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ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい

「授業でいえない世界史」 53話 戦後 1970年代

2019-05-29 11:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1970年代】

【ドル・ショック】 ここから1970年代です。その1970年代は何で始まるか。前に言ったように、アメリカがベトナム戦争に負けて、お金を使い果たして財政難になる。お金がない。アメリカの信用が落ちる。ということはアメリカのお金の信用も落ちる。

 1971年、これは何が起こるか。政治経済でもしました。ドル・ショックです。別名は大統領の名前を取って、ニクソン・ショックという。大統領はニクソンです。


 ベトナム戦争でお金が必要だ。お金を刷ればいいじゃないか。お金を過剰に印刷する。管理通貨制度というのは、こんなことができる。今の日本もこの管理通貨制度です。なにも無いところから、いくらでも1万円札を刷ります。もう7年もやっている。でもこんなことはいつまでも続かないです。
 お金ばかり刷って、経済実態が変わらなかったら、このお金は本当に信用できるのかと疑心暗鬼になって、誰もドルなんか欲しがらなくなる。欲しくないお金というのは、欲しくないものの値段と同じで下がるんです。


 ドル・ショックで金とドルの交換が停止される。そこから変動相場制に変わるんです。これが今の制度です。その時から今もそのまま続いている。

 もともとは、アメリカのドルでも日本の円でも、信用があれば本物の金(キン)を買えたんです。本当のお金というのは、第二次世界大戦前までは金だった。しかし第二次世界大戦中に、世界の金の半分以上はアメリカに集まってきたんです。

 そうすると日本人からいうと、円で金(キン)は買えなくなった。というか逆に、本物のお金つまり金(キン)が欲しかったら、ドルでしか買えなくなった。
 

 これが第二次世界大戦後、新たに決まったルールだった。これを金ドル本位制と言います。もっというと、金1オンスつまり31グラムは、35ドルで交換すると、アメリカが約束してたんです。しかし20年経って、ベトナム戦争でお金を使い果たして、他の国がいっぱいドルを持ってるんですよ。


 そしたら、ドルを持ってくれば、金と交換できる。その金がどんどん流出し、アメリカからなくなってしまう。そうなると金と交換できなくなる。金が無いんだから。
 しかしそうは言わない。交換したくないからという。金とドルの交換停止を発表する。理由はないからですけど、ないとは言わない。あるけれども交換しないということにする。本当は、ないから交換しないんです。それほど金が流出しているんです。


 ドルで金を買えなくなったら、昔の体制と全然変わらない。本当はこの段階で、こう戻らないといけない。ここが交換できなくなったんだから。ドルはもとの地位に落ちなければならなかった。それがルールですけど、こうならないし、ドルは元の場所に戻らないし、相変わらず世界の基軸通貨のまま今まで来ています。


 世界経済は、お金をどう操作するか、そういう世界になっていきます。


【ドル・ショックの続き】 1971年のドル・ショックの続きです。この図はもともと、政治経済の教科書からとっています。
 次の1985年プラザ合意、これがバブルを生むおおもとなんです。
 
▼ドル円為替レートの推移
 
      

 アメリカがドルと金がリンクをはずして、金とドルの交換を停止したにもかかわらず世界の貿易は、ドルによって成り立っているのだったら、金と交換する必要のないドルを発行できるのはアメリカ政府なんです。正式に言うと、FRBという中央銀行なんです。お金が足らなかったら、一番簡単に考えると、どうやってお金を手に入れることができるか。輪転機をまわして印刷すればいい。紙のお金はタダだから。これで完璧に紙のお金になった。


 もともとは紙のお金というのは、政治経済で言ったように、金との交換券だった。1万円札は日本銀行に持っていけば、お願いしますというだけで1万円金貨と交換してくれた。しかしこれをしないとアメリカが宣言したわけです。
 そんなことしていいんですか、という質問をした生徒がいる。いけないんですよ。約束なんだから。でも軍事的にナンバー1、経済的にナンバー1、ダメといったて、お金はアメリカに牛耳られているから、日本の円では輸入できない。だから買うしかない。約束を破るのはずるいことです。でもアメリカはその約束を破ってでも、自国の利益を優先したわけです。こうやってアメリカは武力と経済力を背景に、ルールを無視していくわけです。


 しかしこんなことが起こるなんて誰1人として予測してなかったから、最初は日本の経済大臣でも、これが何を意味しているのか理解できなかった、という話がある。

 この後は、金とのリンクを失ったドルは価値がだんだん下がっていく。

 それまでは固定相場制で、1ドルは360円と決まっていた。それが1971年から1980年の間に、最高はこの1ドル190円にまでなった。これはドルをベースにしてるから、円が安くなっているような気がするけど、それは逆でドルが360円から190円に安くなったんです。


 ここらへんは政治経済の知識を活用しないと、よくわからない。お金の力で世の中は動いていくから、お金の動きをよく見ておかないといけない。これはドル安なんです。

 おおまかに言うと、1990年代の半ばまで一貫してドル安です。逆に日本にとっては円高なんです。

 日本は輸出企業が多いんです。円が高くなったんです。高くなると輸出品が売れなくなります。

 ということは、日本はここ30年、平成30年間、景気が悪いでしょ。これが理由の半分です。日本製品は海外で高くなって売れなくなった。今や360円が100円ですよ。

 3倍以上高くなったら、1000円で買えていたものが3500円になったら、誰も買わないでしょ。日本製品が売れない。と言うことは日本は経済力は低下する。
 しかしこれは日本人がサボったからではない。円高のせいです。為替操作です。この為替操作はドル・ショックによって始まる。操作するのは日本ではない。アメリカです。日本は軍事と為替で首根っこをつかまれています。

 この図は何回も出てくるんですけれども、これによってドル安になった。ドル安と同じことが円高ですね。円高の意味はそういうことです。360円が100円になった。これは日本にとってとんでもないことです。

 こういうことが1970年代から始まったということです。これがドル・ショックです。

 これによってアメリカの金融操作が容易になった。金融操作というのは、政治経済の日本銀行のところで言いました。金利を上げたり下げたり、株券を売ったり買ったりする。それによって景気はかなり左右できる。ただこれは基軸通貨のドルを発行できる国であるアメリカしかできない。


 だから景気をあげる時にはドルを印刷してばらまけば、どうにかアメリカは生きていける。一番簡単に言うと、そのしわよせでリーマン・ショックがドカンと来てその一番被害を被ったのは、アメリカじゃなくてヨーロッパです。そして二番目が日本です。


 これを発表したのが1971年の8月、それもお盆の15日、日本の終戦記念日です。その日を狙ったようにやる。8月15日は日本人はお盆でお休み、しかも終戦記念日です。そこでドカッとやる。

それがドル・ショックでした。


【中国訪問】 もう一つあります。今まで戦後30年間喧嘩して、1回も訪問してない国、それどころか国交さえなかった国と仲直りするという発表を同時にした。その国というのが中国です。

 アメリカのニクソン大統領が中国訪問を表明する。これを翌年やります。

 これの下準備を整えたのは、キッシンジャーという。この人はまだ生きてる。当時キッシンジャー外交といって盛んに報道されました。その政治面はあとで言います。
 このドルショックによって、ドルは下がっていきます。しかしそれ以上に、このあと下がっていくのが中国の人民元です。
 中国の通貨である人民元は、1980年代に150円だったのが、10年でストーンと下がる。ここで20円切っている。そして15円になる。150円15円に、10分の1に安くなるんです。ドルも下がったけど、本当はそれに目を奪われてはいけない。もっと下がった通貨ある。これが中国の人民元です。

※ 1971年頃の中国は、アメリカともソ連とも対立して、中国共産党は崩壊の二、三歩手前まで行っている。そのとき、アメリカが中国と手を結んでしまったため、中国は力を取り戻してしまう。中国はアメリカ帝国主義とソ連の覇権主義の両方を批判していたのが、アメリカ帝国主義のほうと握手しちゃうわけです。経済的にもよくなる。毛沢東の側が最初にアメリカに関係改善を打診したということが分かっています。(フーバー、藤井厳喜)

 ドルが安くなったら、アメリカは外国に輸出しやすくなるという話は、政治経済で強調したつもりです。自国通貨が安くなったら輸出に有利なんですよ。しかしアメリカはこれほどドルが安くなったのに輸出が伸びなかったんです。


 ミサイルとか、核とか、原子力ばかりに力を入れていて、基本的な家電とか、テレビとか、そういう耐久消費財というけれども、そういうのが売れない。車もそうです。燃費が悪くて売れない。

 リッター1というのは、それはひどい。この間、BMWに乗っている人と話をしていたら、あのドイツ車でもリッター8は行くという。
 自慢じゃないけど、私の車は日本の大衆車ですけど、10年以上乗って、1800㏄でまだリッター13キロ近く行く。アメリカはそういう努力をしていない。リッター1とか2とか3とかの車、買わないでしょ。だから輸出が伸びない。

 しかし中国はこの後、とほうもなく輸出を伸ばします。これは我々の日常生活に今では深く入り込んでいる。
 1990年代からは日本国内で、中国製品が怒濤のごとく100円で売られるようになる。これが新しくできたスーパーの形で、今でいう百均ショップと言うものです。それまではそんな安売り店は無かった。中国製品はそれほど安くなかったんです。何でこういったことになったか。
 きっかけはドル・ショックです。ドル・ショックで通貨の価値が一気に世界中で変わっていく。今では経済力で中国は、アメリカに次ぐナンバー2国家です。逆にそれまでナンバー2国家だった日本は、ガクッと落ちていく。これは日本人が働かなくなったせいじゃない。サボったせいじゃない。為替のせいです。


 ふつう値段が倍に上がったら、人間が幾ら努力してもおぎなえない。2倍上がったら2倍努力しなければならないでしょ。8時間働いていたのが、16時間も働けるか。これは働けない。この後の日本は働き過ぎで、過労死というのが社会問題になります。これが1971年8月に起こったことです。
 これと同時にアメリカは中国を味方に引き入れていくんです。
 その構図が、米ソ対立の中で、中国とソ連が対立したら、敵の敵は味方になりやすい。アメリカと中国は味方になりやすい。1960年代にそういう条件は整っていた。

 それでキッシンジャー外交でアメリカはまず中国訪問を行う。1972年の2月です。そして、その時に共同声明を出して、今からは国交に向けて努力します。仲良くしていきましょう、アメリカと中国間は友達ですよ、という宣言を出す。正式の国交は、もうちょっとあとになるけれども。

 それから半年後、今まで中国とは国交がなくて、中国は敵だ敵だと言ってた日本、当時の首相は田中角栄です。アメリカが中国と手を組んだら、オレたちも中国と手を組もうと、日本の外交も一気に変わります。ただ田中角栄は、この後すぐつぶされます。ロッキード事件をしかけられて。


 なぜかというと、田中角栄はこれを独断でやったといわれます。アメリカに相談しなかった。日本は主権国家だろう、なぜ相談しないといけないのか。それは正しいですよ。しかし現状はそうじゃないというのが、その裏側でわかる。独自外交をやったという話は、半分常識です。こういうことがあって、日本の方が一歩先です。アメリカよりも先に日本が国交回復します。


 それまで日本人で、中国に旅行に行けた人とかいなかったんです。今でも日本人で北朝鮮に行った人とかいないでしょう。特別な政府高官以外には行けなかった。庶民で北朝鮮旅行していたという人はいない。それまでの中国はそれと同じだったんです。
 それが国交回復して日本から中国に行けるようになる。それまでは近くて遠い国だったんです。それが1時間半で中国にいける。中国最大都市の定期便ができる。これはものすごく大きな、想像できないような変化です。


 こういうふうに中国を味方に引き入れないといけないのは、アメリカはベトナム戦争で負けてる。経済的にもガタガタになってる。もう勝てない。1973年には負けました宣言です。ベトナムに負けました。ベトナム和平協定というのに調印する。そして負けたまま、あのアメリカがベトナムから撤兵する。兵隊を引き上げる。国際的な、威信低下です。あの大国アメリカが東南アジアの貧乏なベトナムに負けたんだから。


【オイル・ショック】 そして、この1973年には、もう一つ全然別のところから大問題が起こる。世界のヘソのパレスチナでまた戦争が起こる。これを第四次中東戦争と言います。その一帯は世界中の石油が集まっている石油産出国なんです。それが戦争で石油を輸出しなくなると・・・日本国内では石油はほとんど産出できない・・・石油の値段が跳ね上がっていく。そして狂乱物価になっていく。
 これが次の年の1973年に起こる。1971年、72年、73年と、もうビックリすることだらけです。私は当時中学生だったから、これがどんなに大変なことかまだピンとこなかった。しかし世の中では、ニュースで大変だ、大変だ、と言っていた。私は、大変だと思いながら、鼻くそほじくってポカンとしていた。ことの重大さを理解したのは20歳過ぎてからだった。それくらいアンポンタンだった。

 これがオイル・ショックです。石油危機という。1973年です。石油が掘れないから、原油を値上げするというOPEC、これは世界石油産油国のグループです。


【中国】
 この前段になってるのは、中国で1976年毛沢東が死んだということです。毛沢東は徹底した社会主義路線を突っ走って大失敗をしていた。これが文化大革命だった。これは失敗だった。失敗続きで、中国には飢える人まで発生する。やっぱり社会主義経済は限界だ。アメリカのような自由主義経済、市場経済を取り入れないといけない、という考えに変わっていく。
 そこにアメリカがすり寄って、じゃあ握手しましょうかということになったんです。

 ただし条件は、中国は実は二つの中国がある。もう一つはどこか。台湾です。アメリカは、今までどっちを本物の中国としていたか。それまでアメリカは台湾を正統な中国としていた。これを変更する。中華人民共和国、つまり今の大陸中国が本物の中国だ、だから国連の代表権もあんたのところだとする。


 なんだと、と腹を立てたのが台湾です。台湾に代わって、今の中国が国連代表権をもった。アメリカが認めたからです。アメリカの変化で国連も変わる。

 さっき言ったことを、ニクソンの訪問を受ける中国側からもう一回言うと、1972年2月にアメリカ大統領のニクソンが訪中した。中国を訪問した。そこで米中共同声明を結んだ。
 そうすると半年後には、田中角栄という日本の首相が中国にみずから飛んで、日中共同声明を出した。これで日中の国交が正常化した。パスポートがあれば誰でも中国に行けるようになった。そして平和条約を・・・戦争しませんという平和条約を・・・6年後の1978年に日中平和友好条約を結んだ。一足日本がアメリカに先んじたんです。

 その4年後の1976年には今まで社会主義路線を進めてきた毛沢東が死んで、前の時間に言ったように、リーダーが鄧小平に代わった。彼は資本主義路線を歩みます。

 ただこれを資本主義路線とは言わずに、改革開放政策という。本格的に打ち出すのはその次の年1978年からです。
 
※ 鄧小平はキッシンジャーの支持の下、改革開放路線をひた走ることになります。ここに中国指導部はアメリカのウォール街を中心とする国際金融勢力と手を結ぶことによって、疲弊した中国経済の活路を見いだしたのです。これに応え、国際金融勢力は中国が市場経済の基本的条件を欠いているにもかかわらず、安価な労働力の豊富な中国を特別扱いして現在に至っているのです。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 そして1980年代からは、さっき言ったように人民元がどんどん安くなる。どこまで安くなるか。日本円で約10分の1に安くなっている。だから中国製品は飛ぶように売れていく。そういうふうに中国の輸出が拡大していく。社会主義をやめる交換条件として、そういう人民元安の路線を取る。中国がアメリカ側につく代わりに、中国の人民元がとてつもなく安くなっていきます。


 なぜ、どこでそういったことができたのか。よくわからない。しかし何かここには公表されていないことがある。こういうふうにドル・ショックでお金が金とのリンクがはずれると、為替操作がやりやすくなる。1971年はその始まりです。



 1973年10月が第1次オイル・ショックです。まだ1970年代ですが、ちょっとだけ先のことを言うと、1980年代の金融操作は全部アメリカ発です。
 まず1985年のプラザ合意です。これで円がますます高くなった。日本の物が外国で売れなくなった。その結果、日本のバブルが起こる。それが崩壊して日本の平成不況が始まった。このことは次回もう少し詳しくやります。

 ではアジアはというと、1950年代には非同盟を唱えて、アメリカの仲間に入らないと言ったけれども、これが維持できるのは次の1980年代から90年代までで、1997年にアジア通貨危機というのが起こる。国内でアメリカのドルが足らなくなる。ドルが欲しかったら頭を下げなさい。そのあとアジア諸国はグッとアメリカの方を向く。

 そして、2007年には、リーマン・ショックです。これはもともとは、サブプライムローンという住宅の低所得者向けの貸し出しから始まる。返ってくる見込みのないお金を貸付けて、その証券つまり借用証書をヨーロッパに転売している。アメリカが、自分の損失をヨーロッパに押し付けた、という形です。
 日本もこれに手を出す寸前まで行くんですけど、まだ日本はヨーロッパほどには買っていませんでした。ただ日本はアメリカ国債つまりアメリカの借金をいっぱい買っている。アメリカはお金がないからずっと借金経営です。アメリカにお金を貸しているのは日本です。
 ここらへんはすべて金融操作があります。


【ソ連】
 また戻って、1970年前後からのソ連の動きです。フルシチョフのあとは、ブレジネフです。ソ連のトップは書記長という。大統領とか大臣とかではなく、書記長という。約20年間、社会主義路線が停滞して発展しない。それに発展しないから、嫌気がさした子分たちの国、東ヨーロッパの国々つまり東欧諸国が、ソ連はダメだね、民主化をもっとして欲しい、と言う。しかしこれをソ連が軍事弾圧していく。軍事弾圧していくのが1970年代です。もうドル・ショックが起こったあとです。
 さらにソ連はアフガニスタンに軍事侵攻する。ここには山を越えて陸続きに南下すればいい。ソ連から国境越えていけば、アフガニスタンに入ることができる。


 しかしそういう軍事費にお金を使うと、お金が足らなくなる。軍事費を増大しすぎると国は必ず財政難に陥る。それはソ連も一緒です。アメリカも一緒です。

 1979年から急激な人民元安になる。これが1980年代からますます激しくなる。これによって中国は急成長していく。日本のGDPの10分の1ぐらいしかなかった中国が、今や7~8年前に追い越されて、日本の2倍以上の経済規模になってます。中国の急成長は、日本の比ではないです。



【アジア】
【アセアン】 その1970年代のアジアです。日米以外の国を見ていくと、アジアは非同盟諸国であった。アメリカとは手を組まない。自分たちだけでまとまろう。その現れが東南アジア諸国連合、いわゆるASEANです。これを結成した。まだベトナム戦争の最中の1967年です。中心国はインドネシアです。デヴィ夫人の旦那はスカルノです。それから次のスハルト。フィリピン、シンガポール、タイ、マレーシアのまずは5カ国です。5カ国から始まって今は、その倍ぐらい増えて、ベトナムもはいっている。ミャンマーも入っている。どんどん拡大している。日本もこれに入りたがっている。しかしそれより先にアメリカがこれに入ろうとしている。アメリカはここでも主導権を握りたい。


【ベトナム】 ではベトナム戦争後のベトナムです。1973年に正式に戦争が終わって、1976年には南北に分かれていた国が一つの統一ベトナムにまとまった。統一された。



【カンボジア】 しかしその隣の国のカンボジアでは、ひどい共産主義政権が出現した。指導者をポルポトという。


 農業国家で徹底した共産主義をしようということで、そんなこと今の時代にムリです。農業には戻れないです。反対する人々に、何を言うか、みんな殺していく。殺した総数は、想像を絶する。正確には今でも分からない。


