で、互いにパイを奪い合う関係にあるが、
18世紀のイギリスではそうではなかったようだ。
18世紀といえば世界に先駆けてイギリスで産業革命が起こった時期だが、
その産業革命の中心は株式会社ではなかった。
個人経営か同族企業などの中小企業が産業革命の中心だった。
つまりイギリスの産業革命は株式会社が起こしたものではなかったのだ。
しかもそれでイギリスは大発展したのだ。
その時期は金融面では銀行資本の発展期に当たる。
株式会社はまだ発展していないのだから、証券会社(西洋では投資銀行)もまだ発達してはいない。
(株式会社自体は17世紀初めにはオランダ東インド会社の成立によってその形態を整えている。ただこれは当時としては大資本の形態であった。)
つまりイギリスの産業革命は銀行資本の発展によって金融面では支えられていた。
銀行活動の金融的な意味は、他人の資金を預かってそれを別の他人に貸すというだけではない。
そのことによって新たな貨幣を創造することにある。
いわゆる『信用創造』というがそれだ。
(このこと自体は高校生が習うことで難しいことではない。ただどれだけの人がその重大さを理解しているかは疑問である。)
貨幣を造るのは日本銀行などの中央銀行だけだと一般には思われているが、一般の市中銀行も中央銀行に負けず劣らず、貨幣を造っている。実際には中央銀行のつくる通貨量よりも、市中銀行が創造する通貨量の方が大きい。
この目に見えない通貨量の増大が、イギリスの産業革命の裏側にある。
この通貨量の増大に応じて、イギリスは生産活動を増大させていった。
今流にいえば、通貨量の増大に合わせて、国内総生産(GDP)が拡大していった。
そしてこれは株式会社の活動ではなかった。
株式会社の活動が活発になるのは、次の19世紀になってからである。
1775年のアメリカ独立戦争の時期にアメリカではウォール街に証券取引所が発生している。
株式会社の隆盛はここから始まるようなのだ。
いわば18世紀のイギリス流の銀行資本主義に対して、新たに19世紀のアメリカ流の株式資本主義が台頭してくる。
銀行が通貨を創造するのに対して、株式は通貨を創造しない。
銀行への預金が(もともとは詐欺的行為であったにしても)通貨を創造するのに対して、株の売買は通貨を創造しない。
銀行が『貸借』の原理で動くのに対して、株は『売買』の原理で動く。
だから株の売買は通貨を増大させない。
いくら株価が高騰したとしても、それは通貨量そのものが増大したのではなく、資産としての富が株に変化しただけで、通貨自体が増えたのではない。
仮に100万円で買った株が200万円に高騰したとしても、それは200万円で買いたい人がいるからであって、
株を売って200万円手にするのは、株を買った人の200万円を手にしただけであって、世の中の通貨量自体は変わらない。
問題なのは、株を買った人がその株を銀行に預けそれを担保にお金を借りた場合である。この場合には、世の中の通貨量は増える。
そして株が暴落した場合には、銀行は不良債権を抱える危険が高まる。
これが20世紀の金融資本主義である。
現在の金融資本主義の危険度は、このような銀行資本主義と株式資本主義を掛け合わせた連立方程式で解くべきであり、
10倍の危険度と10倍の危険度を掛け合わせれば、100倍の危険度が発生するようなものである。
銀行の信用創造機能と株(証券)取引を結びつけると、かなり危険なことになるが、これは現在普通に行われている。
この連立方程式は普通の人間では解けない。
解けるのはごく限られた一部の人間だけである。
その一部の人々も時々間違いを犯す。
さらに恐いのは、間違いを犯したように見せかけるときである。
その場合はいつも不問にされる。
誰も解けないことをいいことに。
こうやって特定の人間に富が集まる。
ただバブル崩壊の原型はかいま見ることができる。
株をつり上げ、そのつり上がった株を担保に銀行からお金を借りること。
(ただ日本の場合は株ではなく、土地のこともある)
そして株が暴落すれば、株を買った人も、その株を担保に銀行からお金を借りた人も、そして株を担保にお金を貸した銀行も、すべてパーになる。
そしてそれを安値で買いたたく人が出てくる。
1999年、かつて日本を代表する日本長期信用銀行が、アメリカ資本のリップルウッドに二束三文で買いたたかれたことはその典型。
土曜日
ハフィントンポスト より
http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/31/noya_n_17645420.html
