ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

平成とは、バブルのツケ

2019-03-31 07:52:13 | 歴史

明日で新元号が発表される。
平成とは何だったのか。
平成とは、バブルのツケ。
80年代に襲ったバブル、あれが決定打。
それ以降、日本は浮かび上がれない。
決して平成ではなかった平成。
日本はなぜこんな国になってしまったのか。
元号が変わるときに、そのことを考えねばならない。


「授業でいえない世界史」 23話 明

2019-03-29 05:37:54 | 旧世界史9 明・清

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【明】
 次に、中国の1400年代を見ていきます。コロンブスが出てくる前に。
ここでやるのは、明王朝清王朝で約400年行きます。ここでは、まだ1300年代です。元のあとは明です。チンギス・ハーンのモンゴル帝国のあとは明です。チンギス・ハーンのモンゴル帝国は、パカパカと馬に乗った遊牧帝国です。


【洪武帝】 その元に反乱がおこる。これが紅巾の乱です。1351年です。その反乱の親分が誰だったかというと、ガラの悪い農民なんです。名前は朱元璋という。彼が洪武帝です。を建国して皇帝になります。1368年です。


▼明の領域


  中国はこれが起こるから恐い。漢の劉邦でもそうです。農民です。ちょっと、ヤーさんぽい親分肌の農民です。しかも貧農です。兄貴とかなんとかいわれて、子分をかわいがって、だんだんグループが大きくなって、国まで取ってします。
 日本でこれは豊臣秀吉だけです。これやったのは。あとは一切、そういうことは出てこない。中国はこれがザラに起こる。農民出身です。

 元は農業が大嫌いです。農業していない。商売で生きていた。しかしこの人は農民だから商売は嫌いなんです。ちゃんと土地を耕してそれで豊かになるんだという。商業は抑制的です。モンゴル人のまねをしない。中国人はまず農業で額に汗してやるんだ。農業重視に変わる。
 政治は人次第です。誰を選ぶかは、政策以上に大事です。 そのためには農民が耕している土地がどこにあって、どういう土地で、それが誰のものか、それをつかむ。そのために土地台帳をつくる。
 この土地が今のような正方形のきれいな田んぼではなくて、ぐにゃぐにゃしてる。昔の田んぼはみんなそうだった。我々が小さいときの田んぼは、ホントにこんなにぐにゃぐにゃしていた。機械もなかったからそれで良かった。全部手で鎌で、田植えも手でやっていた。
 この土地台帳が魚のうろこのように見える。そこからについた名前が、土地台帳のことですけれども、魚鱗図冊といって、およそ農業が関係がないような名前になっている。これは漁業の本やろかと思うような土地台帳の名前です。
  この朱元璋は・・・中国はだいたい北に首都があったんだけれども・・・初めて北京以外の南京、南方を首都にした皇帝です。


【永楽帝】 ただ息子の代になると喧嘩でもめて、その後の3代目は永楽帝というんだけれども、やっぱり南じゃダメだ、首都はやっぱり中国の北にないと、と北京に戻す。
 これが大きな方向転換です。2代皇帝を殺して自分が王様になるような人なんです。ヤワじゃないです。政治の世界というのは。
 よく見てたら、ここ10年だけでも、大臣クラスで不審な死に方をした人間というのは日本でも5人いる。ある日突然2階で亡くなってましたという大臣もいた。名前は言わないけど。ヤワな世界じゃないです。政治の世界というのは。
 殺して王様になる。弟を殺す。 モンゴルの残骸が北京周辺にいる。馬に乗った人たちが。彼らと戦いを挑んで追い払ってしまう。彼らをモンゴルとはいわない。部族名でオイラート、それからタタール。騎馬民族です。これを追い払う。しかしモンゴルは北方に北元という国を建てて、対立する。

 そして次には、農業重視から、やっぱり商業も大事よね、商業にするんだったら、船だ、海だ、おまえ乗り出していけということになる。
 命知らずの男ではなくて、中国には宦官というのがいる。アレを切られた人、そういう人に命じて、この人の名前は鄭和という。1405年からです。
 北京オリンピックでは、10年ぐらい前ですが、大々的にこれがテーマになったマスゲームがあった。それぐらい中国では有名な人です。インドからアフリカあたりまで大船団で、何十艘という船を仕立てて、オレに挨拶に来い、中国に挨拶に来い、と触れ回っていく。 ヨーロッパ人よりも前のことです。まだ1400年代だから。
 ヨーロッパ人がインド洋に乗り出してくるのは、このあとなんです。 それよりも先に中国がやったんだけれども、ヨーロッパとの違いは、これは単発で終わった。それで満足なんです。中国の貿易圏を広げ、挨拶に来らせてそれで満足です。発想の違いです。

※ 鄭和の艦隊は、非常に原始的ながらも大砲などの火力の武器を持っていましたが、軍事力で東南アジアやインドと有利な交易体制を構築しようとしませんでした。一方、ヨーロッパは武力で脅して交易を行います。たとえ脅しの手法が残虐なものであったとしても、利益さえ獲得できれば良い、とヨーロッパは考えたのです。(宇山卓栄 経済)

 だから中国貿易帝国というのは成立しない。 このあと貿易で七つの海を支配していくのは、あの小さな島国のイギリスです。


【北虜南倭】 これを海の世界だとすると、明が苦しんだのは、北側の騎馬民族です。これを北虜という。それから南の方は海なんですよ。南の方では倭という。
これを北虜南倭という。
 倭は日本です。北虜の虜はモンゴル、騎馬民族。騎馬民族と、海賊の日本人に苦しめられた。日本人は海賊です。 日本史には出てくるけれども、日本人は海賊になって、朝鮮半島、中国沿岸をやっさと荒らし回る。福岡、唐津、長崎は、そのメッカです。唐津には松浦党という海賊集団がいる。これにほとほと中国は困る。日本の海賊ぐらいなんだ。そうじゃない。日本の海賊は強い。

