ひょう吉の疑問

新聞・テレビ報道は何かおかしい

村の神事での会話

2018-12-09 20:27:42 | 歴史

日曜日

私の集落には、200年以上続いた村の神事がある。
神事は神事で行ったあとに、その後の酒席になると、妙に生々しい話になったりする。

その酒席で話していたら、仕事の話になって、
何か講演会があったときに、講演会を聞く前から、事前質問の受付があって、その質問意外には当日の質問を受け付けないことが広く行われていることが話題になった。

誰かが言った。
「講演会を聞いての質問なら分かるが、講演の話を聞く前から、質問を先に聞いて、当日の質問を受け付けないのはどういうことだ。話を聞かなければ何を質問して良いか分からないだろうに」

そうすると、誰かが、
「結局、質問させたくないんだ」と言った。

私は、なるほど、これは至る所で起こっていることなんだと思った。
私の周りもそうである。

事前質問以外は受け付けられない。
話を聞かなければ、質問も浮かばないはずなのに、話を聞く前から質問だけを出せと言われる。
その結果誰も質問しない。
お通夜のような講演会が続いている。

講演会の話を聞いて、その場で疑問が浮かんでも質問できない。

言いたいことを言いたいだけなのだ。
質問などしてもらったら困るのだ。

こういう講演会に何の意味があるのか。

コメント (1)

人は豊かさの中で何を求めるか

2018-12-08 00:47:54 | 歴史

土曜日

人は貧しさの中で衣食を求める。
しかし豊かさの中で何を求めるか。
それは未知数である。
そこにかすかな可能性がある。
人間の歴史はこのかすかな可能性の歴史である。

コメント

人はもともと損得には興味がない

2018-12-08 00:28:25 | 歴史

土曜日

人はふつう損得で生きている。
しかし時に善悪で考える人間が出てくる。
また何が善で、何が悪か、そんなとほうもないことを考える人間が出てくる。

そして時として、損得よりも善悪が優先される時代が出現する。
それはもともと人間が損得を嫌う動物であるからだ。

「衣食足りて、礼節を知る」とはそういうことだ。
しかし今は衣食足りても、足りても、もっと衣食を求める時代である。
そんなことに、もともと人は興味がない。

人が衣食を求めるように見えるのは、方便である。

コメント

人間、この矛盾に満ちたもの

2018-12-08 00:01:51 | 歴史

土曜日

人間はもともと矛盾に満ちている。
それを解決する能力もない。
せいぜい、つぎはぎの努力ができるだけだ。
人間の歴史は、このつぎはぎの努力の産物である。
人間の脳も、この歴史を追いかけるように、つぎはぎの連続で進化してきた。
だから人間は普通は、目の前のことを考えるので精一杯である。

しかし時に、例外的な人間が出てきて、100年先、200年先のことを考えたりする。
それは目の前の現実としては無駄である。
しかし、こういう例外的な人間の存在無くしては、人間は生き延びることができなかったのではないか。

人間は果てしなく矛盾を作り出していく動物である。
しかし、時としてそれに警鐘を鳴らし、歴史の中に埋もれていく人間が散見される。

何の役に立つか分からない疑問に対してとことんつきあうこと、
そしてそれに人生の大半のエネルギーを費やすこと、
この能力が人と他の動物を分ける。

そして次には、歴史に埋もれながら100年先、200年先のことを考えた人間がいたことを発見する人間が出てくる。
古典を学び、歴史を学ぶとはそういうことではなかろうか。

コメント

人は無駄の中で生きている、喜びも悲しみも

2018-12-07 23:42:18 | 歴史

金曜日

お金にならない根源的な話こそが大事。
それは経済効率とは関係ない。
経済効率は無駄を省くことを求めるが、学問とはそもそも無駄なもの。
その無駄の中からいかに多くの真実をつかみ取ってきたか。
真実は無駄の中からしか生まれない。
疑問があればとことんまで。
それが何の役に立つかは関係ない。
それを見失えば、人間はいずれ人間ではなくなる。

歴史を作ってきたのは経済効率ではない。
経済効率とは別の真実がある。
むしろ人間は経済効率を嫌ってきた。
経済効率を求める経済学が、経済を予測できないのはそのためである。

