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「室戸へ」 お遍路記 4日目 熊谷寺(8番)から

2020-09-30 12:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【4日目】 曇りのち雨
 【札所】熊谷寺(8番) → 法輪寺(9番) → 切幡寺(10番) → 藤井寺(11番)
 【地域】徳島県阿波市(旧土成町・旧市場町) → 吉野川市(旧川島町・鴨島町)
 【宿】 十楽寺宿坊 → 旅館吉野


 昨夜は夜10時頃に寝て、朝の4時に目が覚めました。1階の喫煙室で一人タバコを吸っていると、ちょうどそこに昨夜の田代さんが「ねむれないなぁ」と独り言を言いながらやって来ました。
 「朝のお勤めに出られるでしょう」と私が言うと、「いやいや、私は宗派が違うから出ませんよ」と言われました。「あぁ、そういうことなのか」と思いました。
 本堂での朝のお勤めに出てお坊さんの話を聞いていると、この十楽寺はもともとはもっと北側の山中にあったそうですが、のちに引っ越してこの平野部に下りてきたのだそうです。この近くにはそういう札所が多いようです。

 7時から朝食でした。
 午前7時45分、7番札所の十楽寺の宿坊を出発しました。台風20号の影響で曇りです。午後から雨が降り出すようです。
 予報では、雨は今日の午後2時頃から明日の朝6時か7時ぐらいまで降り続き、その後は曇りの予定です。山の麓の集落を東から西へと歩きます。
 これから8番札所の熊谷寺へ向かいます。


▼ もと民宿天然温泉いしだ


売りに出されていました。


 十楽寺を出て信号機のない交差点をトラックが来たために待っていると、トラックが横断歩道の前で止まってくれて、先に私を通してくれました。信号機もないところなので車優先のはずなのに、トラックがわざわざ私のために止まってくれるなど、初めての経験です。自分が白衣を着ていることがよく分かりました。

しばらく行くと御所小学校の校舎が見えました。阿波市土成町です。


▼ 「四国のみち」の石柱



▼ 阿波市土成町の丸みがかった家の屋根



▼ 板野十六地蔵の札所がまたありました。



▼ 観光案内所



 熊谷寺に向かう途中の観光案内所で休憩中、外国人の女性2人連れに追い抜かれました。


▼ 阿波市土成町の御所神社



 御所という地名は、鎌倉時代の承久の乱で後鳥羽上皇に連座してこの地に流された土御門上皇の住まいがあったところだということを後で知りました。この鳥居の2キロ南には土御門上皇が住まれたという行宮跡があります。御所神社はこの鳥居の約500m北にあり、そこでは土御門上皇が祭られています。ここは1970年代の総理大臣である三木武夫の出身地です。


▼ 秋祭りの鳥居と提灯

祭りが近づいているようです。


▼ 熊谷寺の参道と高速の高架



 8時40分、8番札所の熊谷寺(くまだにじ)の山門が見えました。熊谷寺は高速道路の下を通ってすぐです。


▼ 熊谷寺の山門



 午前8時45分、熊谷寺の山門をくぐりました。
 熊谷寺に着くと納経所の前の休憩所で、宿でいっしょだった田代さんとまた会いました。そこで休憩していたお遍路さんの中には、「へんろみち保存協力会」編発行の地図をもたない人もいて、それがどこに売ってあるのかを聞かれていました。
 この地図は普通の書店には売ってないので、私はネットで「へんろみち保存協力会」に注文し直接取り寄せました。1番札所の霊山寺の売店では売っていたようですが、すべての札所で売られているわけではありません。私が持っているのは第11版ですが、私がお遍路をしている最中の2019年10月に最新版の第12版が発行されたことを後で知りました。
 自動販売機のところでジュースを飲みました。最初から飲み過ぎかなと思いましたが、約4キロ休まずに歩きましたのでたいそう汗をかきました。シャツ一枚と白衣だけでも暑いです。1時間続けて歩くと汗をかき、咽も渇きます。
 熊谷寺に向かう途中の休憩所で追い抜かれた外国人女性2人連れも、境内で見かけました。