 初め朝日新聞は、こういった事実はないと報道していた。次にそれが事実が発覚して、ごめんなさい、間違ってました、と認めた。では何人殺されたか、1000人、2000人、1万人、10万人、何百万単位です。何百万人単位で虐殺が行われた。こういう悲惨な国もありました。これは日本の新聞が、朝日新聞を中心に否定していたから、ほとんど当時リアルタイムでは日本で報道されていません。私は10年遅れぐらいで、1980年代ぐらいで、そうだったのか、と初めて知った。リアルタイムで生で掴んでいた人は日本では多くないはずです。


 一番歴史を知らないのは、当時生きている当人です。生きていた当人が一番知らない。こういうことはあとで分かるんです。いつの時代もです。今我々が生きているこの瞬間にも本当は分からないことがいっぱいある。


【イラン】 では次にイランです。これは今アメリカが目の敵にしている国です。なぜ目の敵にしているか。その理由は、もともとは親米国家であった。親米国家、アメリカが好きだったんです。好きな国を親米というですよ。その国王が、パフレヴィー国王と言った。この人はアメリカ大好きです。でも国民の意見は聞かない。アメリカの意見だけ聞く。国民はこれに不満なんです。


 ここは石油の巨大産地です。その石油会社をアメリカが牛耳っている。ということは、利益はアメリカに持って行かれる。国民のための政治をしてないじゃないか。何してるんだ。一番大事なものをアメリカにとられたらダメじゃないか、ということで革命が起こる。これが1979年イラン革命です。こういう人に限って逃げ足は速い。逃げなかったら殺されるから、すぐ亡命する。


 では誰が次の指導者になったか。パフレヴィーが国外追放していた宗教指導者です。反対するなら出て行け、出て行かなければ殺すぞ、と言われて、仕方なく亡命していた人がいる。指導者になって帰ってくる。これがホメイニです。


 それで国名を変える。イラン共和国だったのが、イランイスラーム共和国となる。これは親米ではない。キリスト教国家でもない。イスラーム国家です。政治的立場もそれ以来、反米に転換します。親米から反米に代わる。だから今でもアメリカは、イランを悪の枢軸と言ったりする。名指ししたのは、2002年の子ブッシュです。悪の枢軸としてアメリカが名指しした国は、北朝鮮、イラン、イラクの三つです。


 アメリカの大統領が、他の国の主権国家を名指しで、悪の枢軸と言えば、普通は最後通告です。私は戦争が起こると思った。実際に起こりました。2003年のイラク戦争です。イラクは潰れて、いま混乱の極みです。イラクのフセイン大統領は捕まえられて絞首刑にされました。次には北朝鮮とイランです。今やってます。


【インドとパキスタン】 次にインドとパキスタンの関係です。インドはもともと、どこの植民地だったか。イギリスです。英領インドであった。だからインド人は英語しゃべれる。インドの公用語には英語が入ってる。しかしもともとの住民はヒンドゥー教徒です。それまでのムガル帝国、300年続いた国の支配者はイスラーム国家で、宗教対立があったんですよ。


 イギリスは、この対立を利用して、植民地として領有している間に、インドを分断させようとした。その対立をうまく利用してきたんです。イギリスに植民地にされている間に、それまで対立していなかったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が表面化するようになって、インドがイギリスから独立しようとするときには、イスラーム教徒がおまえたちと手を組めないとなって分離してしまって、いっしょに独立できなかった。その結果ある国がインドパキスタンです。分離独立したということです。


 これが危なくて仕方がないのは、核のところで言ったけど、インドがアメリカと対抗するためにを持った。そしたら敵のインドが持つんだったら、オレだって持たないと危なくて仕方がないと、パキスタンが核を持つ。
 しかもそれをアメリカが認める。イラクにはアメリカは絶対に核を認めない。イランにもアメリカは絶対認めません。こういうのを二枚舌という。この人には核は良くて、この人にはダメとか、そんな理屈ないでしょう。
 しかしこれは教科書には書いてない。書いてるのは、インドの地方の土地争い。カシミール地方の国境問題で対立している。でもちがうんです。核で対立しているんです。


 その経緯は、1974年にインドが核実験を行った。理由は、アメリカが核実験を100回行ったら、オレが行うのも当然だ。ソ連が100回行って、インドは核実験したらいけないなど、そんなバカなことがあるかという。それで核実験する。インド人は頭がいいから、実験したらすぐ核はできた。


 しかし、パキスタンも核実験をする。あのパキスタンが、なぜ核を開発できたのか。裏を言えばパキスタンに核をもたせるために、アメリカが核情報を与えたんじゃないか、そこまでの裏話はある。そうじゃないと、そんなに強くないパキスタンが、核まで持てる時間が短すぎるんです。


 そしてアメリカは8年も経って、パキスタンの核実験を非難する。8年も経ったあとに、ダメじゃないの、くらいの非難です。ここらへんは表面的です。形だけの非難という感じです。


 それから1971年、第三次印パ戦争で、バングラデシュが独立します。それまで東パキスタンと言っていたところがバングラデシュとして別の国になりました。



【ドル相場】
 それでこの間、アメリカのドル相場は、1979年には、1ドル200円だった。ドル安が進んだんです。基本はドル安が続きます。ドル安に流れるというのは、アメリカにとっては好都合なんです。アメリカの製品が売れやすくなるから。国外で安くなるから、売れやすくなる。

 しかし安くなっても、アメリカの製品は、結局売れなかった。アメリカ車が一番好例ですね。努力してない。ずうたいがデカいだけ。ネーミングだけ、リンカンコンチネンタルとか、2500ccぐらいで、本当にあれは、リッター1か2ぐらいです。日本でたまに見ると、大会社の社長とか、成金趣味の人とか、避けて通るような人とか。リッター1では普通の庶民では走れない。だから誰も買わない。

 そういうふうに、アメリカ製品は技術が落ちていく。

 それにもかかわらず、6年後にアメリカがとった政策は、1985年には、1ドル250円にしたんです。為替操作で。これはドル高です。ドルが高くなった。外国で物が売れなくて困っているアメリカがドル高にしたら、物は売れるんですか。売れないアメリカ製品がよけい外国で売れなくなるだけです。こういう政策をとった。


 なぜこんなことになったか。銀行金利を高金利にしたんです。高金利にしたら、高い金利がつくから外国から預金が集まってくるんです。


 預金を、なぜ集めないといけないか。アメリカはお金が足らないから、借金しないと国がまわらない。借金するためには、アメリカに預金してもらわないといけない。お金をアメリカに預けてもらわないといけない。預けやすくするために高金利にする。
 しかし高金利にして、当面は凌げても、その反面、ドル高になって、アメリカ製品はますます外国で売れなくなった。そういう自滅型なんです。


 自滅型なんだけれども、この尻ぬぐいをさせられるのが日本です。これがプラザ合意です。そのあとのバブル経済と続いていくですが、今日はここまでです。

終わります。ではまた。














 

「授業でいえない世界史」 54話 戦後 1980年代前半

2019-05-29 10:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1980年代】

【アメリカ】
 では1980年代、日本ではバブル経済、あの悪夢のバブル経済が起こります。ここは政治経済で言ったことと同じです。君たち高校生が苦手なところは、円高円安です。これわかるかな。円高円安、これ抜きではわからないです。それと隠し味が中国人民元です。
 この図は、一番左側がどういうことがあったかという事項名です。真ん中が、円、ドル、人民元の三本の為替相場です。この3つの通貨を一緒にすると難しすぎて分かりにくいから、ドルを飛ばして、一番右は円と人民元の為替相場です。
 三本絡むから、ちょっと複雑なんだけれど、1980年の時点で中国人民元はいくらか。大まかに言うと1人民元は150円だったんです。それが最安値は1993年、1人民元10円になる。ウソみたいに安くなる。今チョコっと高くなって1人民元は15円ぐらいです。もともと1人民元は150円です。人民元は10分の1に安くなる。中国製品が安くなるはずです。売れるはずです。これで輸出が増えなかったらウソです。


 メインは日本とアメリカのドル円相場です。その理解なしではちょっとわからない。これを省略すると、結局何を言っているか分からなくなるので、言います。
 円とドル。1ドル100円が110円になったら、円安、円高のどちらですか、1ドル100円が110円になったら、円安ですか、ドル高ですか。これはドル高です。
 わからない時には、ドルで考えたらいい。しかし日本のニュースでは、我々は日本人だから円高・円安でしか言わない。これはドル高なんです。ということは、円は、安くなったの、高くなったの。安くなったんです。だから円安です。つまりドル高・円安です。


 これが基本中の基本で、これはたぶん2回以上やっていると思うから、もう繰り返しません。分からないときはドルで考えてください。ドルが高くなれば、日本の円は安くなる。表裏の関係だから。それで1980年代に行きます。


 戦後1ドル360円と決まっていた相場が、変動していいことになったんです。いつからですか。1971年に何が起こったか。ドル・ショックです。アメリカが一方的に、金とのリンクがはずした。それで変動相場制になったんです。


 金とのリンクがはずれたということは、基軸通貨を持っているアメリカにとっては、ドルの量を増やしたり減らしたりしてアメリカが自由に調整できるようになったことを意味しますから、アメリカは円高にも円安にも為替操作をしやすくなった。
 基軸通貨の威力はすごいです。基軸通貨の操作とは、ドルをどれくらい刷るか、刷らないか。ドルの金利を上げるか、上げないか。
 そういうことはちょっとマジックみたいなところがある。これはあまり教科書には詳しく説明してないけど、これを言わないといくら考えても1980年代以降の世界史は分からない。
 1980年代以降の30年間の平成不況、君たちはそれしか知らないと思うけど、そうじゃなかったんですよ。戦後は景気がいいときもあった。それがなぜ今のような日本になったか。これなしではわからないと私は思う。

 ドルは今110円ぐらいです。これ1ドル360円から見ると、ドル安なんですか、ドル高なんですか。これはドル安です。1970年代からだから約50年かかって、ドルは一貫して安くなっている。


 ドルが安くなったら、アメリカ製品は海外で安くなるから売れるはずです。普通は売れるはずなんですよ。日本だったら自信持って売れる。でもアメリカ製品は売れない。結局ドルがどんどん安くなって、これでアメリカ景気回復するというその狙いはかなわない。結局アメリカ製品は売れない。アメリカ車が売れないのといっしょです。ドル・ショックから10年経っても、やっぱり売れないんです。


【レーガン政権】 そこで1980年代始めにハリウッドスターが大統領になる。レーガンという。二枚目です、ハリウッドスターだったから。大根役者だったんですけど。一気に大統領になる。

 結局、高いドルのほうが信用があった。このドルが3分の一以下になると、ドルに対する信用が失われていくんです。日本はそうでなかったけれども、ヨーロッパの国は違う。同じ白人の国同士ですけど。やっぱりもうドルはダメだな。私はこれは正しかったと思う。それが西ドイツですよ。


 1979年、ドルショックから9年経っている。ヨーロッパは自分たちが発行する通貨をつくろうとする。そういうことを考え出したのが1979年です。ドルだけ儲けさせてたら、ドルだけ信用していたら、ダメじゃないか。これが今のユーロに繋がります。EUは独自通貨を持っているでしょ。国をまたいで発行する共通通貨のユーロというのを。この機構をEMSと言います。欧州通貨制度といいます。こうやってヨーロッパでドル離れが起こるのです。


 その時には、すでに1ドル360円という時代はとうに過ぎ去って、ドルは半値近くなっている。1ドル200円です。今から見るとドルは高いけれども、360円から見ると驚異的に安い。あのドルがたったの200円かという感覚だった。私はこの時、もう成人してだいたいわかる年齢になっていました。どんどんドル安になっていくということです。


 日本と同じじゃないですよ。日本は逆です。ずっとアメリカ頼みで、それは戦後一貫していますから、どこまでもアメリカに着いていく国です。
 それに対して西ドイツは、アメリカと距離を取っていきます。アメリカはアメリカでやったらいい。ヨーロッパはヨーロッパでやる。お互いそれでいいんじゃないの、という。すごいですね。日本の首相で、こんなことを言える首相がいますか。聞いたことありますか。私は50年以上生きてきて聞いたことがない。こんな首相が出たらカッコイイだろうなと思うけれども、日本でどんなに威張った大臣でも、アメリカに行ったらしゅーんとして借りてきた猫のようになってしまう。
 踊れと言われたら、ギターもって踊った首相もいます。エルビス・プレスリーをやれと言われたら、テレビの前で一生懸命エルビス・プレスリーの真似して踊った首相もいました。それで顰蹙をかった首相もいます。誰とは言わないけど。世界の物笑いの種ですよ、あんなことしたら。猿回しじゃあるまいし。


 レーガンは大統領になったその年に、ピストルで撃たれるんです。それで、それまでの勢いの良さがコロッと変わった感じがある。心臓に命中しなかったから、緊急手術して生き返って、そのあと大統領を続けますけれども。その時のアメリカというのは、さっき言ったようにドルが安くなって輸出が増えるはずなのに、輸出が増えないんですよ。相変わらず貿易赤字です。


 そして儲からないから相変わらず財政難です。財政赤字です。こういう状態、これが世界の超大国の姿なんです。お金がなかったらどうするか。借金するしかない。借金し始めて、この時すでに世界最大の借金大国です。借金国のことを債務国といいます。


【ドル高】 それなのにレーガノミクスといって・・・これはレーガンの名前のもじりですが・・・本来は財政が赤字であれば、お金が足らないから国民から税金を集めないといけない。しかし集めたら必ず大統領の人気落ちるんですよ。どっちを優先したかというと、人気が落ちるのを防いだんです。つまり増税しなかったのです。しかも逆に大幅減税をやる。考えられないことです。政府はお金がないのに減税した。どうするの。私はその理屈がわからなかった。今でも分からないけど。

 お金がないから財政は赤字、しかも税収は減らす。これでどうやって財政を立て直すのか。それなのに公共投資とか橋を作るとか、そういう国家予算は拡大させる。ますますわからない世界です。真面目に考えたら分からない。これは分からないのが当たり前です。お金がないのに、給料が減ったのに、買うものが増えるという人はいないでしょ。父ちゃんの給料は減っていくのに、母ちゃんの買い物はどんどん膨らんでいけば、その家は成り立たない。バカじゃないかと思うほどです。そういう家は借金するしかない。そこはいっしょですよ。


 じゃあどこがお金を貸してくれるのか。誰も貸したくないです。でも一つだけノーと言えない国があるんですね。このとき日本世界最大の債権国です。債権国というのはお金を貸している国です。アメリカ世界最大の債務国です。借金している国です。中身は今でもブラックボックスです。よく分からない。しかし大方の予測はつかないといけない。

 これ非常におかしいです。何でこんなことができるのか。本当に真面目に考えれば、貿易赤字を無くそうとするんだったら、輸出で稼がないといけないでしょ。輸出で稼ぐんだったら、ドルをもっと安くしなければならないはずなんです。そしたら、アメリカ製品は安くなるから、買う人も出てくる。


 そしてもう一つは、政府にお金がなかったら減税ではなくて、逆に増税しなければならないはずです。これが当たり前のセオリーです。これがまともな考え方なんです。ところがこの後レーガン政権がとったのは、アメリカはこれじゃいかん。そこまでいいんですよ。これじゃいかんというのはね。しかしドルをもっと強くしないといけないと言った。ではその強くするとはどういうことか。ドルの値段を上げないといけない、ということなんです。つまりドル高政策をとったんです。全く逆です。ますます分からないですね。
 ドル安にしなければならないところを、ドル高にしていく。狙いはドルを強めるためという。それによって、アメリカの威信、信頼、これを高めるんだ、と言う。これが強いアメリカなんだ、という。そしてドルの金利は10%を越えるんです。今の日本の金利は1%もないです。それどころか0.1%の世界です。このとき10%ですよ。途方もない高金利です。


 10%で預けていたら、100万円預けて10年後に、単純に10%だったら200万円になる。複利で、利息を込みで計算していくから、230万ぐらいになる。こんなに利息がつく。10年間黙って預けておくだけで130万円も増える。こういう高金利政策をやっていく。

 高金利にするとどうなるか。次はちょっと説明が必要かもしれない。ドルが高くなるんです。円が5%の金利が付く、ドルが10%の金利がつくんだったら、例えば中国人は外貨預金でどっちに預けるか。これだけが条件だとしたら、普通は金利が高いところに預けるよね。ということは、ドルを買うということなんです。ドルを買う人が増えたら、リンゴを買う人が増えたらリンゴの値段が高くなるのと一緒でドルは高くなる。だからドル高になる。


 しかしドル高になるとアメリカの製品は外国で高くなって、誰も買いはしない。そうすると輸出は増えず、貿易赤字はなくならない。何を狙っているのかということが分からないのです。


 日本が今向かってるのは日本のバブル経済です。あと5年で日本のバブル経済が始まります。さらに10年経つとバブル崩壊で、暗黒の平成30年不況が始まります。

 こうやってアメリカの輸出は増えずに、逆に輸入が増えていく。アメリカは貿易赤字がますます膨らむんです。ドルは1981年に200円だったのが、1985年には250円になる。着実に高くなっていく。輸出が増えるわけがないです。輸出が拡大するわけがないです。それどころか逆に輸入が増大して、貿易赤字はさらに拡大する。貿易赤字がますます拡大していく。


 しかもドルが高くなったんだから・・・このあとアメリカ人は日本人と違ってクレジット社会です・・・お金を持たないのにカードを切るんですよ。借金で。日本の感覚でいえば、ツケで買うという感覚です。飲み屋に行って、飲み代5000円です。ツケにしとって。そうやってカードをどんどん使う。借金できるものだから、自分では何もつくらずに、借金して輸入で食っていく。その借金、誰がお金を貸しているのかという問題です。


 この間、日本の銀行からアメリカへ資金が流れています。ちょろちょろどころじゃない。
 具体的には、アメリカ政府の借金証書・・・これを米国債というんですが・・・これを日本が買うんです。国債というのは国の借金です。米はアメリカですよ。日本はこれを購入しているんですね。日本の銀行が。日本の銀行のお金は、私が預けた10万円です。それがこうやってアメリカに流れている。アメリカ人がそれでカードを切って使っている。


 だからこれも、ある意味で、日本人がドル預金しているのといっしょです。こうやってドル高に協力している。ドイツとはまったく違う。ドイツはドルに頼らないし、アメリカにお金も貸しません。


 もう一つ、このアメリカの実体は世界最大の軍事大国ということです。これは今も変わりません。圧倒的な軍事力を持っている。核も世界最大の核を持ってる。それにもお金がかかる。その軍事大国の資金源が借金であるということです。こういう不健全な構造が発生します。


【ドル安】 2~3年後、ふとレーガンが気づく。3年ぐらいで、おかしいと。あんなにドル高にするぞ、自信持って言っていたのに急に、やーめた、気が変わった、と言う。突然今からドル安にする、という。日本の大蔵大臣、ちょっとこい・・・大蔵大臣は竹下登というのち首相になる人です・・・とアメリカに呼ばれる。それからドイツの大蔵大臣もちょっと来てくださいという。そして、ドル安にするから許力してくれ、と言う。

 この時の日本の首相は中曽根康弘です。この人物がまたアメリカべったりなんです。レーガンにいいように使われています。使われてるのにそれを、オレはレーガンをロンと呼び捨てにできるんだ、と自慢げに話していた人です。まだ生きてますけど。

 このときには、アメリカの輸出が増えないのは、これは経済ルールで、製品が悪いからです。


 日本が、日本車が売れている。日本のテレビもこの時代は売れてました。製品がいいからです。アメリカはそれがイヤなんです。日本は対米輸出をどうにか押さえなさい、と言い始める。つまりアメリカに輸出するな、と言い始めるんです。売るも売らないも、それなら、おまえたちが買わなければいい、と言えたらカッコよかったんでしょうけど、言えなかった。あーそーですかと言って、日本は輸出しないように自主規制しだす。アメリカへの輸出はこれ以上増やしません。これも経済ルールから考えるとおかしなことです。