  それで国の北側は、秦の始皇帝から大々的にやりかえて、今のような頑丈な万里の長城を作り直す。これが北の守りです。今の万里の長城はこの明の時代に完成する。
  また日本の海賊対策に対しては、海禁政策といって海を閉ざすんです。日本流にいえば鎖国です。逆にいうと鎖国政策をとったのは日本だけじゃないですよ。
 逆に自由貿易する方がこの時代にはどうかしている。ちゃんと海は守れ、どんな悪い人間が海から来るかもしれない、というのがこの時代の常識です。
 実際にこのあと悪い人間がヨーロッパからいっぱいきて、香港は取られる、マカオも取られる、つい最近までそうだった。香港が中国に戻ったのは、ついこの間です。君たちが生まれた頃、1997年です。ほんの20年前にイギリスはやっと香港を返した。そうやってぶん捕られる。
 海を閉じて日本の海賊を防ぐ。これを倭寇と言う。 結局こうやって商業は抑制される。モンゴルは商業が大好きだった。その前の宋も商業が大好きだった。しかし明は商業を抑制する。中心は農業です。
 ただ全く貿易がゼロになったわけではない。許可制です。規制をかける。日本にも。だから特定の人間だけは日本と貿易をする。この貿易が勘合貿易です。許可制です。自由貿易じゃない。 勘合というのは、勘ぐる合い札です。かまぼこ板みたいなものに字を書いて二つにちょんぎって、上を中国語が持って、下を日本が持って、船に持たせて港に入る時に、おまえ海賊だろうが、証明はあるか、と言う。この勘合があります、どうぞ合わせてください、そうかおまえはちゃんとした商人だ、そういう証明書です。

 しかし約200年続いた明も、1644年に滅んでしまう。また農民反乱です。 この首領を李自成という。この人は王様にはなりません。
 もうちょっと複雑です。この混乱に乗じて、中国の万里の長城なんのその。国が弱いとそれを乗り越えて、北からまた異民族が押し寄せてくる。


【貨幣経済】 それが次の清という国になるんですが、その前にちょっと横に行くと、この時代の東アジア海域です。
  明は商業を押さえようとしましたが、しかし庶民の間では何が発達していくか。貨幣が発達していくんです。お金は商売の味方です。お金があると商業は発達する。 

※ 洪武帝が敷いた穀物生産中心の農本主義の原則は帝の死後は守られず、貨幣経済の拡がりとともに、利益率の高い商品作物の栽培に移行していきます。(宇山卓栄 経済)

※ 北宋、金王朝、南宋、元王朝、明王朝などの忠世の中国王朝は、すべて紙幣増刷により財政を補塡し、市場の信用を失い、衰退もしくは滅亡しています。(宇山卓栄 経済)

 それで農民たちは、食うためじゃなくて、お金を稼ぐために、自分で食うためのものをつくらずに、これをつくれば高く売れるぞという作物を作っていく。これを商品作物といいます。今の農家では当たり前です。しかし昔の農家では、自分が食うために米を作る。自分が晩飯のおかずにするために野菜を作っていた。
 でもそうじゃない。それで桑を植える、といってもわからないでしょう。を飼うためです。まだわからないかも。桑の意味が。蚕は何を食うか。知らんからといって君たちのせいじゃない、見たことないからね。
 蚕は絹です。英語でいうとシルクです。あのシルクロードのシルクです。金と同じ値段で売れるシルクです。 これを米俵いっぱい積んで持っていけば、億万長者です。
 我々が子供の頃は当たり前だった。ここらへんの田舎の田んぼが、今のようにきれいになる前は、クリークの護岸に桑を植えてあった。桑の木をなぜ植えたかというと、蚕が食うのは桑なんです。カイコと読む。テントウムシと誰かが読んだけど。これが糸を吐く。それがです。動物繊維です。

  この勘合貿易によってまた貿易が発達していく。そういうところで、ヨーロッパ人が来る。イギリスの前に、ポルトガル、スペインが来る。順番はポルトガル、スペイン、次にオランダがきて、4番目がイギリスです。
 ここでガッポリ全世界をゆがめてしまう。イギリスは小さい国ですが、海賊の国です。バイキングといいます。中国に良いものがあるぞ。 まず陶磁器、これヨーロッパにはなかった。それから生糸。この生糸を縦糸、横糸で織ったものが絹です。絹織物です。これがヨーロッパで高く売れる。中国は買う方ではなくて、売る方ですよ。

 では何でこんな高いものをヨーロッパ人は買えたのかというと、この100年ぐらいあと、スペインが何をするかというと、南米を植民地にして、そこのインディオを強制労働させて、山を掘って銀を掘らせる。銀山を見つけて。彼らがバタバタと死んでいくと、こんどはアフリカ人の黒人奴隷を連れて行って、強制労働させる。銀がガッポリ手に入る。その銀で中国の絹を買う。そこで殺された南米人ほど気の毒な人はない。つまりメキシコ銀で買う。
 今、日本は金も銀も出ないけれど、この時代にはガッポリ出る。これは日本も買っています。日本と中国の交易も盛んになる。中国は銀であふれていきます。

※ 初期に紙幣の発行で経済を支えていた明は、銀の大量流流入を受けて、従来の銅銭にかえて銀により税を徴収するようになる。16世紀末の地税と人頭税を一括して銀で納入させる一条鞭法である。高価な銀が大量の銅銭と交換されたことから、中華帝国を悩ませてきた銅不足が解消された。世界規模の銀の流通が、中国のお金のシステムを紙幣から銀と銅銭の組み合わせに変えたのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ 銀の普及を受け、16世紀末の万暦帝期において、宰相張居正が一条鞭法と呼ばれる新しい税制を施行しました。一条鞭法は銀納一括の税制であり、これによって事実上、銀が通貨となり、銀本位制経済が構築されました。この頃、中国のみならず、銀は東アジアや世界における国際通貨としての地位を確立します。(宇山卓栄 経済)


【日本・琉球】 では日本はというと、明の終わり頃に日本は戦国時代を脱して、全国統一に向かう戦国大名が出てくる。織田信長はカット、徳川家康もカットして、そのまんなかの豊臣秀吉です。
 彼が何をトチ狂ったのか、日本を平定した後は、中国を征服しに行くんですね。中国を征服しに行く時には、直接東シナ海を突っ切ったら難破するから、まず壱岐・対馬を渡って、朝鮮から陸路で行く。
 そのために朝鮮を征服しないといけない。朝鮮出兵するんです。失敗しますけど。 これが韓国と日本の、今でもまだ外交上の火だねになったりもしている。韓国人は豊臣秀吉が大嫌いです。
 しかし江戸時代になると、あんなに喧嘩していた朝鮮と早くも国交が回復していく。こういう中国と朝鮮と日本との関係があるという事も知っていてください。
 江戸時代は、中国とは国交はないんだけれども、中国船が日本にボンボン来てます。これが長崎です。だから長崎には、その昔の港の隣に長崎ちゃんぽん街があるでしょ。あの近くです。唐人屋敷ができます。唐人というのは中国人のことです。実は九州のあちこちにも唐人町があるでしょう。この近くにもあります。中国人の町ということです。
 そればかりか、日本人は受け入れるだけではなくてもう、貿易の利益を求めて・・・これは当たれば大きいが難破して死ぬ危険も高い・・・東南アジアまで出かけて、貿易取引をしていく。東南アジアのタイとか、プノンペンあたりに日本町ができてくる。これが江戸の初期です。