▼ 熊谷寺の本堂



▼ 熊谷寺横の池にある神社



▼ 熊谷寺の風景



 午前9時40分、8番札所の熊谷寺を打ち終わりました。
 これから9番札所の法輪寺に向かいます。


▼ 熊谷寺から法輪寺に降りる南側の下界の阿波市土成町の風景



▼ 阿波市土成町の鳥居と参道



▼ 法輪寺(ほうりんじ)へ向かう道と標識 西を見る



▼ 法輪寺へ向かう道と標識 西南を見る

明日はあの山のどこかに登ります。


▼ 法輪寺へ向かう道と標識 西北を見る



▼ 法輪寺の遠景 南を見る

木々に囲まれたところが法輪寺です。


▼ 法輪寺の山門



 午前10時14分、9番札所の法輪寺に着きました。


▼ 法輪寺の山門と門付けする人





 奥の角っこに托鉢(たくはつ)する人が小さく見えます。境内に入って托鉢(たくはつ)することは禁止されているようです。しかし昔は、托鉢は遍路にとって最後の修行だといわれていました。
 そう言えば、昭和40年(1965年)前後までは、私の家にも托鉢のお坊さんが門付けにやって来て、私のお袋が米一皿をお坊さんの米袋に入れていたことを思い出しました。


▼ 法輪寺付近から下りてきた北の山を望む



 9番札所の法輪寺から10番札所の切幡寺(きりはたじ)に向かう途中で、道を一本南のほうに下ってコンビニに立ち寄ろうと思いました。お金の引き出し、カロリーメイトの購入、たばこの購入などです。しかし行ってみたらそのコンビニははなくなって空き地になっていました。私が持っている「へんろみち保存協力会」編の地図は11版で、この時には最新版ですが3年前のものです。その3年の間にも世の中は少しずつ変わっています。予定どおりには行かないものです。
 そのあと遍路道ではない田舎道を通って切幡寺へ向かいました。結局その日は一軒もコンビニがありませんでした。やはりここは日常の世界とは違うようです。コンビニに行くために何十分も掛けて遠回りをし、やっとその場所にたどり着いたと思っても、あるはずのコンビニがないという世界です。結局その日の昼飯は食べられませんでした。
 こういう不確かな世界を歩いていると、日常の世界が確かだと思うのは錯覚で、本当は日常の世界もあやふやなものの上に乗っかっているような気がします。


▼ 木の鳥居と神社

木の鳥居というのを初めて見ました。


▼ 丸みのある屋根の民家

丸みを帯びた屋根というのは私には珍しいですが、このあたりではよく見かけます。


▼ 民家の遠景 東を見る



▼ 西を見る



▼ 親族で建てた森家の神社





 「森家の先祖を祀ってあり、この北の山麓にありましたが、老朽したのでここへ移転した。平成二年 移転費六十五万円」とあります。
 お墓を建てることがご先祖を祀ることだとばかり思っていましたが、親戚で神社を建ててご先祖を祀るというスタイルを初めて見ました。仏教が日本に伝わるまではみんなこうしていたのでしょうか。
 お墓でも200万円前後かかるのを考えると、65万円の移転費というのは安いなと、また俗っぽいことを考えました。


▼ 切幡寺(きりはたじ)の参道と家並み



▼ 切幡寺の山門



 午前11時半、10番札所の切幡寺の山門に着きました。切幡寺の山門は高速の下をくぐり抜けて、それを山のほうに登ったところにありました。一礼をして入ります。ただここから本堂までがきついものでした。


▼ 切幡寺の山門から本堂への道



▼ 切幡寺の階段「是より333段」



 山門を入ったあとも本堂まで333段の階段があり、かなり時間が掛かりました。境内に入るとホッとするだけに、その後の階段は疲れます。


▼ 切幡寺の階段



 その石段を登る途中で、また田代さんと会いました。田代さんはもうお参りを済まされて、女性と一緒に降りてこられていました。どこかで奥さんと落ち合うといわれていたのでとっさに「奥さんですか」というと、「そんなこと言うと怒られるで」と大阪弁で言われました。私たちから見るとまだ若い40歳前後の女性でした。
 そこで田代さんは「もう会うことはないと思うけれども」と言って手を上げ、その女性と話しながら階段を下っていかれました。たぶんこの境内で知り合われたのだと思います。田代さんは私よりも年上ですけど健脚で、私の先をずっと歩かれてました。本当に会うことはありませんでした。


