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ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい

「授業でいえない世界史」 23話 明

2019-03-29 05:37:54 | 旧世界史9 明・清

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【明】
 次に、中国の1400年代を見ていきます。コロンブスが出てくる前に。
ここでやるのは、明王朝清王朝で約400年行きます。ここでは、まだ1300年代です。元のあとは明です。チンギス・ハーンのモンゴル帝国のあとは明です。チンギス・ハーンのモンゴル帝国は、パカパカと馬に乗った遊牧帝国です。


【洪武帝】 その元に反乱がおこる。これが紅巾の乱です。1351年です。その反乱の親分が誰だったかというと、ガラの悪い農民なんです。名前は朱元璋という。彼が洪武帝です。を建国して皇帝になります。1368年です。


▼明の領域


  中国はこれが起こるから恐い。漢の劉邦でもそうです。農民です。ちょっと、ヤーさんぽい親分肌の農民です。しかも貧農です。兄貴とかなんとかいわれて、子分をかわいがって、だんだんグループが大きくなって、国まで取ってします。
 日本でこれは豊臣秀吉だけです。これやったのは。あとは一切、そういうことは出てこない。中国はこれがザラに起こる。農民出身です。

 元は農業が大嫌いです。農業していない。商売で生きていた。しかしこの人は農民だから商売は嫌いなんです。ちゃんと土地を耕してそれで豊かになるんだという。商業は抑制的です。モンゴル人のまねをしない。中国人はまず農業で額に汗してやるんだ。農業重視に変わる。
 政治は人次第です。誰を選ぶかは、政策以上に大事です。 そのためには農民が耕している土地がどこにあって、どういう土地で、それが誰のものか、それをつかむ。そのために土地台帳をつくる。
 この土地が今のような正方形のきれいな田んぼではなくて、ぐにゃぐにゃしてる。昔の田んぼはみんなそうだった。我々が小さいときの田んぼは、ホントにこんなにぐにゃぐにゃしていた。機械もなかったからそれで良かった。全部手で鎌で、田植えも手でやっていた。
 この土地台帳が魚のうろこのように見える。そこからについた名前が、土地台帳のことですけれども、魚鱗図冊といって、およそ農業が関係がないような名前になっている。これは漁業の本やろかと思うような土地台帳の名前です。
  この朱元璋は・・・中国はだいたい北に首都があったんだけれども・・・初めて北京以外の南京、南方を首都にした皇帝です。


【永楽帝】 ただ息子の代になると喧嘩でもめて、その後の3代目は永楽帝というんだけれども、やっぱり南じゃダメだ、首都はやっぱり中国の北にないと、と北京に戻す。
 これが大きな方向転換です。2代皇帝を殺して自分が王様になるような人なんです。ヤワじゃないです。政治の世界というのは。
 よく見てたら、ここ10年だけでも、大臣クラスで不審な死に方をした人間というのは日本でも5人いる。ある日突然2階で亡くなってましたという大臣もいた。名前は言わないけど。ヤワな世界じゃないです。政治の世界というのは。
 殺して王様になる。弟を殺す。 モンゴルの残骸が北京周辺にいる。馬に乗った人たちが。彼らと戦いを挑んで追い払ってしまう。彼らをモンゴルとはいわない。部族名でオイラート、それからタタール。騎馬民族です。これを追い払う。しかしモンゴルは北方に北元という国を建てて、対立する。

 そして次には、農業重視から、やっぱり商業も大事よね、商業にするんだったら、船だ、海だ、おまえ乗り出していけということになる。
 命知らずの男ではなくて、中国には宦官というのがいる。アレを切られた人、そういう人に命じて、この人の名前は鄭和という。1405年からです。
 北京オリンピックでは、10年ぐらい前ですが、大々的にこれがテーマになったマスゲームがあった。それぐらい中国では有名な人です。インドからアフリカあたりまで大船団で、何十艘という船を仕立てて、オレに挨拶に来い、中国に挨拶に来い、と触れ回っていく。 ヨーロッパ人よりも前のことです。まだ1400年代だから。
 ヨーロッパ人がインド洋に乗り出してくるのは、このあとなんです。 それよりも先に中国がやったんだけれども、ヨーロッパとの違いは、これは単発で終わった。それで満足なんです。中国の貿易圏を広げ、挨拶に来らせてそれで満足です。発想の違いです。