 ここで、さっき言ったことを、書いておきます。

世界最大の債務国、借金国、これがアメリカです。
世界最大の債権国、お金を貸している国、これが日本です。日米同盟の裏には、こういう金銭関係が成り立っています。

 一生懸命やりたいアメリカ人は、一生懸命に物を作って、物づくりの世界で世界に負けないものを売りたいんですよ。アメリカの産業界はドル安を望むんです。


 では、今までのドル高は、アメリカ人の誰が望んでいたか。これはニューヨークのウォール街です。金融界です。お金というのは変なもので、100万円を1%で貸し出したら年率利息は1万円です。これを10倍儲けるためには10%にしたら10万円儲けるんだけれど、金利を1%に据え置いたままで10倍儲けるためには、10倍の1000万円を1%で貸せば10万円になる。お金はあればあるほど儲かるんです。金融界が狙うのはこれです。だからお金を集めたいんです。
 最初はこの金融界が強かった。だからドル高です。その間に、アメリカの製品は売れなくて、工場が潰れていったんです。これ以上潰れたらどうしようもないところまでいってしまう。アメリカで残っているのは、宇宙と飛行機とネット関係だけです。


【プラザ合意】
 この産業界、もうこれが限界だということで、ドル安政策に転じる。それが1985年9月、アメリカから呼ばれた日本とドイツが、プラザホテルというアメリカのホテルに呼ばれ、ここで話し合います。この合意を・・・プラザホテルで話し合われたから・・・プラザ合意といいます。1985年9月です。ここから日本でバブルが発生します。

 話し合いますといっても、こんな大きな問題は1~2時間では済まない。最低でも1日か2日は話し合わないと結論は出ないです。それがたった20分で終わる。そういうことで、どうもおつかれさん、で終わる。これは話し合いじゃないです。そこで決定したのは、ドル安にするため、日本とドイツは協力しろ、と強制されたということです。これが世界のためなんだと押し込まれたんです。実はアメリカのためです。
 だからドイツは、ハイハイと口返事だけして、協力しません。ドル高を維持していく。しかし日本は本当に協力して、ドル安政策を行う。手持ちのドルを売る。


 とにかくこれが発表されてたった2年で、ドルは半値になる。1981年に250円だったドルが、1987年に130円になる。発表された1日目なんか、1日で20円もドルが安くなった。今1日で1円安くなれば、みんな大騒動する。この20倍が一気に安くなる。たった2年で半値になる。
 いま110円前後です。たった2年でこれが半値の55円になったら、間違いなく本当に首をつる輸出企業の社長が出てくる。こんなことが1980年代に実際に起きるんです。


 そのくらい急激にドルが安くなる。ドルを安くして、狙いはアメリカが輸出したいということです。しかしアメリカの産業は、前のドル高時代の3年間で潰れてる。やっぱり伸びない。伸びずに、誰が悪いことにされるかというと、今まで円安を武器に輸出してきた日本が悪いとなる。こういうの逆恨みでしょう。
 さかんに、ジャパンバッシングといって、日本のテレビなんかも、アメリカ人が日本車をバット持ってバチバチ叩き壊す。それからウォークマンを足で踏みつける。昔、カセットラジオといっていたもの、ああいうのを持ってきて、みんなに子供に踏みつけさせてグチャグチャにする。そういうのをイベント的におもしろおかしく日本製品が壊されるニュースを報道したりしていた。何が面白いんだろうかと思うぐらい。ジャパンバッシングの嵐です。こんなに日本は叩かれてますよ、悪いことしてますよ、と言わんばかりです。そうじゃなかろう、と気づくまでまでに、私も数年かかりました。これって何なのかなあ、と思って見てた。

 これでドルが安くなったんだから、逆に円は高くなる。日本は確かにこれで輸出しにくくなった。日本は円高です。しかし、ここからますます難しくなる。


 たぶんアメリカは日本からお金を借りてるんです。借りる時には、10%で借りる方がいいか、5%で借りる方がいいか。お金を100万借りるとしたら、10%で貸す人から借りるか、5%で貸す人から借りるか。
 金利が低い方がいいに決まっています。だからアメリカにとって日本の金利は低いほうがいいです。日本はこのときに、円高でも日本製品は良かったから、そんなに不況にならなかった。思ったほどには不況にならなかったけれど、ここで一気に低金利にする。景気が悪くないのに金利を下げるんです。


 それはアメリカが、日本にこう言ったからです。日本は、アメリカに輸出しないで、自分たちが作ったものくらい、自分たちで買えと。これを内需拡大という。経済的には、作ったものをどこに売ろうと勝手です。外国からこういうことを言われるのを内政干渉というんです。本当はしたらいけないことなんです。しかしアメリカがこれを日本に要求したんです。


 ここでのアメリカの要求の矛盾は、日本はドルを安くするために、円を高くしなければならない。これは10円玉の裏と表で、同じことです。


 もう一つは、日本は低金利にしなければならない。日本が低金利だったら、お金を預ける側は日本にはお金を預けないです。そうなると円が安くなるんです。


 円高にすることと、金利を低金利にすることは、両立できません。全く矛盾することなんです。しかし日本はこの二つを同時にしなければならないことになった。こういうことを時の中曽根内閣はやるんです。非常に経済にいびつな矛盾が走るんです。低金利にするのは、アメリカが日本からお金を借りているからです。

 では銀行預金の金利が10%であったのが5%になったら、財布を預かっている日本のお母さんは、銀行預金に魅力がなくなります。

 銀行に預けたってどうせ半分しか利息つかない。そしたら他の金融商品がいい。それで株に行くんです。銀行金利は本当は5%もないです。2%ぐらいです。5%が2%になったんです。

 今だったら高いけど、ふつう金利は100万円預けたら、1年後に105万ぐらいになるのが通常ですね。5%ぐらいはあった。それが2%になったら、たった2万かという感覚です。それくらいだったら、株のほうがよっぽどいま上がっている。それで火がつく。これは100万の金持ちの場合です。では1億円の金持ちはというと、株よりもドカンと土地買っておけば上がるぞ。株と土地です。


 こうやって銀行預金からお金が流れていく。低金利で利息がつかないから、株と土地にお金が流れていく。これが1980年代半ば、庶民に至るまで起こったことです。


 そして密かにうわさされる。あの人株で儲けた、あの人土地で儲けた、5000万儲けた、そういう話ばっかりになる。これは不労所得です。そうなのか、自分もやろうとなる。日本ではこういう雰囲気が醸し出されてバブルになるんだけれども、ドイツは違う。


【ドイツ】
 ドイツはその前から、自分の通貨構想を考えている。ドイツは日本と全く違って、口ではハイといいながら協力しない。ドルとは別の通貨を自前で作ろう。自前で作ることができたら、アメリカも文句を言わないだろう。ドルがアメリカの自前の通貨なら、このあと出てくるユーロもヨーロッパの自前の通貨で対等じゃないか。ちょっと考えるスケールが日本と違う。

 日本は金利を下げてバブルになるんですけれども、ドイツはちゃんと金利を適正に引き上げていく。少なくとも落とさない。経済理論に合わないことはしない。経済理論に合わないことしたら、あとでツケが回ってくるんです。これが日本のバブル経済です。


【中国】
 ただもう一つ、その間に説明しにくいと言ったのが、中国の人民元です。

 中国は1970年代からアメリカと国交を回復する。レーガンの1980年代になると、中国の人民元はどんどん切り下げられて安くなっていく。


 今やってるのは1980年代です。相場は上下するんだけど、1980年からぐっと円が上がっているでしょう。これはドルが安くなったからです。ドル安です。ドルが安くなったなあ。でも甘いです。人民元はもっと安くなっている。


 今の中国が輸出企業で儲けてるというのは、こういう準備があるからです。中国はなぜあんなに驚異的に発展するのか。本当に信じられないぐらいに発展した。当時マスコミはあまり報道してなかったですけど。
 とにかく人民元は安くなって、次の1990年代になると、日本にどういう店が出てきたか。一気に百円ショップができた。日本製で千円するものが、10分の1ぐらいで買える。ほとんど中国製です。脅威的な安さです。日本製品と比べると質は落ちるけど十分利用できる。そのぶん日本の製品は売れなくなる。これは為替が原因です。

 ここまでで終わります。ではまた。














「授業でいえない世界史」 55話 戦後 1980年代後半

2019-05-29 09:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【日本】

 1980年代の日本からです。
 戦後史はアメリカ中心です。そのアメリカのレーガンが1981年から大統領になる。その政策が最初ドル高政策だったけれども、次にドル安政策というふうに、ブレるんですね。


【プラザ合意】 あっちにいったり、こっちにいったり、その後40年間いまに至るまで、日本は翻弄されていきます。ドル高からドル安に変更したきっかけが、1985年プラザ合意だった。ここで一転して、アメリカはドル安政策をとって、アメリカの輸出を拡大しようとした。


 しかし同時にアメリカはお金がないから、外国のお金を借りないといけない。借りる時には金利を安く借りたい。あまり報道されないけれども、借りる相手が日本なんです。だから日本の金利を下げさせたんです。そうすると日本は、片や円高にしなければならない、片や金利は下げないといけない。前回言ったように、円高低金利という矛盾する政策をとらないといけなくなった。


 これは一種の内政干渉です。このアメリカの内政干渉が矛盾を生んでいったんです。偉かったのはドイツですよね。ハイハイといいながら、そんなことできるものかと、独自路線をとる。経済を脱ドル化をして、金利をきちっと守っていこうとする。そのあと10年計画を立てて、次には自分たちの通貨発行までこぎつけていく。これが現在何という通貨になっているか。これがユーロなんです。こういう非常に地道な計画、その場しのぎでない計画を立てているんです。


 日本は、そういうことがないんですよね。いいモノづくりをするためには、基礎研究から何十年もかかるのといっしょで、金融政策というのも10年スパンで長期計画が必要です。その点は物作りといっしょです。その準備がないとできないんですけれども、そこらへんが欠けている。


 しかしこういうふうに1ドル250円が120円に円高になっていくと、いくらすぐれた工業製品を日本が作ろうが、もう努力の範囲をはるかに超えているんです。どんなに努力しても、こんなに円が高くなると太刀打ちできない。


 日本は円高になる。ではお隣の中国はというと、ドルが下がっている以上に人民元が安くなっている。どんどん人民元が安くなっていく。その結果、あと10年経って1990年代になると、ここらへんまで前回言いました。今までなかったショップ形式が日本にも現れる。これが百均ショップです。100円ショップです。100円ショップの商品はメイドインチャイナです。この近くにも大手100円ショップの店ができた。あそこにいくと客が多い。レジに行くと並んで待たないといけない。ボンボン売れてます。


 繰り返すと、それは日本の製品が悪くなって売れなくなったんじゃなくて、日本の製品が高くなったからです。


 なぜ高くなったか。こうやって海外製品は安くなった。日本製品は値段で負けた。為替の幅が、努力の幅を越えているんですよ。日本人がまともに売れば、1000円でしか売れないようなものが、当たり前のごとく100円で売られたら、もうこれは太刀打ちできない。100均ショップはボロばかりかというと、まあまあ使える。そしたらみんな買うわけです。いい製品は買わずに、そこそこの商品で妥協する。おまけに1990年代から平成不況に入り、ますます質は良いけど値段の高い日本製品は売れなくなる。


 こういう非常に厳しい状況に陥っていくのが1990年代なんですが、当時私も含めて10年後、20年後、それから30年後の今、現在の日本がこうなっているというのは予測がつかなかった。
 当時、何が流行りだしたか。日本全国お笑いブームの嵐、ビートたけしなんかが、赤信号みんなで渡れば怖くない、やっちゃえ、みたいな感じでやる。毒のある笑いを振りまいていた。その頃、ビートたけしは面白かったんだけれども、今は完璧に抱き込まれたような形で、ぜんぜん面白くない。毒づいて、笑っている分には良かったんですけどね。国際映画監督とか何とかで、箔がついて、やてもてはやされていたけど、もう映画のネタも切れた。
 それに少し遅れて今の明石家さんまです。お笑い番組、当時はトークショーと言っていた。なぜそれが流行るのか。テレビ局にとっては、トーク番組は、お金の面で、映画とかドラマに比べて・・・ただ話すだけでしょ・・・制作費が安いんです。安くつくって、視聴率取れたら、こんな良いことはないから、お笑いだ、お笑いだ、となる。今ではお笑いの選手権みたいなものまである。


 このあと日本はバブル経済になりますから、もうブランド志向、高級品の食材でグルメ、若い20代の女性中心に海外旅行、どこどこ行っちゃったわとか、そういうふうに日本中が浮かれ始めるんです。しかし浮かれたバブルから一気に不況の平成に入っていくんです。

 では仕掛け人のアメリカはというと、スターウォーズという映画と抱き合わせで、スターウォーズ計画という軍事計画を立てる。核弾頭を大気圏外に飛ばして、宇宙から落とす。大陸をまたいでミサイルを飛ばす。大陸間弾道弾という計画を立てている。ハリウッドと協力してスターウォーズ計画つまり戦争計画です。その宇宙戦争物の映画が大ヒットする。みんなが面白がる。非常に危険なことなんだけど、感覚が麻痺していくんです。


 そういうマスコミ操作をしながら、アメリカは軍事力を増強していく。アレッと不思議に思ってください。お金はあるんですか。アメリカに。ないんですよ。


 何が一番お金がかかるか、軍事力が一番お金がかかるんです。矛盾しているでしょ。お金がないのになんで軍事力増強ができるのか。お金を借りるからです。
 目的はソ連を打ち負かすためです。日本のお金はこれに全面的に協力していく。結果的には、その10年後、ソ連はちゃんと滅んでくれる。1991年ソ連崩壊という形になっていく。


 スターウォーズ計画では、大陸間弾道弾つまりICBMというのが登場する。これに似たもので中距離核戦略というものもできる。つい最近アメリカは正式にこの禁止条約を破棄した。ロシアとお互いにやめようといっていたのを、ロシアが守らないからという理由で、トランプが一方的に破棄しました。ロシアは、逆に守ってないのはアメリカだという。どっちが本当なのか分からない。とにかく、この禁止条約は廃止されました。

 軍事競争でソ連も潰れるんだけれど、アメリカもお金がない上に、ますます財政が悪化していって1985年には債務国に転落していく。借金国に変わっていく。前回言ったように、世界最大の債務国に、このあと2、3年でなっていきます。逆に世界最大の債権国というのが・・・お金を貸している国です・・・これが日本です。アメリカと日本の経済は、財政力を別々に見ているとよくわからないです。アメリカと日本の経済は、一つにまとめてみるとよくわかる。別々の国なのに。密かに言われる日本のあだ名があって、日本は「アメリカの財布」だといわれる。お金貸してと言われると、ハイハイと断ったことがない。

 アメリカは、ソ連が没落した後は、冷戦中止と経済再建を目指すということになっていきます。


 これを日本側から見ると、日本は1985年にアメリカの意向を受けてプラザ合意に調印した。狙いはドルを安くすることだったから、逆にいうと日本は円高になる。
 ここは教科書的には、円高になるとすぐ不況になったと書いてあるけど、私が当時生きていて、そんなに不況ではなかった。逆に景気がいい、景気がいいと言って、高級品ブランド購入したり、グルメで高いものばかり食ったり、海外旅行に行くぐらいだった。だからそんなに不況ではなかった。俗にそう言われたけど、実体はそんなに不況じゃなかった。むしろ平成の日本が不況はひどい。


 ただ円が高くなると、日本人の賃金よりも外国の労働者の賃金が安くなるから、日本のメーカーはこぞってアジアへ工場を移転しだした。この動きが本格的に始まります。だからアジアの人たちが日本企業から給料もらって、急成長を遂げていく。日本の企業が、東南アジアあたりに工場を建てていくわけです。

 日本は、1986年1月・・・プラザ合意から半年後です・・・アメリカから言われて、不況でもないのに低金利を実施した。これでアメリカが日本からお金借りやすくなります。
 景気が悪くないときに金利を下げたら、一時的に異常に景気が良くなる。泡みたいに経済が膨らむ。これがバブル経済です。そしてお金があまりだすんです。銀行金利は低下するから、銀行預金を引き出して家庭の主婦まで株をやりだす。株が上がり出す。何億円とお金を持っている人は土地を買い出す。土地がボコボコ値上がる。
 私も経験したけど、5000万円の土地がたった半年で1億になった。こんなことがザラにあった。5000万円の土地を買ったら、寝ていただけで倍になる。そこでポンと売るんです。そんなことが商売で成り立つような時代が、4~5年続いて、今考えたらこんなものがいつまでも続くはずがない、ということは分かるはずだと思うんだけど、当時はみんなこれに巻き込まれていって、オレも株だ、オレも株だ、とどんどんふくれて、最後に突然ボンと落ちる。いつものパターンです。


 それまで250円だった円が、1988年には1ドル120円にまで上がる。これはドルが安くなったんであって、円は安くなったんではありません。円は逆に高くなったんです。倍以上に高くなった。


 1980年代は、世の中がじわじわと見えない形で動き始めています。しかし日本人はお笑いブームで笑い転げてるという時代です。私はまだ20代でしたけれども、あまり人のことは言えない。いっしょになって笑っていたクチかもしれない。まだ何が起こるか、わかっていなかった。いい歳になって、30~40歳になってから、20代を振り返って、オレたちバカだったと気づくぐらいです。


【ソ連】
 ソ連は、ゴルバチョフという新しい指導者が出てきた。社会主義が行き詰まって、改革するぞという。この改革をロシア語でペレストロイカという。1985年です。プラザ合意の年といっしょです。たまたま1985年でいっしょなのか。一連の動きという感じもある。そういうペレストロイカです。国内対策としてはまず情報公開します。これをグラスノスチと言います。

 それから言ってないけど、1979年からソ連はアフガニスタンに南下して、戦車を侵攻させています。これを撤退させる。アメリカがそれを非難して対立したから、アメリカの軍事戦略にはどうも勝てない、ということで撤退する。それでアメリカに寄っていって、米ソの冷戦が終結していく。約50年続いた東西冷戦が、その方向に大きく動き出します。


 最終的にはソ連は解体しますが、それまでにはあと6年かかるんです。そういう中で、もうソ連に力はないと思ったら、今までソ連のいうことを聞いてきた周辺の国は、ソ連から分離独立し、離脱していく動きを見せ始めていきます。


【イギリス】
 こういうソ連の弱体化の中で、もうソ連はダメよね、社会主義はダメよね、計画経済というのはダメよね、という方向にまず動いたのがイギリスです。イギリスの鉄の女といわれた首相サッチャーです。今もイギリス首相はメイという女の首相ですけど、イギリス初の女性首相はサッチャーです。
 イギリスは女性が首相の時には、あまり良くないみたいですね。変な動きをする。今もEU離脱が乗り上げてうまくいってないでしょ。イギリスはどんどん自由競争やっていくんです。競争しなさい、競争しなさい、と。ということは、競争したら勝ち負けがはっきりするから、勝った者だけに、頑張ったね、お利口さんね、という。負けた者は仕方がない、という。こういう厳しい政策をします。情け容赦はありません。これをサッチャリズムといいます。サッチャリズムといって、さらーっと実行されていくんです。それに美人だからいいんじゃない、というふうに日本人は思ってたふしがあります。ここからですよ。イギリスはもともと階層社会で貧富の差が激しいのに、ますます激しくなっていく。