 それから沖縄のこと。昔は琉球といって別の国だった。琉球王国という独立国だった。それを日本の一部にしたんだけれども、中国も俺のものだとしていた時期がある。
 沖縄もさるもので、わざとあいまいにして、オレは中国の一部でもあり、日本の一部でもあるということにする。それで何をしていたか、中継貿易をしている。中継貿易をするにはこの関係が一番都合がいい。それでがっぽり儲ける。
 いま沖縄は米軍基地でいろいろもめてますね。アメリカは沖縄に基地を持つことで中国を封じ込めています。


【明の滅亡】 では次。その明がいよいよ滅亡します。1644年に。さっきもちょっと言いましたがきっかけは農民反乱です。李自成の乱です。滅んだのは1644年ですけど、この人が皇帝になったわけじゃない。
これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 24話 清

2019-03-29 04:44:06 | 旧世界史9 明・清

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【清】
 中国が混乱したら、必ず異民族が北から押し寄せる。今度は満州族です。中国北方、北朝鮮のもっと北、戦前まで満州といっていた。これ以後、日本の領地になった時代もある。本来は女真族という。
 約500年前に北宋を滅ぼして、南に押しやった民族です。その時はという国をつくっていた。死んだふりしていましたけど、これがまた復活して中国に入ってくるんです。
  地図でいうと満州はここらへんです。彼らはに滅ぼされた後も朝鮮北方で力を蓄えていた。ここからは北京に近い。北京を一気に落とすんです。北京を落とせば象徴的な意味で、中国の中心だから、中国をとったことになる。これがです。1636年の建国です。 


▼清の領域


 この国は1900年代まで続く。明治の日本が戦った日清戦争の清はこの清です。建国者は、異民族だから中国名じゃない。本名はヌルハチ。ヌルヌルしているような感じですが、そうじゃない、言葉が違うんだから。高貴な名前です。ヌルハチさん。
 復活して最初はを建国する。でも500年前の金と区別するためにこれを後金といいます。それを中国風にと名前を変えて、北京を占領する。
 そうすると、ここにもといたのは漢民族です。満州族は漢民族じゃない。中国語しゃべってない人たちです。中国語をしゃべってない人たちが中国を支配する。では中国語しゃべってる人たちはどうなるか、台湾に逃げたりする。

 彼らは漢民族じゃない。中国語を使ってる人たちじゃない。彼らはモンゴルまで征服する。彼らは異民族を三つ支配する。
1.まずモンゴルを従える。この満州族が。
2.して次に、チベットという名は、本当は吐蕃といって別の国があった。ここを征服する。
3.この新疆というのは、これはトルコ族です。トルコってこんなとこにあった。それが千年かけて、何千キロも移動して、今のトルコに行った。全部征服する。だから今もこことここは、中国から独立しようという運動がある。時々血が流れる。死人が出る。そういう地域になっている。ここを新疆という。民族はウイグル族という。
 こういう国を満州族が作った。これが清です。 建国者はヌルハチという。中国人じゃないから、こういう名前ですよ。最初は後金といっていたのを、清と名前を変える。これがこのあと約300年続く。


【台湾】 では追い出されたもともとの中国人、この以前の明の支配層はどうするかというと、台湾に逃げるんです。そのリーダーが鄭成功という人。
 江戸時代の日本にもやってきて、オレに応援してくれ。満州族を打ち破るから。そういう工作をする。母親は日本人です。母親は平戸の人です。
 それは良いとして、しかし彼らも抵抗むなしく滅んでいって、台湾まで含めて中国統一をした。これが1600年代後半、1683年。ここからは300年間、ずるっと行きます。


【最盛期】 最盛期は約150年ぐらい続く。3人の有能な皇帝が出るんです。全部何とか帝という。 中国の旧漢字体は難しいです。日本人がいま余り使わないような字もある。難しすぎて、今は逆に簡単な漢字になっている。
これは康熙帝という。それから雍正帝。それから乾隆帝という三代が、一番強かった頃です。
康熙帝は1600年代です。雍正帝は1700年代、18世紀。乾隆帝も18世紀です。1700年代が清が一番強いころです。

 この頃ヨーロッパは戦争のさなかにあります。それと同時に海外植民地の獲得合戦をしています。それに比べると中国は安定しています。生産力、今でいうGDPも中国が上です。ヨーロッパはこの富が欲しくてたまらない。合法的に取引しようというのではありません。彼らは武力を使ってきます。敵を分断させたうえで武力を使ってきます。
 この時まで日本と中国の関係は悪くはありません。


【領土】 領土は、地図でさっきも説明した通りです。直轄領として、一番大事なところは、自分たちの本拠地である満州、それと漢民族が住んでいた中国本土。しかしそれでも足らない。
 藩部として、トルコ系のウイグル。もう一つ言えば、ジュンガルという部族もいます。彼らはウマに乗った人だちです。ここを押さえてここを新疆とした。
 さらに吐蕃を征服してチベット。今もここは中国です。
 北方のモンゴルも領土の一部でした。いま外モンゴルはすでに独立しています。


【統治】 服装も、もとの中国じゃないから、中国の服装と違います。実は髪型も違う。満州の髪型は弁髪です。今でも男の人が、流行りなのか知らんけれども、女みたいに後ろを、長く束ねて長くしている人がいる、あれです。しかしもっと奇抜なのは、後ろに束ねて、頭の前半分を剃るんです。ここを剃る。そういう髪型です。髪型を強制的に変えられるのはイヤでしょう。それを問答無用で強制的にやっていく。
 そして、なんだ満州人の野蛮人がと、満州族を批判をするような小説や本などを封じる。批判の禁止です。そういう本を書いたりすると投獄される。監獄に送られる。これを文字の獄といいます。
 こういう弾圧をして、中国人をまとめていったのが満州族です。さらっと行くけど、これが300年以上続きます。


【税制】 ではこの満州族時代の税金の取り方、ヨーロッパ人は中国のほうが進んでいるから、貴重なものを買うんですね。何で買うか。銀で買う。だから中国には銀が溢れてくる。
そこで、今まで米で税金を納めていた農民たちも、お金つまり銀で税金を納めるようになる。これを地丁銀制といいます。
 いまお金というとゴールドつまり金が中心ですけれども、アジア世界は銀です。お金を取り扱う所というのは銀行でしょ。なぜ銀行というか。金だったら金行と言っていい。日本も銀が中心なんです。中国も銀です。だから銀行です。納税も地丁銀制です。銀の全国的流通が実施されたいうことです。