▼ 切幡寺の本堂



 本堂に着いたのは12時頃です。そこの境内で20~30分休憩をしました。境内にあった自販機でまた缶コーヒーを飲みました。山門から本堂までが長かったです。
 途中で団体さんがやってきたので、急いで納経所に向かいました。しかしすでにバスの添乗員さんが団体さん全員の納経帳を何十冊と手に持って納経所に並ばれていました。「しまった」と思いました。団体さんが来ると、添乗員さんが団体さん全員分の納経帳をかかえて並ばれるので、待たされてしまうことがあります。親切にもその添乗員さんは「お先にどうぞ」と言ってもらいましたので、「すみません」と言って先に納経をさせてもらいました。


▼ 切幡寺の境内



▼ 切幡寺の塔



▼ 切幡寺本堂からの下り



 12時50分、10番の切幡寺を打ち終えました。
 今から11番の藤井寺(ふじいでら)に向かいます。ここから約10キロと、かなり遠い道のりです。今までは3~4キロごとに札所がありました。八十八ヵ所のうち10番までは近い距離に固まっています。でも場所によっては次の札所が何十キロも先で、1日ではたどり着けないところもあります。次の藤井寺に向かう途中で、四国の暴れ川の吉野川を渡ります。



▼切幡寺~藤井寺 南を望む

右下の切幡寺から南に向かい、吉野川を越えて、藤井寺に向かいます。明日は藤井寺から山を登り焼山寺へ向かいます。


▼ 切幡寺から降りて平野部に入ったところ、市場町あたり

南を望む。あの山のどこかに明日登る焼山寺があります。


▼ 市場町の民家の休憩所

個人の善意で設置されています。お接待の一つです。


▼ 切幡寺から県道12号線へ向かう景色

南を望む

▼ 切幡寺から県道12号線へ向かう景色

北を望む。

 ここは北の山と南の山に囲まれた細長い平野地帯です。その平野の中を吉野川が東西に流れ、徳島市で海に注いでいます。初日からここまで、私はずっと吉野川の北側を歩いてきたことになります。
 しかしもう少し歩くと、吉野川を北から南に渡ります。そして明日は南の山を登ります。その山奥に明日めざす焼山寺があります。今までは山の麓でしたが、明日は山奥に入ります。

 このあたりでさっきの外国人女性2人連れにまた追い越されました。私は遅いとばかり思っていましたが、いつの間にか追い越していたようです。たぶん切幡寺で休憩していたのでしょう。


▼ ヘンロ小屋、空海庵(切幡)



▼写真 13時16分 ヘンロ小屋、空海庵(切幡)



▼ ヘンロ小屋、空海庵(切幡)の1階



▼ ヘンロ小屋、空海庵(切幡)の2階



▼ ヘンロ小屋、空海庵(切幡)の1階


このような遍路休憩所が所々にあります。行政によるものではありません。民間の支援団体によるものです。ここは「ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会」による遍路休憩所です。この会は大阪市にあるようです。
ここはあくまでも休憩所で会って、宿泊所ではありません。善意の無料宿泊所は、通夜堂または善根宿といってまた別にあるようですが、それほど多くはありません。いずれも善意による「お接待」です。


▼ 県道12号線とうどん亭八幡



▼ 阿波市市場町の廃業したタバコ屋さん

やはり地方の町は廃業した店と空き家が目立ちます。


 町中にあった郵便局でやっとお金を引き出すことができました。でもコンビニがありません。町中の雑貨店や駄店はほとんど廃業して姿を消しています。コンビニがないと本当に困ります。


▼ 阿波市市場町の八幡宮

お寺ばかりでなく神社も各所に目立ちます。


▼ 民家設置の遍路休憩所(正面のプレハブ小屋がそれです)