コメント

第二次世界大戦は、ファシズムとデモクラシーとの戦いであるといわれるが

2018-11-26 09:04:03 | 歴史

月曜日

第二次世界大戦は、ファシズムとデモクラシーとの戦いであるといわれる。
そして戦後は、資本主義と社会主義の戦いだといわれる。

しかし本当はそのどちらでもない。
その前提にあるのは、欧米の植民地支配である。
戦後はその植民地が消失した。
そのことが決定的に大きい。
その事実は、戦前の最大の植民地帝国であったイギリスが、戦後急速に没落していったことを見ても明らかである。
しかしそのことは米ソの冷戦構造の影に隠れて見過ごされがちである。

「持てる国」と「持たざる国」の戦い。
第二次大戦の実態はこれである。
欧米は世界中に広大な植民地を持っていた。これがブロック経済を生む背景にある。
植民地あっての保護貿易である。
これは危険きわまりないものである。

しかし、保護貿易そのものは危険なものではない。
戦後、植民地はなくなった。
植民地なき保護貿易は、後進国にとっては必要なものである。
戦後の先進国による、植民地なき保護貿易への批判は、自己の利益のために過ぎない。
だからアメリカは、植民地なき世界で、自由貿易を推進した。
これも自国のためである。
これがご都合主義ある証拠には、アメリカは自国製品が売れなくなると、トランプによって手のひらを返すように関税を引き上げ、保護貿易を主張している。
これを見ても分かるように、保護貿易は輸出力の弱い国には必要なものなのだ。

しかしそのことが逆に歴史の欺瞞を明るみに出している。
トランプによる保護貿易は、歴史を考える上で格好の材料を提供している。
そしてそれが、戦後なぜ欧米がこぞって自由貿易に転換したかの理由にもなっている。
本来、歴史教育はそういう筋道をたどって教えられるべきだ。
そうでないと子供たちは歴史に興味を持てなくなる。

第二次世界大戦は、欧米による植民地支配体制が原因である。
欧米の植民地支配が、ブロック経済を生んだ。
戦前の植民地ありきの保護貿易と、戦後の植民地のない世界での保護貿易は、同じ保護貿易でもその意味するところはまったく違う。

欧米はそのことに触れられたくないのだ。
それに触れられると、自分たちが悪くなることが目に見えているから。
あくまでも「持たざる国」であるドイツと日本が悪者になってくれないと困るのである。

欧米にとっては、
植民地ありきの世界ではブロック経済がよくて、
植民地のない世界では自由貿易がよいのだ。
どちらも自分たちのためである。
そのことを隠そうとしている。

そのことに目をつぶったまま、欧米の言うとおりに、
「第二次大戦はファシズムとデモクラシーとの戦いだ」と信じ込めば、
日本人は思考停止状態に陥り、歴史の真実は何も分からない。

コメント

お金とは何だ 43 飛車・角ぬきの戦い

2018-11-24 17:03:53 | 歴史

土曜日

基軸通貨を持たない国は、飛車・角ぬきで将棋をしているようなものだ。
アメリカは他の国が持たない飛車・角を使って、あらゆることができる。

世界を動かしてきたのは、民主主義ではない。
お金と軍事力の力はすさまじい。

今のお金は富ではない。
お金だと認めさせる力さえあれば何でもお金になる。
しょせんお金は紙にすぎない。または単なるパソコン上のデータにすぎない。
紙であろうとデータであろうと、軍事力で認めさせればそれはお金になる。

そのお金だと認めたものが算数のルールに従ってさえいれば、それはお金である。

日本の貿易取引の大半はドル建てである。
ドル建てには絶えず為替リスクがともなう。
ところがドルの本家アメリカはドル建てである以上、為替リスクがまったく発生しない。

輸出もドル建て、輸入もドル建てである。
そしてアメリカに頼まれてお金を貸すときもドル建てである。
なぜ「円でないと貸さないよ」といえないのか。

だからアメリカは、1ドル=120円で借りて、1ドル=100円で返すのだ。
日本は120円貸して、100円返してもらっている。
それでいいのか。

日本は「軽武装・経済優先」の条件で独立した。
そのとき吉田茂は、「お金が必要ならいつでも言ってください」とでも言ったのだろう。
マッカーサーにはおべんちゃら、その夫人には贈答品。
そのくせ国内では傍若無人。
マッカーサーに気に入られただけが取り柄の政治家だった。
しかしそのマッカーサーは、奇人変人で、アメリカ国内では相手にされていない。
こんな人間が憲法を作ったのだから、それ以後日本人は考えることをやめてしまった。

