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「室戸へ」 お遍路記 2日目 金泉寺(3番札所)から

2020-09-30 14:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【2日目】 曇りときどき晴れ
 【札所】金泉寺(3番札所) → 大日寺(4番札所) → 地蔵寺(5番札所)
 【地域】徳島県鳴門市大麻町 → 板野町(羅漢) → 上板町(神宅)
 【宿】 極楽寺宿坊 → 民宿寿食堂


 朝5時に起きて、5時50分から極楽寺本堂での朝のお勤めをしました。檀家の方で87歳のお爺さんが毎日参拝されに来られているということで、その日もお参りされていました。檀家さんといってもお寺のどこに墓地があるのか分かりませんでした。昨日と同じその若いお坊さんにそのお爺さんのことを聞いたところ、「毎日約1時間かけて歩いてここまで来られている」ということでした。
 本堂での約20分ぐらいのお経のあと、若いお坊さんに遍路の心得などを話してもらいました。この宿坊に泊まるお遍路の最初の1日であることが多いので、これからの注意を兼ねてお話しになりました。そこでお勤めを終わりました。
 この本堂は階段を何十段も上がったところで、当たり前のことですが、昨日私が着いたあとにお参りしたところでした。普段は参拝者として外からお参りするだけですが、自分がお寺の内部にいて、お寺のお勤めの一つとして自分もそれに参加しているということがちょっと不思議な感じがしました。それだけで本当にお遍路の世界に入り込んだ気になります。

 午前7時20分、極楽寺を出発しました。天気予報に反して、雨が上がっていたのでホッとしました。境内にはすでに4~5名の方がお参りをされています。若い男性もおられます。互いに「おはようございます」と挨拶をしながら極楽寺を出ました。

 次の3番札所の金泉寺(こんせんじ)は、極楽寺から約3キロほど西にあります。ここから10番札所の切幡寺までは西へ西へと向かいます。直線にすれば約20キロ程度ですが、南北にジグザクに行きますので、それ以上はあります。
県道12号線をはずれ、街中の一つ北側の道を歩きました。すぐに鳴門市から板野町に入りました。

▼ 板野町のもと理髪店とタバコ屋



▼ 草ボウボウの遍路道


 3番札所の金泉寺にいたる、その近くのあぜ道は草ボウボウとなっていて、しかも前日の雨で草が濡れていました。これだと靴が濡れてしまいますので、遠回りしてそのままアスファルトの道を歩きました。靴はゴアテックスの防水靴を履いてますが、それでも十分ではなく水は浸みてきます。昨日の雨で濡れましたが、今朝はどうにか乾いていました。靴には気を遣います。靴が濡れると足がふやけてマメが出来やすくなります。私はマメが出来やすいタチで、靴には気を遣います。
 遍路道の管理は行政の管理ではなく、ボランティアの人たちの善意によって成り立っているようです。お遍路が遍路道を歩けるのは、遍路道を維持している人たちの活動があるからです。

 午前8時10分、金泉寺に着きました。山門で一礼して入りましたが、手水場(ちょうずば)で手を洗うのを忘れました。お寺の鐘をつくのも忘れました。本堂と太師堂でお参りをしたあと、お寺の中で平和運動の署名をされてる方がいて、請われるままにそれに署名をしましたが、お寺の中でそういう署名をすることに、ちょっとした違和感を覚えました。
 3番札所の金泉寺への参拝者は三々五々、ほとんどは車での参拝です。夫婦連れ、家族連れ、若い人もいました。今日は土曜日なので、昨日よりも参拝者が多いようです。

▼ 金泉寺山門


 午前8時20分、3番札所の金泉寺を打ち終わりました。次の4番札所の大日寺に向かいます。
 今日は曇り空、時々小雨、しかし今は雲の切れ間から晴れ間が見えるという微妙な天気です。午後からは雨になる予報です。今のうちに歩いておかなければなりません。