▼ 民家設置の遍路休憩所(道左側のプレハブ小屋)

ここも個人の善意による休憩所です。


後ろからさっきの外国人女性2人連れが歩いて来ていました。いつの間にかまた追い越していたようです。


▼ 遍路休憩所

すぐ先にも休憩所がありました。


午後2時ごろから小雨が降り出して、この遍路休憩所でカッパを着ました。ここで後ろにいた外国人女性2人連れにまた追い抜かれました。


▼ 遍路休憩所横での農作業風景

見えにくいですが、農家の人が横一列に並んで座り、刈り取り作業をしています。生姜の収穫かと思います。


▼ 吉野川(支流)の堤防からの景色

林の奥は吉野川の支流です。その奥に吉野川の本流がありました。


▼ 吉野川支流の河川敷の景色

この道路も沈下橋の構造でつくられています。


▼ 吉野川無住地帯のトイレ表示

支流を渡ると一面の畑でした。何もない一面の畑にお遍路用のトイレだけがありました。そのトイレ表示です。


 ここは一見すると平野に見えますが、暴れ川である吉野川の川中島か河川敷だったところのようです。水害を恐れて誰も住まないのでしょう。本当に見渡す限り一軒の家もありません。一面の畑があるだけです。平野の中で一軒の家も見当たらない風景というのを初めて見ました。私は地元で水田と畑は見慣れていますが、そこに一軒の家も見あたらない風景を初めて見ました。人家のない平野の風景というのは荒涼としていて恐いものです。そこを雨のなか歩きました。


▼ 吉野川の無住地帯がどこまでも続く

本当に広い無人の土地です。


▼ 吉野川の堤防から沈下橋を見る

沈下橋は幅が狭くて車の離合ができません。前の車は、向こうからやってくる車が通り過ぎるまで待っています。雨が強く降り出しました。


▼ 吉野川の橋から下流を見る。この川の下流は徳島市です。



▼ 吉野川の橋から上流を見る

この奥の山に行くのは、四国をグルッと回って、八十八ヵ所巡りの終盤に入ってからです。


▼ 吉野川の橋から南の対岸を見る。対岸は吉野川市です。



▼ 吉野川を渡ったところで今渡ってきた北側を見る

向こうの林の奥がいま歩いてきた人家の見えない一面の畑です。沈下橋とは、川が氾濫することを予想して作られた橋で、洪水の時は水面下に潜ります。その水圧に耐えられるように作られた橋です。この吉野川も暴れ川で、梅雨時には氾濫するのでしょう。


 午後2時40分、吉野川を越えたところで、車を降りた初老の男性に、「オーイ」と呼び止められ、「道はこっちだよ」と教えてもらいました。北に見える山を指さして、「あの山がいま歩いてきた切幡寺ですよ」と教えてもらいました。「さっきもフランス人2人が通っていった」と教えてくれました。追い抜かれた外国人女性はフランス人のようです。

 あとは雨のなかを黙々と歩きました。メガネに水滴がつかないように、うつむき加減になります。約3キロほどで藤井寺に着きましたが、雨の中を歩くのは辛いものでした。写真を撮る余裕もありません。前の失敗に懲りて、ザックにも防水カバーをかぶせました。しかし宿で開けてみると、肩のところから雨が浸みて中がけっこう濡れていました。

 4時頃、11番札所の藤井寺に着くと、そのフランス人女性2人が遅れてやって来ました。またどこかで追い越していたようです。
 納経所でいっしょになり「私が雨がひどかったですね」と年配の女性にカタコトの英語で言うと、うまく伝わりませんでした。「ヘビー レイン(ひどい雨)」と言っても分かりませんでした。私の発音がおかしいのかとも思いましたが、フランス人ということだから英語は分からないのかも知れません。もう一人の若い女性に「ウェアー ホテル(宿はどこ)」とカタコトの英語で聞くと、私と同じ旅館の「ヨシノ」といったので、私も「セイム ホテル(同じホテル)」と言って、私は先に旅館吉野に向かいました。