【フランス】
 それに対して1980年代のフランスは逆です。まだ社会主義政権を見捨てていない。社会主義的改革を推進していく。これミッテラン大統領といいます。だからフランスはアメリカには追随してない。
 アメリカべったりなのは、1にイギリス、2に日本です。


【イラク】

 次にイラクです。イラク、分かりますか。イランの隣です。イランとイラクの区別つきますか。ペルシャ湾のすぐ周辺にある。ここは長いことイギリスの植民地でした。第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領となっていた。結局イギリスの支配下にあったんです。

 1932年に独立して王制になっても、その王様はイギリス寄りだった。だから20数年後の1958年には王制は潰れる。そういったことがあって、1980年代のイラクの大統領はフセイン大統領です。この人が注目なのは、アメリカに戦争しかけられる男なんです。1回目は負けた。その後もう1回仕掛けられた。これが2003年のイラク戦争です。そして殺されゆく。


 でもこの時は、フセインはアメリカ寄りなんです。アメリカがもともと嫌いなのは、イラクじゃなくて隣のイランです。


1979年にイラン革命という反米革命が起こっため、アメリカからイラクは、おまえこれを妨害しろ、と言われて、翌年の1980年からイランとイラクが戦う戦争が起こる。これをイラン・イラク戦争といいます。イランは反米ですね。この時イラクは親米です。しかし10年もするとイラクはアメリカに嫌気がさすんです。いいかげんにしろ、イラクのフセインもそう思い出す。


【ラテンアメリカ】

 着々とソ連を潰していくアメリカです。同時に、アメリカの周辺国に対して、こうしろ、ああしろ、といろいろな干渉をしていきます。アメリカは、その周辺国には、100年も前から棍棒外交といって、言うこと聞かない周辺の弱小国の頭を叩いていった。そういう歴史があるから、ラテンアメリカでは反米運動が起こっている。こういう運動をアメリカは徹底的に弾圧する。アメリカを嫌う国家は認めない。
 その機構が1948年にできたアメリカを中心にカナダが賛成したOASです。米州機構という。これは反米運動弾圧の中軸です。

 1970年に、まずチリで政変が起こります。合法選挙でアジェンデ政権が成立する。これは反米政権です。アメリカは嫌いだという政権です。こういうアメリカに歯向かう国を許しておかないのがアメリカです。そこでチリの軍隊のエリートを抱き寄せて、おまえクーデターおこせ、これを潰せ、それに乗ったのがピノチェトという将軍です。それで1973年にピノチェトによるクーデターが起こります。アジェンデ政権をクーデターで潰すんです。これで親米政権ができました。クーデターというのは法律違反です。非合法的に政権をつぶしていく。不法政権なんです。そしてこの政権が唱えたのが新自由主義です。競争大好きです。サッチャーといっしょです。というよりサッチャーよりもこっちのピノチェトの方が先です。新自由主義で、競争しなさい。弱かったら、競争して強くなりなさい。競争して負けたら、しかたがないから潰れなさい、という感じです。こういう経済思想が非常に流行っていく。それがイギリスのサッチャーにつながっていく。もとをたどれば新自由主義の出所はやっぱりアメリカです。


 シカゴ大学のフリードマンという偉い大学の先生が、盛んに宣伝したのが新自由主義の経済理論です。これ日本ではどういう形で現れるか。1980年代に首相中曽根康弘がやったことは、国家企業を競争しなさいということだった。それで次々に民営化していった。
 電電公社は民営化して何になったか。これが今のNTTです。日本国有鉄道も民営化された。これはJRです。メインはこの2つです。あと一つが、専売公社は日本たばこ、今のJTです。これ全部1980年代に民営化されたものです。日本にこうやって影響が及んでくる。これで何万人もの人が首を切られた。こういうことが日本にも起こってくる。時の首相は中曽根康弘です。


 同時にアメリカは小さい国に軍事侵攻します。1980年、エルサルバドル、中米の小さな国ですけれどもアメリカが軍事介入し、そして内戦状態になっていく。

 それから次に1982年、ニカラグアです。ニカラグアも中米です。ここにも革命が起きて親米政権が生まれていく。

 それから小さな島では、グレナダという島、カリブ海の島です。アメリカ軍が露骨に侵攻して制圧する。はっきり言うと、地方空港を米軍が乗っ取って、その県を合衆国の52番目の州にするようなものです。

 さらにオスプレイが来る。米軍基地にはならないと思うけど、しかし基地になってもおかしくはない。もともと軍事基地にはしないという約束をしていた。米軍基地、今でも基地にはなってはいないけれど、基地化はしないという・・・40年前に空港ができたとき・・・約束があった。しかし時間とともに約束が風化していく。約束がなくなったわけではないのに、みんな亡くなったりして、それを知っている人が少なくなると、基地化しませんかと言って、100億円くれるんだったら、基地化しようかなという話になっていく。

 それからチリもです。さっき言った、1973年にアジェンデ政権がピノチェト軍に軍事クーデターでつぶされた。これも全部米軍がらみです。


 1979年、エルサルバドルはアメリカの軍事援助で、右派政権、親米政権が維持される。


それから、1983年にグレナダも親米政権が樹立される。


 さらに、1989年に、米軍はパナマにも侵攻する。麻薬疑惑をかけられていた大統領がいる。これは表面上の理由です。なぜかというと、パナマはアメリカにとって一番大事なあのパナマ運河があるところです。それをこのノリエガ将軍は、勇敢にも、これはうちのモノだ、アメリカはもっているのはおかしい、これはパナマにあるからパナマの国営企業にする、と言った。パナマにあるんだからパナマのものだ。日本の空港が米軍基地になったらイヤでしょう。日本のものですから。そうなってないから、パナマのものにするとちゃんと言ったんです。そしたら別の理由をふっかけて・・・麻薬に関係しただろうと言って・・・軍事侵攻した。そしてノリエガ将軍を逮捕した。罪を作って、軍事的に制圧するというやり方です。

 これは、アメリカ政府発表でも、ちゃんと読む人はウソだなと分かっているんです。だから、このグレナダ侵攻とパナマ侵攻については、国連でさえ、明らかなウソだと、アメリカを非難したんです。アメリカの強圧的な態度に反発する国も多い。


【東南アジア】
 では東南アジアで、アメリカが大好きな国はどこかというと、戦前までアメリカの植民地だったのがフィリピンです。独立したんだけれども、この時の大統領は親米政権です。アメリカが大好きです。マルコス大統領という。

 この人は、20年以上大統領の地位にしがみついて、私服を肥やしていた。私腹を肥やすというのは、国家の財産を自分のポケットに入れていたということです。自分は金持ちになったんだけれども、フィリピンには産業が育たなかった。高い失業率で、国民は貧しい。国民の不満が巻き起こって、最後は殺されるのを恐れて亡命した。国民から追放された。代わりにコラソン・アキノという人が政権を樹立し、どうにか落ち着いたフィリピンになっていくんだけれども、基本的にはフィリピンは親米です。


 ただここで東南アジアというのは、1950年代に高く掲げた目標があったんです。非同盟です。アメリカとは同盟しないという目標です。でもアメリカはここと同盟したい。

 では次はミャンマーです。ミャンマーは、1980年代の終わりから、今も生きている女性、アウンサン・スー・チーが出てきます

 この人のお父さんは暗殺されたけど、ミャンマーつまり昔のビルマをイギリスから独立させようとして、直前で暗殺された将軍です。その実の娘です。ただこの人は父親が暗殺されたあとは、どこで教育を受けたか。ビルマにはいない。イギリスです。そして旦那もイギリス人なんです。この人は親米派です。父親は反米だったけど、この実の娘は親米です。アメリカ寄りです。教育もアジア流じゃない。イギリス流の教育を受けている。そういう大きな流れを押さえてください。


【1990年代】
 まだ1980年代ですが、あと少しで1990年代に入ります。もう次の1990年代の動きは始まっています。1990年代のはじめからソ連はガタガタ、社会主義大勢が崩壊し始めていく。もうボロが見えだした。


【ポーランド】
 最初はポーランドです。
ドイツの隣、東にある国がポーランドです。ここは戦後50年間は社会主義国家だったけれども、しかし自主管理労組連帯というのが結成されて、これは反国家的労働組合です。1989年6月に選挙をしたら圧倒的な勝利であった。その中心人物がワレサという人です。社会主義の中で、それに反対する組織が選挙で勝って大統領になった。


【天安門事件】
 もう一つが、ポーランドの選挙と同時に1989年6月には中国で大きな事件が起こるんですよ。これが天安門事件です。中国は1980年代から人民元が安くなって、ぼちぼち景気が上昇しているんです。豊かになってるところで、お金を持ち出した人たちが、次に今度は民主化を要求していく。それがどんどん大きくなって、天安門広場という、昔の宮殿があった故宮のある大きな広場に、毎日毎日何万人という人たちがデモをやっていく。普通だったらそこで政権の方がつぶれたりするんだけれども、中国は戦車を持ち出すんです。徹底的に鎮圧していきます。だからこの後の中国は、民主化は抑圧されて、政治的には共産党一党独裁体制を維持するだけれども、経済的には自由化路線を歩んでいくんです。

 鄧小平が言いました。金持ちになりたい者からなっていけ、と言った。それまでは共産主義の平等思想だったんです。儲きたい者はどんどん先に儲けていけ、みんないっしょに儲けなくていい、おまえだけでいいから先に儲けたかったら儲けていいぞと、自由経済を許したんです。これは自由営業の許可です。


 それと同時に人民元は安くなる。だから海外で中国製品が売れる。日本に百均ショップができてくる。怒濤のごとく中国製品が流入する。最初は百均ショップから、次には家電製品になって、次にはスマホです。日本製のスマホも性能いいけれどもあまり売れない。中国製が安い。


【ベルリンの壁崩壊】

 その年の1989年11月には、東西冷戦の象徴であったドイツのベルリンの壁が崩壊する。もう社会主義はダメだなあと、分かっている。分かったあとに、ポーランドで自由主義政権が誕生した。


【ルーマニア】
 1989年12月、次にはヨーロッパの独裁者と言われたルーマニアの大統領、その政権が民衆暴動で潰される。ヨーロッパはやるなあと思ったのは・・・ほめてはいないけど・・・チャウセスク大統領は民衆が血祭りに上げて射殺される。その直前までテレビ放送された。本当に人が死ぬところは、放送コードに引っかかるから放送できない。非常に緊迫した年です。


【マルタ会談】

 その1989年12月にはアメリカの大統領ブッシュとソ連のゴルバチョフか地中海のマルタ島というところに集まって話し合った。そして50年間の憎しみはチャラにし、冷戦を終わらせましょうという合意をした。これが冷戦終結です。この1989年までが、日本のバブルの最盛期です。この年の12月31日が日本の株価の最高値です。今でも越えてません。次の年1990年の1月からドカッと落ちて、上がりきれない。もう何十年も。
ソ連は、このあと無傷だったのかというとそうではなくて、ソ連は潰れていく。

 これで終わります。ではまた。














「授業でいえない世界史」 56話 戦後 1990年代前半

2019-05-29 08:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


前回言い忘れたことを言いますが、終わりの方で、ミャンマーのアウンサン・スー・チーのことを言いましたけれども、尻切れトンボで終わってました。
 アウンサン将軍の娘なんだけれど、親米です。アメリカ寄りで、民主化寄りというのもアメリカ寄りで、だから軍部の不満が高まって、この人はこの後、軍部が弾圧して軟禁状態にされた。軟禁されたことからはよくないけれども、方向性としては軍部はアジア重視で反ヨーロッパ的なんです。それに基づいて反米的なんです。アウンサン・スー・チー女史はどうもイギリス教育を受け、アメリカ寄りの発想の持ち主です。

 今やっているのは、マルタ会談です。実は、マルタ会談1989年12月ですけれども、一月前の1989年11月、ほんの1ヶ月前には、ベルリンの壁側が崩壊しています。これが東西冷戦終結の象徴で、ソ連はまだ崩壊してないといっても、社会主義がつぶれようとしてるってことは実質的にわかった。ソ連はまだ形式的にはつぶれてないけども、社会主義はダメだなということは、素人でも分かってる頃なんです。

 そのソ連では次の1990年になると、ソ連の一部であったバルト三国、これは早々とソ連を離脱して独立を達成してしまうんです。これはもうソ連もたないな、と世界中に知らしめた事件です。
 そして次で言うんだけれどもこの年の1990年10月ドイツが統一する。このあと下ですぐにやりますがドイツ統一です。

 翌年の1991年には、ソ連中心のコメコン、ワルシャワ条約機構も解体し、その年の12月にはソ連自体が崩壊してロシアになっていく。50年間の東西冷戦がほんの1、2年で崩れる。崩れるときには早いですね、アッという間に崩れる。


【日本のバブル崩壊】

 これとは何の関係のないように見えるけど、お金の動きで関係してるのは日本のバブル経済とその崩壊です。それに続く日本の30年間の平成不況というのは歩調を合わせている。日本のお金の流れとソ連崩壊は一連の動きです。
 日本は1989年12月31日がバブル経済のピークで、株価が最高値をつけた。正月三が日が開けて東京証券取引所は開幕すると、その日からずっと株価は下がっていく。バブル経済が崩壊したんです。

 そしてこの後は、長い平成不況へと突入する。ということは今になってわかるのであって、当時はどうせ1年ぐらいかな、2年ぐらいかな、もうちょっとの辛抱かな、3~4年かな、それで10年経った。これで終わるだろう。20年経った。まだまだ30年経った。
 結局平成30年間も多少の浮き沈みはあっても、全般的に不況だった。その平成も今年で終わります。この平成不況が本当に終わってるのかどうかのまだわからない。予断は許さない。アベさん流に言うと、私が景気回復させたというけど、自画自賛ですね。


 1990年代は1980年代の円高を超えて、さらに円高に向かう。ここで次のページのプリントを見てください。


 このあたりのことは、あちこち見比べないとわからないです。これが次のプリントです。見比べたいのはこのグラフです。前に一度出しているのと同じなんですけど、それを拡大したものです。


 1990年ですね。語り始めた1980年代から見ると、1985年には、1ドルは250円ぐらいだった。1990年にバブル崩壊したときには、1ドル120円ぐらいまで行って、100円以上円は高くなっています。逆に言うとドルは安くなっている。


 ここで日本のバブル崩壊して不況になる。円はどこまで行くか。1995年にもっと高くなる。1ドル150円から1ドル79円まで行く。これは円が高くなると日本の製品が高くなって売れないということです。売れなくて不景気になっていくということです。逆に言うと、ドルは150円から79円に安くなった。こっちが分かりやすい。


 これで驚いたらいけないのは、その裏側で中国の人民元の動きです。この人民元が1990年はここでしょ。1995年にかけてもっと安くなる。人民元がとんでもなく安くなっているということです。


 この1990年代の為替の動きを見ると、日本のバブルが崩壊した1990年から5年後、1995年まではドルが安くなる。そして人民元も安くなる。そういった中で、とんでもなく円だけが高くなるんです。
 円高の時代です。日本の製品が海外で売れない。つまり輸出不可能になっていく時代です。逆に輸入品は山のごとく入ってくる。何回も言うように中国製品が安くなる。日本に中国製品が入ってくる。これで日本が儲かるはずがない。


 ピンとこないかもしれないけど、円高がある程度落ち着くのが、1995年以降です。

1995年になると、平均1ドル110円です。今日も110円です。これが例えば110円が100円になったりすると、日本の経済界は実は君たちが知らないところで、上へ下への大騒動するんです。

 これは桁が違う、1990年から1995年にかけて起こったことは、1ドル150円が79円になる。これは桁が違う。とほうもなく円高です。トヨタなんかは、110円が100円になったりすると、それだけ何兆円の損失を出す。何兆円の損失です。輸出企業にとっては、企業が潰れるかどうかの円高になっていく。
 為替というのは、爆弾が落ちたりしないからほとんど目立たなくて、無関心な人には全くわからない世界だけれども、その裏では爆発的な破壊力がある。そういうことが1990年代前半にはずっと起こっていたということです。

 それで日本は1990年にバブル経済が崩壊して、平成不況になり、さらに円高になった。1995年には1ドル79円まで行った。150円が79円になるんですよ、5年間で。

 それは裏を返せばドル安です。
 しかしもっと安くなったのが中国人民元です。ドル安人民元安です。しかしアメリカの産業力は弱くて、アメリカは産業を伸ばしきれない。
 人民元はそれを越えて安くなったから、この1990年代から本格的に中国の急成長が始まる。中国は1980年代からぼちぼち成長していたけれども、それでもこの時は、中国のGDP国内総生産は日本の半分以下です。

 それが10年ちょっとで日本を追い越す。日本のGDPは世界2位をずっと何十年も続けてきたけど、2010年に中国が日本を追い越した。
 今は、それから10年近くたって、もう日本の倍以上ある。そういう中国の急成長が始まっている。こういう大きな流れは10年スパンで言います。


【ドイツ】

 個別に順番に追っていくと、今度はドイツです。
 さっき言ったように、日本のバブル崩壊の年と同じ年の1990年10月ドイツは統一される。これはプラス要因です。

 ドイツ統一です。西ドイツが東ドイツを吸収する形で今のドイツになる。地図で書くとこれです。君たちが生まれる前、それまではドイツは西ドイツと東ドイツという二つの国にわかれていた。統一したのはこの1990年です。統一したからといって、これだけでは満足できない。別の狙いがあるわけです。


 1985年のプラザ合意の時から、ドイツは西ドイツ中心に、アメリカとは別の通貨構想があった。そのために着々と経済統合を進めている。これがEUになった。ヨーロッパ連合です。1993年です。
 そして2000年にはユーロという独自通貨を発行する。ドルとは別の通貨です。ドルに頼らずに自前の通貨を用意する。日本はドルがなければ、いまだに生きていけない。
 経済力からいうと、このヨーロッパ連合つまりEUの中で、ドイツは経済力が最大の国です。イギリスではない。イギリスの時代はとうに過ぎている。フランスでもない。

 この時はソ連が滅んでいて、誰がみても世界ナンバーワン国家というのはアメリカです。アメリカを中心にどういった国の組み合わせ、グループ関係があるかというと、伝統的にアメリカと仲間はどこか。イギリスです。そして戦後新たに仲間に入れられた国がどこか。戦争で戦って負けた国、これが日本です。

 そしてもう一つ隠し味で、アメリカのニューヨークの金持ちたち、彼らの多くはユダヤ人です。そのユダヤ人の国イスラエル。こういうのが中心的なグループです。

 ではもう一つ、第二次大戦でアメリカ・イギリスと戦った国、ドイツはどうか。ドイツは独自路線です。
 さらにもう一つ、冷戦構造が破れたといっても、ソ連の後のロシア、これはやはり反米です。アメリカと意見が違う。

 さらにこのあと起こるのが、9.11事件です。時間があればユーチューブで見ますけど、ちょっと語れないぐらい疑問が多い事件です。イスラム世界との対立です。
 それと、急速に経済発展して世界の経済力2位になっていくのが中国です。

 ざっくり言うとこういう関係です。このあと10年かけて、このようにじわじわなっていく。いろんな事件が起こりながら。
 そのドイツを見ていくと、ヨーロッパ連合の結成は、1992年マーストリヒト条約から始まる。


【湾岸戦争】

 前後するけれども、順番通りに時の流れを追っていくと、その前年の1991年には何が起こるか。正月明けてすぐに湾岸戦争が起こる。アメリカがイラクを攻撃するんです。アメリカとイラクの戦争です。