▼ 岡上神社


午前8時40分、岡上神社を通りました。ちょうど10月の秋祭りの季節で、神輿の準備が行われていました。


▼ 宝国寺


 午前8時50分、4番の大日寺に行く途中で、その道沿いに番外霊場の宝国寺(ほうこくじ)がありました。ここは札所ではなく、墓地の隣にある小さなお寺です。住職さんがいない無住のお寺でした。ここはいつ建てられたのか分かりません。もともとは地元の遍路接待所として利用されたようですが、鍵がかかっていて中には入れませんでした。なるほど1番札所の霊山寺から歩き始めた人にとっては、一息入れるのに格好の場所です。そこに納め札とお賽銭をあげてお参りをしました。
 今このあたりを歩いているのは私一人です。歩きのお遍路さんとは誰も会いません。車でお参りしている人はいるのですが、歩いているお遍路さんをまだ誰も見かけません。2番札所から歩き始めたからでしょう。1番札所を朝から歩いてくる人が多いのではないでしょうか。


▼ 振袖地蔵


 午前9時、その約500m西に振袖地蔵がありました。先々の時間が気になったので、そこにはお賽銭をあげて「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」だけ唱えました。
 4番札所の大日寺に行く途中には、番外霊場の愛染院(あいぜんいん)があります。
 途中からアスファルトの道路をはずれ、山の裾野の小さな遍路道に入ります。人がめったに通らない道です。昔のままの遍路道を歩きます。


▼ 荒れ果てた無住のお寺


 午前9時20分、愛染院へ向かう途中に誰も住まない荒れ果てた廃寺があり、そこでお参りをしました。人が住まなくなったお寺というのは独特の雰囲気があります。何が出てきてもおかしくない気がします。こんな山裾にポツンとある誰も住まない廃寺に比べると、さっきの番外霊場の宝国寺は同じ無住の寺とは言っても町中にあって、人の手が行き届いていました。人の手の加わらない建物というのは、なにか恐い感じがします。
 最初は、「これが愛染院だろうか」と驚きましたが、その草深い遍路道を抜けたところに愛染院はありました。


▼ 愛染院


 午前9時40分、愛染院に着きました。「般若心経」を唱え、「オン アボギャー ベイロシャノー………」という御真言を唱えます。時間はまだ10時前なのに、感覚としては昼過ぎのような気がします。時間感覚が世間一般とはズレて動いているのを感じます。
 愛染院では納経所がありましたが、誰もおられないようでした。まだ時間は10時前です。納経の記帳をしようと思ってザックから納経帳を取り出すと、納経帳には番外霊場の納経の記帳をするページがないことに気づきました。納経はしませんでした。
 愛染院を出て納経のことを考えているうちに、さっきの3番札所の金泉寺で何か忘れたことがあるような気がしていましたが、納経するのを忘れていました。お参りのあと納経所に行くことを忘れていました。たぶん平和運動の署名を頼まれて、それに気を取られているうちに忘れてしまったようです。まだまったくお遍路が板についていません。
 金泉寺での納経を忘れていました。しかし3番札所の納経が白紙のまま飛んでいても、自分がお経を唱えてお参りしたことには変わりないのだから、それでもいいかと考え直しました。

次は4番札所の大日寺(だいにちじ)に向かいます。今日打つ札所ではこの大日寺だけが山を登らなければなりません。といっても標高75mです。これから登る予定の他の札所に比べれば大したことはありません。しかし登ってみると、お遍路の荷物を背負って登る最初の札所の坂道は、私の足にはけっこうきついものでした。自分が健脚ではないことは分かっていましたが、これでは先々が思いやられます。
 それに私には体質というか持病があって、日常では健康を装っていますが、体温調節がうまくいきません。汗がやたらに出たり、かと思うと急に悪寒が走ったりします。40代からこういうことが起こり始め、病院に行っても自律神経失調症などという訳の分からない病名だけがつくだけで、薬を飲んでもいっこうに効き目がありません。これは自分で調節するしかありません。これは人に言ってもなかなか分かってもらえないので、ときどき私は人のいない場所を見つけては、背中にタオルを入れたり、シャツを着替えたりしています。これは人には分からない私の持病です。ですから私は、汗の管理には人一倍、気を遣わなくてはなりません。


▼ 昔ながらの遍路道


途中、昔ながらの遍路道を歩きました。


▼ 農作業のおじさん(右隅)


 午前10時頃、大日寺へのアスファルトの坂道を登っていると、横の畑で農作業をしていたおじさんから、「そっち、そっち」と大日寺の遍路道への入り口を教えてもらいました。私は違う道を行こうとしたようです。御礼を言って、少し立ち話をすると、「歩き遍路はけっこういるけど、最近は外国人が多いな」ということでした。


