月曜 振替休日
昭和40年代、貧しい家庭に育ち、中学卒業後、専門学校に行かせてもらった少年が、60代になって、
自分が義務教育以上の学校に行かせてもらった意味を問いながら、その恩返しにと、
日光東照宮の修復に当たっている姿を描いたNHKの『匠シリーズ』が先日放送された。
自分の技術を数百年後の人のために残したい。
学歴を積むというのはそういうことではなかろうか。
学ぶことの意味とは何か。
人より多く学んで何をするか。
それが自分のためであっては、何にもならないのではないか。
有名大学など学歴が上になればなるほど、逆にそういう人は減っているのではないか。
日曜
豊島逸夫の手帖
http://gold.mmc.co.jp/toshima_t/2018/02/2756.html
Page2486 日米株暴落第二波
2018年2月9日
株売りの津波第二波が株式市場を直撃している。
企業業績とか伝統的市況の法則を押し流し、相場のエネルギーが下げの方向に噴出している。
こうなると第三波と続くかもしれない。かなり深刻な事態と認識している。
年初いきなりロケットスタートだったが。
本欄にも書いたがゴルフのスタートホールでバーディーをとると、期待感は膨らむけど結局勢いは続かない。終わったら「なんだ」というスコアが多い。
2018年株価予測も見直しを迫られる。
日経平均3万円などとぶち上げたところは引っ込みがつくまい。
これだけ株が暴落すると金はさぞかし上がるだろうと思われたが、逆に下がってしまった。
理由をメディアから聞かれるのだが、ぶっちゃけ分からない。
そもそも株が上がって金が買われ、株が下がって金も下がる。
従来の市況の法則がもはや当てはまらない。
他にも例えば、ドル金利が上がったのにドル安になるとか専門家が説明に窮するような事例が頻発している。色々後講釈はあるが説得力なし。
アルゴリズム取引など市場の取引構造が変わっていること。
FRB議長が変わり金融政策の転換点になること。
などで市場が次の一手を計りかねているからかもしれない。
木曜
セックスは文化的なものである。
今もセックスには固い殻がある。
その中身はのぞけない。
セックスは現象的には肉体的な結合だが、文化的にはそれ以上のものがある。
現象面をいくら見ても、セックスが何なのかは分からない。
セックスが何なのか、多くの人がそれを表現しようとしてきたが、実体はいまだ分からない。
多くの男が言う、『セックスそのものより、脱がせるまでが楽しい』という表現に、
セックスが何なのか、そのヒントが隠されている。
みんな感覚では分かっているのだが、それを言葉で言い表すことはできない。
セックスはタブーである。
そのタブーを打ち破ろうと多くの人が、セックスを表現してきた。
しかしタブーのないセックスに、人は魅力を感じるのだろうか。そうなったとき、セックスそのものが成立するのだろうか。
社会には多くのタブーがある。
セックスのタブーによって、家族が成り立ち、父親が成り立っている。それによって社会と家族がつながっている。
まず、それらが崩れる。
そういうセックスは動物のセックスと何が違うのだろうか。
人間のセックスは多くのものを抱えている。
だから中をのぞくととんでもないものが出てくる。
今多くの若者はそれらを恐れている。
昔、スサノオはクシナダ姫を手に入れるため、八岐大蛇(ヤマタマオロチ)と戦わねばならなかった。
この寓話は多くの意味を含んでいる。
火曜
いよいよ株の暴落が始まった。
2月2日(土)、ニューヨークダウ665ドル安、
週明けの昨日、2月5日(月)、日経平均592円安、同日、ニューヨークダウ1175ドル安、
いよいよだな。
10年前のリーマンショック以来、お金を刷り続けてきたアメリカ、そのあとを受け継いだ日本のアベノミクス。量的緩和とはお金を刷っただけのことだ。
その間、政府が株価をつり上げた。官製相場だ。
こんな相場はいずれ暴落する。よく5年ももったものだと思う。長すぎた。
まだそれを持ちこたえようと政府は手を打つのだろうか。
そうなるとますます後にツケを残すことになる。
株のつり上げももう限界。
これ以上無理につり上げるとあとが恐い。
土曜
第二次大戦は、よく全体主義と民主主義の戦いといわれるが、
そうではなく、ナショナリズムとグローバリズムの戦いである。
ナショナリズム……ドイツ・日本
グローバリズム……アメリカ・ソ連
またファシズム国家との戦いともいわれる。しかしその点ではドイツだけではなく、ソ連も同じである。
あるいは民族虐殺が取りざたされる。その点はソ連に加えて、アメリカも同じである。日系移民の資産を凍結し、強制収容所に入れている。
社会主義は当初、世界革命論を唱えていた。そのための組織が、第1インターナショナル、第2インターナショナル、そして第3インターナショナル(コミンテルン)と続く。
しかし、ソ連のスターリンは一国社会主義に方向転換した。
だから米ソ対立が始まったのだ。
アメリカがソ連と手を組んだのは、ソ連が世界革命論を掲げていたからである。その点で、国の垣根をなくそうというソ連とアメリカの狙いは、目指す方向が一致していたのである。
ロシア革命時に、その役割を託されたのが、アメリカに亡命していたトロツキーである。トロツキーは、アメリカからの多額の資金とともにロシアに帰国した。
しかしソ連では、トロツキーの世界革命論とスターリンの一国社会主義論が対立し、スターリンの勝利に終わる。
逆説的だが、アメリカにとってソ連は世界革命論でなければならなかったのである。
そこから米ソ対立が始まったのだ。
米ソ対立とは、資本主義と社会主義の対立ではない。
社会主義であれ独占資本主義であれ、一つの資本システムによって全世界が統一されれば、資本主義であろうと社会主義であろうとその実体に大した違いはなくなる。
だからこれは、グローバリズム(米)と一国社会主義(ソ)の対立である。
戦前、ナショナリズムを掲げていたのは、ドイツ・日本であった。
ナショナリズムは、国家主義とも民族主義とも訳されるが、その両方の意味が含まれる。
アメリカがナショナリズムと対立したのは、アメリカが移民の国だからではない。
最大の問題は資本と通貨である。
第一次大戦後、アメリカは世界最大の資本主義国であり、アメリカの通貨ドルは世界の基軸通貨の地位を勝ち取った。
そういう立場のアメリカにとって自国の最大の利益がグローバリズムであった。
資本も通貨も国境を越えて走り回ろうとする。
アメリカにとってはそれを妨害するものが国家であり、国境であり、ナショナリズムであった。
しかし第二次大戦後、ソ連が一国社会主義を唱えている限り、それを実現することは不可能であった。
1991年にソ連が崩壊することにより、アメリカはやっと本来の目標を実行に移しだした。
1991年以降の日本経済を見れば明らかだが、日本は失われた10年、20年、30年と続いた。
アメリカがグローバリズムを目指すようになって、最もその被害を被ったのが日本である。
1990年のバブル崩壊と、1990年代後半の金融自由化(金融ビッグバンなどと意味不明なネイミングがついたが)で、日本の不況の長期化が決定づけられた。
ちなみに、アベノミクスの異次元の量的金融緩和も、アメリカの政策の一環のような気がする。
まだまだ日本は茨の道ではないか。