ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

部分準備銀行制度とは何か

2018-05-29 11:31:27 | お金とは何だ

火曜日

https://www.ifinance.ne.jp/glossary/finance/fin130.html

Fractional reserve banking(部分準備銀行制度)とは何か

2015/04/16  2018/02/21
 

銀行では実際にreserve(準備)しているお金よりもずっと多いお金を貸し出しに回しています。

準備率を10%だとすると、100万円の預金があったときに10万円は準備として取っておき、90万円は貸し出されることになります。

このように、銀行が準備しているお金よりも多くのお金を業務に利用していることをfractional reserve banking(部分準備銀行制度)と言います。

この90万円を借りた人は何かの支払いに使い、その90万円を受け取ったCounterparty

Counterparty(カウンターパーティー)とは本来「取引相手」という意味。
仮想通貨の世界では、Counterpartyはビットコイン・ブラットフォーム上に作られた分散取引所搭載型の仮想通貨プラットフォームの名称を指す場合が多い。BitShares等の分散取引所搭載型の仮想通貨プラットフォームの競合に当たる。CounterParty上の基軸通貨、XCP、はProof of Burnを使って配布された。「Counterparty」はあくまでもプラットフォームの名称であり、「Counterparty Risk(カウンターパーティ・リスク)」とは関係がありません。

">カウンターパーティはその現金を再度銀行に預けるわけですから、この時点でお金が一周して銀行にお金が戻ってきたということになります。

 

この90万円の10%である9万円は準備金として取っておき、残りの81万円は再度貸し出されます。

このサイクルがずっと回り続けることで、最初にあった100万円の預金から何百万円ものお金が無から作られ、人々に貸し出されていくわけです。このように準備しているお金よりも多くのお金が無から作られることを信用創造と言います。

これは銀行は慢性的にinsolvent(支払い能力のない状態)の状態で運営しているということと同意義です。

つまり、取り付け騒ぎが起きて、預金の引き出しが一斉に行われたら、現金が手元になく支払い能力を超過してしまうため、銀行は簡単に潰れてしまうことになります。

結局これは人の無知を利用した不正なシステムだと言えるわけです。

椅子取りゲームで音楽が鳴っている間は人々は安心してしますが、音楽を止めたら人数分の椅子がそもそもないことに人々は気づいてしまうわけです。

音楽を止めたら、誰かが必ず負け、パニックが起きるから、音楽を止めないまま運営している自転車操業的なシステムなのです。

銀行は実際に保有している準備金よりもずっとずっと多くのお金を人々に貸して儲けているのです。

銀行を利用するときは、このような自転車操業的なシステムを採用していることを理解した上で利用しましょう。

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【私のコメント】

実際には、銀行は、預金者から現金で100万円預かれば、その100万円を準備金として、1000万円の貸し出しを行うことができる。
差額の900万円は、何もないところから銀行が勝手につくったものだ。

『銀行は、預かったお金よりも多めに貸し出しをするテクニックを身につけていく』(金融の世界史 板谷敏彦 新潮社 P5)


銀行の部分準備金制度

2018-05-29 11:00:35 | お金とは何だ

火曜日

https://www.ifinance.ne.jp/glossary/finance/fin130.html


預貸率

読み方: よたいりつ
英語名: Loan deposit ratio
分類: 金融業務|銀行指標

預貸率は、銀行の経営指標の一つで、預金に対する貸出の割合を%(パーセンテージ)で示したものをいいます。これは、銀行が集めた預金のどれだけが融資(貸し出し)に回っているかを示すもので、100%を下回った場合、全体の融資額が全体の預金額を下回っていることを意味します。

日本においては、1990年代のバブル崩壊によって、企業の経営破綻が相次ぐなど不良債権問題が長く深刻化したため、銀行は貸し渋りや債権回収に走り、2003年に預貸率はついに100%を割り込みました。そして、その後も企業が将来不安から借入を抑え、また個人(家計)も安全性の高い預金を積み増した結果、銀行の預貸率は、2010年代の今なお、100%を大きく下回って推移しています。