▼ 藤井寺の本堂



 11番札所の藤井寺を打ったあと、旅館吉野に向かう途中でメダカ直売の看板のある民家の庭にいたおじさんに呼びかけられてお接待を受け、柿をごちそうになりました。そこに遅れてフランス人の女性2人連れもやってきました。
 その方は遍路のためのホームページを立ち上げられているようで、その案内と友人が経営しているペンションのパンフレットをもらいました。納め札を渡そうとすると「いいよ、いいよ」と言われましたが、受け取ってもらいました。納め札には簡単な住所と名前を書いています。御礼を言って宿に向かいました。


▼ 昨日お接待を受けためだか直売店



 午後4時半ごろ、旅館吉野に着きました。フランス人女性2人も10分ほど遅れて到着しました。今日は約20キロ歩きました。途中コンビニに寄ろうと遠回りをしましたからそれ以上歩いたでしょう。さらに午後から雨に打たれたことで、疲労は昨日以上でした。
 明日は最初で最大の難所と言われる焼山寺に登ります。吉野川の南の山です。今日までは吉野川の北側を歩いていました。「大丈夫だろうか」とちょっと不安がよぎります。大まかに言うと、徳島を南下して室戸岬に向かい、そこからは西に向かって土佐をめざすことになります。「どこまで行けるだろうか」。私はそれを決めていません。ただ11月中旬には自宅に戻らなければならない用があるため、全部回るのは諦めています。そのことよりも心配なのは、健脚でない私の足が持つかどうかです。最初で最大の遍路ころがしが明日に控えています。そこでリタイアするお遍路さんも多いと聞きます。自分もその1人になるのではないか。私は足には自信がありません。

 旅館吉野の食堂では、岡山から来た69歳の男性と、札幌から来たお医者さんで71歳の男性、それにフランス人の女性が2人、それと私の全部で5人でいっしょに食事のテーブルを囲みました。
 岡山からの男性は、過去にすでに八十八ヵ所を一周回られたらしく、今回は23番札所の薬王寺まで行くということでした。
札幌からの71才の男性は、現役のお医者さんで2週間の休みを取るのがやっとだったと言っておられました。高知市の手前まで行くということでした。
 フランス人女性2人連れは母親とその娘さんでした。娘さんが言い出したお遍路に、母親もいっしょに着いて来たようでした。娘さんはむかし台湾にいたことがあるらしく、アジアのことに興味があると言ってました。学生のような感じでした。娘さんが2週間ほど前に日本に来て、4~5日前にそれを追って母親が日本に来たようでした。明日は2人とも焼山寺に登ると言っていました。
 今日はコンビニがなくてタバコを買うことができませんでした。タバコが切れそうだったので、明日の朝に宿の自転車を借りて駅前のコンビニまでタバコを買いに行こうと思っていましたが、もしかしたらと下に降りて宿のご主人に「タバコはありませんか」というと、ちょっと困ったような顔で「うちにはありませんけど、何を吸いますか」と言われるので「何でもいいです」というと、ご主人の個人用のタバコを一箱売ってくれました。とても助かりました。
 明日は6時の朝食です。明日の昼飯のおにぎりを宿のご主人に頼んで、6時半に出発する予定です。焼山寺のような遍路ころがしで雨にあうとますます大変です。明日の天気が気になりましたが、明日は台風が東にそれて雨は降らないようです。助かりました。しかし他の地域では台風の被害が出ているようです。もし明日、台風の雨がひどいようであれば、明日は歩くのを止め、この宿に連泊することも考えていました。

 さて明日の宿をどうするか。明日は1日中、山の中です。焼山寺までの途中に宿はありません。いつものように「へんろみち保存協力会編」の地図をたよりに宿を探します。この地図の後ろには宿泊施設の一覧表もあり、そこに宿の住所と電話番号も載っています。これが一番の頼りです。
焼山寺を降りて3キロのところに「なべいわ荘」がありました。そこが一番近い宿です。そこに電話をしてみるとオーケーでした。ホッとしました。歩き遍路には宿が命綱です。毎日毎日が綱渡りのような日々です。その日の体調を見て、明日歩く距離と宿を決める、今はそれしか方法がありません。2日後の体調など自分にも分からないのです。

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