「言葉をねじ曲げるようなやり方」安倍政権の話術を野矢茂樹・東大教授が批判
言葉の意味ずらす、今の政治 批判逃れの「見事な技術」
様々な言葉を繰り出して議論を交わし、時に追及をかわす政治家たちの術。
「印象操作」
「怪文書」
「こんな人たち」
という発言を例に、野矢茂樹・東大教授に論理的にひもといてもらった。
最近の政治の場面におけるやりとりを見ていると、言葉の使い方に関して、たいへん勉強になる。
まず、安倍晋三首相からは答えたくない質問への応答の仕方を学ぶことができる。
例えば、相手が自分の瑕疵(かし)を明らかにする目的で何か問いを発したとしよう。
そのとき、軽々に答えはしない。
「あなたの前提が間違っている」と切り返す。
私に瑕疵があると考えてそんな質問をするのでしょうが、私に瑕疵はない、と自分を正当化する論を展開する(この部分は長く続くほどよい)。
また、その質問は「印象操作だ」と決め台詞(ぜりふ)を言うことも忘れない。
以前乱発されていたこの言葉は、きわめて応用範囲が広い。
自分に不利な目的で為(な)された質問に対しては、すべて「印象操作だ」と切り捨てることができる。
とはいえ、この手法は場面をまちがえると逆に痛い目にあうだろう。
あなたが無実の罪に問われようとしているとして、検事がアリバイを尋ねてきたとする。
それに対して「あなたの前提が間違っている」とか「その質問は印象操作だ」と応じるのは、明らかにまずいやり方である。
次に、失言したときの挽回(ばんかい)法を見よう。
菅義偉(よしひで)官房長官は、「総理のご意向」と記載のある記録文書を「怪文書」と評した。
この言い方が物議をかもしたのは周知のところである。
そこで後に菅氏は「怪文書」というのは「不可解な文書」という意味で言ったのだと弁明した。
「怪文書」という語は、出所不明な根も葉もない誹謗(ひぼう)中傷の文書という意味である。
そこから「出所不明」という部分だけを取り出し「不可解な文書」と言い換える。
そして「根も葉もない誹謗中傷」という問題含みのニュアンスは最初からなかったことにする。
いささか強引だが、とにかくその場を切り抜ければいいというときには役に立つ技術だろう。
言葉の意味をずらす技術のみごとな例が、加計学園問題についての閉会中審査における小野寺五典氏(自民党)の質問に対する八田達夫氏(国家戦略特区ワーキンググループ座長)の答えに見られる。
「政治の不当な介入があったり公正な行政がねじ曲げられたりしたと感じるか」と質問され、
八田氏は
「不公平な行政が正されたと考えている。獣医学部の新設制限は日本全体の成長を阻害している」と応じた。
問われたのは獣医学部新設の是非ではなく、それを決めるプロセスの公正さである。
ところが八田氏は、獣医学部の新設制限こそが不公正なのであり、むしろ今回、不公正が正されたのだと訴えた。
「公正」ということの意味がプロセスの公正さから結果の公正さへとずらされている。
しかしあまりそう感じさせないところが、巧みである。
安倍首相の「こんな人たち」という発言も問題になった。
これに対して首相自身は、閉会中審査において、「選挙妨害に負けるわけにはいかない」と言ったのだと弁明した。
ここでは「こんな人たち」という言葉が、その人たちが為した「こんな行為」を意味するものとされている。
これも、言葉の意味をずらしていく技の一例である。
安倍首相の「こんな人たち」発言に対して、菅氏は「選挙運動というのは自由だ」と述べてそれを弁護した。
つまり、安倍首相の発言は選挙運動における応援演説として適切な範囲のものだというのである。
しかし問題は応援演説としての適切性ではなかった。
菅氏はここで、批判のポイントをずらしている。
批判されたのは、「こんな人たち」という発言に示された首相の人柄や考え方、つまり、反対派を一蹴して拒否するような人は首相としてどうなのか、という点であった。
しかし菅氏は「首相として」という観点を「応援演説として」という観点にずらした。
相手と同じ土俵に立たないというのは、批判から逃れるときの有効な戦術と言えよう。
だが、こうしたことを学ぶのは、あくまでもこんなやり方に騙(だま)されないためである。
言葉をねじ曲げるようなやり方を自ら振り回すべきではない。
言葉を大切にしない人を、私は信用する気にはならない。
◇
〈のや・しげき〉 1954年生まれ。東京大教授(哲学)、朝日新聞書評委員。『心という難問』で和辻哲郎文化賞。97年『論理トレーニング』を出版。同書を使った授業は10年以上続く。近著に『大人のための国語ゼミ』。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【私のコメント】