一方で海外においても、2008年の世界的な金融危機以降、欧米の金融機関の預貸率の低下が進行しました。実際に米国の大手銀と上位地銀を平均した預貸率は、2009年に100%を割り込み、特に経営が安定し、預金が集まりやすい銀行ほど預貸率は低くなりました。ちなみに、余剰資金については、リスクの少ない米国債などで運用され、邦銀日本国債を買うのと似たような現象が起きました。

一般に預貸率の低下は、経済面において、景気にも負の影響を及ぼすものであり、実際にバブル崩壊後の日本では、銀行の預貸率の低下が企業活動を圧迫して長期の景気低迷につながった一つの要因とされています。(銀行においても、余った資金をうまく運用できなれば、利払いがかさんで利益を圧迫することになる)

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【私のコメント】

かつては預貸率が100%を上回っていたということが読み取れる。
銀行の、預金よりも貸し出しが多いということはどういうことか。
銀行は預かった預金を他に貸しだしているはずなのに、預かった預金量を超えて、他に貸し出していたとはどういうことなのか。
100万円預かり、120万円貸し出すとはどういうことなのか。
この詐術的な行為が、部分準備金制度である。

つまり、なにも無いところから勝手にお金を作り、貸しだしているということである。
具体的な操作は、顧客の預金口座にコンピューターで数字を打ち込むだけ。
銀行は自分のバランスシートの資産の部に、貸付として同じ額の数字を打ち込んで終わりだ。
理屈上は、銀行はいくらでもこうやって、資産と負債を同額ずつ増やすことができる。それが大きければ大きいほど大銀行となれるわけだ。
キツネにつままれたような話だが本当だ。

銀行は、現金を引き出しに来る顧客のための現金さえ金庫に保管していれば、あとはいくらでも預金量を超えて、お金を貸し出すことができる。
その額は普通、預金量の10倍といわれている。

こうやって金融業は、無からお金を生み出す特権を認められてきた。
銀行は政府組織ではなく民間企業である。
1700年代、イギリスはこの民間銀行が作る不法なお金を取り締まるどころか、フランスとの戦争に勝つために、このお金を利用し、そして戦争に勝利していった。
これが大英帝国の秘密である。
しかしこれはもともと違法行為だっだ。
ここには深い闇がある。


学園ものは、相変わらずのスーパーマン教師

2018-05-28 11:36:32 | 教育もろもろ

月曜日

若い先生が突然現れて、古狸の校長を滅多切りしていく、
この学園ものドラマの構図、
50年前から変わらない。

そんなスーパーマンがいるのならとっくの昔に現れているはずだ。

スーパーマン、アメリカが生んだ世紀のヒーロー、
でもこれは、エホバ思想、救世主思想だ、
彼らが全人類を救ってくれる、

日本にそんなものはいない、
そんなことは分かっていたはずなのに、
なぜか今またこのスーパーマンが現れている。

ウルトラマンや仮面ライダーは我々の世代だけで十分。



試しです。


ドレミファ『ソラシ』

2018-05-28 11:15:04 | マスコミ操作

月曜日

モリ・カケ問題が起こってから、スポーツ界が叩かれ出した。
横綱の日馬富士問題、
今度は日大アメリカンフットボール問題、
異常なほど、公共の電波がこれに費やされている。

『叩き』と『そらし』

マスコミの手法はこの二つ。この他に巧妙な『善人づくり』がある。
同じことをしても、叩かれる人と、叩かれない人がいる。
針の穴ほどの小さなことを、さも大事件であるかのように伝えることもある。
それが『叩き』であることもあれば『そらし』であることもある。

『歪曲』は日常茶飯事である。これは主にNHKが得意としている。

マスコミは何をそらそうとしているのか。
ドレミファ『ソラシ』


『忖度しなさい』

2018-05-28 10:54:17 | 教育もろもろ

月曜日

昔ある教育講演会で、学校の校長先生の話を聞いた。

『上から言われて動いてはダメだ』
『上から言われる前に、上が何を考えているかを考えて、言われる前に動かないとダメだ』
『私は若いときからそうしてきた、だから今がある』