※ 鄭和の艦隊は、非常に原始的ながらも大砲などの火力の武器を持っていましたが、軍事力で東南アジアやインドと有利な交易体制を構築しようとしませんでした。一方、ヨーロッパは武力で脅して交易を行います。たとえ脅しの手法が残虐なものであったとしても、利益さえ獲得できれば良い、とヨーロッパは考えたのです。(宇山卓栄 経済)

 だから中国貿易帝国というのは成立しない。 このあと貿易で七つの海を支配していくのは、あの小さな島国のイギリスです。


【北虜南倭】 これを海の世界だとすると、明が苦しんだのは、北側の騎馬民族です。これを北虜という。それから南の方は海なんですよ。南の方では倭という。
これを北虜南倭という。
 倭は日本です。北虜の虜はモンゴル、騎馬民族。騎馬民族と、海賊の日本人に苦しめられた。日本人は海賊です。 日本史には出てくるけれども、日本人は海賊になって、朝鮮半島、中国沿岸をやっさと荒らし回る。福岡、唐津、長崎は、そのメッカです。唐津には松浦党という海賊集団がいる。これにほとほと中国は困る。日本の海賊ぐらいなんだ。そうじゃない。日本の海賊は強い。

  それで国の北側は、秦の始皇帝から大々的にやりかえて、今のような頑丈な万里の長城を作り直す。これが北の守りです。今の万里の長城はこの明の時代に完成する。
  また日本の海賊対策に対しては、海禁政策といって海を閉ざすんです。日本流にいえば鎖国です。逆にいうと鎖国政策をとったのは日本だけじゃないですよ。
 逆に自由貿易する方がこの時代にはどうかしている。ちゃんと海は守れ、どんな悪い人間が海から来るかもしれない、というのがこの時代の常識です。
 実際にこのあと悪い人間がヨーロッパからいっぱいきて、香港は取られる、マカオも取られる、つい最近までそうだった。香港が中国に戻ったのは、ついこの間です。君たちが生まれた頃、1997年です。ほんの20年前にイギリスはやっと香港を返した。そうやってぶん捕られる。
 海を閉じて日本の海賊を防ぐ。これを倭寇と言う。 結局こうやって商業は抑制される。モンゴルは商業が大好きだった。その前の宋も商業が大好きだった。しかし明は商業を抑制する。中心は農業です。
 ただ全く貿易がゼロになったわけではない。許可制です。規制をかける。日本にも。だから特定の人間だけは日本と貿易をする。この貿易が勘合貿易です。許可制です。自由貿易じゃない。 勘合というのは、勘ぐる合い札です。かまぼこ板みたいなものに字を書いて二つにちょんぎって、上を中国語が持って、下を日本が持って、船に持たせて港に入る時に、おまえ海賊だろうが、証明はあるか、と言う。この勘合があります、どうぞ合わせてください、そうかおまえはちゃんとした商人だ、そういう証明書です。

 しかし約200年続いた明も、1644年に滅んでしまう。また農民反乱です。 この首領を李自成という。この人は王様にはなりません。
 もうちょっと複雑です。この混乱に乗じて、中国の万里の長城なんのその。国が弱いとそれを乗り越えて、北からまた異民族が押し寄せてくる。


【貨幣経済】 それが次の清という国になるんですが、その前にちょっと横に行くと、この時代の東アジア海域です。
  明は商業を押さえようとしましたが、しかし庶民の間では何が発達していくか。貨幣が発達していくんです。お金は商売の味方です。お金があると商業は発達する。 

※ 洪武帝が敷いた穀物生産中心の農本主義の原則は帝の死後は守られず、貨幣経済の拡がりとともに、利益率の高い商品作物の栽培に移行していきます。(宇山卓栄 経済)

※ 北宋、金王朝、南宋、元王朝、明王朝などの忠世の中国王朝は、すべて紙幣増刷により財政を補塡し、市場の信用を失い、衰退もしくは滅亡しています。(宇山卓栄 経済)