ドイツは違う。
ドルに嫌気がさして、ユーロをつくった。
ちゃんと考えている。

ドルが基軸通貨でありえるなら、ユーロが基軸通貨であってもよい。
金と交換できないお金が世界の基軸通貨でありえるなら、何であっても基軸通貨になりえる。

そんな当たり前のことをドイツは実行しただけだ。
でもそれはちゃんと考えているからできたことだ。

そんな当たり前のことができる人が日本にいるか。
飛車・角がないのなら、なぜ飛車・角を持とうとしないのか。

逆に、飛車・角を持とうとした人間を、バカなやつだとさげすむ始末だ。
バカでけっこう、バカなことを言うやつがもっといてもいい。

コメント

カルロス・ゴーン逮捕 フランスと日本

2018-11-24 09:27:29 | 軍事・外交(日米関係)

土曜日

むかしイギリスは日英同盟を使って、日本をロシアと戦わせた。1904年の日露戦争である。アメリカもイギリスとグルだった。

フランスの元大統領サルコジがアメリカの傀儡であったのに対して、今のマクロンはヨーロッパ資本の傀儡である。
そしてアメリカとヨーロッパは対立している。そのための組織がヨーロッパ連合、つまりEUである。
そのEUが、ドルの支配から離脱するためにつくった通貨がユーロである。
ドルとユーロは通貨戦争の最中である。
ドイツとフランスはそのユーロの中心、EUの中心である。

カルロス・ゴーンの祖国はレバノンであるが、フランス人である。
アメリカはフランスを叩きたいのだが、直接は手を出さない。

むかしイギリスは日英同盟を使って、日本をロシアと戦わせた。

日産内からの内部通報によって、東京地検特捜部が動いた。そして東京地検特捜部は、日産会長のカルロス・ゴーンを逮捕した。
東京地検特捜部は日本の検察のようでいて、その出自はGHQが設置した「隠匿退蔵物資事件捜査部」であり、アメリカのいうことは何でも聞く機関である。

そのとき、偶然にも(?)世耕弘成経済産業大臣はフランスに滞在中であった。そして即座にフランス政府に「これは国策捜査ではない」ことを説明した。まるで犯罪者を捕まえたことを謝るかのように。そして弁明するかのように。

だから日本政府は、アメリカとフランスの板挟みになっていることがわかる。
このまま行けば、日本はフランスと対立することになる。

その数日前、アベシンゾーは、ロシアのプーチンと会い、北方領土の2島返還の件で急速に接近した。それへの腹いせなのか。

確かにフランスのマクロンは、ルノーによる日産・三菱への支配力を強化しようとした。
しかしそれは私企業の問題である。
こんなことでフランスと対立しても、日本が得るものは何もない。

それよりも私の脳裏には、
むかしイギリスが日英同盟を使って日本をロシアと戦わせたことが、想起される。
アングロサクソンは手強い相手とは戦わない。自らは手を出さない。
相手を分裂させるか、自分は高みの見物で誰か別の国にやらせるのだ。

フランスはアングロサクソンではない。ラテン系の国だ。
ロシアはスラブ系、フランスはラテン系、どちらもアングロサクソンではない。
アングロサクソンは、イギリスとアメリカである。
そのイギリスは、EUから離脱しようとしているし、もともとユーロは導入していない(イギリスのユーロ導入は、1992年のジョージ・ソロスのポンド売り浴びせによって妨害された)。そして今でもアメリカと組んでいる。
アングロサクソンはアングロサクソンなのである。

明治の日英同盟と、平成の日米同盟。
何も変わらない。
時代は変わっても、中身は何も変わってはいない。

小泉以来の日本の対米追従は甚だしい。
アメリカは、アベシンゾーで仕上げにかかった。
お金は貢がせるし、戦争だってできる国にした。

このあと何が起こるか。
これだけ対米追従を続けていると、アメリカは骨の髄までしゃぶってくる。
世耕弘成経済産業大臣がその火消しに奔走しているのは、今まで彼がやってきたことを考えると自業自得というところだが、彼に日本の国益を守る力はないだろう。

アメリカにとって、日本からフランス資本を追い出すことはいいことだろう。
しかしそのあとに何がやってくるのか。
今までさんざんアメリカ資本に日本企業を二束三文で売り払ってきた日本である。

こうやって日本はまた深みにはまっていく。

コメント

お金とは何だ 42 お金には垣根がある

2018-11-22 12:02:23 | 歴史

木曜日

お金には垣根がある。それが国境である。
日本の円は、アメリカでは使えないし、アメリカのドルは日本では使えない。
1つの通貨は1つの国内で流通する。
これがふつうの状態である。