※ 清王朝は、過去の王朝の紙幣乱発の反省から、紙幣を発行しない。(宇山卓栄 経済)


【華僑】 では田舎の方では地主が占めている。彼ら地主のことを、故郷の郷、そこのお金持ちである紳士の紳、郷紳という。地主ですね。農民に重い年貢を課す。だから貧しい農民は苦しいんですよ。
 イヤなら出て行け、といわれて実際に出て行く。中国の貧しい人たちは。ああ出て行ってやろうということで、貧しい農民が中国から逃亡して、主に東南アジアに行く。
 去年やったように、いま東南アジアでお金持ってるのは、東南アジア人ではなくて中国人の子孫なんです。彼らを何というか。華僑です。
 日本でも長崎の中華街は華僑です。横浜の中華街も華僑です。ご先祖様さま中国人です。商売は上手です。東南アジアの経済は今でも華僑が中心です。だから東南アジアと商売したい、貿易したいと思ったら、彼らは中国語なのかというと、彼らは英語をしゃべっている。
ここまでがアジアです。ここでいったん終わって、ヨーロッパに行きます。
ではまた。




FRBの資産とは何か

2019-03-22 08:07:09 | 国際金融

リーマンショック後、FRB(アメリカの中央銀行)の資産が増大してきた。
しかしこれは資産の増大ではなく、負債の増大である。
アメリカ政府の負債が増大したのだ。
そのアメリカ政府にお金を貸したのがFRBである。
これを資産の増大と表現するから分からなくなる。
本当は政府の負債が増大したのだ。

資産の増大と表現すれば何か良いことのようだが、
こういう言葉の言い回し一つに、新聞報道の偏向性が見られる。
真実を語りたくない本音が見える。

本当はFRBの資産は早く縮小すべきなのだが、資産の縮小というと何か悪いことのように聞こえてしまうから不思議だ。その資産の縮小が進まないというと、お金が減らないのなら良いではないかとなって、逆にプラスの意味に取る人もいるかも知れない。

一度ばらまいたお金を回収するのは難しい。
FRBは年内の利上げも見送ったようだ。
開いた蛇口を閉めるのは難しい。
一度カンフル剤を使うと、止められなくなる。
麻薬といっしょだな。
こういう麻薬経済の中で、もうしばらくはアメリカの株高が続くのだろう。

日本はもっとひどい。
この麻薬経済に麻薬を提供し続けているのが、アベノミクスなのだが。
その事実は完璧に消されている。


「授業でいえない世界史」 21話 近世イスラム ティムール帝国とオスマン帝国

2019-03-19 07:46:03 | 旧世界史8 近世イスラーム

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今まではヨーロッパをやってきました。ゲルマン民族の移動から初めて、ヨーロッパの紀元後4世紀頃から1300年頃まで来ました。中国史もモンゴル帝国が終わって1200~1300年まで来てるわけです。
前回から少し触れているけど、もう一つの世界の中心どこだったか。ヨーロッパの東にあるイスラーム世界です。そのイスラーム世界に入っていきます。
中国は先にやった。次にヨーロッパをやった。次はイスラム世界をやります。



【ティムール帝国】

 一旦、東南アジアを終わって、また中央アジアにいきます。内陸です。中央アジアはすでにイスラーム化しています。
 頭をまたモンゴル時代に戻してください。
 世界最大のモンゴル帝国はすぐ4つに分裂して、ここにできたのはチャガタイ=ハン国という。そのあと、この地域がどうなったか。
 ティムール帝国ができた。ティムールは人の名前です。1370年です。この人はイスラーム教徒ですが、血筋からいえばチンギス=ハンの子孫を自称するモンゴル系の人です。モンゴル帝国の権威がまだ強く残っています。
 ティムールがチャガタイ=ハン国が内乱状態になったすきに、自分の国を作った。それがあっという間にみるみる大きくなって、1370年にティムール帝国ができた。
 このときにはこの国が一番強く、そして大きかった。都はサマルカンド。インドの北西、今のウズベキスタンにあるサマルカンドです。
 これはイスラーム教国です。もう一つライバルのイスラーム教国が西にある。歴史的にはこれが強くなる。これをオスマン帝国といって、20世紀まで存続します。
 ティムールはこの国と戦い、勝利する。1402年アンカラの戦いです。オスマン帝国に勝つほど強かった。
 これを破って、金のなる道つまりシルクロードの交易、その利権を一手に納めた。その後ティムールは、モンゴル帝国の再興を目指して明への遠征を開始したんですが、その途中で病死してしまいます。一時非常に繁栄したんだけれど、遊牧民ウズベク族によって1507年に滅ぼされてしまった。
 それに代わって力をつけていくのが、さっき言った西隣のオスマン帝国なんです。
 オスマン帝国、わかりにくかったら中心は今のトルコだと思ってください。オスマン・トルコ帝国とも言います。トルコ半島は黒海を囲む出べそのようなところ。そこが本拠地です。
 このあと、ビザンツ帝国つまり東ローマ帝国を滅ぼすのは誰か。このオスマン帝国です。オスマン帝国は西に攻めて行きます。それでヨーロッパと境界を接します。緊張関係が発生します。



【イスラム三国】

 1400年代からどういう国がこのユーラシア大陸に出てくるか。東は中国だからイスラーム世界ではないです。中国の西がほぼイスラーム世界なんです。何カ国あるか。3つの大帝国が並んでいます。
 今の感覚からいうと、国境がなんでかぶっているのか。でもピタッと国境線が画定されたのは、ここ100年です。国境はもともとぼやけているんですよ。強い者が押したり引いたりしていくから、これが16世紀後半ですけど、100年の間には国境はかなり移動するんです。

 

▼16世紀後半のユーラシア


 1つ目の国。それでまず西のほうから行くと、一番メインはこのオスマン帝国です。中心はトルコです。第2のローマといわれた首都コンスタンティノープルはイスタンブールと改められます。

 ヨーロッパとアジアの境目はどこか。おおざっぱに言ってだいたいこの国です。
ここの海峡は切れている。地図が小さいからわかりにくいけど。ここの出べその半島とヨーロッパ側は切れていて、今は海峡に橋がかかっている。川じゃないです。ボスポラス海峡という海峡なんです。アジアとヨーロッパの切れ目です。西がヨーロッパ、東がアジアです。
 トルコ人の出身はもともと東のほうから来た民族で、ヨーロッパにも攻め入ろうとします。ヨーロッパはまだイスラム世界に押されているんです。ヨーロッパは負けているんです。もともとヨーロッパは田舎なんです。中心は今のトルコです。別名オスマン・トルコともいう。