 それで農民たちは、食うためじゃなくて、お金を稼ぐために、自分で食うためのものをつくらずに、これをつくれば高く売れるぞという作物を作っていく。これを商品作物といいます。今の農家では当たり前です。しかし昔の農家では、自分が食うために米を作る。自分が晩飯のおかずにするために野菜を作っていた。
 でもそうじゃない。それで桑を植える、といってもわからないでしょう。を飼うためです。まだわからないかも。桑の意味が。蚕は何を食うか。知らんからといって君たちのせいじゃない、見たことないからね。
 蚕は絹です。英語でいうとシルクです。あのシルクロードのシルクです。金と同じ値段で売れるシルクです。 これを米俵いっぱい積んで持っていけば、億万長者です。
 我々が子供の頃は当たり前だった。ここらへんの田舎の田んぼが、今のようにきれいになる前は、クリークの護岸に桑を植えてあった。桑の木をなぜ植えたかというと、蚕が食うのは桑なんです。カイコと読む。テントウムシと誰かが読んだけど。これが糸を吐く。それがです。動物繊維です。

  この勘合貿易によってまた貿易が発達していく。そういうところで、ヨーロッパ人が来る。イギリスの前に、ポルトガル、スペインが来る。順番はポルトガル、スペイン、次にオランダがきて、4番目がイギリスです。
 ここでガッポリ全世界をゆがめてしまう。イギリスは小さい国ですが、海賊の国です。バイキングといいます。中国に良いものがあるぞ。 まず陶磁器、これヨーロッパにはなかった。それから生糸。この生糸を縦糸、横糸で織ったものが絹です。絹織物です。これがヨーロッパで高く売れる。中国は買う方ではなくて、売る方ですよ。

 では何でこんな高いものをヨーロッパ人は買えたのかというと、この100年ぐらいあと、スペインが何をするかというと、南米を植民地にして、そこのインディオを強制労働させて、山を掘って銀を掘らせる。銀山を見つけて。彼らがバタバタと死んでいくと、こんどはアフリカ人の黒人奴隷を連れて行って、強制労働させる。銀がガッポリ手に入る。その銀で中国の絹を買う。そこで殺された南米人ほど気の毒な人はない。つまりメキシコ銀で買う。
 今、日本は金も銀も出ないけれど、この時代にはガッポリ出る。これは日本も買っています。日本と中国の交易も盛んになる。中国は銀であふれていきます。

※ 初期に紙幣の発行で経済を支えていた明は、銀の大量流流入を受けて、従来の銅銭にかえて銀により税を徴収するようになる。16世紀末の地税と人頭税を一括して銀で納入させる一条鞭法である。高価な銀が大量の銅銭と交換されたことから、中華帝国を悩ませてきた銅不足が解消された。世界規模の銀の流通が、中国のお金のシステムを紙幣から銀と銅銭の組み合わせに変えたのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ 銀の普及を受け、16世紀末の万暦帝期において、宰相張居正が一条鞭法と呼ばれる新しい税制を施行しました。一条鞭法は銀納一括の税制であり、これによって事実上、銀が通貨となり、銀本位制経済が構築されました。この頃、中国のみならず、銀は東アジアや世界における国際通貨としての地位を確立します。(宇山卓栄 経済)


【日本・琉球】 では日本はというと、明の終わり頃に日本は戦国時代を脱して、全国統一に向かう戦国大名が出てくる。織田信長はカット、徳川家康もカットして、そのまんなかの豊臣秀吉です。
 彼が何をトチ狂ったのか、日本を平定した後は、中国を征服しに行くんですね。中国を征服しに行く時には、直接東シナ海を突っ切ったら難破するから、まず壱岐・対馬を渡って、朝鮮から陸路で行く。
 そのために朝鮮を征服しないといけない。朝鮮出兵するんです。失敗しますけど。 これが韓国と日本の、今でもまだ外交上の火だねになったりもしている。韓国人は豊臣秀吉が大嫌いです。
 しかし江戸時代になると、あんなに喧嘩していた朝鮮と早くも国交が回復していく。こういう中国と朝鮮と日本との関係があるという事も知っていてください。
 江戸時代は、中国とは国交はないんだけれども、中国船が日本にボンボン来てます。これが長崎です。だから長崎には、その昔の港の隣に長崎ちゃんぽん街があるでしょ。あの近くです。唐人屋敷ができます。唐人というのは中国人のことです。実は九州のあちこちにも唐人町があるでしょう。この近くにもあります。中国人の町ということです。
 そればかりか、日本人は受け入れるだけではなくてもう、貿易の利益を求めて・・・これは当たれば大きいが難破して死ぬ危険も高い・・・東南アジアまで出かけて、貿易取引をしていく。東南アジアのタイとか、プノンペンあたりに日本町ができてくる。これが江戸の初期です。