一方で、借りた金は自由に使えるというのが、1848年にイギリスが公認した銀行のルールである。

アメリカは日本から借りたお金で日本企業を買収したい。
そのために日本人の個人資産を自由に使えるようにしたい。
つまり日本人が自由にアメリカのドル預金をできるようにしたい。
その結果、日本人が預けたその金を使って、日本の企業を買収する。
これが「金融の自由化」の実態である。

お金には垣根があるが、アメリカにとってはそんな垣根があっては困るのである。
そんなものは取り外してしまいたいのである。
これがアメリカの金融業の狙いである。

日本人は愚かである。
目先の高金利につられてドル預金や米国債買いをすることが、時代について行くことだと勘違いしている。
そしてまんまとアメリカ資本に日本の株を買い占められている。
そしてそれを「金融の自由化」だと喜んでいる。
それを「グローバル化」だと喜んでいる。

日本人は愚かである。
勉強熱心な人は日本経済新聞を読んでいるが、日本最大の経済紙といわれるこの新聞をいくら読んでも、本当のことは何も分からない。

コメント

スケベは異常か

2018-11-18 18:49:02 | 理念

日曜日

スケベが異常だとしたら、子供が生まれることは異常なことになる。
なぜなら子供はすべて男がスケベなことをした結果として生まれてくるからだ。

しかし子供が生まれてくることは正常なことである。
ということは、男がスケベなことをするのは正常なことだということになる。

ただ男のスケベさにはいろんなバリエーションがある。
その多くは個性的なものである。
そしてそのことは男の創造性と結びついている。

したがって、男のスケベさを規制することは、男の創造性を規制することである。
それは男の創造性をしぼませることである。

しかも男のスケベさは変態と紙一重である。
そして男の性癖はいかなる手段を用いても修正の効かないものである。
それは人格と結びついているから。

このスケベさと変態の境界のどこにラインを引くかは、人類のあらゆる叡智を結集して考えねばならない大切なことである。

コメント (1)

お金とは何だ 41 円が高いと輸入品は安いからデフレになる

2018-11-13 08:19:19 | 歴史

火曜日

1990年のバブル崩壊以降、ドル円相場は1ドル=110円前後で推移している。2000年代に入ってからはますますそれがはっきりした。現在は113円である。
ところが購買力平価で見ると、適正相場は1ドル=150円前後である。
つまり1ドル=110円というドル円相場は、『円高』過ぎるのである。
円高だと日本人は外国製品が安く買える。つまり物価は低下する。だからデフレになる。
実際その通り今の日本はデフレ状態が長く続いている。

では円が高くて、外国製品が安く買えるのなら、日本人がそれだけ豊かになったのかといえば、肝心の我々の給料は減っている。預金金利もつかない。ゼロ金利である。こうやって我々はだんだん貧しくなっている。
なぜ我々は貧しくなるのか。
それは日本がドル買いしているからである。ドル買いして、買ったドルをそのまま米国債にしているから、我々のお金は我々には回ってこないのである。

日本は1980年代の中曽根康弘の時代からずっとこの米国債買いを続けてきた。
そうやってドルを買い支えてきた。不自然なドル高をつくってきた。
だから我々日本人にはお金が回らない。
我々のお金はアメリカ人が使っている。アメリカの消費に当てられている。
我々は自分たちが働いて得たお金をアメリカに貸し、その貸したお金でアメリカ人に日本製品を買ってもらっている。
そしてそのために円を売ってドルを買い、ドル高・円安にしている。
日本のドル買いがなければ、ドルはもっと安いのだ。ドルの実力はもっと落ちるのだ。
日本のドル買いがなければ、ドル円相場の適正レートは、1ドル=80円前後だろう。
実際に過去2度ほど、ドルは80円を下回った。

アメリカは1980年代から貿易赤字の上に財政赤字の国である。これを長く続けた結果、世界最大の債務国である。このような国の通貨は、ふつうは下落し続けていく。それが110円前後で安定していること自体がおかしいのである。
それに対し日本は、貿易黒字の国である。そして世界最大の債権国である。このような国の通貨はふつうは上昇を続ける。しかしそれを食い止めるためにドル買い、米国債買いをしている。だから財政赤字が続いている。こうやって日本のお金がアメリカに流れている。