▼ 山神社


 午前10時20分、途中の道沿いには、山神社という立派な神社がありました。


▼ 大日寺山門


 午前10時30分、4番札所の大日寺に着きました。大日寺は最近新しく改築されたようで、新しいお寺でした。天気は、これも予想に反して急に晴れてきました。暑いくらいです。境内には一人、若い外国人男性のお遍路さんがいました。ここではお参りをしたあと、忘れずに納経所に行きました。
 境内には日陰がなくトイレの横にわずかな日陰を見つけ、そこで靴と靴下を脱いでしばらく休憩しました。歩いたあと靴を脱ぐのは気持ちが良いものです。裸足で直に土を踏むと足の裏が生き返るようです。小石の上も歩きました。めったに素足で土を踏んだりしないので小石の上はかなり痛いです。

 境内の自動販売機でコーヒー500ミリのペットボトルを買い、喫煙所でタバコを吸いながらそれを飲んでいると、咽が渇いているせいかあっという間に飲み干しました。人一倍汗が出る分、とても咽が渇きます。修行のなかには水分を控え、汗をかかない体質にするものもあるようですが、最近は熱中症対策として絶えず水分を補給するように言われます。水分を取らずに歩くというのは初心者の私にはむずかしいように思えて、熱中症になるより水分を取った方が良いだろうと思い、水の補給をしました。でもそれでいいのかどうか、本当の所は分かりません。
 水分を取ったほうが良いのか、取らない方が良いのかは、かなり大きな問題です。特に女性の場合には、トイレの問題があります。男ならそこらあたりで簡単に済ますことができますが、女性の場合にはそういうわけにはいきません。

 午前10時50分、4番札所の大日寺を出発しました。
 今登ってきた同じ道を下って、この山の南にある5番札所の地蔵寺(じぞうじ)に向かいます。


▼ 別格大山寺の案内板


 12時、地蔵寺に向かう途中で、別格霊場の大山寺(たいさんじ)の案内板がありました。大山寺は標高450mの山の中にあります。山の中のかなり奥まったところです。実はこの日、大山寺を打つかどうかずっと迷っていました。大山寺はこの遍路道から北に外れて、片道約5キロの山道を登ります。往復約10ギロ、しかも標高差450mを行き来することになります。ここから今日の宿の民宿寿食堂まではあと約5キロ、大山寺に登れば合計であと約15キロ。それプラス450mの標高差です。今の時間は12時。「これは無理だな」と思いました。お遍路の夜は早く、大方は午後4時前後には宿に着いています。5時を過ぎると遅いほうです。6時を過ぎると宿の人は本当に来るかどうか心配になります。

実は私は、きのう板東駅に降り立つまで、昨日泊まった極楽寺の宿坊と今日泊まる宿以外、なにも宿の手配をしないでここまでやって来ました。それは「どうにかなるだろう」という安易な気持ちからではなく、自分が1日ではたしてどれくらい歩けるのか見当がつかなかったからです。1日40キロ歩く人もいれば、30キロ歩く人もいる。20キロの人もいる。自分がどれくらい歩けるのか分かりません。だから、どこに宿をとっていいか分からなかったのです。
 決まっているのは今日の宿の民宿寿食堂までです。明日の宿は決まっていません。それをどうしようか。そのことも気になっていました。しかしそのことを今ここで決める気になりません。歩くのに精一杯で、頭を働かす余裕がないのです。「宿に着いてから考えよう」、あす大山寺に登るかどうかで、宿をどこに取るかが変わってきます。精神的にも体力的にもここで地図を取り出す余裕がありません。私は別格霊場の大山寺には登らず、そのまま次の5番札所の地蔵寺に向けて歩き出しました。

 12時過ぎ、5番札所の地蔵寺の入り口付近で道を渡ろうとした時、反対車線から2人乗りの大型オートバイが凄いスピードで爆音を立てながら走って来ました。怖いお兄さんが乗っているのかと思い、じっと立ったままバイクが通り過ぎるのを待っていました。するとすれ違いざまに、バイクに乗ったその若いお兄さんが私を見て頭を下げました。「アレッ」と思いました。怖いお兄さんだと思っていたのに、私を見る目が違うことを感じました。昨日歩き始めたばかりの私ですが、白衣を着て、菅笠をかぶり、金剛杖をついてバイクが通りすぎのを見ている私の姿は、彼らには本物のお遍路さんに写っているのです。私は、自分がだんだんと周囲とは違った世界に入っていっているのを感じました。