 2つ目の国。今度は西のほうのペルシャです。ペルシャというのはギリシア人が呼んだ言い方で、自分たちではイランという。イランとその隣のイラク、似たような名前ですけれども・・・場所わかりますか・・・そのイランです。イランがペルシャです。ペルシャが日本でも通りがいい。これがサファービー朝ペルシャという。1501年、ティムール帝国が衰退したあとで建国されます。これもイスラーム教国です。世界の富の半分を集めたといわれた首都はイスファハンといいます。

 3つ目の国がインドです。ここもイスラーム教国です。アレッと思いませんか。インドの大多数、8割がたの人口はヒンドゥー教なんです。今、何教やっているかというとイスラーム教なんです。つまりインドは異教徒の国になったんです。
今までヒンドゥー教のインドが、イスラム教徒によって征服されていきます。これをムガール帝国といいます。

 今からこの3つをやります。全部イスラム教国家です。ヨーロッパ人が、キリスト教国どうしで仲が悪いように、同じイスラム国どうしも仲が悪い。隣同士の国というのは、よくケンカして仲が悪いのです。



【オスマン帝国】
まずそのオスマン帝国から行きます。これが一番西のオスマン帝国の領域です。
モンゴル帝国が世界最大の帝国を形成したあと、それを受け継いだのはティムールが受け継いだティムール帝国であった。
 オスマン帝国はまだ最初は強くなかったから、ティムールに負けて、もはやこれまでかと、弱小帝国で終わりそうになった時がある。これが1402年アンカラの戦いです。
しかしどうにかそのピンチを切り抜けて、復興していくのが1400年代の後半です。


【ビザンツ帝国滅亡】 ヨーロッパをみていくと、この帝国の隣には、今までヨーロッパの歴史をやったときに、何という国があったか。
 ローマ帝国の生き残り、東ローマ帝国があった。オスマン帝国はボスポラス海峡を越えて、ヨーロッパに攻めていった。それで東ローマ帝国は滅んだんですが、東ローマ帝国は名前を変えていたんです。ビザンツ帝国といった。これを滅ぼした。そしてヨーロッパ内に領土を広げた。オスマン帝国の皇帝はメフメト2世という。これが1453年です。ビザンツ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされた。
 首都は、ここでコンスタンティノープルというローマ帝国の都から、イスラーム教徒の都になると名前が変わるんです。イスタンブールというふうに。今もイスタンブールです。

 ヨーロッパのことをいうと、東ローマ帝国つまりビザン帝国が滅んだから、ここの高い文明をもったその学者たちがヨーロッパに逃げて来る。ビザンツの学者がヨーロッパに亡命します。
 これによってヨーロッパの古典文明である、ギリシャ・ローマ文明が、ヨーロッパに伝えられる。これが後にいうルネッサンスです。復活という意味です。だから1453年という年号はけっこう大事です。


【領土の拡大】 次に1500年代、セリム1世の時代です。王様の名前は神経質にならなくていいけれど、この間ヨーロッパでは何が起こっていたかというのが大事です。
1492年にはスペインから飛び出た船乗りが何を発見したか。ないはずの大陸を発見した。これがコロンブスです。
 1500年代は、ヨーロッパ人がどんどん世界に乗り出していくときです。
中心はインドです。インドは今まで近づけなかったんだけれども、ヨーロッパ人が直接インドと取り引きをして、貿易でぼろい儲けをしだす。
ということは、ここのインド洋はもともとイスラム商人のものだったけれども、彼らが落ち目になっていく。世界ナンバーワンのイスラームが落ち目になっていき始めた。これが1500年代です。

 その間もオスマン帝国はあと100年ぐらい、勢を強めていって隣の帝国を破る。オスマン帝国の東隣は何だったか。サファビー朝ペルシャです。これを破る。これが1514年です。戦いの名前はありません。
 今度は西のほうです。アフリカの入口、エジプトです。そこも滅ぼす。何という国があったか。マムルーク朝です。これを滅ぼした。1517年です。


【スレイマン1世】 そしていよいよヨーロッパ本土にまで攻めて行こうとする。これにヨーロッパはビビった。ここらへんはよく説明の順番が逆になる。ヨーロッパのことはこのあと言います。これ教科書によると、どこから先に言わなければならないか、とにかく同時には言えないのは分かるよね、構造的に。テレビを2台つけていて、同時に分かるかというと、分からない。同時に起こっていることでも、どちらかを先にしないといけない。
 だからヨーロッパのことはあとで言うんだけれども、この時代のヨーロッパは宗教改革が起こって、戦争ばかりで内輪もめしている最中なんですよ。

 そこに外からイスラム教徒が攻めてくる。ヨーロッパはこれで一巻の終わりか、と追い詰められる。ヨーロッパに攻めてきたオスマン帝国の王様が、スレイマン1世です。1529年です。これを第一次ウィーン包囲といいます。1500年代まではまだオスマン帝国が強いです。ヨーロッパを攻めている。
 オーストリアの首都はウィーンです。オーストリア人があまり世界中の人間がオーストラリアと間違うから、頭にきてシャレで何をしたか、ウィーンの空港でTシャツを販売して、そのTシャツに何と書いてあってたかというと、「ここにカンガルーはいません」と書いていたという。オーストラリアとしょっちゅう間違うんですよ。オーストラリアは日本の真南にある。オーストリアはヨーロッパです。
 そのオーストリアの首都はウィーンです。ここを包囲したんだけれど、オーストリアはやっとのことで占領されるのを防いだ。

 この当時、ヨーロッパで一番強いのはイギリスではなくて、まだスペインなんです。コロンブスもスペインの女王様のお金で航海した。そのスペインにオスマン帝国が勝つ。1538年プレヴェザの海戦です。まだオスマン帝国が強い。ヨーロッパはまだ田舎ということです。
 こうなると、オレ怖いな、やっぱり強い者について行こうかな、というのがフランスです。ヨーロッパとは手を組まずに、コソッとオスマン帝国の王様と手を組んだりする。これが1536年です。
 
