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ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい

ルター、カルヴァン、ロック、アダム=スミス 民主主義と資本主義をつくった人々④

2012-03-25 07:35:59 | 資本主義をつくった人々

アダム=スミス

神に返すつもりのない自分の富を正当化したのがロックであったが、この正当化にはどこかに後ろめたさが隠れていた。
人々は『そんなことで良いのだろうか』、そういう疑念から逃れられなかったのである。人々はロックのペテンに薄々は気づいていた。
しかしそのペテンに気づかないふりをしていれば、自分の金儲けには好都合だったから、誰も気づかないふりをしていたのである。

しかしユダヤの金融商人たちを中心にしたロンドンの金融業の発展はめざましく、イングランド銀行設立から4年後の1698年にはロンドン株式取引所が設立されている。

さらに、1702年には、ヨーロッパでのスペイン継承戦争に伴いアメリカで英仏間のアン女王戦争が起こり、イギリスはアメリカの13植民地の形成に向けて着々と歩みを進めている。

しかし、イギリスの拝金主義の風潮はロックの『市民政府に論』の発表から30年後の1720年には『南海泡沫事件』という株式バブルを起こしている。
これは奴隷貿易などの取引をする貿易会社の株が投機的に買われて急激に高騰し、そしてすぐにはじけて多くの損失を生んだ事件である。
これに懲りた議会は、その後いっさいの株式会社を禁止している。

みんなが神への感謝を忘れて金儲けに走れば、とんでもない経済混乱が起こることは当時から意識されていたことである。

英仏間のアメリカをめぐる植民地戦争はその後も続き、
1744年にはヨーロッパでのオーストリア継承戦争に伴い、アメリカでジョージ王戦争が起こり、
さらに1755年にはヨーロッパでの七年戦争に伴って、アメリカでフレンチ=インディアン戦争が起こっている。
いずれもイギリスの勝利に終わっている。

またインドでも、1757年にプラッシーの戦いが起こり、イギリスはインドでの支配権を確立している。

1764年には、こののち50年後にロンドン金融界を牛耳ることになるロスチャイルド商会が、ドイツのフランクフルトでユダヤ人金融業者のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルトの手によって設立されている。


この頃からイギリスでは他国に先駆けて産業革命が始まる。
アダム=スミスが『国富論』を書いたのは、産業革命が軌道に乗りだした1776年である。
この年はアメリカが独立戦争の中でアメリカ独立宣言を発表した年でもある。
周知の通りアメリカ独立宣言はロックの思想の焼き直しである。
そのロックは一方で『私的所有権の絶対性』を主張していることは先に述べたとおりである。

アダム=スミス自身は決して拝金主義者ではなかったが、彼が『国富論』の中で使った(神の)『見えざる手』という表現が、その後の資本主義と経済学(古典派経済学)を決定づけた。

彼はそれ以前に『道徳感情論』なる書物を著すほど道徳的な人物であり、敬虔なキリスト教徒であったと思われる。
しかしそれが裏目に出た。

キリスト教は我々日本人にとっては変な宗教で、たった一人のイエスという人間が十字架の刑に処せられたことですべての人間の罪があがなわれたことになる。
だからすべてのキリスト教徒は救われているのである。
救われた人間がつくる世界が破滅に向かうことはありえない。
人間世界の未来はバラ色に輝き『予定調和』の世界が待っている。
これはキリスト教の抱えるもともとの信仰である。

このキリスト教の抱えるもともとの信仰が経済学に姿を変えるきっかけを、敬虔なキリスト教徒であるアダム=スミスは作ってしまった。


その結論は、『自由放任』のなかで、市場原理に任せておけば、世界の経済は『予定調和』の世界に導かれるというものである。
日本人にとっては驚くほど楽観的な発想であるが、アダム=スミスは自分の思想が曲解されて草葉の陰で泣いていることだろう。

それは強者に都合の良い論理だからだ。

先に言ったようにアダム=スミスが『国富論』を発表した前年の1775年にはアメリカ独立戦争が起こっているし、
13年後の1789年にはフランス革命が勃発している。
これらの革命は当時急成長していた新興商工業者たちによる革命である。
さらにその裏には彼らに資金を融通していた金融業者たちがいる。
イギリスでは1750年までに12の銀行ができている。
戦争も産業革命も資金がなければできないのだ。
戦争にも革命にも多額の資金が使われている。
それを融通する人なしでは戦争も革命も起こりえない。

そんな中でアダム=スミスの(神の)『見えざる手』という表現はこの言葉だけが一人歩きしてしまった。
それはこの言葉を自分の利益のために一人歩きさせようとした人間がいたからである。