言葉が論理によって構成されているのではない。
論理が言葉によって構成されているのだ。
それは橋が鉄によって構成されているようなもの。
鉄が腐れば、橋はもたない。
論理が言葉によって構成されているように、
法律も言葉によって構成されている。
言葉が腐れば論理がもたないように、
言葉が腐れば法律がもたない。
それは法治国家ではなくなるということ。
アベはそういうことをやっている。
アベは自分の権力維持のために、日本の法体系まで瓦解させようとしている。
権力者の不誠実さの前には法などひとたまりもない、そんな恐ろしいシーンを今目の当たりにしている。
ヴィトゲンシュタインが探ろうとした言葉の迷宮に人々を迷い込ませれば、言葉は崩壊し、法律は意味をなさなくなる。
言葉の迷宮こそ人間にとって最大のデカダンである。
それは人間社会のタブーである。
つまりアベは、生まれながらのニヒリストであり、デカダンである。
生まれながらの意味は、『本人が無自覚のまま』という意味である。
それほど頭が弱い。
こういう人間が権力を握ることが一番恐いのである。
小泉某がそうであったように。
三人目として、同じ人物が出てきたら日本は本当に恐い国になる。
(全録)加計学園問題 前川前文科次官が会見1
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【私のコメント】
アベは内閣改造でお茶を濁すな。
権力を乱用したのは誰か。
こういう権力乱用があること、決して許せない。
『官邸の最高レベル』とは誰のことか。
答えは出ているようなものじゃないか。
これ犯罪でしょう。
犯罪者が『官邸の最高レベル』にいるということでしょう。
そんなことが許されていいのか。
金曜日
長州の刺客だった明治の元勲伊藤博文が、明治の日本が非常時であることをどこまで認識していたか。
伊藤博文はその出自がよく分からない人物だが、もともとは長州の農民である。
故郷を追われた父親が萩の城下に移り、そこで足軽の養子になった。
若い頃は、イギリス大使館に放火したりしている。
そしてたぶん何人かを暗殺している。
そんな人物が長崎の英国武器商人グラバーと結びつき英国に密航している。
彼がそこで見たものは何だったか。
彼に先見の明があるとすれば、誰よりも早く『攘夷不可能』を悟ったことである。
彼は明治の日本が非常時であることを悟ったのではないか。
非常時の政治論理は、平常時の政治論理とは違う。
だから人殺しの前科を持つ者でも堂々と首相になることができた。
彼がどこまで操られ、どこまで独自の判断をすることができたか。
若い頃の彼らの活動資金源はいまだに謎である。
誰が彼らに資金を提供していたのか。
とても田舎旅館春帆楼のオヤジのポケットマネーで事足りる額ではない。
明治維新は非常時国家であった。
ここで多くの国民が非常時国家の論理に吸収されていく。
しかしもともと日本の平常時の論理はそれとは別物であった。
庶民生活の日常の論理が消えていく。
人口の多かった東京の下町(東側)にはそれは後々まで根付いていたが、
それとは別に明治国家の論理を支えていくのが新しく発展していく『山の手』(西側)の地域である。
ここに政府高官や地方から都会に出てきた者たちが移り住んだ。
東京に別の町ができたのだ。
伊藤博文はそこの中心的人物である。
木曜日
非常時には、一般国民の人権がないがしろにされる。
明治維新は一種の非常時であった。だから国民は黙って耐えた。
それが再度非常時に陥ったのが、1990年のバブル崩壊であった。
バブル崩壊後の20年間は誰もそれと気づかない非常時であった。
この二つの非常時の共通点は、ともにアメリカがもたらしたという点だ。
国は非常時に、国民に負担を強いる。
バブル崩壊以降、国は国民の所得をカットし続けた。
国民を貧困に陥れることで、政府は国を守った。
ババを食らったのは1990年代以降の若者たちである。
それから20年経って、その世代が今、中高年になろうとしている。
少子化はその帰結である。彼らのうち子供を育てられたのは一部の人々である。
派遣社員や契約社員などの非正規雇用が横行した。長時間労働、サービス残業が横行した。
そして国民の賃金は安く抑えられた。
そんなことができたのは非常時だったから。
しかしこんなことがいつまでも続けば、民主主義は崩壊する。
みんな考えるまもなくマスコミの偏向報道に踊らされた。
しかしいつか非常時は終わる。
非常時の論理は、平常時の論理とは異なる。
最悪なのはそれが受け継がれることだ。