本当にそうなんだろうか。
『忖度しなさい』
そういうことだったんだな。

別のある先生はこう言った。
『良いものは良い、悪いものは悪い、それが教育だと思います』


今どちらが必要なんでしょうか。




保存して、試し。

二度目、




有限責任 責任を取らずに儲かる方法

2018-05-28 10:46:08 | 旧世界史10 近世西洋

月曜日

犯罪に協力すれば、共犯となる。
事業を起こして、それに協力すれば、共同責任者となる。
この二つの法的関係は同等である。

ある事業に対して出資すれば、共同責任者である。
その共同責任者が、連帯保証人よりも、責任が軽いとはどうしたわけだろう。

出資者にだけ、免責特権を付与した社会、それが資本主義の始まりにある。
これを利用するものは富み、これを利用しない者は貧しくなる。
そういう構造がはじめからある。

自分は働かずに、投資だけを行う。
そこが決め手になる。
自分は投資し、働くのは貧しい人たちだ。
このことは、古代ギリシアの奴隷社会とどう違うのだろうか。
しかも投資家は無限責任を負わない。無限利益だけを得ることができる。


配当 利息を取らずに儲かる方法

2018-05-28 10:03:11 | 旧世界史10 近世西洋

月曜日

中世のヨーロッパキリスト教社会では長いこと利息を取ることが禁止されていた。
だから利息という形を取らずに利益を生むことのできる投資方法が、その代わりに生み出された。
それが株式会社への投資とそこからの配当という方法である。
この方法は直接金融と俗に言われているが、この直接金融は原初的な形態ではなく、ヨーロッパ特有のものである。しかも、時代的には間接金融よりも、あとに発生したものである。
ネーミングからすると、直接金融が先にあり、それが本来の形態であるようなイメージを受けるかも知れないが、人類の歴史が始まってすぐに現れるのは、他人へのお金の貸し借りであり、そこから生じる利息である。

株式会社に投資することは、株式を買うことだけではなく、株式会社の経営に参加する権利をも得ることであるが、そうであれば、経営者は株式会社のすべてに責任を負わねばならないはずであるが、株式会社の経営者である株主は、有限責任である。
有限責任と無責任はどう違うのだろうか。
株式会社がうまくいっているときには、株主はそこから上がる利益をすべて得る権利を有するが、
株式会社がうまくいかなくなって、借金の返済ができなくなったときには、株主はその借金返済の義務を負わないとはどういうことだろうか。
権利と責任は等価であるという原則の中で、この非対称性はどう説明されるのだろうか。
この非対称性を認めたときから、富はますます富のあるところに集中するようになった。
お金はますますお金のあるところに集まるようになった。
それは富者の能力が優れていたからではなく、もともと権利と責任の関係が崩れていたからである。
非対称的な経済原則のもとに社会が組み立てられていれば、富は非対称的に偏在することになる。
つまり株式会社は、利益はすべてもらうが、そのためのリスクは取らなくていい構造になっている。

経済はよく自己責任だと言われるが、株式会社の論理は自己責任にはなっていない。
なぜなら、自己責任とはどこまでも自分で責任を取ることだから。
このような非対称性をどう解釈すべきか。

近代資本主義社会の正義とは、その論理の正当性を追っていくと、必然的に貧富の差を生み出すようになっている。
配当とはそういうことである。


米国金利は上がるか

2018-05-28 09:53:37 | 国際金融

月曜日

アメリカは金利を引き上げようとしている。
しかしその一方で、貿易を拡大し輸出額を増大させようとしている。
アメリカの金利が引き上げられれば、アメリカドルは高くなる。金利の高い通貨は買われるからだ。
アメリカドルが高くなれば、アメリカ製品は他国で割高に成り、アメリカ製品は売れなくなる。
つまりアメリカの金利が高くなれば、アメリカは輸出を伸ばすことができない。
輸出増大を取るか、金利の引き上げを取るか。
これは二者択一で、二兎を同時に追うことはできない。
輸出の増大はアメリカ国内の製造業の活性化をもたらすが、
金利の引き上げは反対に製造業の経営を圧迫し、逆にウォール街を中心とする金融界の利益につながる。
トランプ政権は前者を重視し、野党の民主党は後者を重視している。
アメリカの金利が上がるか、そうでないか。


