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「室戸へ」 お遍路記 1日目 霊仙寺(1番札所)から

2020-09-30 15:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【1日目】 曇り
 【札所】霊仙寺(1番札所) → 極楽寺(2番札所)
 【地域】徳島県鳴門市大麻町
 【宿】 極楽寺宿坊


 還暦を過ぎて1年、臨時の仕事の期限が切れ、さて何をしようか、次の仕事を探さねば、と思う気持ちもありながら、「やっぱり四国のお遍路に出てみよう」という気持ちがふつふつと沸いてきて、午後1時5分、JR高徳線の板東駅に降り立ちました。令和元年(2019年)10月半ばの曇り空です。
 ここは徳島県鳴門市です。初めて四国の地に足を踏み入れました。歩いてすぐのところに四国八十八ヵ所巡りの1番札所である霊山寺(りょうぜんじ)があります。


▼ 板東駅




 無人駅でした。山が近くに見える小さな駅です。
 新幹線で岡山まで行き、そこで徳島行きの特急に乗り換えました。座席に着くとすぐに、隣の男性から「この列車は高知に行くんですか」と尋ねられ、私は「エッ、徳島行きでは?」と答えたところ、間違っていたのは私のほうで、徳島行きは同じ列車の後ろの車両だということが分かりました。この特急は途中で高知行きと徳島行きに分かれるようです。急いで後ろの車両に移動しました。
 瀬戸大橋を通って瀬戸内海を渡り、香川県の高松を過ぎ、山を越えて徳島県の板野駅に着きました。そこで高徳線の各駅停車に乗り換え、2駅ほどで目的地の板東駅に到着しました。板野町の東にあるから板東駅というようです。板野駅で各駅停車のローカル線に乗り換えたのは私と男子高校生の2人だけでした。
 列車が板東駅に着くと、電車の車掌さんも降りて「切符はこちらでいただきます」と回収します。駅には私以外は誰もいません。小雨がぱらついています。雨が降るとの予報でしたがまだ小雨です。
 無人駅の中で背中に担いだザックを下ろして、持ってきた白衣(びゃくえ)に着替えます。背中には「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と墨書してあります。「オレは本当に歩くのだろうか」、自分でもまだ半信半疑です。40年近く、毎日毎日、自宅と職場の往復を繰り返してきました。それ以外のところを歩くことなど、考えられない日々でした。何か板につかないことをやってるな、自分でもそう思います。現実感がなく、宙に浮いているような感じです。とにかく歩こう。
 今から1番札所の霊山寺に向かいます。霊山寺までは歩いてすぐです。


▼ 霊山寺の石門と街並み




▼ 霊山寺の山門



 午後1時50分、1番札所の霊山寺に着きました。途中で小雨が気になり、カッパを着ましたが、着てみると蒸し暑くて脱ぎました。脱ぐと今度はザックに入らなくなり、きれいに折りたたむのに時間がかかりました。そんなことにけっこう時間をとられました。まだ気持ちが落ち着きません。
 霊山寺に行く途中の板東の町は静かで、途中で私とは逆に板東駅に向かう女性のお遍路さんに一人会っただけでした。白衣を着て、菅笠(すげがさ)をかぶり、金剛杖(こんごうづえ)を着いて、ザックを背負いながら歩かれていました。40代ぐらいの女性でした。私も早く遍路用品をそろえなければなりません。持ってきたのは白衣と数珠と首にかける輪袈裟(わげさ)だけです。
 一礼をして霊山寺の山門を入ると、まず売店に向かい、そこで必要な遍路用品を買いました。売店では新聞記者らしい人が、売店のご主人と店のテーブルに座りながら話をしていました。金剛杖と菅笠、それに納経帳と納め札、お経の経本を買いました。ロウソクとお線香は買いませんでした。
 
 境内の参拝者は5~6名と少なく、静かな境内でした。私はもっと多くの人が参拝しているのか思っていましたが、静かな落ち着いた雰囲気でした。


▼ 霊山寺本堂



 本堂で般若心経を唱えてお参りをしていると、さっき売店で取材をしていた新聞記者がいつの間にか私の後ろにいて、「いま何を唱えていたんですか」と聞かれたので、「売店で買ったお経の経本です」と言うと、ピンとこなかったようでした。「般若心経ですよ」と言ったら、「ああ、そうですか」と頷かれました。まだピンと来ていない様子でした。全国紙のM新聞の記者だそうです。本当は般若心経だけではありませんが、簡単にそう答えました。