 オスマン帝国の最大領域は地図の外側の線です。これがオスマン領です。ギリシャも含まれます。古代ギリシャは、イスラーム教という異教徒の支配になります。そしてトルコ半島、カスピ海沿岸まで。サファビー朝と境界を接して、ペルシア湾まで。今のイラクあたりも全部オスマン帝国の領土です。メッカとメディナ、イスラム教徒の一番重要な聖地メッカもオスマン帝国が領有する。アラビア半島のまん中は、なぜ取らないか。人が住まないから、砂漠だから要らないのです。そしてアフリカの北の方はずっと西まで、こんな広い大帝国をつくる。
 ヨーロッパにこれだけ大きい国というのはないです。イギリスでもフランスでもドイツでも、これに比べたら、3分の1、4分の1、5分の1、小さなものです。それだけ大きいのがオスマン帝国です。こういう帝国があった。オスマン帝国、またはオスマン・トルコ帝国です。


【軍事】 このオスマン帝国の特徴。イスラーム教徒は今でもサウジアラビアとか、アラブ首長国連邦とか、お金もちです。なぜお金持ちなのか。石油が出るからです。世界で最も高いビルなんかというのは、東京とかニューヨークにはない。アラブ首長国連邦という、昔は何もない漁村だったところに、高さ500メートルぐらいのタワービルがある。ドバイです。石油が出るからお金もっている。
 ではそこで世界最高のタワービルを建設するために、アラビア人が一所懸命汗水垂らして働いているのかというと、お金もっているから、全部他人にさせるんです。
給料出すから来いと言って、インド人とかトルコ人とか、そんな外国人ばっかりですよ。外国人が一生懸命働いている。

 こういうことは昔から基本的に変わらない。社会的に立場が上がると、自分たちで国を守ろう、兵隊になろうじゃなくて、外国人を兵隊として連れてきて、給料払うからおまえたちが国を守れというんです。
 キリスト教社会のヨーロッパはまだ弱いから、キリスト教徒のを子供たちを、お金で買って連れてきて、そして大切に育てて、彼らに軍事教練していく。敵が来たら戦え、と徹底して教えていく。自分たちは戦わない。彼らは彼らで、優秀なキリスト教徒の子供たちだから一生懸命戦うんです。これが強いんです。イスラム帝国を守っている軍隊はキリスト教徒である、という変なことになる。
 ドバイというイスラム国家の最高層ビルを建てているのはインド人です。それとあんまり変わらないです。ぜんぶ外国人にさせる。
 この軍隊をイェニチェリという。半分奴隷です。子供の時から連れてきて、軍事教育を受けさせる。結婚したらダメ。半奴隷です。こうやって奴隷にさせる。

 軍の統率権を握る立場の者をイスラム教徒の子弟から選ばず、あえてキリスト教徒の子弟から選んだのは、イスラーム豪族の台頭をおさえ、キリスト教勢力を懐柔し、両教徒の勢力の均衡の上にオスマン帝国の権力を強化して行こうとしたためです。イェニチェリは妻帯禁止とされ、その子孫たちによる世襲を起こさせませんでした。

 イスラム社会には、ヨーロッパ世界とは別ですけれども、そういういわば納得済みの奴隷たちがいっぱい出てくる。彼らをマムルークという。これを奴隷軍人という。
奴隷なのか軍人なのか、なぜ奴隷が軍人になるのか、日本人の感覚ではなかなかわからないけれども、イスラーム世界の得意技はこれです。強い優秀な外国人を連れてきて、半自由の奴隷にさせて、国を守らせる。働かせる。そしてまたよく働くんです。でも奴隷です。結婚したらいけないという人間は、奴隷でしょ。


【都市】 ただイスラーム社会と、キリスト教の社会が違うのは、キリスト教社会は一言でいうと個人主義になっていくんです。自分が豊かになりたかったら、自分が働いて、自分のために金を稼ぐ。それは全部自分のものだとなる。
 しかしイスラム社会はその成立の最初から、お前だけ儲けてなんのつもりか、儲けたぶんは社会に返せよ、と寄付が発達していく。こういう寄付制度をワクフという。イスラム教の教えでは金を持っていたら、寄付をするというのは当然の義務なんです。オレの金をオレがどんなに使おうと、オレの勝手じゃないか、という今の人間とは違う。それではいけない社会です。それが寄進です。
 だから学校でも、モスクというイスラーム教のお寺のようなものでも、国家経営ではない。お金持ちの寄進です。それで成り立っている。そこらへんが違う。学校のことはマドラサという。
 もう一つ、金持ちの寄付で店をつくる。最近まで日本の至る所にあった・・・君たちは知らないだろうけど・・・アーケード街がある。これをスークという。ペルシャ語でバザールという。アーケード街のような商店街がずっと軒を連ねているんです。誰がアーケードをつくったのか。金持ちの寄進です。こういうことをやって社会的に非常に発展していく。それからラクダで物を運ぶ人たちのためには安宿、キャラバンサライという砂漠の中に転々と宿がある。50キロに一軒ぐらい。こういうのも寄付です。

もともと、そのイスラーム教徒にとっては・・・他に言葉がないから帝国とか国とかいう日本語をあてるんだけれども・・・アラビア語には国という言葉がないんですね。
 ではその国と翻訳される言葉は何かというと、ウンマです。これは共同体という意味です。イスラーム教という信仰を同じくする人間がウンマという共同体をつくる。その共同体がそのまま国だという発想なんです。
 だからイスラーム教徒の共同体が大事だったら、征服したところに別のキリスト教の共同体があっても、それはそれで大事だ、と尊重する。それがキリスト教と違うところです。キリスト教徒は異教徒を国から追い払っていくんです。レコンキスタで。

 だからイスラーム教徒の共同体が大事だったら、キリスト教徒の共同体も大事だ、認めましょうとなる。だからキリスト教OKです。「宗教に強制なし」というムハンマドの言葉どおりです。イスラム教徒ではない人たちの共同体も認めていく。これをミッレトという。だからイスラム国家の中にはキリスト教徒が当たり前のごとく住んでいます。
 絶対キリスト教を捨ててイスラム教になれ、そういうことは言わない。宗教的には非常に寛容です。


【動揺】 1500年代の第一次ウィーン包囲はすでにしました。その150年後、もう一回ウィーに攻めてくる。1683年第二次ウィーン包囲をやる。またオーストリアの首都です。
 地図で見るとウィーンはここです。ここを攻めた。2回も。しかしこれも失敗する。
 ここから形勢逆転します。ヨーロッパが逆に強くなっていく。ヨーロッパが強くなって、オーストリアが初めて今までの領土を奪い返す。今のハンガリーなどを奪い返します。
 さらにこのあと100年~200年の間には、ヨーロッパはますます勢力を拡大して、その北東の小さな国がどんどん大きくなっていって、オスマン帝国を圧迫していく。この国がロシアです。本当は黒海の北側までオスマン帝国の領域であった。これをロシアが奪っていきます。このことはまた後で言います。