うしろめたい商売には、うしろめたい金(かね)が似合う

2018-05-15 12:00:59 | 旧世界史10 近世西洋

火曜日

17世紀、イギリス。
市民革命と称して、王が殺された時代。
この時代に同時に行われていたことが、奴隷貿易と、預かり金貨の無断貸し出しである。ロンドンの金細工師たちは、預かった金貨を顧客に無断で貸し出しはじめ、そこから利息を取り始めた。
誰が借りたのだろうか。奴隷貿易には多額の資金が必要である。
もともと後ろめたい商売である。うしろめたい商売には、うしろめたい金(かね)が似合う。
資本主義にはこのうしろめたさがつきまとう。


無から紙幣を刷って、利息を取ると

2018-05-15 10:59:12 | 旧世界史10 近世西洋

火曜日

1.誰かが、無から紙幣を刷って、そればかりか、そこから利息を取るようになると、紙幣を刷った人間は利息だけで豊かな生活をすることができる。

2.しかしお金を借りた人間は、利息の分を上乗せして儲けを稼ぎ出し、それを返済にあてねばならない。
すべての人間が、無から刷った紙幣を借りて、それで事業をし始めると、すべての人間が利息分を上乗せした利益を稼ぎ出す必要に迫られる。
そうやって、世の中の経済規模は拡大していく。拡大再生産というものである。
だから経済成長率と利率はほぼ連動する。
しかし経済成長にはいつか限界が来る。

3.しかしその利益は、稼いだその人の懐に入るのではなく、紙幣を貸した人の懐に入る。つまり世の中の利益はすべて金融資本の手元に集められたまま、国民に還元されなくなる。

4.だから誰が通貨発行権を持ち、それをどれだけ貸し付けるかということは、決定的に重要なことなのだが、その肝心なことに、多くの人は無関心である。

5.日本銀行の利益がどこに回されるのか誰も知らない。たぶんそれは国内に還元されているのではない。その証拠に、日本は平成30年間、ほとんど成長していない。
経済が成長しないまま、貧富の格差が広がっている。
富を吸い取る力は温存されたまま、庶民の手元に残る富だけが減少している。
2000年代前半の小泉・竹中改革の5年間にこのことが決定づけられた。

6.拡大再生産や資本主義というのは、富を吸い取る力、あるいはそのシステムのことである。
その始まりは、『奴隷貿易なくして産業革命なし』という言葉に端的に表れている。
そのことはウォーラーステインの世界システム論に詳しい。
しかしそのウォーラーステインがあえて触れていないものがある。

7.それと同じことを最も目に見えない形で行うことが、金融資本主義である。
そのことに触れるとどうなるのだろうか。


北魏の均田制、国による土地の分配

2018-05-05 17:22:10 | 旧世界史5 古代ローマ

土曜日

日本古代の公地公民制は、一見すると土地の国家管理で社会主義体制に似ているが、
ではその目的は何なのかというと、農民に土地を分配することであった。
その起源は5Cの中国の北魏にある。北魏の均田制である。
中国も日本同様、農業国家である。
農民の生活がある一定以下に落ちると農民反乱が起きて国が滅んでしまう、中国はそういう国である。
日本ではそういうことは起こらないが、それは日本の農民かは中国の農民に比べれば比較的豊かであったということを意味するのだろう。
しかしそれは国家による土地管理が成功したということではない。
この時代には国家すべての土地を国家がすべて管理するのは不可能であった。
日本も中国も、国家による土地管理は失敗していく。
そして地方の土豪たちによる大土地所有が広がっていく。
しかしそれでも国はその大土地所有を抑制しようと努めてきた。
ここにはどういう思想が隠されているのだろうか。

一部の人間があまりに大きな土地を持ってはならない、土地は均等に農民に与えられるべきだ、そういう思想が根底にある。

土地という言葉をお金という言葉に変えてみると、現代にも通じる思想である。

ところが西洋のギリシアやローマ世界ではどうだろうか。
そこにも大土地所有は発生した。
ところが国家がそれを抑制しようとすると、必ず反対が起こり潰れてしまう。
ギリシアのソロンの改革や、ローマのグラックス兄弟の改革は、道半ばで失敗している。
そこには自作農によって国が成り立っているという意識がない。

自作農とは江戸時代の言葉で言えば本百姓である。
江戸幕府もこの本百姓が潰れていくと同時に衰退していく。
この本百姓が農業の基本であった。

ところが西洋社会では、古代ローマの奴隷制大農場であるラティフンディウムの時代から、19Cの植民地プランテーション農場にいたるまで、一貫して大土地所有者が土地を持たない貧しい農民を働かせるという農業形態が続いている。