 それから沖縄のこと。昔は琉球といって別の国だった。琉球王国という独立国だった。それを日本の一部にしたんだけれども、中国も俺のものだとしていた時期がある。
 沖縄もさるもので、わざとあいまいにして、オレは中国の一部でもあり、日本の一部でもあるということにする。それで何をしていたか、中継貿易をしている。中継貿易をするにはこの関係が一番都合がいい。それでがっぽり儲ける。
 いま沖縄は米軍基地でいろいろもめてますね。アメリカは沖縄に基地を持つことで中国を封じ込めています。


【明の滅亡】 では次。その明がいよいよ滅亡します。1644年に。さっきもちょっと言いましたがきっかけは農民反乱です。李自成の乱です。滅んだのは1644年ですけど、この人が皇帝になったわけじゃない。
これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 24話 清

2019-03-29 04:44:06 | 旧世界史9 明・清

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【清】
 中国が混乱したら、必ず異民族が北から押し寄せる。今度は満州族です。中国北方、北朝鮮のもっと北、戦前まで満州といっていた。これ以後、日本の領地になった時代もある。本来は女真族という。
 約500年前に北宋を滅ぼして、南に押しやった民族です。その時はという国をつくっていた。死んだふりしていましたけど、これがまた復活して中国に入ってくるんです。
  地図でいうと満州はここらへんです。彼らはに滅ぼされた後も朝鮮北方で力を蓄えていた。ここからは北京に近い。北京を一気に落とすんです。北京を落とせば象徴的な意味で、中国の中心だから、中国をとったことになる。これがです。1636年の建国です。 


▼清の領域


 この国は1900年代まで続く。明治の日本が戦った日清戦争の清はこの清です。建国者は、異民族だから中国名じゃない。本名はヌルハチ。ヌルヌルしているような感じですが、そうじゃない、言葉が違うんだから。高貴な名前です。ヌルハチさん。
 復活して最初はを建国する。でも500年前の金と区別するためにこれを後金といいます。それを中国風にと名前を変えて、北京を占領する。
 そうすると、ここにもといたのは漢民族です。満州族は漢民族じゃない。中国語しゃべってない人たちです。中国語をしゃべってない人たちが中国を支配する。では中国語しゃべってる人たちはどうなるか、台湾に逃げたりする。

 彼らは漢民族じゃない。中国語を使ってる人たちじゃない。彼らはモンゴルまで征服する。彼らは異民族を三つ支配する。
1.まずモンゴルを従える。この満州族が。
2.して次に、チベットという名は、本当は吐蕃といって別の国があった。ここを征服する。
3.この新疆というのは、これはトルコ族です。トルコってこんなとこにあった。それが千年かけて、何千キロも移動して、今のトルコに行った。全部征服する。だから今もこことここは、中国から独立しようという運動がある。時々血が流れる。死人が出る。そういう地域になっている。ここを新疆という。民族はウイグル族という。
 こういう国を満州族が作った。これが清です。 建国者はヌルハチという。中国人じゃないから、こういう名前ですよ。最初は後金といっていたのを、清と名前を変える。これがこのあと約300年続く。


【台湾】 では追い出されたもともとの中国人、この以前の明の支配層はどうするかというと、台湾に逃げるんです。そのリーダーが鄭成功という人。
 江戸時代の日本にもやってきて、オレに応援してくれ。満州族を打ち破るから。そういう工作をする。母親は日本人です。母親は平戸の人です。
 それは良いとして、しかし彼らも抵抗むなしく滅んでいって、台湾まで含めて中国統一をした。これが1600年代後半、1683年。ここからは300年間、ずるっと行きます。