ドルの本当の実力は、1ドル=80円前後である。
しかし購買力平価で見ると、1ドル=150円前後が適正レートである。

この矛盾は何を意味するか。
1ドルは80円の実力しかないのに、150円の力を持っているということである。
アメリカ人は本当は1ドルで80円のものしか買えないのに、150円のものを買っているということである。
この差し引き70円はどこから来るのか。
それが日本から与えられたお金である。(米国債は返済されないから)
逆にいえば我々日本人は、80円で買えるものを、150円で買って損しているということである。
我々が今150円で買っているものは、実は80円で買えるものである。
我々が稼いだお金の70円分は、アメリカに貸し出され、アメリカ人が使っている。
だから我々はずっと貧しいのである。

コメント (1)

お金とは何だ 40 お金とは権利である

2018-11-03 22:27:51 | 歴史

土曜日

お金とは権利である。
お金は、ないよりもあった方がよい。
それは自分の可能性を拡大することができるから。

しかし大きくなりすぎた権利は、人の権利を奪うこともできる。
権利と権利はぶつかり合う。
そして大きな権利は小さな権利を飲み込んでいく。
権利の概念は協調的ではなく、対立的である。
平和的ではなく、敵対的であり、強奪的である。

そのぶつかり合う権利を具象化したものがお金である。
それが集積すれば支配の道具となることもできる。
権利がある一定のルールによって、1カ所に集積する場合、それは権力となる。

だから国家とお金は切っても切れない関係にある。

国家が誕生してもお金のない時代はあった。
しかしそのお金とは金属貨幣のことだろう。
金属貨幣以外のお金はすでにあったはずだ。
どのようなものであれ、権利が具象化したものはお金である。

権利の集積物である国家が、一枚の紙に権利を与えれば、それはお金になる。
それは権利だからだ。
しかし物に権利を与えるのは国家でなくてもよい。
食う、寝る、遊ぶ……、それら人間の活動を保証するものはすべてお金である。
国家紙幣の裏には国家の権利がある。
しかしその権利を与えるものは国家以外のものでもよい。

国家以前にお金は発生していたはずだ。
紀元前7世紀にギリシアに近いリディアで金属貨幣が発生する前に、お金はすでに発生していたはずだ。
そうでなければ、権力の発生のあとに権利が発生したという変なことになる。
人が自分の権利を使って何らかの権利を高めようとしなければ、国家は誕生しない。

コメント

閑話休題 天寿

2018-10-31 11:22:44 | 理念

水曜日

天寿で死ぬのはよい。
人のために死ぬのもよい。

ただ無駄死にはよくない。
自分の利害のために死ぬことは、蛇が自分のしっぽを飲み込みながら死ぬようなもので、大した意味はない。

本当の自由とは、自分を離れたところにある。

コメント

お金とは何だ 39 ドル高とは

2018-10-30 10:39:31 | 歴史

火曜日

ドル高とは、ドルが買われることである。
ではドルを買っているのは誰かというと、それは日本である。
日本人の貯蓄資産でドルを買っている。

アメリカは長らく貿易赤字の国である。されに加えて財政赤字の国である。
世界の大問題はこういう不健全な国の通貨が、世界の共通通貨として基軸通貨になっていることである。
ふつうならドル安にならないはずがない。
しかしそのドルが1995年以降、約20年もの間、なぜか110円前後でキープされ、そのレートが維持されているのは、1つの世界経済の謎である。

日本の円がなければ、ドルはとっくの昔にもっと下落している。
アメリカのドル高には、日本の円の買い支えが関与している。
日本はそのために1000兆円もの莫大なお金を使っている。これは国家の負債額に相当する。日本の財政赤字は、実はドルの買い支え資金のためだ、と言ってもいいほどである。

ドル円相場という暴れ馬を飼い慣らすために、日本はどれほどの資金を使ったのだろうか。
1985年のプラザ合意以前、レーガンによるドル高政策のために、ドルは高くなりすぎた。中曽根康弘は自分の政権維持のためにすすんで、日本人の資産をアメリカに貢いだ。
だから今度はドル安に誘導しようとプラザ合意を結んだところ、逆にドル安に振れすぎることになった。
しかもそんなときにアメリカは金利を引き下げた。それは国内景気浮揚のためであったが、これでますますドルは安くなった。本来なら金利を引き上げなければならないところである。
ドル安が行きすぎたら、当然ドル金利は上げなければならない。こんなイロハが通じない関係がドル円相場なのである。
しかもドル金利よりも円金利は低く設定するというルール(?)から、日本もさらに金利を引き下げた。どこまでもアメリカの言いなりになったのが首相の中曽根である。そして大蔵大臣の竹下登である。
その低すぎる金利の結果、何が起こったか。
あとはご承知の通りである。