 実はソ連が崩壊するのは、この年1991年12月なんですけど、さっき言ったようにベルリンの壁が崩壊した段階で、ソ連はすでにアメリカの敵ではない、というのはみんなが分かっている。アメリカが世界のナンバーワン国家、これに歯向かう国はないと皆わかってる。アメリカの一人勝ち体制がすでにできていたわけです。
 それにチョコっと刃向かった国がイラクです。これをアメリカはものの見事に叩き潰した。テレビ中継まで行う。そしてそれが全世界に放送され、高視聴率をマークする。放送したアメリカのCNNテレビも、その放送利権でがっぽり儲ける。リアルタイムで私も見ました。戦争で爆破される炎というのは花火のようにキレイです。背筋がゾッとするぐらいキレイです。世界に対する宣伝効果はバッチリです。


 イラク大統領はサダム・フセインです。アメリカのいう、イラクは悪い国だから攻撃するんだというその理由は、その前の年にイラクが、隣の小さな国クウェートに侵攻したからです。そのクウェートは小さい国だけれども、石油がガッポリ出るお金持ちの国です。そこで、勝手に人の土地を侵略するな、とアメリカが言うけど、この真相はまだよくわからないです。
 のちに殺されるイラクのサダム・フセイン大統領は、いや、アメリカに了解もらっている、と言ったという。了解もらってアメリカがいいと言ったから併合したのに、その瞬間にアメリカが攻撃した。理屈があわないと、法廷で言ったという話があって、よく分からないけど、それがうやむやのままです。
 とにかくアメリカと戦えば、相手にならない、一週間で負ける。これが湾岸戦争です。アメリカの軍事力を世界に見せつけた戦争ですね。


 アメリカにはとても勝てない。アメリカは1週間で勝つ。アメリカの強さを世界に見せつけた戦争です。ソ連という敵がいなくなった瞬間に、小さい国を一瞬でやる。


 クウェートの場所はここですね。イラクはここです。

 しかしクウェートは歴史的に見ると、イラクの州の一つです。それをイギリスが植民地にして、クウェートはとくに石油が出るから、イラクから分離してイギリスの支配下においた。それがクウェートです。そういう過去の歴史がある。
 この湾岸戦争というのは、ソ連に力がなくなって崩壊が迫っている。そこでアメリカが力を見せ付けた。そういう戦争です。


【ソ連崩壊】

 湾岸戦争があったのが1991年1月。その年1991年12月ソ連は崩壊する。そしてソ連は10ぐらいの国にわかれてしまった。その中で最大の国がロシアです。緑の部分が旧ソ連です。ではソ連から分離した国はどこか。
 西では、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ。
 南ではカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、それからアゼルバイジャン、アルメニア、グルジア。
 こういうところがソ連から分離して独立国になった。新しくできた国です。私が若い頃は、こういう国はありませんでした。


▼ソ連からの独立国


 それでも、独立しても仲間になろうという国が、独立国家共同体・・・CISというんですけど・・・をつくった。今はほとんどまとまりはなくなって、このなかで喧嘩したりしている。ウクライナとロシアも喧嘩したりしている。国も分裂した。経済体制も変わる。それまでの社会主義国家は解体した。資本主義体制に変わった。


【ヨーロッパ】

 ではヨーロッパはどうか。1985年のプラザ合意の時から、ドイツは独自の動きをしていました。
 第二次大戦後10年ばかりで、ヨーロッパの共同体をつくる試みは着々と進んでいた。当時はECと言っていた。
 それが今のEUとなったのは、その条約が1992年マーストリヒト条約です。
 日本のバブル崩壊1990年です。ソ連崩壊1991年1992年EU結成が約束され、翌年1993年にEU発足がした。これをヨーロッパ連合という。


 ただ前の年の1992年になにか変なことが起こる。イギリスの通貨ポンドが一気に売られる。誰が売っているのか。ヘッジファンドの連中です。ヘッジファンドとは何か。


 これを言うのは難しいけれども、人の金を集めて、それを使って為替を操作する集団です。金融集団です。世界にはこういうのがある。これは別に犯罪組織ではない。日本にもある。村上ファンドとか。一時世間を騒がせました。日本銀行の総裁がそれに一枚噛んでいたという話もある。アメリカとかヨーロッパの金融界は、ヘッジファンドだらけです。金融のプロです。
 そのボスに、アメリカ人ジョージ・ソロスというのがいる。人のお金をワッと集めて、国家のお金さえ入っているんじゃないかと言われるくらい集めて、そこでイギリス通貨のポンドをとにかく売りに出る。売って売ってポンドを下げる。この時ポンドはEU発足に向かって、ポンドの価値を一定に安定させないとEUに入れないという条件があった。ジョージ・ソロスは、これを突き破ってポンドを下げようとするんです。


 これはいかんと、イギリス政府がポンドを買い支えようとする。自分の国の通貨を買い支えなければならなくなった。どっちが勝つか。ふつうは国に勝つようなヘッジファンドはない。ところがジョージ・ソロスが軽々と勝つ。個人のお金が国家の資金に勝ったのです。こんなことは普通ありえない。逆にいうとこれは普通ではない。これは個人だけの力じゃない。これは多分、アメリカのお金が入っている。そうじゃないと、一人の人間が国の資金に勝てるわけがない。
 ポンド相場は変な動きをする。それでポンドが急激に安くなって、ユーロ入りの条件を満たさずに、イギリスはやむなく欧州通貨制度(EMS)を離脱します。それでイギリスは共通通貨のユーロに入れなかった。今でもイギリスはユーロではなくポンドを使っています。この裏にアメリカありです。
 今もイギリスはEUには入っていても、共通通貨ユーロには入っていない。ドイツもフランスも通貨は同じユーロです。イタリアもユーロです。イギリスはそれに入れなかったから、今でもポンドを使っている。

 そればかりか、一昨年2016年の国民投票でイギリスはEUからも離脱しようということを決定した。これはある意味で、ユーロ潰しです。イギリスを中心に、ユーロ潰しの動きをしている。
 ジョージ・ソロスを天才投資家とかいうけど、一投資家でこれはできない。昔の大英帝国ですよ。大英帝国の資金操作に一個人が勝てるわけない。しかし勝った。それで天才ソロスとか言っている。そんな言葉に騙されてはいけない。そんな天才はいないです。必ず後ろにどこかの国がついている。


 そんな説明しにくい世の中になって、一種の金融戦争がはじまる。爆弾が飛ぶ戦争は目に見えるけど、お金の戦争は目に見えない。ボケーっとテレビ見てても、何が起こっているのか全くわからない。


 こういった国際相場の世界で、日本の1ドル160円の円が、1995年に一気に79円になった。これも自然な動きではない。誰かが意図してやらないと、こんな動きにはならない。こういう人たちが人為的にやらないと、こんな動きにはならないです。今はだいたいこの110円ぐらいです。ここ5~6年間はだいたいそのあたりで落ち着いている。しかしこの先何が起こるかは分かりません。


 ただ民主党が政権を握っていた2011年には、1ドル110円が75円になった。これ君たちが小学校ぐらいで、覚えていませんか。これも自然な動きではない。そういう為替操作の時代に入って、どの国もビクビクしていますね。朝起きて蓋を開けると、今日の円相場はいくらなのかというのは、貿易関係者や金融取引業者は、気になって仕方がない。恐くて恐くて仕方がないです。

 ヨーロッパはEUを発足した後に、次には通貨統合を目指す動きに入る。ドルとは別の通貨です。ドルから離脱して、自立して独自の通貨で貿易を行っていこうとする。これが後のユーロです。ユーロができたのは1999年です。ここまで行くには、あと7~8年かかります。


【父ブッシュのアメリカ】

 ここも前後するけれども、アメリカはというと、ソ連との冷戦終結に向けて調印をする。大統領はブッシュ、父ブッシュです。この息子がまだ大統領になる。これも変なことです。アメリカの歴史がいかにおかしいといっても、親と子が、それもたった10年の間にアメリカの大統領になるなんていうことは、今までなかったんです。史上初めてです。こんな親子大統領はいないです。それにこの親子はとても不思議です。しかも父親はまだしも、息子ブッシュは無能だった。非常に不思議なブッシュ一族です。
 父ブッシュはソ連のゴルバチョフ書記長と会談して、さっきも言ったマルタ会談で、冷戦終結宣言を行った。これが1989年です。

 その息子ブッシュに呼ばれて、約10年後にアメリカでエルビスプレスリーを踊れといわれて、嬉しそうに一生懸命踊ったのが小泉純一郎という日本の首相ですね。サングラスかけて、腰ふりながら踊った、それが世界に放送される。日本の恥を世界にさらすようなものです。分かる人はあれを見て一瞬で日本とアメリカの関係が分かるはずです。日本のバブルが崩壊したあと、なにか政治家の質が変わったのです。


【クリントンのアメリカ】

 それで、前に戻ると、父ブッシュの次の大統領がクリントンです。1993年からです。クリントンというと、君たちが知っているのは、この大統領の嫁さんのヒラリー・クリントンのほうかも知れないけど、あれはこの大統領の嫁さんです。もしトランプが負けて、ヒラリー・クリントンが今度の大統領選挙に勝っていたら、夫婦で初のアメリカ大統領になっていた。
 これも不思議な話です。そうはならなかったけど。これも自然な流れと思いますか。アメリカの歴代大統領は、親が偉いから子供が偉くなって大統領になるなんていうことは絶対にないんですよ。父ブッシュの次はクリントン、その次が息子ブッシュが大統領になります。クリントン一族も、旦那が大統領になったあとは、その嫁さんが大統領になろうとした。ここらへんも、なんだか今までのアメリカと違うなーという感じです。
 
 
▼ドル円為替レートの推移
 
     
 
 もっと変なのは、さっきも言ったように、アメリカのドルがどんどん安くなって、1995年ドル安で1ドル79円まで行ったんですよ。
 そうなった瞬間にこのクリントン大統領は、また方向を変える。今までドル安をしてきたのに、急に気が変わったから今からドル高にするぞ、と言う。レーガンといっしょです。レーガンは最初ドル高にしていて、気が変わったからドル安にした。そしてプラザ合意で円を高くした。
 クリントンはドル安にしたあとで、今度はドル高にするぞと言う。順番が逆なだけで、為替操作という点ではいっしょです。つまり為替を上げたり下げたりすると、それにともなって、基軸通貨国アメリカにもっとも多くの利益が発生しやすくなるのです。
 それに日本は翻弄される。理由は新しい経済理論が開発されたからという。ニューエコノミーと言った。エコノミーは経済です。新経済というだけで、中身はなにもないです。


 ただ、こういうことを大統領に頼んだのが誰かはわかる。ウォール街の金融機関です。銀行、証券会社です。これが変わり目です。日本は円高から、今度は円安へと向かう。

 円安になれば、日本の輸出企業は好調になるはずなんだけれども、どうも、ちょっと違う動きをする。
 この円安・ドル高にするためにアメリカは、世界からお金を集めないといけない。お金を集めるためには、アメリカの銀行金利を高くすればいいんです。そしたら日本人は日本の銀行が3%で預金を預かるとすると、アメリカの銀行が10%を超える金利で預かる。アメリカが10%で預かるとしたら、普通の人間だったらアメリカに預ける。そっちのほうが高い金利がつくからです。こうやって日本の円がどんどんアメリカに流れる。こういうのマネーを呼び込むという。


 つまりアメリカは金利を高くして、他の国からお金を借りまくるんです。そう宣言した。金利をガッポリつけるから、うちに預金してくれ、と言った。ではそれを返済しているのか。それは謎です。


 日本は世界最大の債権国です。債権国というのはお金を貸している国ということです。ふつう返済してもらったら、貸しているお金は減るはずなんだけれども、この平成不況の中でも増えている。たぶん返してもらってない。もしくは塩漬けになっている。だからいつまでも債権国です。返してもらうアテのない債権を持っている債権国です。
 アメリカはドル高政策をする。高金利にして、金融経済を重視する、とこういうことです。


【金融ビッグバン】

 日本はというと、ちょうどその頃、1995年の翌年1996年には、それに協力するという金融改革を自ら進んで行います。これを金融ビッグバンという。金融の自由化、グローバル化です。円というお金が世界中どこにでも行けるように、改革するという。時の首相は橋本龍太郎です。金融自由化です。

 それでどうなったか。日本は長引く不況のさなかにいます。だから不景気で金利を上げられない。低金利です。アメリカは景気が悪くても高金利にした。そうすると日本はアメリカの10%につられて、アメリカに外貨預金をする。金融ビッグバンは、なにをしたかというと、今までこういうふうに日本の円を、アメリカのドルで預金するのは銀行しかできなかった。今は君たちだって二十歳になって、自分でお金を稼げば、日本の銀行で自由にドル預金ができる。この時から個人でも自由にできるようになった。これが金融ビックバンです。

 なーんだ、日本のお金がアメリカに流れているだけじゃないか。金融ビッグバンという言葉、意味分からないでしょ。私も最初は何のことだか分からなかった。
 金融ビックバンのビッグバンとは、本来は宇宙の大爆発のことです。これが何でお金とからむのかが、まずわからない。
 こういうネーミングの時には要注意です。名前でだいたいの意味が、本当は分からないといけない。 政府がウソをつくときには、わざとこういう言い方をします。
 戦前の治安維持法というのがある。治安維持する、泥棒捕まえて、いいことじゃないかと誰でも思う。でも中身は何か。頭の中で考えただけで逮捕されることです。政府がイヤな人間を誰でも犯罪者にできる。看板に偽りありです。法律に政府がわけの分からない名前をつけるときは要注意です。
 最初、新聞読んでも、ムニャムニャ書いてあるし、何のことか分からない。安い本を勝ったら、ウソ書いてあるからよけいに分からない。

 その金融ビックバンで、日本人を煙に巻いて、日本のお金がどんどんアメリカに流れ出した。アメリカはそのお金を使ってグローバル化に乗り出す。そのグローバル化に一番向いているのがIT革命なんです。

 マイクロソフト社というのが1995年にWindows95というのを発売した。もう1990年代からパソコンは普及してます。これを売り出した。世界中どこでも繋がるようになった。これがネットです。


 まずパソコンで、次にノートパソコンで。その次にスマホ、その3段階です。我々はスマホをあまり使えない。我々ができるのはノートパソコンまでだけど。君たちは生まれたときにはスマホがあったからできるはずです。


 今アルバイト情報とか見ていたら、こういう謳い文句がある。スマホのスキルがあるのは十分武器になりますよ、と書いてある。スマホは遊びではなくなりつつある。スマホの上手ヘタで、会社の採用が、決まったり決まらなかったりする。我々の世代は、あなたパソコン使えますか、それが入社の条件で、必ず聞かれていた。なにが使えますか。ワード使えますか。一太郎、ロータス、ロータスという表計算アプリがあった。これはエクセルに変わった。
 そういうのが条件だったけど、これが今はスマホになっている。謳い文句に、検索してたら、スマホが使えるのは立派な能力ですよ、と書いてある。確かにそうかな、と思う。若い人たちを見てたら。
 私などは、例えば文を1000文字書く、2000文字書く、というと、結構大変で、これは原稿用紙5枚です。これはパソコンで打つしかないなと思うけど、若い人で慣れた人、手品みたいに親指で打って、2000字ぐらいスマホでできたりする。すごい能力だと、私はびっくりする。私は絶対できない。パソコンじゃないとできない。そこまでできたら、一つの能力かなと思う。
 アップしたら、パソコンで打とうと、スマホで打とうと、漢字変換して、漢字間違いが無ければ、変わらない。一つの能力かなと思います。どうせやるんだったらそこまでやらないといけないですよ。スマホやるんだったら、そういうことが要求される時代になった。

 ただし、こういうSNSのプラットホームは、ほぼアメリカの企業が握っている。それが問題です。

 これで終わります。ではまた。
















「授業でいえない世界史」 57話 戦後 1990年代後半

2019-05-29 07:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 1980年代のプラザ合意あたりからは、まだよくわからないところがいっぱいあるんですけれども。

 アメリカのレーガン大統領、それから日本の中曽根康弘総理大臣、そこらへんから静かに何が起きているかわからないような動きをして、30年経ってみると、とんでもないことになってしまったというのが、今の状態ですね。

 ちょっと振り返ってみると、1980年代にアメリカはお金もないのに、ソ連を潰そうとして何をしたか。軍備拡張競争をやったんですね。それは流行の映画にもなって、今でもあってるスターウォーズという映画が、ちょうど流行りだした。


 アメリカはお金持ってるのかっていうと、財政赤字でどうしようもない。ソ連も経済はガタガタです。アメリカの経済ガタガタです。


 では、一番お金がかかる軍事、お金がないのにどうやってそれをやるか。お金を借りるしかない。だから金利を高くした。金利を高くして、よそからお金を借りて、軍備につぎ込んだ。どっちが先に潰れるかっていうチキンレースみたいなもんですね。そしたら、軍事力に勝り、経済力に勝るアメリカが勝って、1991年ソ連が崩壊する。その始まりは1989年、ドイツのベルリンの壁の崩壊です。これでガサッと世の中、世界中が変わったんです。米ソ対立、これが終わったんだから。

 しかし勝ったアメリカはどうか。お金もないのに軍備につぎ込んだから経済はガタガタです。ドルを高くすればアメリカの製品は・・・円高・円安がいまだにわからないと誰かが言っていたけど・・・アメリカの製品は売れない。だからますますガタガタになって、急きょ1985年プラザ合意で一気にドルを安くした。ということは、日本は逆に円高になっていったんです。


 この円高で、あまりに円高が行きすぎたから、日本は今度は円を安くしようと言って、金利を安くしたんです。金利を安くしたら、銀行に預けていても利子は返ってこないから、みんな株をやり出した。さらに土地の投機をやり出した。


 そして初めちょろちょろで、株が上がり出すと素人が気づくんです。もっと上がるか、もっと上がるか、まだ上がるかな、素人が買ったところでストーンと落ちる。これが1990年バブル崩壊です。


 ドイツも1989年にベルリンの壁が崩壊する。1991年にソ連も崩壊する。1989年に日本の経済的な栄光もここで崩壊する。1990年前後で一気に何かが変わった。これには爆弾の一発も落ちない。だから何が起こっているのかわからない。目に見えないお金の動きだから。こうしてふと気づけば、日本はこのあと30年立ち直れない。その始まりが平成2年、1990年です。いま平成31年です。今でもなかなか立ち直れない。原因が分からなければ立ち直りようがない。


【クリントンのアメリカ】

 もう1990年代、ソ連が崩壊した後のアメリカがどうなったのか。ここからもう一回行きます。

 1993年に民主党のクリントンが大統領になった。このクリントンの政策というのは、ドルを安くするか、高くするか。これがポイントなんですよ。猛烈なドル高政策を急展開した。


【ドル安】

 このグラフは政治経済の教科書から取ったものですが。どの部分かというと、プラザ合意の円高というのは、1985年のここがプラザ合意だから、1985年から一気に円が上がったんです。1ドル250円が150円あたりまで一気に上がった。そして御神輿みたいに、けっこう揺れる。

 チョコっと下がったと言っても、3分の1も下がっていない。日本は1990年代からバブル崩壊して不景気になった。不景気になった5年間は、この時の最高は1ドルが79円まで上がる。1995年です。円が高くなった。逆にいうとドルが安くなった。円が高くなると、日本の商品は海外で売れるか、売れないか。円安・円安わかりますか。売れないよね。売れないんです。


 不景気のドツボのなかで、円高で日本製品が売れない。こんなことが起こる。


【ドル高政策】

 それで1993年にクリントンが大統領になって、ここのドル高政策に変えた。1995年の1ドルが79円から、1998年には140円ぐらいまで、ドルが高くなったんです。ドルが高くなった。ではアメリカは景気が、アメリカの製品が売れてるから、ドルを高くしたのか。狙いは何なのかというと、そういったこととは全然違う。