このことと、現代の大企業が、非正規従業員を低賃金で働かせているのとはどこが違うのだろうか。


お金はお金のあるところに集まる

2018-05-05 09:35:37 | 旧世界史10 近世西洋

土曜日

銀行はお金を結集させるところ。
お金は権利の集まりである。
普通、権利は分散していて、大きな力となることはできない。
しかしそれを1カ所に集めれば、大きな力となる。

預金という行為は日本では成立しなかった。
お金を貯めたらそれを隠すために、壺に詰めて地中に埋めるしかなかった。
そしてそれは今でも各地で発見されている。

人のお金であっても、お金を集める者は力を持つことができる。
西洋ではそのお金を集める方法が発達した。
一つは銀行、もう一つは株式である。
この二つは間接金融と直接金融として別々のものだと思われているが、
そしてさらに間接金融は東洋的で、直接金融は西洋的だと勘違いされているが、
実はどちらも西洋で発達したものである。

自分のお金でなくても、人のお金を借りて多くのお金を集めれば、それを使って大きな事業を起こすことができる。
それは18Cのイギリスの産業革命で初めてそうなったのではなく、
それより300年も前の15C末の大航海時代に現れたものである。
大航海には多額の資金を必要とした。

最初に大航海に乗り出したのは15C末のポルトガルである。
イベリア半島のポルトガルはこの時、イスラム教徒をイベリア半島から追い出していた。よくこれはキリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)としてヨーロッパの復権だと思われているが、実はそのことによってそれまで手に入っていたイスラム圏からの産物が途絶したのである。
イスラム社会は、西はスペインから東は東南アジアまでの東西貿易の交易圏を成立させていた。
ヨーロッパにとってイスラム圏から手に入るアジアの産物は垂涎の的であった。
歴史的にみて、進んでいたのはアジアであって、ヨーロッパは後進地帯であった。
ヨーロッパ人のアジアへのあこがれは強かった。
だからポルトガル人はイスラム圏を中飛ばして直接アジアに出向く必要があったのである。
しかしそのためにはお金がかかる。
どうやってお金を集めるか。そのことがまず大きな問題となった。

次の16C初めになると、ルターやカルヴァンの宗教改革が始まる。
キリスト教のような一神教では、人間の運命はあらかじめ神様によって決定づけられていたのは以前からあった教えだが、ここで新しいことは、では自分が救われているか、そうでないかを何によって見分けることができるかと問われたときのカルヴァンの答えである。
カルヴァンは、働いて富を蓄積できた者は救われていると答えた。
それまでキリスト教は『貧しき者は幸いである』の言葉のように、富を堕落の証だととらえてきたが、カルヴァンはまったく逆の答えをした。
たぶん苦し紛れに言ったのだろうが(それ以外に論理的説明がつかない)、それが世間に受けたのだった。
ただこれには古くから金融業に携わっていたユダヤ人の発想が入り込んでいるように思える。
これでキリスト教徒はお金を貯めることに邁進し出すのだ。
そして次にはそのお金をどうやって1カ所に集めるか、そのことに集中し出すのだ。

それが預金を集める銀行と、株によって資金を集める株式会社である。
銀行の始まりは16Cのロンドンの金細工師たちが預かった金(きん)を顧客に無断で貸し出したことにある。
株式会社の始まりは、1602年のオランダの連合東インド会社である。
前者には裏切り(無断貸し出し)が、後者には無責任(有限責任)が伴っている。
このようにお金を1カ所に集めるときには、なにがしかの他者に対する不誠実さが伴っている。
それまではお金は分配すべきものであった。
ところがここではまったく逆のことが始まっている。

①お金をどう稼ぐか、
②そのお金をどう分配するか、
この二つは古来から経済上の重要な課題である。
イスラム社会では寄進(ワクフ)という形でそれが行われてきたが、
キリスト教社会はここで分配を行わず、お金を集中させる社会に変わっていく。
これ以降お金はますますお金のあるところに集まるようになる。

そしてさらに銀行は預かってもいないお金まで貸し出すようになる。