日本の被った損害は計り知れない。
あれから30年、我々が生きた時代の原点はここにある。

敗戦後11年経って、1956年、政府は経済白書に『もはや戦後ではない』と書いたが、とんでもないことである。
1985年の経済白書には、前言を取り消して、『やはり戦後は続いている』と書くべきだったのである。
そしてそのことは今でも変わらない。

我々の生活がなぜ苦しいのか。それはすべてドルの維持のためである。他国の通貨の維持のために、我々のお金が吸い上げられている。
2011年に1ドル=75円の最安値をつけたドルは、アベノミクス以降、2015年に1ドル=125円にまで値上がりした。
このことにどれだけ日本の資金が使われていることか。
いくら働いても我々の暮らしが楽にならないのは、働いた分のお金がアメリカに流出しているからである。
日本人が働いて得たお金はどうせアメリカに流出する。日本人の労働は半ばタダ働きである。

日本にこの金が尽きたとき、ドルはまた下落する。
日本人が働けなくなったとき、世界経済は崩壊する。
不健全な世の中である。

コメント

お金とは何だ 38 レーガンのドル高政策

2018-10-30 08:22:32 | 歴史

火曜日

1971年のニクソン・ショックで、金とドルの交換が停止しされて以降、
1.米国金利は、一貫して日本金利よりも高い。
2.日本は、一貫して米国債を買い続けている。
3.ドルは、1995年まで20年間以上下落し続け、それ以後は110円前後で維持されている。
4.2011年には1ドル=75円の最安値をつけ、さらなる下落をうかがっている気配がある。

アメリカで、ドル高を望んだ政権は2つ。
レーガン政権とクリントン政権である。
どちらも、「強いアメリカ」「強いドル」を標榜した。
これを支えたのが日本である。
日本の米国債保有残高は、表面上は100兆円だとされているが、その実態は不明である。一説には1000兆円の米国債を保有しているともいわれる。この額は、日本政府の国債発行残高(借金)とほぼ同じである。このことは日本は国民から借金して、その資金をアメリカに流しているということである。

この日本からアメリカへの資金の流れが、世界を変えた。
1981年から始まるレーガン政権下では、時の中曽根康弘首相が、「ロンヤス会談」を開き、「日本はアメリカの不沈空母である」とした。このことの意味は、財政赤字と貿易赤字に苦しむアメリカに、日本は全面的に資金援助をしたということである。
その資金は、「スターウォーズ計画」などのアメリカの軍備拡張に使われた。
それがソ連の崩壊につながった。

ただここで基本的なこととして考えたいのは、日本からアメリカに貢がれた日本の資金はその後、実務上どうなったかということである。

前に書いたように、ニクソンショック以後の通貨は、地域限定通貨である。金という世界共通通貨を失ったあとの世界では、各国が独自に刷った紙幣は、その国内でしか通用しない。
そうであれば、日本が米国債を買って、アメリカに資金を貢いだとしても、その貢いだ資金は日本国内にとどまっているはずである。そのとどまった資金はどうなるのかということである。

日本が米国債を買う場合、日本はまず円を売ってドルを買い、そのドルで米国債を買う。それは銀行を介して行われる。
日本がドルを買うということは、日本にある米国銀行(在日米銀)に円を預け、その見返りに、アメリカにある日本の銀行(在米邦銀)にドル預金をするということである。在米邦銀はそのドルで米国債を買う。
このような形であるから、日本が最初に売った円は、日本国内の在日米銀の中にとどまる。
そしてそれは在日米銀の活動資金となって、日本国内を流通する。こうやってアメリカの銀行の活動が、日本国内で活発になる。
つまり日本の米国債買いとは、米国企業の日本国内での活動を活発化する。
ここで注意すべきは、米国企業のアメリカ国内での活性化には影響を及ぼさないということである。
もちろん円を手にした米国企業がその円を売って、ドルを買うことはできる。しかしその場合も、売った円は日本国内にとどまる。
この繰り返しで、いくら円とドルを売り買いしても、日本国内の通貨量に変化はない。
大事なことは、日本の米国債買いによって、米国企業が日本国内で円を手にするということである。

ただこれによって、ドル円相場はドル高を保つことができる。
1995年以降、ここ20年間のドル円レート、1ドル=110円前後は、この日本による米国債買いによって維持されている。
(アベノミクスはそのもっとも顕著な形である)

コメント