 この狙いも、爆弾も落ちずに静かに進行するから、グラフをじっと見て読み解かないと意味が分からない。だから政治経済が先に終わっていてよかったと思うんですが、狙いは貿易を増やすことじゃない。
 銀行が集まってるところはアメリカのニューヨークの、何という一角ですか。むかし壁で囲まれた砦だったから、ウォール街という。ここは地上50階建てぐらいの摩天楼、超高層ビルが50年、60年ぐらいも前から林立するような金融街なんです。ここを儲けさせようとする。そして世界中からお金を借りようとする。お金を借りるためには金利を高くしたほうがいい。こうやって金利を高くしてマネーを呼び込むんです。
 だいぶ日本はこれに貢いでいる。それでお金を返せと言っても、軍事力をもっているから、ソ連はつぶれて向かうところ敵なしだから、おまえ誰に向かって言っているのか、という感じです。こうやってアメリカは借金に借金を重ねていく。


 それをやったのは、財務長官、日本でいえば大蔵大臣、ルービンという人です。アメリカは民間会社の銀行の社長や証券会社の社長が、大統領から選ばれて、政府の大臣になったりする。この人も、その前はアメリカナンバーワンの証券会社の社長です。証券会社社長がアメリカの財務長官になって、経済界のトップになる。そして金融街が儲ける政策を行う。


【金融ビッグバン】

 その時に不景気とはいえ、日本は海外に一番お金を貸している債権国なんです。その大半は、日本からアメリカへというお金の流れです。
 そういうお金をアメリカは、お金が欲しかろうといって、貧乏な東南アジアの国に又貸ししていく。世界にお金をばらまいていく。ばらまいて利子を取る。日本がアメリカに2%で貸したら、アメリカは別の国に6%で貸して利息を取る。


 このころ日本は、どういったことをやっていたか。橋本龍太郎という総理大臣が、さーこれからは金融ビッグバンの時代だと、訳のわからないことを言い始めたんです。これが金融の自由化です。
 それまでは、ドル預金するのは企業だけだったんですよ。私が個人で幾らお金持っていても、ドル預金なんかできなかったけれども、個人でもドル預金ができるようになった。個人でもドル預金可能です。つまりアメリカの銀行に、私でも預けることができる。具体的には日本の銀行がそういう業務をやる。ということは、私の日本の円がアメリカで使われるということです。こういうふうにお金が国境をまたいで、自由に行き来できるようになる。日本はこれに巻き込まれていく。


 これが外国為替法の改正です。略して外為法という。外為法の改正です。誰でも外貨を買える。つまり外国に投資ができるようになった。それを当時グローバル化と盛んに言っていました。こうやって不況の中で日本のお金が外国に流れているんです。


【IT革命】

 グローバル化というのは。いい言葉みたいですけどね。気づいてる人がいるかもしれないけど、このお金と相性が良いのがインターネットなんです。

 私はできないけど、ラインで決済とか、いっぱいできる。ペイペイとか、コマーシャルしている。スマホで簡単にお金の決済している。ITとお金、これは相性がいい。
 同時にアメリカは、ここでIT革命というのをやり出した。IT革命というのは情報だけじゃない。実はお金が絡んでいる。お金の動きが今大きく変わろうとしています。

 それでアメリカにお金が流れた。そしたらお金が余ったら、どうなるか。景気が悪いアメリカで住宅価格がどんどん上がりだす。1000万円で買った土地が1年後に1500万円、2年待てば2000万円になる。これが何年も続くと、味を占めて、このあとどうするか。1000万で買って2年待って2000万で売る。まるまるそこの家に住んでいて、ただで済んでいて、2年間で1000万円儲かるわけです。こういうマネーゲームが起こる。
 しかしこういうのは、いつまでも続かない。ただいつ終わるかはわからない。なかなか終わらなかったから、このあと10年後ぐらいから、サブプライムローンといって、返せる見込みのない貧しい人たちに、お金を貸すよ、住宅を買え買えと、アメリカの銀行が言い始めた。


 これがはじけたのが2008年リーマン・ショックです。これで世界中が吹っ飛んだ。またしてもアメリカです。こういう流れはまたあとで言いますけど、それはここらへんから始まる。これはリアルタイムです。我々が生きている時代のことです。
 ここらへんは現在進行形で、今も継続していることです。

 1995年まではドル安で来たんだけれど、これがクリントンからドル高に変わる。そして高金利政策へと変わった。これがマネーゲームの始まりです。日本は平成不況のまっただ中です。それなのに外国にお金を貸す。変な国です。


【中国の人民元安】
 ではもう一つの隠し味。ドルよりも安くなってる通貨が何だったか。これ言うのは2回目です。中国の人民元です。アメリカはドルでしょ。人民元といったら中国です。たんに元という場合もある。

 これ1995年ごろ、だいたい15円ですよ。1人民元が。その15年前の1980年はいくらだったか。150円です。150円が10年ちょっとで10分の1の15円になる。これは人間の努力の幅を越えている。途方もなく安くなっている。中国の通貨が安くなれば、中国製品はどうなる。安くなります。だから中国は輸出を伸ばす。
 だからファーウェイという中国企業が、安くてどんどん製品を売って、数十年で世界企業になっていく。人民元安があります。
 その間、日本の円は逆に円高です。円は高くなっている。人民元は安くなっている。それも10分の1に。この差は大きいです。かたや10mのタイム、かたや100mのタイム、それでかけっこのタイム争いしている。10倍のスピードで走らないと勝てない。

 ではその人民元の中国は、人民元が安くなってる中で景気がだんだん良くなった。そんな中で1989年に天安門事件というのが起こる。景気が良くなって給料も上がって、中国人が次に求めたのは、お金はある程度手に入れたから、今度は政治的な自由です。民主化要求をする。選挙しろと言い始めた。しかし即弾圧です。


 各国がそれによって経済制裁を行い、弾圧したらダメじゃないか、と言った。でもこれはどうも、こけおどしです。本気じゃない。いいじゃないかそれぐらい、中国は経済成長しているのだから、という形で済ます。だから中国はこのあとますます経済成長していく。中国の経済成長は民主化なしで経済成長しています。逆にいうと、経済成長は民主化なしでもてきる、ということをこの国が証明しつつある。


 その中心リーダーが鄧小平だった。ほんとに小柄な普通のおじさんだった。彼が資本主義路線を本格的に中国に取り入れだしたんだけれども、中国は表看板はあくまでも社会主義です。今もです。資本主義とは言えない。これは政治経済でやった。そこでこれを何というか。改革開放政策という。つまりは資本主義化のことでが、それを資本主義化とは言えないのです。


 そのためのお金は外国から借りる。たぶんアメリカからです。ここらへんよくわからない。わからない理由は、私がわからないじゃなくて、銀行にあなたのところの資産がいくらで、どこに貸しだしているか、を聞いたところで絶対に教えない。銀行がそんなことを言えば罪になる。個人の秘密は守らないといけないから。
 外国からの投資で、たぶんアメリカ資本も入っている。たぶん日本資本も入っている。それで中国の高度成長に拍車がかかる。貸した日本をはるかに上回る規模で伸びている。もう2010年に抜かれましたけど。これを一言でいうと、中国は民主化なき経済成長を成し遂げた。
 いまだに中国では政府ににらまれて、軟禁状態の小説家とかいますね。街中には、悪いことしないように、日本のコンビニの監視カメラどころじゃない、その数十倍の監視カメラが張り巡らされている。そういったなかで、徐々に徐々に人民元は切り下げられていきます。

 また1997年に約150年ぶりぐらいに、イギリスの植民地であった島が返還された。これが香港です。ここは何をきっかけにイギリスの植民地になっていたか。麻薬です。何という麻薬か。アヘンです。香港は、イギリスがアヘン戦争で分捕った地域です。ここで返還されました。


 1980年代の初めには、1人民元が150円。これが1990年代の半ばには15円にまで急激に下がった。10分の1です。それが10年続けば中国の経済成長も終わりかなぁと思っていると・・・日本の高度経済成長がだいたい10年だったから・・・それどころか1990年代に入るとますます伸びる。年率10%の経済成長です。複利で計算するから、10年で約2.5倍になる。

 日本はいま成長率が1%越えたら、喜んでやったやったという。中国は10%です。この差です。

 その間、もう一つが、人口が増えすぎて困っていた。日本と逆です。1人っ子政策です。でも子供を産む、産まないというのは究極の人間の人権ですよ。それを産んでいい、産んだらいけない、国家が決めていたんですね。これは2~3年前に廃止されました。


 民主化がないというのが問題です。逆に民主化の行き過ぎもちょっと問題ですけどね。日本とはかなりお国柄が違います。


【グローバル化とアジア通貨危機】

 1990年代後半、ポイントは1997年にまたやるんですよ。お金の流れは目に見えないけれども、お金もグローバル化しています。インターネットが普及する。そして法的には自由化です。日本もいけいけドンドンとやっている。

 お金の流れは、日本は不景気で低金利、だからお金を借りやすい。アメリカは不景気なのに高金利ですね。そうするとお金もっている人は、日本に預けるよりも、アメリカに預けたほうがいいという感覚になる。 


 そしてさっき言ったようにアメリカは借りたお金を世界中に再投資してるんです。アメリカは高金利だから、アメリカにお金が集まる。それをアジアに投資していた。その投資したお金、つまりアメリカが貸したお金を、ある時アメリカが急に引き上げる。

 例えば私が、友人に100万円貸したとする。それを友人はずっと生活資金にして、友人はそれで食っている。急に、オレは気が変わったから、おい、明日100万円返せ、と言われたら、友人の生活はパーです。会社運営できない。そういうことをやる。 

 それをするのが、これがまたヘッジファンドというグループです。違法ではないけど、法律すれすれで、かなりアコギなことをやる。


 日本の株の世界を見ていたら、どうも絡んでいる。明らかに変な動きをしている。理屈上はこうなるはず。しかし理屈道理にならない。やっぱりやってるなと思うときがある。動きを見ていて、プロの集団が操作しているなと思うときがある。
 だからプロには勝てないです。人がたまに儲けると、オレは100万儲かった、とすぐ言い回るけど、実は10人に1人もいない。ということは10人に9人は損している。そういう人は黙っているわけですよ。うまい話には騙されないようにしてください。

 それでアジアにドルがなくなると、ドルで取り引きするから、貿易できなくなる。輸入できなくなる。

 それがまず東南アジアの優等生といわれたタイで起こる。次に東南アジアで1番人口の多いインドネシアでも起こる。それからさらに急激な成長で東洋のドラゴンといわれた韓国でも起こる。

 お金がない、助けてください。彼らはどこにすがるか。ドルだったら。アメリカです。そこでアメリカは貸してやるよ、と言う。ただその代わりね、という。条件がつく。これが恐いんです。
 実際に貸すのは、国連の機関、IMFです。これ何だったか、国際通貨基金という。しかしこの実権はアメリカが握っています。貸していいよ。その代わり、この財閥はちょっと気にくわないから潰せ。あんたが潰れたら貸してやるよとか、いろんな条件をつけます。


 それでもやっぱり、お金がないことには借りないといけない。国が破産するから背に腹は替えられない。

 韓国の企業なんか、この時以降、ほとんどアメリカが韓国企業の株を買い占めている。サムスンなんか、半分以上はアメリカ資本です。株を握られると、日本の企業でもそうなる。
 日産はどうなったか。日産は日本の企業ではない。20年前から。フランスの企業です。だから捕まった社長はフランス人です。カルロス・ゴーンという。
 本当はあの人はレバノン人です。レバノンはフランスの植民地だった。そこで食えないから、植民地の支配国フランスに行って、そこで名を上げて、そしてルノーの幹部になった。そして日産の経営権を任された。それといっしょです。日本の企業もお金がないというと、オレが貸してやるから、その代わり経営権をもらうよ、という。


【日本】

 これをきっかけに、1990年代終わりに、少しは立ち直るかなと思われていた日本企業が大番狂わせで、巨大銀行が倒産するまでになる。私はこの時、銀行が倒産するのを初めて見ました。

 北海道のナンバーワンの北海道拓殖銀行。いとも簡単に潰れました。こんな簡単に潰れるとは思わなかった。それから山一証券。今はない。野村、大和、山一、国内ビック3と言われていた証券会社です。

 東京とか大阪、福岡に、大きなビルがドカンとあったのが、あっという間に潰れた。これが1997年です。これらは
絶対潰れないと思われていた。
 また日本長期信用銀行、これが潰れた。日本債券信用銀行、これも潰れた。日本の名前がつく政府系銀行です。政府のお金で運営していた政府系銀行です。2年間の間に北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、2年間でバタバタと潰れた。最低の年だった。忘れもしない平成9年、苦しみの九年と言われた。1997年。日本はそういったところにまで追い詰められていくんです。


 こんな時に、アメリカから言われるままに、今からは金融ビックバンだ、とか言っているアンポンタンな橋本龍太郎という首相がいる。おまけに消費税3%を5%に上げた。不景気なのに増税です。何考えてるんだ、という感じです。これは人災です。タイミングが悪いんですよ。こんなことしていたら直る病気も直らない。だから不況が30年続いた。不況がここまで来るなどとは、誰も予測できなかった。


【東欧】 じゃあ1990年代、ソ連がつぶれた頃の旧ソ連影響下の共産圏の国々です。多くの人々が死んで、6つも7つもの国に分裂したのがユーゴスラビアです。その10年間をいうと、それだけで1時間が終わってしまうからここはカット。とにかく酷い戦争が起こった。人がたくさん死んだ。


 人ごとと思っていたらいけないというのは、日本でもほんの数年前に戦争法案が通りました。集団的自衛権が行使できるようになった。自衛権とは言うものの、これは実質的に攻撃力です。アメリカが戦争すれば、日本はアメリカといっしょに戦争しないといけない国になってしまいました。アメリカはいつもアメリカの外で戦争しています。外でする戦争は自衛のための戦争ではありません。


 この旧ユーゴスラビアが、ここまで粉々に分裂したのはどうもアメリカとの関係がもともと良くない。アメリカもはいっている資本主義側の軍事組織、NATO軍、これが中心めがけて攻撃した。コソヴォ紛争という。1999年です。


 それからいままで一つの国であったチェコスロバキアが、チェコとスロバキアに分裂した。分離して別れ別れになったんだから悲しいはずなのに、西側諸国がネーミングしたのはビロード革命です。なんかいい名前でしょ。でもあまりよくない。名は体を表さすです。国力が落ちてしまった。これが1993年です。


【ラテンアメリカ】 1990年代はソ連が消滅して、アメリカの1人勝ちです。小さい国なんかすぐに軍事侵攻される。そして差し押さえる。これがハイチです。カリブ海の小さな国、アメリカの目の前です。そこの大統領は、アメリカに攻められたら、命からがら亡命するのがやっとです。


 亡命に失敗すると、間違いなく殺されます。そんなことがあるか。イラクのフセイン大統領はどうなったか。リビアのカダフィ大佐どうなったか。むごい殺され方です。逃げ遅れると。起こっていることは、目を疑うようなことです。


【韓国】 あと韓国には、金大中という人がいました。北朝鮮が好きな人ですね。その北朝鮮は、1970年代から日本人を何人も拉致しています。


 ある日突然、人気のないところを1人で誰かが歩いていると、男も女も関係なく、後ろから突然拉致されて連れて行かれる。海の近くだったら暗くて街灯がないから分からない。4~5人の男で、女子中学生を担いでいくぐらい簡単です。そして夜の闇に紛れて海に浮かぶ船に乗せ、海上を飛ばせば、すぐに北朝鮮に着きます。そんなことはありえない、と朝日新聞はこれを否定していた。でも謝罪しない。しても1行です。100回報道しても、間違っていたら1行で終わりです。


【東南アジア】 東南アジアは、地域でまとまろうというASEANというのがあります。このASEANに行くまえに、1950年代には非同盟で組んだ。どこと同盟しないか。アメリカと同盟しない。オレたちは植民地だったから、ヨーロッパと同盟しない。しかしそれがだんだんと崩れていく。


 まず1967年のASEAN結成が、中心国はタイですね。それにマレーシア、インドネシア、それとフィリピン。これが中心であった。


 それにベトナムが加わって、ラオスとミャンマーが加わって、さらに日中韓も加わる。ASEANプラス3という。アメリカははいっていない。
 この1997年見てください。何が起こった年か。アジア通貨危機です。お金を借りていたばかりに、ガバーンとやられた。タイ、マレーシアだけではない、鼻息荒かった韓国もやられました。


 しかし金銭的な損失を考えたら、私は日本が1番じゃないかなと思う。経済規模からいって、日本の受けた損失は大きいです。


 それで、いよいよ2000年代に入ります。21世紀です。長かった20世紀は。1900年代は。だいぶ時間を費やしました。ここから新たな世紀、21世紀に行きます。


 世界の覇権国といわれ、敵がいなくなったアメリカ。アメリカの一国主義といわれる。そのときに大統領になったのが息子ブッシュです。前に出てきたのは、父親です。ここでは息子です。親子2代初のアメリカ大統領です。


 日本はというと、ブッシュと同じ2001年から、日本でも小泉純一郎が首相になります。ここでその最初の年に起こるのがあの9.11事件です。
 不思議な事件で、ここでは言わないけど、YouTubeにはいろんな情報や番組が投稿されていて、それを見た方がよくわかります。

 これで終わります。ではまた。















「授業でいえない世界史」 58話 戦後 2000年代

2019-05-29 06:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【2000年代】

【ブッシュのアメリカ】 いよいよ大詰めですね。最後の2時間です。いよいよ2000年代にはいったところです。2000年代のアメリカの大統領は息子ブッシュ、子ブッシュです。2001年からです。同時に日本は、2001年からあの小泉純一郎です。
 アメリカの大統領に会いに行って、エルビス・プレスリーを踊らされた首相です。ああこれは子分だな、と全世界に印象づけられたと思う。私は初めてですよ、一国の首相がサングラスかけて、エルビスプレスリーのマネをさせられたのを見たのは。そしてまたその映像が、全世界に流されたというのは。マスコミ操作によって人気だけはものすごくありました。純ちゃんフィーバーとか、NHKが言っていたのをよく覚えています。


 もう10年前にソ連が滅んでますから、アメリカはもう怖いものなしという感じです。一国主義です。次に何をするかなぁと思っていたら、日本で環境問題の会議があった。京都議定書というこの議定書をアメリカが破棄する。二酸化炭素を出しません、という議定書です。そんなもの守れるかと、アメリカは言った。これでだいたいアメリカのスタンスがわかったんです。


 次に包括的核実験禁止条約、CTBTという。これを進めようと言うと、アメリカは、イヤだ、やめたと言う。


【9.11事件】

 その年、2001年9月11日、例の9.11同時多発テロが起こります。アメリカのニューヨークにある世界的に有名な世界貿易センタービルに、早朝8時、旅客機がまず1発ボーンと突っ込む。しばらくして2機目がボーンと突っ込む。そしてワシントンの国防総省、俗にペンタゴンというアメリカ国防総省に、3機目の飛行機が突っ込んだ。
 そうなってるけど、3機目は跡形もなく残骸が消えていたり、非常に不思議な事件です。
 1機目が突っ込んだ。2機目が突っ込んだ。ビルが崩壊した。おまけに隣の何の被害も受けてない第7ビルまで崩壊した。飛行機が衝突しないビルがなぜ突然倒れるのか。これほど理屈に合わないことはない。そこから見える結論は、背筋が寒くなるほどのものです。信憑性のほどは自分で確かめてください。とにかく疑惑は多い。疑惑の域を超えています。
 YouTubeで検索すると分かります。長崎大学の先生が、長崎の地元局の番組で言ってます。疑惑がありますと。これが一番コンパクトにまとまっている。15分ぐらいで。他にもいっぱい投稿されています。疑惑を追及する出版物もいっぱいでています。