▼ 地蔵寺山門



▼ 地蔵寺の駐車場で休憩


 12時40分、5番札所の地蔵寺を打ち終えて、そこの駐車場で一休みしました。大日寺と同じように、ザックを下ろして靴を脱ぎ、靴下も脱いで、駐車場の木陰に座りこみました。左足の小指が腫れ始めています。小さなマメができていました。小指が熱を持っていて、指で押すとかなり痛いです。こうなった後のマメの成長は速いです。
 駐車場に車が2台入ってきました。難波ナンバーと大阪ナンバー、県外からの参拝者のようです。家族連れでした。
 横の自動販売機で、今日2本目のペットボトルを飲みました。1本目は大日寺の境内で飲みました。汗が吹き出して喉が渇きます。甘いものが欲しくなります。水筒はありますが、甘い飲み物が欲しくなります。その飲み物で、ザックの中にあったカロリーメイトを胃に流し込んで昼食にしました。


▼ 五百羅漢


 そのあと地蔵寺の隣の五百羅漢にお参りしました。ここは地蔵寺の一部ですが200円の有料でした。堂内の回廊に木造の五百羅漢がずらりと並んでいます。羅漢とは仏の弟子のことで、最高の境地に達した人のことを言うようです。ちなみに札所で唱える般若心経に出てくる舎利子(しゃりし)ことシャーリプトラも五百羅漢の一人です。地蔵寺はこの五百羅漢で有名です。この一帯の地名は「羅漢」というようです。この五百羅漢から来ているのでしょう。
 ここはもともとはこの地蔵寺の奥の院だったようです。奥の院とは簡単にいうと修行する場所です。お寺はもともと近くに修行する場所を持っていて、それが今は奥の院となっているようです。ですから奥の院は修業のための大切な場所です。お寺をまわるお遍路には修行の意味があります。しかし私の場合は作法も知らない、信心も深くない、かなりいい加減な修行です。なぜこんな私が四国までお遍路にやって来たのでしょうか。そのはっきりとした理由は私にも分かりません。ただ何となくそんな気分なのです。

 私は61才、還暦を過ぎました。半年前に父が亡くなり、その供養のためにという思いが発端だったような気がします。同時に、定年を迎え、何かをリセットしたいという思いもありました。さらに生きることの大半の時間をすでに使ってしまったという焦りのようなものもあります。残された時間で何をするか、そしてどうやって老いを迎え、死におもむくか。頭で考えれば、そのような言葉が並びますが、しかしそのどれもが当たっているようで当たっていない、もっとあやふやなものです。そういう年齢、そういう気分なのです。

 地蔵寺を出ると、そこから南に下って、午後2時頃、予備にカロリーメイトを買おうとコンビニに入りました。そこは店員さんが1人だけで対応していて、レジに行列ができて15分ぐらい待たされました。ただそこのコンビニにはお遍路用品が売ってありました。お遍路がこの地域の日常に入り込んでいるのが分かりました。
 お寺にお参りする際、本来唱えるべきものに「十善戒」(十の戒め)というのがあります。その中に「不悪口」があります。「他人を悪くいわない」、そんなおおらかな気持ちでお遍路をしなさいということです。
 私は般若心経と御真言は唱えても、この十善戒はよく覚えていないので、お参りするときには省略しています。しかしレジで長々と待たされてイライラしていると、ふと何か戒めがあったことを思い出しました。
 あとで見てみると、「十善戒」とは次のことでした。
   1.不殺生(ふせっしょう)…… 殺生をしてはいけない。
   2.不偸盗(ふちゅうとう)…… 盗みをしてはならない。
   3.不邪淫(ふじゃいん) …… 淫らなことをしてはならない。
   4.不妄語(ふもうご)  …… 嘘を言ってはならない。
   5.不綺語(ふきご)   …… 言葉に虚飾があってはならない。
   6.不悪口(ふあっく)  …… 悪口を言ってはならない。
   7.不両舌(ふりょうぜつ)…… 二枚舌を使ってはならない。
   8.不慳貪(ふけんどん) …… 強欲であってはならない。
   9.不瞋恚(ふしんに)  …… 怒ってはならない。
   10.不邪見(ふじゃけん) …… よこしまな考えを起こしてはならない。