▼ 霊山寺太子堂



 そのあと太子堂に回り、同じお経を唱えました。ロウソクとお線香は供えませんでした。不信心かもしれませんが、私の気持ちとしては般若心経と御真言を一生懸命に唱えればそれで十分満足でした。それに背中のザックにもこれ以上のものは入りません。


▼ 霊山寺境内



 お寺からの出がけに、スマホで霊山寺の山門の写真を撮っていたら、売店の人がたまたま歩いていて、「写真を撮りましょうか」と言ってくれたので、山門を背景に私の写真を撮ってもらいました。
 午後2時40分、山門で一礼して、霊山寺を出ました。霊山寺のすぐ西の南北の通りを北に歩き、大麻比古(おおあさひこ)神社に向かいます。ここから1キロほど北に阿波一の宮の大麻比古神社があります。ここは札所ではありませんが、行ってみたい神社でした。


▼ 大麻比古神社の赤い大鳥居

天井は高速道路の高架です。

 午後2時50分、霊山寺から10分ほど歩いて、高速道路の高架をくぐり抜けたところに、朱塗りの大鳥居がありました。そこをくぐって大麻比古神社の参道をまっすぐ北に向かいます。かなり長い参道で、道の両脇には灯籠が延々と並んでいます。両脇は並木に囲まれたきれいな参道でした。さすが阿波国の一の宮です。10分ほど歩いて大麻比古神社に着きました。小雨がぱらついています。傘は持って来ませんでした。


▼ 大麻比古神社の参道と灯籠



 午後3時20分、阿波一宮の大麻比古神社に参拝したちょうどその時に、強い雨が降り出して神社の社務所の軒下でカッパに着替えました。境内には車で参拝した夫婦連れが一組、あと親子連れが一組です。立派な社務所がある大きな神社でした。


 大麻比古神社を出ると、今日の宿である2番札所の極楽寺(ごくらくじ)に向かいました。雨が本降りになりました。約3キロほどの道を激しい雨に打たれながら歩きました。初日から雨に降られました。
 実は初日の宿をどこに取るか、ちょっと悩みました。1番札所の霊山寺の近くに宿を取り、明日の朝から歩き始めてもよかったのですが、数日前に今向かっている2番札所の極楽寺の宿坊に電話したところ、「いいですよ」ということだったので極楽寺の宿坊にお世話になることにしました。ただ今日は団体客がなく、「食事は出せないので素泊まりでよければ」と言うことでした。極楽寺に向かう途中にあるコンビニで今日の夕食を買わなければなりません。さっき打った(お遍路では札所にお参りすることを「打つ」と言います)霊山寺も今向かっている極楽寺も交通量の多い県道12号線沿いにありました。交通量の多い道を慣れない格好で一人で歩くのは、気恥ずかしい気持ちでした。しかもひどい雨のなか、カッパを着て、ザックを担いで、菅笠をかぶり、金剛杖をつきながら歩くのは、今までの自分の日常からみると何か別世界のように見えます。


コンビニは今向かっている極楽寺への途中にあります。この格好でコンビニで弁当を買うのも初心者の私にはためらわれました。でもコンビニに入ると、誰も驚いた様子はなく、さも当然のような対応でした。自分の格好を気にしていたのは自分だけのようです。私はこの土地の風景の一部になっていて、誰も気にしていないのです。
 コンビニを出ると、まだひどい雨は降り続いています。右手に金剛杖をつき、左手に弁当の入ったレジ袋を持ち、背中には重たいザックを担いで極楽寺まで歩きました。両手が塞がってしまい、その上、頭には菅笠、体には着慣れないカッパを着て極楽寺に向かうのは、慣れないこととはいえ、コンビニから1キロの道が妙に長く感じました。しかし身につけている物どれ一つ取っても不要なものはありません。お遍路の必需品を身にまといながら歩くということがどういうことなのか、初日の雨が体に浸みるにつれ分かりました。