 そういう疑惑がいっぱいある中で、犯人はアルカイダというグループ、この仕業だとされて今でもそうなっています。このアルカイダとはイスラーム組織です。イスラーム世界はアメリカと仲が悪いです。


 その首謀者が、オサマ・ビン・ラディンという人です。確かに何回もテレビでも報道されましたけど、不思議なことにいつ撮影されたものなのか、どこで撮影されたものなのか、全くわからない。

 しかも実際の実写版の映像つまり生の映像はついに殺されるまで、出てきませんでした。そういう謎の人です。

 これが2001年です。10年後の2011年に、あとでも言うけど、突然パキスタンでこの人が発見されたということになって、即日アメリカが攻め込んだ。捕まえればいいものを即座に殺害する。
殺したその日に水葬で海に流します。早い話、海に投げ捨てた。そして二度と遺体は上がらない。その間の映像は全くないです。
 なぜこんな即日水葬をしたのか。普通は捕らえて裁判にかけます。どんなに凶悪犯でも、これは最低の人間の権利です。何十人と殺したオウムの麻原彰晃でも、裁判にはかけられた。裁判にもかけずに人を殺すなんて法治国家ではないし、それは裁判にかけられない理由があるとしか考えられない。しかもこの人の生の映像は最初から最後まで出てこなかった。実在したかどうかさえ怪しいのです。


 ここからは次々に不思議なことが起こっていきます。我々が生きた時代というのは、よく目を開いて見ておかないと、100年後の人間から、この時代に生きた人間はバカじゃないかと言われそうです。自分たちの孫や曾孫から。


【アフガン攻撃】

 2001.9.11のすぐ1ヶ月後には、アメリカはアフガニスタンに戦争を仕掛けた。なぜアフガニスタンなのか。首謀者アルカイダの本拠地がアフガニスタンだとされたからです。そうされたんです。本当はアルカイダ、それからオサマ・ビン・ラディンは、サウジアラビアの大金持ちの息子です。しかしなぜかアフガニスタンが攻撃された。これにはイギリスも協力する。第二次世界大戦から、アメリカとイギリスは基本的にずっといっしょです。

 しかしドイツの首相は毅然と反対する。おかしいという。フランスのシラク大統領もドイツが正しいと言う。しかし日本はと言えば、小泉純一郎なんか、エレキギターを持って踊れと言われて喜んで踊るくらいですから、いの一番にアメリカに賛成していく。


 そのアフガニスタンの政権、これは反米で有名なタリバン政権です。イスラム教色の非常に強い、アフガニスタンではけっこう頭の良いイスラーム教徒のグループです。


 これをすぐ倒す。戦争したらアメリカに勝つ国はない。軍事力をアメリカは見せつけたいということもあったんでしょう。その後オサマ・ビン・ラディン探しが始まって、10年後の2011年、さっき言ったように、オサマ・ビン・ラディン容疑者をパキスタンで見つけてすぐ殺し、即日水葬する。しかしその時の生の写真はない。


 状況証拠から見ておかしいです。普通は写真の一枚ぐらいマスコミに出るんですよ。まともな事件は。次の日だって、その日の写真ではなくて、10年前の写真が新聞に出ただけですよ。何でなのか。水葬の写真ぐらい、海に流すときの写真ぐらい、その時の顔ぐらい、新聞に出るのが普通です。報道機関というのは、間違いなく死んだということを、証拠をつけて報道する。これが事実報道です。リビアのカダフィ殺害の時は出たんです。リビアの殺された指導者です。死体だって、その顔だって写真付きで報道された。マスコミは、写真を撮ってオサマ・ビン・ラディンに間違いないということを報道する義務がある。しかしそういうことが全くない。


 アフガニスタンではタリバン政権が崩壊し、次にはカルザイ政権、カルザイ大統領に移行した。このカルザイという人はその直前まで、アメリカの企業家だったアフガニスタン人です。

 アメリカは、自分で潰して、自分の息のかかったアフガニスタン人を大統領にしたということです。そして正式大統領になる。

 そのあとアメリカがやったことはほとんど報道されないけれど、中央アジアというアフガニスタンの隣あたりには、日本に米軍基地があるように、そういう米軍基地が増えている。
 このアフガン攻撃が2001年10月です。

 翌年の2002年の正月、この息子のブッシュが「悪の枢軸」発言を行った。悪の枢軸とはどこか。名指しをした。イラク、イラン、北朝鮮です。こんなことを言えば、宣戦布告といっしょです。

 15年たった今でも、アメリカの攻撃目標はこの3つです。変わりません。戦争でやるか、話し合いでやるか、石油でやるか、その違いはあっても。

 まず狙われたのはイラクです。そして即言った。ブッシュドクトリンを出した。ドクトリンと言っても、たいしたものではないです。ブッシュが言ったことをそういっただけです。オレたちは国連の合意がなくても戦争することができると言った。国連決議を無視するのです。そう宣言したんです、アメリカが。しかし国連に入ったままで、国連の合意がなくても戦争を起こすことは可能なんだという理屈、そんな理屈があるんでしょうか。
 つまり戦争するといったんです。武力を持っている国はこれをやる。武力を持たない弱い国は、恐くて仕方がない。


【イラク戦争】

 2003年3月にイラク戦争が起こる。アメリカによるイラク攻撃です。イラクがアメリカを攻撃するわけはありません。ブッシュがやったことに対して、国連は大反対です。だから国際連合の議決がない。イラクが悪いとか、そんなこと誰も思ってないです。アメリカがそう言っているだけです。そしてアメリカは攻撃する。イギリスに、そうだろう、とアメリカが言ったら、イギリスはハイそうです、いっしょに行きます、と言う。
 この時のイギリス首相ブレアと言うんですけど、あとで、ごめんなさい、あの時の判断は間違ってました、と言いました。しかしアメリカは言いません。


 では日本の小泉政権は、この時もイギリスが参戦するよりも先に、そうだ、そうだ、アメリカの言うとおりだ、と言う。世界で真っ先にそう言ったのはこの小泉純一郎です。彼は世界で真っ先にこの戦争を支持をした。


 この時に、アメリカが戦争をしかける理由としたのが、イラクは大量破壊兵器を持っている、とそういう理由をつけた。大量破壊兵器とは何か。普通は核爆弾なんですけどその確証がなかったから、一発で大量に殺せる武器をもっているとした。それを大量破壊兵器と言った。それで攻撃をしかけたら、あっという間にアメリカの勝利です。イラクのフセイン大統領はすぐ打倒されて、捕まえられてしまう。


 では戦争の理由となった大量破壊兵器はあったのかというと、どこを探しても全く見あたらない。大量破壊兵器はなかったのです。それなのにイラクは攻撃された。変な話です。
 それでブッシュは何と言ったか。でもその時はそう思ったんだもん、と言った。へえ、これで通るんだな、恐い世界だ、と思いました。NHKがそうアメリカ大統領のブッシュが発言する姿を放送した。これで通る世の中になったのか、と驚きました。
 普通は、誤ってましたとか、その時の判断は間違ってましたとか、だから責任を取って辞めますとか、そういう言葉が続くんですよ。でもそういう言葉はありません。政治家の責任は棚上げです。ブッシュはそのまま大統領を続けます。何万人と殺してゴメンで済むんだから。これで良ければ何でもできます。それ以降アメリカ人も日本人もあまり口を開かなくなりました。しかも日本の小泉政権は、この戦争に真っ先に支持したんです。


 だから理屈が通らなくなって、アメリカはこの戦争の理由をあとで変更する。変更して、理由を何にしたかというと、中東の民主化のためだとした。後付け理由です。
 中東社会はまだ民主主義が根付いてないから、アメリカがそういう国はやっつけて、素晴らしい民主主義の国にしてやるんだ、とした。

 どうですか、この理屈。こういう理屈が通るんだったら、民主主義の名のもとに、いくらでも人を殺せます。おまえは民主的でないから、オレが殺してやる。
 でもこれ、おかしいでしょ。これが通るんです。無理が通って、道理が引っ込んだんです。

 問題はこのあとです。イスラーム教徒が本気で腹を立てていく。
 だからテロが頻発するようになる。それまでにも少しはあったけど、頻発するのはこのあとです。暴力には暴力で対応するしかなくなる。この悪循環の原因はどこにあるのでしょうか。


 でも西側メディアは、イスラームはテロ国家だと、こればっかりです。日本人の間でも、この20年近くの間に、イスラームというとテロというイメージができてしまった。

 日本はこのとき戦争には協力できません。憲法九条があるから。まだ集団的自衛権が今から3年前の2016年に確立される前のことだから。
 しかし今からは違う。ここから先は、戦争法案が通ってしまっているから、こんなことがあれば集団的自衛権が発動されてもおかしくありません。アメリカと連れだって戦争をする危険が日本にはあります。戦争が合法化されたから。憲法違反だけど。



 そこでまたアメリカは為替をいじる。アメリカは基本的にお金がない。だから借りる。この時はドル安です。ということは日本は円高です。円高になると、日本の製品は売れない。だから日本は円をもっと安くしたい。逆にいうとドルを高くしたい。
 ドルを高くするには、日本がドルを買えばいい。日本人がドルを買っても、日本では使えないから、そのドルをアメリカにまた預けるんです。具体的には米国債つまりアメリカの借金証書を買うわけです。
 結局、こうやって日本のお金はアメリカに行く。これは経済的な戦争協力です。経済協力です。こうやって日本は、どんどんアメリカドルの国債、アメリカの債券を買った。これが米国債です。アメリカの借金です。これを買っているのが日本です。


 日本が世界最大の債権国ということの実態はこれです。しかもアメリカにお金を貸すばかりで、返してもらえない。米国債は塩漬けにされて返済されません。
 100万円を貸して、その100万円を返してくれと言うと、エッと言われて、スッとぼけられて返してもらえない。逆に文句あるか、と言われる。すると何も言えなくなるのが日本です。たぶん70兆円。非公開ですけど。70兆円で効かないという話もある。100兆円とかいう話もある。いや0が1つ少ない、1000兆円という話もある。もし1000兆円だとすれば、これは日本政府の借金額に相当します。これは日本の国家予算の10年分になります。
 このことと日本の景気は関係しています。日本は平成不況です。このときまだ平成15年です。日本は不況の中で、こういうふうにお金がダダ漏れになって、アメリカに流れている。

 大量破壊兵器がなかった。でもあるとその時は思ったんだもん、とブッシュは言い放った。負けたイラクのフセイン大統領は処刑された。2006年の忘れもしない12月31日の大晦日です。大晦日にやるか、という話です。その処刑シーンがインターネットで流れた。私は大晦日に除夜の鐘を聞きながら見てた。あれほど嫌な大晦日はなかった。


【EU諸国】
 こういうことに対してヨーロッパのなかで、アメリカ大好きだと賛成したのはイギリスです。
 しかしはっきり反対したのがドイツです。フランスもドイツにつく。アメリカはおかしい、とはっきり言った。

 当時イギリスの首相は労働党のブレアです。この人が、2003年にアメリカにと一緒に、イラクに対して戦争をしかけた。そのあと、どうもおかしい、大量破壊兵器がない。それで批判を浴びていく。首相をやめたあとに、すみません、判断を間違ってました、と言う。しかしアメリカはこれすら言わない。


 ドイツはコール首相、それからシュレーダー首相、それから2005年から受け継いでいるのが今の女性首相のメルケルです。2003年のイラク戦争ではアメリカを批判し、軍隊を派遣しなかった。何よりも国連が反対している。そういう意味では、世界全体から見ると、アメリカ、イギリス、日本が少数派です。日本国内では、そう思わない人が多いけど、世界では違います。


【ユーロ誕生】

 同時にドイツは、経済的にアメリカに頼らない方法を考えている。そのために経済の根底から、お金から考えている。それがユーロです。ユーロ圏最大の経済大国はドイツです。イギリスではない。

 このユーロが1999年から発行され始め、2002年から・・・この間に2001.9.11事件が起こりますが・・・流通が開始される。発行と流通はどう違うのか。発行は銀行間だけでやりとりされ庶民にはまだ手に入らない状態ですが、流通は銀行から引き出して、我々庶民の間にまでユーロが流通しだしたということです。


 フランスのシラク大統領が9.11以後のアメリカを批判する。ヨーロッパでも合意を取り付けてない。ここの構図を大きく書くと、一国主義のアメリカに対して、ここではドイツですよ。この対立です。ドイツ側についたのがフランスです。アメリカについたのがイギリスです。
 イギリスは第一次大戦も第二次大戦も、アメリカにつきます。敗戦国の悲しさで、戦後の日本もずっとアメリカについています。


 ドイツとフランスは、なぜこうユーロ発行ができたのか。ドルに頼らない経済圏をつくることに半ば成功している。でもアメリカの妨害が入ったりするから、まだどうなるか分からない。
 これは世界的な実験と言われている。国を壊さずに通貨だけ統合した国は今までありません。これをうまくやれるんだということでやってますが、アメリカが時折妨害するんです。2008年のリーマン・ショックでもそうです。
 どうなるかわからないから、そのための準備をしている。ドルからの独立です。アメリカから独立するためには、まずお金、ドル以外の経済圏をつくることができるか。それが2002年のユーロです。


 イタリアに行こうと、フランスに行こうと、ドイツに行こうと、全部ユーロでいい。30年前に私が行ったときには、その都度国境をまたぐごとに、お金を替えなければならなかった。しかしいまはお金を替える必要がない。

 しかしイギリスは、ユーロを使っていない。本音では使いたかったみたいですけど、前にちょっと言ったけど、1992年にジョージ・ソロスという山師がイギリスの通貨ポンドを売り浴びせて、ユーロに入れないようにした。そんなこともありました。


 ジョージ・ソロスのことは、私も新聞を読んでいたけど、その当時そのことを書いたはっきり書いた新聞はない。不思議なことが起こってます、みたいな書き方です。それが気になっていたけど、専門家が調べていくのに2~3年かかった。そういう本を読まないと分からない。新聞だけではわからない。新聞は見出しだけ打ち上げて、あとはフォローしない。忘れ去られていく。よくて2~3日です。新聞は1週間も追求すればいいほうです。

 イギリスはユーロを使用していません。今でもポンドです。


【サブプライムローン】

 アメリカの2008年リーマン・ショックに向けての動きです。アメリカはお金がないから、他の国からお金を借りています。お金を借りて、そのお金をまた他人に貸し付ける。でもその借りる人がいなくなったんです。だから返す見込みがない人に、つまり低所得者に無理やり貸す。しかも高金利で。あんた住宅買わないか、オレがお金を貸してやるよ。これがサブプライムローンです。こういうことをアメリカは2004年あたりからやっている。イラク戦争で勝ったすぐあとです。文句言う者がいないのだから何でもやる。

 しかしお金を貸した低所得者からは、返済されない。それを見越すかのように、アメリカはその手持ちの債権を転売するんです。借金を証券化して、10年間で倍になるよとか言って、ヨーロッパに転売する。


 それを見抜けないヨーロッパ人は、まんまとひっかかるんです。気づいたときには、アメリカの銀行はもう証券をヨーロッパに転売しているから、サブプライムローンがはじけても痛くも痒くもない。被害を受けるのはヨーロッパなんです。


 日本はすでドルを買っているから、この被害は免れたけど、その代わりそれまで米国債を買った損失はものすごいです。ヨーロッパは負債つまり返ってこない借金を買わせられた。そのあと、2008年から10年立って、なかなか浮上しないのはヨーロッパと日本です。なかでも日本が一番低迷しています。
 その後の10年間の動きを見ると、一番景気が浮上して好景気になったのは、アメリカです。アメリカは景気がいい。株のことは、めったに素人が手を出すものじゃないけど、動きだけ見ていたらアメリカの株が一番伸びている。世界に一番迷惑をかけたアメリカが、一番立ち直りが早い。一体どうなっているのか、という感じです。


 この2004年くらいからアメリカはそういったことをやって、2008年のリーマン・ショックで、それがパンクした。それと同時に世界中が不況に陥ります。


【東欧】

 では次は、ソ連が崩壊したあとのヨーロッパです。このEUの拡大ですけれども、ソ連の子分、もともとの社会主義国であった国が、資本主義国に変わって、ドイツの仲間になってユーロに加盟していく。その結果、この色がついたところが拡大したEU圏です。新しく加盟した国は、ここまで来た。
 お金の秘密を絶対バラさないように、加盟してないのがこのスイスです。ここのイメージは、アルプスの少女じゃない。この国は結構恐いところです。お金持ちのブラックマネーがいっぱいある。


 それから今、EUから抜け出そうとしているのがこのイギリスです。国民投票でEUから離脱すると決めた。だから、近いうちにEUから抜け出すでしょう。


 本当はヨーロッパのEUに入りたいんだけれども、待っててと言われたのが、このトルコです。トルコはイスラーム圏でありながら、ケマル・パシャという人が第一次世界大戦で負けると同時に、イスラムではなくて、ヨーロッパだ、ヨーロッパだ、と言ってヨーロッパ流の改革をやった。その点では日本といっしょです。だからこの国は、黄色い人間の中でどこの国が一番好きかというと、文句なく日本です。日本はこの国をあまり知らないけど。


【ロシア】
 では崩壊したソ連です。社会主義をつぶされて、資本主義とは言わずに市場経済と言いますが、資本主義のことです。これ以降そうしようとした。しかしこれはうまくいかない。一部の暴力まで含むような、ちょっと恐いヤーさんたちが利益をガッポリ独り占めしていく。すぐに億万長者になる。かたや一般庶民は食うや食わずで、貧富の差がヨーロッパ以上に拡大していく。この頃の実体を、日本の新聞はあんまり報道しませんでした。

 みんなアメリカが勝って、敵国ソ連が崩壊したのを、何となく喜んでいるような雰囲気でしたが、ロシアのなかで起こっていることはけっこう厳しいことが起こっていた。


 このときには、もうゴルバチョフは力を失って、次のエリツィンという大統領に変わった。エリツィン大統領の時は、出ばなは好調だったけど、経済はガタガタ状態です。これじゃいかんということで、もともとエリツィンの補佐役だった男が出てきた。これがプーチンです。この人は本来の仕事は裏方です。情報です。探偵です。日本でいえば忍者です。
忍者といっても、分身の術とかは使えない。霧を出して霧隠れとかもできないです。でも情報探偵はいます。これをKGBという。情報局です。アメリカで言えばCIAです。だからこの人は情報には強い。それに国民の信頼も得ている。

 2000年から2008年まで、8年間、大統領です。8年間が期限だったから、メドベージェフに譲った。それからまた4年後に選挙で勝った。そして今でも大統領です。合計15年ぐらいやっている。今から20年前だから、若くして大統領になっている。最初は、プーチンはどこから来たのか、長いこと謎の男、謎の男と言われていた。政治家としての力がある。


 国際的には、安倍晋三さんとプーチンは、ぜんぜん格が違います。プーチンを見る目と、安倍晋三さんを見る目はぜんぜん違います。

 では次です。ゴルバチョフでソ連は崩壊し、新大統領がエリツィンであった。この大統領の時にロシア経済は大混乱に陥った。日本ではあまり報道されなかったけれども。


 巨大な黒い経済組織、マフィアが横行し、表の経済が裏に潜って、地下経済、非合法取引も盛んに行われていく。プーチンの仕事はこれと対決することです。大会社の社長になったマフィアの大物をしょっぴいて牢に入れる。これができるか、できないか。できなかったら、プーチンは暗殺されていたかもしれない。そんな熾烈な戦いです。