 6番目に「不悪口(ふあっく)」、悪口を言ってはならない、とあります。コンビニも人手不足で大変なのでしょう。ずらりと並んだお客を1人でさばくのは大変です。そう思うことにしました。巷ではコンビニの夜間営業のことが話題になっていますが、たぶん夜間営業をやめる店が多くなるだろうなどと、またいらぬ俗世のことを考えてしまいました。

 そのコンビニを出て西に向かいます。宿の民宿寿食堂まであと約4キロほどです。あと1時間ぐらいで着くはずです。
 コンビニを出ると10分ほどで板野町から上板町(かみいたちょう)に入りました。八坂神社という神社の前を通過しました。ここの地域名は神宅(かんやけ)というようです。「神のお宅」という意味でしょう。変わった地名というか、神々しい地名だと思いました。
 私はいまお寺をまわっていますが、村々は秋祭りの季節ということもあって、歩きながらいたる所に神社のお祭りのにおいを感じます。季節がら、村の中には仏様よりも神様の雰囲気が強いようです。神社のノボリもよく見かけます。
 上板町に入ると、北に山を見ながらその山のふもとの集落を、そこを流れる川沿いに西に向かって歩きました。のどかな農村です。左手、南の方にはなだらかな畑が広がっています。
 しかしそういうのどかさとは別に、私の足はかなり重くなりました。朝とは違って午後は歩きが重くなりました。左足の小指のマメも痛み出しました。やはり今日、別格霊場の大山寺に登らなくてよかったです。


▼ 上板町の街並み


農村から町並みに入りました


▼ 民宿寿食堂と食堂


 午後3時、今日の宿の民宿寿食堂に着きました。予報に反して雨が降らなかったのはラッキーでした。
 食堂と民宿が隣どおしで建っています。目の前は県道12号線が走っています。でも交通量はそれほど多くはなく、民宿の裏は林に囲まれたけっこう静かなところです。

 まず金剛杖を洗います。金剛杖は御大師様の代わりですから、真っ先に洗わなければならないと教わりました。それを玄関の杖立に立てました。宿によっては、金剛杖は御大師様と同じだから、部屋の床の間に置くようにしているところもあります。いま私の自宅には、このお遍路で使った金剛杖と菅笠が、家の床の間に置かれています。
 70年配のご主人から2階の部屋に通されました。廊下にはこれまで泊まった有名人の写真が何枚か掛けてありました。有名な俳優や政治家の写真がありました。翌朝、宿の奥さんが教えてくれたところでは、私が泊まった部屋は俳優のショーケン(萩原健一・故人)が泊まった部屋だそうです。でも彼も特別扱いではなく、みんなと同じ部屋に寝泊まりしたそうです。ここの泊まった某政治家もそのようにしたようです。


萩原健一がゆく!四国お遍路旅



 お遍路はみな平等です。俗界での地位や名誉はここでは何の役にも立ちません。ここでは理屈ぬきでそうなのです。そのことに何の説明も要りません。説明を越えた雰囲気がこのお遍路にはあります。昔は行き倒れも多かったようです。命を落とすかも知れないときに、地位や名誉が役に立つはずがありません。命を懸けるというと大げさですが、「歩き」でお遍路をしている人の思いは、どこかみな似ています。
 でもお遍路は「歩き」だけとは限りません。バスに乗っても、列車に乗っても、自家用車でまわってもオーケーです。なにも決まりはありません。昔ながらの「歩き」が好きな人が、歩き遍路をやっているだけです。ただこれには時間がかかります。この時間が取れない人が圧倒的に多いのが今の現状です。