▼板東駅と吉野川

右下に板東駅。左の川が吉野川。右の川は旧吉野川。ここから奥のほうに西へ西へと吉野川の北側(右側)の山すそを歩いていきます。


▼ 極楽寺山門




 午後4時、2番札所の極楽寺に着きました。予定よりも遅くなったので、まず納経所に行きました。納経は5時までと決まっています。納経帳に納経の印をもらいながら八十八ヵ所をめぐる人が多いので、私もそれに習うことにしました。この納経帳はさっきの霊山寺の売店で買った物です。係の女性が筆をもち、慣れた手つきで、納経帳に墨書されました。何と書いてあるのか読めませんが、たぶん仏様の名前を書かれたようです。左隅の「極楽寺」というのは読めました。そして3つの朱印を押されます。300円納めました。
 納経帳は自分が札所でお経を唱えたことの証拠のようなものです。昔は本当に写経をして札所に納めていたようです。今でも写経所を設けているお寺もあります。
 納経所では私を待っていたらしく、すぐに若いお坊さんから宿泊所に案内をされました。その案内を聞いてから、「まだお参りを済ませていないので」と言って、カッパ姿で本堂と太子堂にお参りをしました。本堂の横には長命杉という巨木がありました。見事な大木でしたが、激しい雨でしたので、その木をゆっくり眺める余裕はありませんでした。


▼ 極楽寺の長命杉




 私の世話をしてくれた若いお坊さんに聞いてみたところ、最近はお遍路の数がめっきり減っているそうで、その日は団体客が無いそうです。その日は極楽寺の宿坊を1人貸し切りで泊まりました。「明日だったら、檀家さんの団体があるから食事も出せますけど」ということでしたが、今日は宿泊は私1人だけなので素泊まりになりました。1泊5000円で泊まることにしました。
 ただ風呂は入れるし、洗濯機もあります。乾燥機もあります。洗剤も横にあります。素泊まりで1泊5000円というのが高いのかどうか。別の宿では、素泊まりで6600円のところ、4500円のところ、4800円のところ、7600円のところなど、いろいろでした。市内の駅近くのホテルなどは立地がいい分、やはり高いようです。
 朝晩二食付き宿泊の場合には、7000円、6700円、7400円、6800円、7500円、8100円、7200円、6900円、6500円、8100円など、中間をとって7500円ぐらいかなあという感じでした。
 途中からカッパを着て歩きましたが、背中のザックにザックカバーをするのを忘れていました。途中でそのことに気づきましたが、大したことは無かろうとタカをくくっていたら、部屋でザックを開けてみると、荷物の大半が濡れていました。しまった、と思いました。急いで取り出して畳の上に干します。衣類などは乾燥機の中に入れて乾かしたものもありますが、困ったのは地図帳などの紙類が濡れたことでした。
 特に「へんろ道保存協力会」編の地図は、お遍路をはじめたばかりの私にとって、これがないと生きていけません。これは命綱です。これがないと明日からどこをどう歩いてよいのか分かりません。
 乾かそうとしても地図帳はなかなか乾きません。完全に乾くのに2~3日かかりました。おかげで紙がふやけて、新品の地図帳が1日で使い古しの地図帳のようになりました。
 そのあと洗濯と風呂を済ませて、コンビニの弁当を食べ、缶ビールを1本飲みました。「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣は大切にハンガーに掛けました。金剛杖は宿に入るときにまず洗い、玄関の杖立に置きました。金剛杖は弘法大師の分身だと言われています。


▼ 極楽寺の部屋の中の白衣(びゃくえ)



 午後7時頃にやっと一息つきました。まだ7時だったのですが、感覚としては9時を過ぎているような気がします。お遍路の夜は早いです。その代わり明日の朝も5時50分から朝のお勤めです。
 まだ外は雨が降っています。夕方からますますひどく降っています。それにさっきの若いお坊さんが奥にはいってしまうと、広い宿坊に一人で泊まるのは寂しいものです。暗い廊下を一人で歩くとちょっと恐い気がします。10畳ほどもある広い部屋ですが、私には広すぎてよけい人恋しくなりました。
 天気予報では雨は明日の午前中まで降るようです。

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