1815年、ワーテルローの戦いでナポレオンが敗れたことをいち早く知ったネイサン・ロスチャイルド(マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの息子)は、一芝居打ってロンドン株式市場で巨万の富を手にし、その資金でイングランド銀行の株を手に入れて大株主になった。

『神』は消えたのだった。


ルター、カルヴァン、ロック、アダム=スミス 民主主義と資本主義をつくった人々③

2012-03-25 01:08:27 | 資本主義をつくった人々

ロック

イギリス人ロックは1683年にオランダに亡命し、1688年にイギリスで名誉革命が起こると、翌年1689年に帰国した。帰国翌年の1690年、58才でロックは『市民政府二論』を発表した。
これは2年前の名誉革命を正当化するために書かれたものである。
ちなみに、ロックが生まれた1600年代のはじめにはオランダのアムステルダムが世界の金融市場の中心として繁栄を極めていた時代で、そこには多くのユダヤ人が金融業者として活動していた。
ロックはオランダに亡命したことから「市民政府二論」を書いたのである。

ロックはピューリタン革命によるチャールズ1世の処刑(1649)や、名誉革命によるジェームズ2世の国外逃亡(1688)を目の当たりにしてきた。
またチャールズ1世処刑の前年の1648年にはドイツ三十年戦争の終わりを告げるウェストファリア条約で神聖ローマ帝国が解体している。
つまりロックの生きた時代は神聖ローマ帝国の皇帝権が否定され、イギリスの王権が否定された時代である。
このようにしてイギリスでは他国に先駆けていち早く王権神授説が否定された。


このような時代を生きてきたロックにとって、皇帝権がローマ教会から祝福されているという考え方や、イギリス王権がイギリス国教会から祝福されているという考え方は時代にそぐわないものに見えた。

そこには前世紀の宗教改革者であるルターやカルヴァンの影響がある。彼らはローマ教会の権威を否定し、一人一人の信仰のみを問題にしようとした。
ロックはこれを国民主権の考え方に応用した。
「神はキリスト教信者すべてを祝福している」と考えるならば、主権は皇帝権にもなく、王権にもない。主権は一人一人の個人に与えられているという考え方が出てくる。
これが国民主権の考え方である。


主権を持った一人一人の人間がどうやって国をつくることができるか。
そのために考え出されたのが社会契約説である。
ロックの自然状態は、「人間は自然状態でも平和に暮らしている」とされた。
日本人にとってこれは分かりにくいところで、もし人間が国の統制を受けず思う気ままに生活すれば、同時代のイギリス人思想家ホッブズがいったように「万人の万人に対する闘争」状態になるはずだが、ロックはそれを否定した。
ロックの場合、国家は必ずしも必要ではない。国家を否定しても人間は理性的であり、平和に暮らしているとする。
彼が想定する社会は、全員がキリスト教徒であることが前提になっているが、そのことは表に出さない。キリスト教には一切触れず、キリスト教の理念が実現することが前提になっている。そうやって彼の言説はキリスト教徒に心地よさを与えたのである。
しかし、その後につづく彼の結論を見るとそれは単なる方便に過ぎなかったようである。
彼はなぜこのようなことをいいだしたのか。



そこに1つの問題が出てくる。
カルヴァンは、神の救いの証拠として、世俗内職業による富の存在を正当化した。
しかしこの時点では、「神から与えられた職業によってえた富は、当然神に捧げるものである」という前提がまだ生きていた。神に捧げるとは、社会に分配することでもあった。

ところがロックはここで「私的所有権の絶対性」を言い出す。「富はその労働を投下した者の所有に完全に属する」と。そこには「神からもらった自分の職業の恩恵を、神に返す」という肝心なことは消えてしまっている。
これによって経済活動から、神の存在は完全に消されてしまった。
ルターやカルヴァンが目指した宗教改革は、ロックによって完全にゆがめられたのである。

一方では「神の恩寵により主権を与えられた自分」があり、他方では「神の恩寵である労働によってえた富は完全に自分のものである」とする。そこに神と人間のギブ・アンド・テイクの互酬性は見当たらない。ただ私的所有に対する個人の権利が突出しているだけである。
しかしこれはルター、カルヴァンの宗教改革が目指したものではない。
ロックは、ルター、カルヴァンの宗教改革を受け継ぐように見せながら、全く正反対のものを導き出すことに成功した。

一つは国民主権を原理とする「民主主主義」であり、もう一つは私的所有権の絶対性を原理とする「資本主義」である。


これが俗にヨーロッパの個人主義といわれるものであるが、もともとそれは神があってのことであった。
しかし神は跡形もなくかき消されている。それは単なる拝金主義に行き着く。