 3つ並んだ帝国の1番目、オスマン帝国はここまでです。

 これで終わります。ではまた。



「授業でいえない世界史」 22話 近世イスラーム ムガール帝国とサファビー朝

2019-03-19 06:17:13 | 旧世界史8 近世イスラーム

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 イスラーム世界の最初のところで言いましたけれども、イスラーム教徒をムスリムといい、ムスリムの共同体をウンマといいます。
以前、地理で国家の三要素といったのを覚えてますか。国の三要素、1、2、3。国は何で成り立つか。

1.まず土地です。これは領域です。
2.次はです。国民です。
3.そして次は、その国民が決定権をもっていること、つまり主権
この3つなんです。これで国になる。

我々日本人は国とは何かと言われると、国の範囲つまり領域だけで、これが国だ、これが日本だと思う。3つ全部そろわないといけないんだけど。

 しかしイスラーム教徒は違うんですね。国というのは共同体のことです。イスラームには国という言葉はないんです。ないから仮にこのウンマのことを国と言っているけれども、共同体の仲間つまり人がいるところが国なんです。
 日本の国民はほぼ定住なんです。日本人の多くは伝統的に農民だから、人は土地から離れない。しかし、イスラーム教徒はラクダに乗って商売している。ラクダに乗ってたえず移動している。すると仲間が移動した先がそのまま国の範囲になるんです。

国の発想が我々日本人とちょっと違う。土地の範囲から国を見るのではなくて、人の範囲から国を見る。だから国民がいるところはすべて国になる。イスラーム教徒の国の観念というのは、こういう発想です。
 その国民がいるところが国になるというのは、面積の範囲が国の範囲ではなくて、もともとイスラーム教を信じている仲間がいるところはどこでも国になる。つまり共同体が国です。俺たちは仲間だから、仲間がいるところは国なんだ、という発想です。
 一口に国といっても、そういう国の範囲の観念が微妙に違います。そういうのがイスラーム国家です。土地の面積じゃなくて、自分たちの仲間がいるところが自分たちの国です。

 そういうイスラム国が横に3つ並んだのが、1500年代です。

西のヨーロッパ側から行くと、
1.まずオスマン帝国。これが今のトルコなんです。オスマン・トルコ帝国ともいう。

2.次に東に行って今のイラン。むかしペルシャと言っていた。サファビー朝ペルシャです。
3.さらにその東のインドです。ムガール帝国です。
この3つは全部、イスラーム国家です。そしてしかもここが世界の中心です。

ヨーロッパはまだおまけです。しかしこれから100年たつと逆転していく。世界の大転換です。中心地が変わっていく。



【ムガール帝国】
ではそのインドに誕生したムガール帝国

これもムガールとはインド訛りなので、本当は何と言ってるつもりなのかというと、モンゴル、ムンゴル、ムンガル、ムンガール、ムガール。モンゴルと言っているつもりが、インド人がムガールと聞いた。本当はモンゴル帝国の意味なんです。


【バーブル】 建国した人はバーブルという。どういう人か。チムール帝国が前にありました。彼はチムールの子孫です。そのチムールは、チンギス・ハーンの子孫だ、と言っていた。ということはチンギス・ハーンの子孫だと名乗ったということです。だからこの国は一種のモンゴル帝国です。でも宗教的にはすでにイスラーム教に改宗しているイスラーム国家です。だからモンゴル帝国の復興を目指しながら、実態はイスラーム帝国であるという、理念がミックスされた国家です。
 あの大ご先祖様のチンギス・ハーンの帝国を、俺は再び復活するぞ。場所は違うけど。インドにつくるぞ、というのがこのバーブルです。この人はチムール帝国の一大名だったんですけれども、別の民族、ここらへんはやっぱり馬やラクダに乗った人たちが、しょっちゅう攻めてくるんですよ。この時はこれをウズベク族という。今もここには彼らの名前をとったウズベキスタンという国があります。
 バーブルはそのウズベクに敗れて、それはインドのちょっと北西にあった国ですが、そこで敗れて、じゃあインドを征服していこう、となる。
 当時そこにあったインドの王朝は、ロディー朝というんです。デリー=スルタン朝の最後です。ムガール帝国の建国は1526年です。

 こういうと悪いけど、インドは戦はあまり強くない。文明は高いけどね。文明の高さは、戦争の強さには必ずしも比例しない。ヨーロッパなどは文明度合いは、ものすごく低いけれども、戦争になるとこのあとやたらと強くなる。
 文明の高いところが戦争で勝つとは限りません。喧嘩だから、喧嘩は頭がいい者よりも、暴力的な人間が強い。野蛮な人間が強そうな気がしませんか。世界史的にもそれはあてはまる。頭は悪いけど喧嘩が強い人って、どこにでもいるでしょう。
 だからインド人は、あまり戦争は強くない。インドはヒンドゥー教でしょ。ムガール帝国はイスラーム教徒です。これは戦争が強いんです。それでインドは早々と負けるんですね。

 インドの王朝はすでにそれ以前からイスラーム教徒になっている。インドには次々と5つの国が攻防している。これをまとめてデリー=スルタン朝といいます。これはインドの王朝です。そしてこのロディー朝というのが、このデリー=スルタン朝の最後です。
 これを倒して6番目のデリー・スルタン朝になろうとしたんだけれど、このバーブルの国家が長いこと続いて、ムガール帝国になるんです。ムガール帝国は400年ぐらい続きます。その建国者がバーブルです。


【アクバル】 全盛期、そのイスラーム教を広めた王様が第3代アクバル帝という。まだ1500年代です。
ヨーロッパではこのころ宗教戦争ばっかりです。宗教改革が起こってプロテスタンティズムが発生します。戦争や魔女裁判とか、血がわんさかと流れている。そういう状態です。

 しかしインドは宗教的には寛容です。ヒンドゥー教徒を縛り上げて何が何でも改宗させてイスラム教徒になれ、などとは言わない。ただそれまではイスラーム教徒にならなかったら、余分に人頭税を払え、これが条件だった。早い話、金さえ払えば何を信じてもいい。
 でもこのアクバルは、その人頭税さえ廃止する。イスラーム教徒でなくても人頭税を払わんでいい、という政策をとる。非常に寛容な宗教政策をとる。
だから今でもインドにはヒンドゥー教徒がいっぱいいます。半分以上、7割、8割はヒンドゥー教徒です。こういう寛容策によってインドをまとめていく。
 そんならよかたい。インド人にとって、オレたちに悪いことしてないじゃないか、オレたちに口出ししないなら、王様にさせていていい。オレたちには関係ない。それで国がまとまった。