▼ 民宿寿食堂と県道12号線


 宿について、洗濯しようとして洗濯機のところに行くと、洗濯機の中から女性もののパンツが一枚でてきました。たぶん昨日使った人の忘れ物でしょうが、誰のものか分からない女性もののパンツをおどおど取り出して洗濯機を回しました。昨日泊まった女性は、自分のパンツが一枚足りないことに気づいたのでしょうか。「オレ何やってるんだろう」と思いました。
 お遍路では、男も女もあまり関係ないようです。洗濯機だけではなく、お風呂も共用です。もちろん入るときは別です。トイレも共用のところもあります。それでも意外と平気なものです。そんなことに構っていると、お遍路などやってられないようです。
 すぐに洗濯機を回し、それと同時に風呂に入りました。風呂から上がったあと、洗濯が終わるのを待って乾燥機を回しました。お遍路が宿に着いてまずしなければならないことはこれです。これをしないと明日につながりません。
 私はザックの中にパンツを2枚と、汗かきなのでシャツを4枚入れていましたが、そのうち使ったのは結局パンツ1枚とシャツ1枚だけでした。宿に着くとまず着ていたパンツとシャツを脱いで新しいものに着替え、着ていたものはすべてその日に洗濯します。すると毎日がパンツ2枚とシャツ2枚の使い回しになって、あとのパンツとシャツは結局使いませんでした。しかしそれはトラブルがなかったからで、何が起こるか分からないのがお遍路ですから、予備の下着を自宅に送り返すことはしませんでした。

 午後7時、下に降りて別棟の食堂で夕食を食べました。宿を切り盛りされているのはこの宿の娘さんのようで、2人のお子さんのお母さんです。子ども2人は食堂の畳敷きでテレビを見ながら遊んでいます。
 その娘さんの話によると、今は最盛期の10分の1の客足しかないようです。一番のピークは平成14年から15年、2002年から2003年にかけての頃だそうです。多くの人が貸し切りバスでやって来て、その頃はてんてこ舞いに忙しかったそうです。その時に隣で食事をしていた70歳前後の歩き遍路の男性が、「その頃はNHKでやってたからね」と言われました。
 その男性は私より30分遅れで宿に到着されました。3年がかりで八十八カ所を打ち終え、今日はお礼参りに来られたそうです。先週から香川県の66番の雲辺寺を打ち始めて、今日はお礼参りで大山寺までを打たれたそうです。大山寺とは今日私が登れなかったあの別格霊場の大山寺のことです。
 私はとっさに「明日、私も大山寺を打とうかと思っています」と言いました。そう言ったことで、迷っていた大山寺参りが、私の中ですんなり決まりました。
 宿の娘さんが小学生の頃には大山寺の近くにキャンプ場があって、小学校5年の時にそこまで歩いていって一泊キャンプして帰ってくる学校の行事があったそうです。
 大山寺はこの宿から北に向かって高速道路の高架を越えた山の中にありますが、それまで猿とイノシシはその高速道路付近までしか降りてきていなかったのに、今年はこの宿の近くまで下りてきて、驚いているということでした。ということは、明日私は猿もイノシシもいる山に一人登るということになります。
 食事を終わって部屋に戻るとすぐにスマホで、明日の宿の手配をしました。明日は大山寺の山を往復したあと、7番札所の十楽寺(じゅうらくじ)まで行くことにしました。宿はそこの宿坊に決めました。1泊2食付きの宿泊の予約を入れました。これでどうにか明日の宿が確保できました。ホッとしました。

 この宿から大山寺までは約6キロ、往復で12キロ、さらに7番札所の十楽寺までは約3キロ、合計約15キロを明日歩くことになりますが、大山寺の標高が450mですので、その上り下りを考えると、20キロ前後の道を歩くのとあまり変わらないと思います。今日は15キロしか歩いていませんが、今日の疲れ方をみると、健脚でない私にはそのくらいがちょうどいいようです。
 実はこのお遍路に来る前に、2~3度試しに自宅から片道10キロの道を往復しましたが、1日20キロでも大変でした。その時の感触で「1日20キロ前後が妥当かな」という思いがありました。実際に昨日と今日歩いてみて、それは当たっているようです。
 昼頃気づいたマメは、宿に着くとかなり大きくなっていました。まだまだ大きくなりそうです。マメは歩くのをやめたあとも、しばらくは大きくなって、ますます痛くなります。マメの膨らみ方が落ち着いたころ、寝る前にそれを針で刺して水を抜きました。マメが出来ることは予想していましたので、安全ピンを準備していました。それを刺しました。この方法が正しいかどうかは知りませんが、私はずっとこれを続けました。ポイントはマメが出来てすぐ潰すのではなく、マメが出来てしばらく待ち、少し落ち着いたところで潰すのがポイントのようです。あまり早く潰すと、潰したあとにまた水が溜まってしまいます。

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