【最盛期】 最盛期は約150年ぐらい続く。3人の有能な皇帝が出るんです。全部何とか帝という。 中国の旧漢字体は難しいです。日本人がいま余り使わないような字もある。難しすぎて、今は逆に簡単な漢字になっている。
これは康熙帝という。それから雍正帝。それから乾隆帝という三代が、一番強かった頃です。
康熙帝は1600年代です。雍正帝は1700年代、18世紀。乾隆帝も18世紀です。1700年代が清が一番強いころです。

 この頃ヨーロッパは戦争のさなかにあります。それと同時に海外植民地の獲得合戦をしています。それに比べると中国は安定しています。生産力、今でいうGDPも中国が上です。ヨーロッパはこの富が欲しくてたまらない。合法的に取引しようというのではありません。彼らは武力を使ってきます。敵を分断させたうえで武力を使ってきます。
 この時まで日本と中国の関係は悪くはありません。


【領土】 領土は、地図でさっきも説明した通りです。直轄領として、一番大事なところは、自分たちの本拠地である満州、それと漢民族が住んでいた中国本土。しかしそれでも足らない。
 藩部として、トルコ系のウイグル。もう一つ言えば、ジュンガルという部族もいます。彼らはウマに乗った人だちです。ここを押さえてここを新疆とした。
 さらに吐蕃を征服してチベット。今もここは中国です。
 北方のモンゴルも領土の一部でした。いま外モンゴルはすでに独立しています。


【統治】 服装も、もとの中国じゃないから、中国の服装と違います。実は髪型も違う。満州の髪型は弁髪です。今でも男の人が、流行りなのか知らんけれども、女みたいに後ろを、長く束ねて長くしている人がいる、あれです。しかしもっと奇抜なのは、後ろに束ねて、頭の前半分を剃るんです。ここを剃る。そういう髪型です。髪型を強制的に変えられるのはイヤでしょう。それを問答無用で強制的にやっていく。
 そして、なんだ満州人の野蛮人がと、満州族を批判をするような小説や本などを封じる。批判の禁止です。そういう本を書いたりすると投獄される。監獄に送られる。これを文字の獄といいます。
 こういう弾圧をして、中国人をまとめていったのが満州族です。さらっと行くけど、これが300年以上続きます。


【税制】 ではこの満州族時代の税金の取り方、ヨーロッパ人は中国のほうが進んでいるから、貴重なものを買うんですね。何で買うか。銀で買う。だから中国には銀が溢れてくる。
そこで、今まで米で税金を納めていた農民たちも、お金つまり銀で税金を納めるようになる。これを地丁銀制といいます。
 いまお金というとゴールドつまり金が中心ですけれども、アジア世界は銀です。お金を取り扱う所というのは銀行でしょ。なぜ銀行というか。金だったら金行と言っていい。日本も銀が中心なんです。中国も銀です。だから銀行です。納税も地丁銀制です。銀の全国的流通が実施されたいうことです。

※ 清王朝は、過去の王朝の紙幣乱発の反省から、紙幣を発行しない。(宇山卓栄 経済)


【華僑】 では田舎の方では地主が占めている。彼ら地主のことを、故郷の郷、そこのお金持ちである紳士の紳、郷紳という。地主ですね。農民に重い年貢を課す。だから貧しい農民は苦しいんですよ。
 イヤなら出て行け、といわれて実際に出て行く。中国の貧しい人たちは。ああ出て行ってやろうということで、貧しい農民が中国から逃亡して、主に東南アジアに行く。
 去年やったように、いま東南アジアでお金持ってるのは、東南アジア人ではなくて中国人の子孫なんです。彼らを何というか。華僑です。
 日本でも長崎の中華街は華僑です。横浜の中華街も華僑です。ご先祖様さま中国人です。商売は上手です。東南アジアの経済は今でも華僑が中心です。だから東南アジアと商売したい、貿易したいと思ったら、彼らは中国語なのかというと、彼らは英語をしゃべっている。
ここまでがアジアです。ここでいったん終わって、ヨーロッパに行きます。
ではまた。