【シャー・ジャハン】 5代目の皇帝がシャー・ジャハンです。
この人は政治的にはたいしたことはしない。だけれども文化人なんです。非常に気が優しい。芸術に興味がある。そして泣き虫で寂しがり屋で、嫁さんが死ぬと、悲しくて悲しくて、嫁さんを祀るインド最高の建築物をつくる。これをタージ・マハルという。嫁さんの墓です。廟というのは墓です。ここに亡き妻の慰霊を祀っている。前に池があって、それは綺麗です。


【アウラングゼーブ】 そういう宗教的には寛容な政策を、これを変えたのが、1600年代になって、第6代のアウラングゼーブ帝です。この人が戦争をふっかけて領土を広げた。
 そこまではいいけれども、戦争というのは国家財政的に一番金をくう。そこで金が必要になる。しかもこの人にとってイスラーム教の教えは絶対だった。なぜイスラームの教えを信じない、ヒンドゥー教徒はバカだ。こんな馬鹿な奴からは、前の王様が廃止した人頭税をとろう。こんないい加減なヒンドゥー教を信じる奴からは、人頭税をとってやる。
 こうなるとヒンドゥー教徒にとっては、なんでオレたちが、こんなにお金を払わないといけないのか、と対立してくる。ここらへんから国が割れてくる。
 イスラーム教徒とヒンドゥー教徒との対立が始まる。時代は1600年代です。これもこの後ヨーロッパのところで言うけれど、イギリスがこのインドに乗り込もうとして、東インド会社という特権的・暴力的な貿易会社を作ったのが、ちょうど1600年です。
 当のインドは一番まとまらないといけないところで、逆に対立しだす。イギリスはインドが欲しくてたまらない。もともと海賊の国だから。喧嘩ふっかけていく。
 最終的にはインドはイギリス最大の植民地になる。イギリスが絶対に手放したくないのはインドです。そのイギリスがインドに入り込んでいく時期です。
イギリスはこの後200年かけてそういうことをしていきます。



【サファヴィー朝ペルシャ】
 ではその中間にあるイランです。サファビー朝ペルシャです。建国は1501年です。今のイラン、昔はペルシアといっていた。これもイスラーム国家なんですが、他のイスラーム教国家と違うのは・・・イスラームには2つの宗派があって・・・ここは少数派のシーア派です。多数派はスンナ派という。
 この国はトルコ系遊牧民の国で、神秘教団の一つであるサファビー教団の長であったイスマーイールが、彼らを率いて1501年に建国したものです。
 宗派が違うから隣の国と宗教対立する。東のオスマン帝国も西のムガール帝国もどっちもスンナ派で、この国はシーア派だから、東とも西とも仲が悪い。
 実は今もイランはイスラーム世界の中で独自路線をとっていて、周辺諸国と対立しています。今もアラブ世界が一枚岩にまとまらないことは、アメリカにとって都合がいいように見えます。


【アッバース一世】 この最盛期の王様がアッバース一世です。都はイスファハン。世界の半分といわれる富を持った。これも壮大な宮殿とモスクが一体となって公園みたいになっていますが、とても広い公園です。
 この国は約200年以上続く。200年もてばたいしたものです。なかなか200年はもたないです。100年というと短いですけれども、日本は戦後まだ70年です。明治維新から150年ぐらいです。
 日本もこれから200年もつでしょうか。だいたい70年ぐらいで変わる。70年で安泰になったら、だいたい150年から200年ぐらいは持つ。あとのことはわからない。その点、ここで行き詰まっているなあと思っている江戸幕府が、あと200年もつ、たいしたものだと思う。あれだけの王朝はないです。日本の歴史のなかでも。
君たちの世代だな。日本が変わるとすれば。変わってる気配はある。いい方に変わるかどうかは分かりません。

 貿易一つでも、あれだけ自由貿易・自由貿易といっていたアメリカが、急に保護貿易で関税を上げるとか言い出した。私は、アメリカが保護貿易にしようと言ったのを、はじめて聞きました。何かが変わりそうですね。そして中国と対立している。不思議なのは、ニュース見ててビックリしたのは、アメリカは日本に対して関税を上げると言った。アメリカは日本車を輸入している。関税は2.5%です。日本車は売れすぎだと言って、これを一気に25%に上げると言うんです。10倍です。
 では日本はこれに対してどうするか。牛肉が来ている、アメリカから。これを数字では言わなかったけれども、向こうが上げるんだったら、日本も輸入牛肉の関税を引き上げるというかと思うと、逆にうちは引き下げる、といった。何これ。これにはびっくりした。日本は逆に関税を引き下げる、ということは、日本の牛肉農家は潰れる。日本はアメリカへの輸出品への関税を引き上げられたうえに、アメリカからの輸入品の関税を引き下げる。これが日本の現実かな。
 これと比べて、中国はアメリカが中国製品に関税をかけるだったら、俺だってアメリカからの輸入品の関税を引き上げるぞ、と言っている。独立国としてのありようがぜんぜん違うのです。

 これが国際的な日本の実力かな。米軍が日本に常駐しているというのは、そういうことです。オスプレイも買いました。日本で飛びます。大変なことになるんじゃないかな。
時代が変わるとすれば、君たちの世代かな。私が生きた時代よりも変わるでしょう。変わりようによってはとんでもないことになる。

このサファビー朝が今のイランの原型になっています。
イスラム世界はここまでです。
ヨーロッパに行くまえに、あとワンクッション。次は中国です。
これで終わります。ではまた。




衆生とカースト

2019-03-19 05:50:39 | 旧世界史2 古代インド

インドに生まれた仏教には、驚くほど身分や職業に関する記述がない。
あれほど徹底した身分制度(カースト制度)を発生させた国でありながら、である。
そこに仏教の存在意義があり、それがまたインドで仏教が生き残れなかった理由でもある。

仏教の持つこの平等観は、キリスト教の隣人愛にも似て、世界宗教としての性質を持っている。
仏教の「衆生」と、キリスト教の「隣人愛」は同じことである。
しかしこのことに注目する仏教徒は少ない。

そして仏教のいう「衆生」がインドで生き残れなかったのと同じように、ヨーロッパでもキリスト教のいう「隣人愛」は崩壊の危機にある。

もともと仏教もキリスト教も「個人救済」であり、「経世済民」ではない。

日本的な仏教の「一切衆生、悉有仏性」(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)の考えたかが、生き残れるかどうか。
それともヨーロッパ的な階級社会になっていくか。

グローバリズムは平等性を担保しない思想であることに、どれほどの人が気づいているであろうか。