名誉革命後、新しい王としてオランダからウィリアム3世が渡英して即位したが、その際には多くのユダヤ人も一緒にオランダからイギリスに渡ってきて、ロンドンの金融界で力を持つようになる。
そして1694年にはイングランド銀行が新設され、ポンドという銀行券を自由に発行できるようになるのである。この銀行を支えたのはオランダから渡ってきたユダヤ人金融業者である。
この後イギリスは7つの海を股に掛け次々と戦争を行っていくが、その際の戦争資金の出所としてイングランド銀行の通貨発行権に頼らざるをえなくなる。
湯水の如く銀行券を印刷してそれを戦争資金にするのである。
イギリスが世界中の戦争で連戦連勝できた原因はそこにある。

つづく。


ルター、カルヴァン、ロック、アダム=スミス 民主主義と資本主義をつくった人々②

2012-03-24 08:37:49 | 資本主義をつくった人々

カルヴァン

ルターのあとスイスで宗教改革を行ったのがフランス人カルヴァンである。

彼はそれまで卑しいとされていた金儲けを正当化した。
その論理は矛盾に満ちている。

キリスト教は一神教である。(三位一体という三神教の要素もあるが、天地創造の神がこの世のすべてを支配するという点では一神教である。)
天地創造の神がこの世のすべてを支配するのであるから、人は生まれ落ちたときから救われるか救われないか決まっているとカルヴァンはいう。
これはカルヴァンの独創というより、一神教がもつ論理構造を突き詰めた結果である。
これに従えば人の人生はすべて決定されている。神がすべてを決めているからである。人間の努力で神の決定を覆すことはできない。
これが『予定説』である。

この予定説ほど日本人にとってなじみにくいものはない。
日本人は『努力は報われる』と思っているからだ。
『努力しても報われないなら努力などしない』と日本人なら思いそうであるが、せっぱ詰まったキリスト教徒たちは、自分が救われるかどうかどうしても知りたいと思った。
『どうしたら、自分が救われるかそうでないか、知ることができるか』
そうカルヴァンに尋ねると、カルヴァンはポロリと言うのだ。(決して強調していないのだが、このポロリとした発言が人々に言質を与えた。)

『神に命じられたこの世の職業に成功するかどうかだ』

これによってこの世で得た富は卑しいものではなく、自分が救われるかどうかの証になった。


今まで卑しいとされていた『富』が肯定されたのである。
これを日本人流にいえば、まさに地獄の沙汰も金次第になったのである。
これがカルヴァン派の奇妙な矛盾である。

しかしこの時点では、神から与えられた職業によって得た富は当然神に捧げるものであるという前提がまだ生きていた。

つづく。


ルター、カルヴァン、ロック、アダム=スミス 民主主義と資本主義をつくった人々①

2012-03-24 06:05:32 | 資本主義をつくった人々

これだけで数冊の本ができそうだが、さわりだけ。

ここに共通しているのはいずれも熱心なキリスト教徒とであるということ。
結論から言えば、民主主義も資本主義もキリスト教から生まれた。
このことがわからないから、日本には民主主義も資本主義も根付かない。
アメリカもこのことを忘れようとしているから民主主義と資本主義が崩れようとしている。


ルター

1517年、ドイツのルターは、聖書に戻れといった。
聖書中心主義である。聖書に書いてあることだけを信じればいい。つまりローマ教会の言うことはウソだと言うこと。

神の国を唱えたキリスト教は4世紀にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したときから変質し、ローマ皇帝を祝福しその権威を高めるものになった。皇帝権はキリスト教の恩寵によってますますその権威を高めた。神寵帝理念という。

ルターのころにはローマ教皇は神聖ローマ皇帝(ドイツ)を祝福し、その権威を高める存在だった。
ルターがローマ教会を否定したということは同時に神聖ローマ帝国の権威をも否定することだった。

神聖ローマ帝国の権威に反発していた封建諸侯やフランスやイギリスなどの国はこれを喜んだ。
ローマ教会が王権を祝福するのは神聖ローマ皇帝に限られたものではなく、各国の王や地方の領邦国家の王であってもローマ教会の祝福を受ける権利があると考えられるようになった。
ローマ教会は当然そんなことを認めない。
ならばローマ教会を通さずに神から直接王権を祝福してもらえばいいと考えたのが王権神授説である。
イギリスやフランスの王はさかんに王権神授説を唱えて神聖ローマ帝国(ドイツ)に対抗した。

あと、カルヴァン、ロック、アダム=スミスとつづく。