 ロシア国内では、ロシアは多民族国家だから、独立したい少数派の紛争、チェチェン紛争というのが起こる。これは石油が絡んでいるから、そうおいそれとは独立をロシアも許可できなかったんです。

 ただその間にも、ソ連の子分であった東ヨーロッパの多くの諸国は社会主義体制を捨てて、チャクチャクと市場経済、資本主義体制へ移行している。そしてドイツを中心とするEUに加盟していく。


 それに対して、アメリカも彼らを仲間に引き入れたい。具体的には貧乏な国へお金を貸すんです。国際通貨基金つまりIMF、または長期資金であれば世界銀行、こういったものを通じていっぱい資金援助をしていく。ただし、お金を借りるときには条件がすごい。ただしという、いろいろな条件がついてくる。それで自由な経済活動ができなくなっていく。グローバリズムがそれに拍車をかける。グローバリズムとは、アメリカが自由に動けるようにすることです。だから、アメリカに反対することはできなくなっていくきます。


【パレスティナ】

 あとは世界のヘソですけれども、イスラエルです。パレスチナ問題です。追い出された人たちが、パレスチナ暫定自治区をつくる。純粋な自治区は、このイスラエルのなかでこれだけです。これをガザ地区という。アラブ人はここに閉じ込められてる状態です。壁の反対側は、雑居状態だけれども、断然ユダヤ人が優勢です。

 ただ分断されながらもどうにかアラブ人として国のまとまりを作ろうとして、暫定政府を2006年につくった。この政党がハマスです。これはユダヤ人国家ではないですよ。それに敵対するパレスチナ国家です。

 ここまでで終わります。ではまた。














「授業でいえない世界史」 59話 戦後 2010年代

2019-05-29 05:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。



 9.11同時多発テロから始まって、その前後、アメリカ合衆国の南の南アメリカ、別名ラテンアメリカです。ラテンアメリカは、アメリカと仲が良いかというと、アメリカと近いぶん、20世紀初めのルーズベルトの棍棒外交とかで結構いじめられてきた歴史があって、アメリカ嫌いな国が多いんです。
 日本がアメリカ好きというか、アメリカに近いのは、これは原因ははっきりしている。70年前に戦争に負けたから、国を作りかえられたんです。


【2010年代】

 南米の国は、アメリカに反発することもできずに、アメリカに近いぶん干渉されてきた歴史があります。息子ブッシュ大統領の時に、みんな恐れてアメリカに反対できなかったんですけど、ベネズエラの新しい大統領が、敢然として反米、アメリカいやだと反対し始めた。この人は10年後の2013年にガンで死にました。このときの言葉、オレは本当は癌で死ぬんじゃない、と言い残して死んだ。このことの意味は、どういう意味なのか。その人をチャベスという。1999年にチャベス政権が誕生した。
この2010年代で不思議なことは、ラテンアメリカ諸国の大統領または首相に、異常に癌患者が多かったことです。チャベスもその一人です。それで2013年に死にしました。あれから6年、いまベネズエラは大変なことになっています。

 反米の組織をつくる動きもあります。
 中南米の共同体としては、1番目は南米国家共同体。2番目はちょっと名前だけ言っておきます。中米自由貿易協定。ここにはアメリカが強引に入ってくる。3番目が米州自由貿易地域という。そういうのをつくっていくんだけれども、チャベスがやったのは、アメリカはずそうとしたんです。
 2011年中南米カリブ諸国共同体、SERACというのをつくった。これには私もビックリした。アメリカを除外して、ラテンアメリカ共同体をつくろうとした。残念ながら日本の新聞はほとんど取り上げなかった。小さな記事だった。私はこれはやったなと思いましたが、その2年後の2013年に癌で死にしました。

 アフリカには、どういった政権が成立したか。10年戻って1994年間、南アフリカ共和国、ここはアパルトヘイト、人種差別政策で有名なところで、白人優位社会です。もとイギリス植民地です。黒人は奴隷身分で、奴隷がなくなっても、人種差別は続いている。そういった中から、反政府活動の黒人リーダーで刑務所に入っていた人が大統領になる。犯罪者から一国の大統領になった。彼がネルソン・マンデラです。
 それで大きく変わったんだけど、この背景として、1991年、長らく続いてきた人種差別・・・アパルトヘイトといいます・・・これが廃止されました。これは政治経済でも言いました。これで大きく変わった国です。ただ残念ながら南アフリカ共和国は現在に至るまで非常に混乱中です。


【リーマン・ショック】

 歴史というのは、ありとあらゆることが起こっていて、蟻が一匹動いただけでも、それだって歴史と言えば歴史です。とても全部記述できないんです。そのなかで何が重要で、どういう意味があったかというのはわかるまでに、最短でも10年はかかると言われる。だから本当は2010年代はもうちょっと時間がかかるんだけれども、起こったことだけ言っていきます。けっこう大事なことが起こっている。

 リーマン・ショック
が起こる。2008年です。影響が及ぶのは2010年代です。はっきり言って日本は、これによってせっかく浮上していた景気がまた沈んだ。

 この前段階は何か。前の時間にいいましたけれども、ブッシュ大統領が、9.11事件のあとのアフガン攻撃とか、イラク戦争を仕掛けているどさくさの中で、気づかれないようにこっそりと、2004年頃からアメリカの金融界、銀行、ウォール街、そういう連中が、貸し付け先がなくなって、回収できそうもない人たちにお金を貸しはじめたんです。これをサブプライム・ローンと言います。サブというのは低所得者です。メインじゃないという意味です。その下にある人たちという意味です。地下鉄は下にあるでしょ。サブ・ウェイと言うんです。
 標準よりも下の人に、プライムローンを貸す。プライムというのは上乗せの金利のことです。金利が高いんですね。普通3%で貸し付けてるところを、5%の高金利で貸し付けていくんです。
 そして何を買わせるかというと、彼らに住宅を買わせる。低所得者に、高い金利でお金を貸し付けて、家を買わせるわけです。では返してもらう見込みがあるのかというと、低所得層だから危ない、返してもらえないリスクが非常に高い。


 ここからですよ、アメリカの頭のずる賢い人たちが、どうしたか。細かいことは飛ばして、こういう貸付金を、とにかく証券化するんです。証券化して外国に売りはじめたんです。しかも10%ぐらいの高金利をつけて売る。これ10年後には2倍になりますよとか、そう言って外国へ転売した。この外国が主にヨーロッパだったんです。金利につられて、ヨーロッパ人が大量に買うんです。これは金利がいい、今これを100万で買うと1年間で110万円なる。それなら買った方がましだ。それがもともと返済できるのかというと、低所得者層だから結果的に返ってこない。つまり焦げ付くんです。貸したお金が、返ってこない貸付金のことを、焦げ付き債権とか、不良債権という。


 こういったことが、静かに目立たないようにアメリカで始まっていた。誰も知らないけど、それが新聞が取り上げるようになったのは3、4年後の2007年です。私が知ったのも、2007年に日本の新聞が報道し始めて初めて知った。2007年7月ごろだった。


 サブプライム・ローン問題が表面化した。しかしこの時には
アメリカは痛くも痒くもない。自分が貸し付けたお金を証券化して、すでに他人に売っているんだから。低所得者に100万貸して、その債権をヨーロッパ人に売ってしまっているんだから。ヨーロッパ人から100万円もらっているから、アメリカ人はすでに儲けているわけです。

 2007年頃、これは危ないぞ、危ないぞと、みんなが騒ぎ始めた。今までずっと住宅価格は上がっていたけれども、その頃から下がりはじめていることにみんなが気づいた。


 いよいよこれは危ないぞ。不良債権化していく。この不良債権を金儲け目的でガッポリ買っていたのが、アメリカの証券会社のビッグ3の一つです。これが突然倒産する。これが2008年9月リーマン・ショックです。これで一気に全世界が不況に陥った。
 リーマンというのは、リーマン・ブラザーズ証券という証券会社の名前です。この時には君たちも生まれてます。小学生くらいかもしれないけど、だから意味わからなかったかもしらないけど、その年の2008年度は就職先がなかった。それと次の年も、3年ぐらいなかった。2008年度、2009年度、2010年度は日本の就職はドツボです。就職がない。こうやって新卒者の就職先にも影響した。震源地はアメリカです。


【量的緩和政策】

 このとき金融界は、アメリカだけの問題でなくて、グローバル化してるんですね。全世界をアメリカのドルが流通してるから、アメリカがつまずくと、全世界に不況が広がっていく。
 アメリカの中央銀行をFRBといいます。この名前でよく日本の新聞にも出てくる。漢字で書くと連邦準備制度理事会というワケの分からない名前になっていますが、日本銀行のアメリカ版だと思ってください。日本でいえば日本銀行です。
 そこでアメリカの中央銀行は、アメリカのドルを発行している銀行です。銀行がお金を作ってるんですかと聞く人がいるけど、これは基本中の基本です。政治経済でも言いました。1万円札は政府紙幣ではないです。1万円札の正式名称は何だったか。日本銀行券です。日本銀行が発行している紙幣です。ドルを発行しているのも、アメリカ政府ではなく、このFRBなんです。
 そのFRBが何をしたかというと、アメリカ国債の買い取りを始める。

 アメリカ政府は、急にお金が必要になったから、お金を貸してくれと言って国債を発行する。しかし、アメリカ中が貧乏になっているから、その国債を買う人がいない。
 その前に1971年に跳ぶけど、金とドルは本来交換しなければならないものだった。しかしドル・ショックで、金とドルは交換しない、とアメリカが一方的に決めた。ということは、アメリカはいくらでもドル札を刷れるんです。中央銀行のFRBがお金を印刷すればいい。しょせん紙だから。そういうお金を48兆円も印刷する。
 FRBは自分でドルを印刷して、そのドルで政府の借金である国債を買います。これで政府にドルが行く。その48兆円というお金でアメリカ政府は破産を免れるんです。つまりFRBが勝手にドルを印刷して、そのドルを政府に貸すんです。こういうことをやっていく。

 だから、アメリカはドルだらけになる。紙幣がいっぱい流通する。これは人間に例えてみると、ガン患者というのは本当はガンの細胞を治療しなければならないけど、インチキ医者は、癌の治療をせずにカンフル注射といって、3日間だけ元気になる注射をボンボン打っていくのに似ている。それで患者は一時的に元気になって、あの医者は名医だと喜ぶ。しかし1週間後に死んでしまう。そういうカンフル注射と同じです。根本原因には手を触れない。
 こういう政策を量的金融緩和という。量はお金の量です。それを緩和して、どんどんお金を発行する。つまりこうやってお金をばらまくわけです。こういう今までになかった方法をとる。それでどうにかアメリカは破産を防ぐ。


【ユーロ危機】

 しかし、アメリカ発のサブプライムローンという不良債権を買っていたのは、ヨーロッパです。ヨーロッパの中でも一番弱い国にツケが及ぶ。それがどこに現れたかというとギリシャだった。ギリシャは小さな国です。古代文明で有名だけれども、経済規模は小さくて貧乏です。

 ではこれはギリシャだけの問題だったのかというと、ギリシャは何というお金を使っているか。それはユーロです。フランスは何というお金か、ユーロです。ドイツは何というお金か、ユーロです。スペインもユーロです。イタリアもユーロです。ギリシャだけの問題ではなくなる。ヨーロッパ全体の問題になっていく。

 ヨーロッパは通貨統合したから、一国が沈めばヨーロッパ全体が沈むんです。こういった構造になっている。この意味は、アメリカ発のリーマン・ショックで一番苦しんだのはヨーロッパだったということです。だからこれをユーロ危機といいます。2年後の2010年には、ヨーロッパの経済がドツボに陥ってしまった。


 それで本来関係なかったヨーロッパも、オレたちもお金つまりユーロを刷ろうと、お金をとにかく印刷機にかけて印刷する。こういうことになって、いまでは世界中が紙幣だらけ、お金だらけです。


 アメリカがドルを刷り始めてから、2年後の2010年には、それでも足らなくなったから、もっとやっちゃえと、2度目の量的金融緩和を決定する。80兆円という。ちょっと想像つかない。


こういうのを、金融用語でQEという。QE1QE2、ついでにQE3までやる。その2年後2012年3月には、3度目のQEつまり量的緩和をやる。今度は100兆円印刷する。どこまて増刷するんだということです。


【安倍政権】

 こういった時に、これと関係のなかった日本で、アメリカのドルの増刷に歩調を合わせるかのように唐突に出てきた政権が、2012年に誕生した安倍晋三政権です。そしてアベノミクスという金融緩和策をやる。アメリカがドルを刷っているんなら、日本も円を刷って応援しようというわけです。
 一度政権を放り出してから6年間も死んだふりしていたこの人が、急に首相になったのも不思議なら、この政権の誕生同時にあれだけ日本を痛めつけた円高が、するすると円安になったのも不思議でした。

 その直前の日本は政権交代をしていました。2009年に鳩山由紀夫首相、民主党政権が誕生しました。安倍晋三は自民党政権です。
 しかし変な動きがあって、鳩山由紀夫政権は半年でつぶれます。次は民主党の中で別グループの菅直人、野田佳彦という総理大臣にコロコロと変わって、その間一貫して日本は円高に苦しめらた。2011年には1ドル75円までいった。日本の景気はドツボにはまった。今までの最高の円高は1995年の79円だった。


 ここで、79円から75円に円は安くなってるじゃないかって言う人がいるけど、そうじゃないです。安くなったのはドルが安くなったんです。ということは円は高くなったんです。円が高くなったら日本の製品は外国で高くなるから、売れないんです。だから不景気になる。そこで安倍晋三政権になった。


 アメリカはドルを印刷しすぎて、これ以上は印刷できない。もうやめる、と言ったのが、2014年の10月です。これでアメリカのQEは終了したんです。

 このアメリカの終了が2014年10月28日だった。しかし日本はその2日後2014年10月30日に量的緩和のさらなる追加、つまり円をますます増刷し始めたんです。この意味はどういうことでしょう。アメリカがドルを印刷するのをやめるのと同時に、日本は印刷する円の量を増やしたということです。増やした分は、アメリカに行っている。そうでないと、どうしても理屈が合わない。


【アラブの暴動】

 その頃に、同時に行っているのが2011年から起こるアラブの暴動です。これ原因が今でも分からないけど、ネットが原因だということで、アメリカが嫌うイスラム世界で、誰からともなく連鎖的に反政府運動が起こるんです。まず起こったのがエジプトです。そこで20年間、安定した大統領だったムバラク政権が、大デモ隊によって政権崩壊した。

 その半年後にはリビアです。これは反米で有名な国です。そこのカダフィという人、軍人出身だったからカダフィ大佐というけれども、本当は大統領格です。この人が民衆暴動によって殺された。今もこの国は大変なことになっています。日本では暴動以後報道されませんけど。


 エジプトはムバラクが辞任して政権が崩壊。リビアはカダフィ殺害です。今でも理由がよく分からないです。ただネット上で人がどんどん集りだした。ネット操作の一番強いところは、ダントツにアメリカです。グーグルでもアップルでも、ネットの世界の大企業は、ほとんどがアメリカ企業です。インターネット上のプラットホームの大半はアメリカが握っています。もはや世論操作に欠かせないツールです。


【ブレグジット】

 次に、ヨーロッパの中でアメリカに一番近い国というと、ドイツでもフランスでもなく、イギリスです。そのイギリスが2016年に何を決定したか。オレはヨーロッパから脱出すると決めた。EU離脱です。今現在、これで揉めている最中です。これはヨーロッパにとってかなり痛手です。
 結局、リーマン・ショック以後、落ち込んでいくのはヨーロッパと日本です。


【トランプ政権】

 次がトランプなんですけど。トランプ大統領にはいろいろ批判があるけれども、1つだけ今までと違うということを言うと、今までのアメリカ経済はモノづくりよりも、金融界重視だった。金融で儲ければ大きいぞと。しかしトランプは違う。トランプはモノづくりです。金融は重視しない。それまで20年間のアメリカの政権とは違う。伝統的なアメリカの強さに戻ろうとしている。ただマスコミによる女性スキャンダル報道で苦しめられている。

 あれほどアメリカ大統領を批判しなかった日本のNHKがトランプだけは親の敵のように批判しています。これも不思議です。NHKが、今までアメリカ大統領を批判したことはないのです。しかしトランプについてだけはものすごく批判する。どうなっているのか、よく分からない。


 日本でも賛否両論が対立していた、アメリカが結ぼうとしていたTPP、これは日本が損するんです。トランプがこれをやめた。TPPをやめるということもトランプは決定した。
 モノづくりを大事にするということは、アメリカは50年間、モノをつくってないから工業生産力はもうすでにないです。国内産業を保護するためには、輸入関税で、外国から入ってくる物に関税をかけないといけない。
 トランプ政権は自由貿易に反対で、関税引き上げ保護貿易にしていこうとしている。アメリカは、戦後一貫して自由貿易だった。それが保護貿易に変わろうとしている。どうなるか先がわからない。これがうまくいけばものすごく変わります。


【中国】

 ただもう1つわからないのが、中国との関係です。戦後の中国は日本の5分の1ぐらいの工業生産力しかなかったのが、じわじわとここ30年でもう日本は抜かれた。今は日本の倍ぐらいの生産力があります。いずれアメリカをさえ抜くでしょう。
 そうすると世界最大の経済力を持つのアメリカではなくて、いずれ中国になる。このまま行けば近い将来に。

 その中国は10年前までは、年率10%で成長していたけれども、だいぶ減速したと言われてる。それでも6%はある。日本は30年間たった1%です。この差は大きい。


 いま中国がやろうとしているのが、アメリカに変わるアジアインフラ投資銀行を作って、中国から西の方のアジア地域まで一体となった中国の経済圏をつくろうとしています。これを一帯一路政策という。それが進行中です。

これで終わります。この「授業でいえない世界史」は随時、改訂いたします。【完】












 

日中韓は、「分断して統治せよ」

2018-12-28 11:31:35 | 旧世界史14 1970~

金曜日

国際連合の思想は、集団的自衛権の思想である。
これに対してトランプのアメリカファーストは、孤立主義の思想である。

イギリスからアメリカの覇権へと続く20世紀の歴史の中で、
世界の集団的自衛権はイギリスとアメリカのアングロサクソンを中心に構想されてきた。

そのアメリカは、いま世界のまとめ役の地位を降りようとしている。
アメリカにはそれだけのお金がない。
イスラム国からの撤退もそれが理由である。

没落するアメリカはどうしても日本のお金が必要である。
日本はアメリカの金づるである。
だから日本を手放さない。

しかしそれは日本と同盟するためではない。
アメリカはたんに日本のお金が欲しいだけである。

平成30年間の日本のむしり取られ方はすさまじい。
先日の日経新聞(12/23日)にも出ていたが、アメリカのシニア層の資産はここ20年間で3倍にも増えている。それに対して日本はまったく増えていない。いや本当は減っている。
こうやって日本の資産はアメリカに流れている。
我々が働いても働いても暮らしが楽になるどころか、日に日にジリ貧に陥っているのは、このためである。

アメリカはそういう金づるの日本がアメリカから離れることを何よりも嫌っている。
お金のために犠牲になった日本の政治家が何人いることか。
でもこういうことを言うと、日本人は逆に恐れをなして、ますます口をつぐむことになるから、いっても無駄である。
しかしアメリカは、そのことを良いことに、どこまでも日本をむしり取る。
抵抗しない相手には情け容赦なく、追い打ちをかけるのがアメリカ流である。武士の情けなどありはしない。そのことを日本人は勘違いしている。

しかし、そのことに腹を立てている日本人はいる。
政治家の中にもそういう人はいる。
アメリカが恐れるのはそういう人間である。
彼らが東アジアを一つにまとめようとすることを、アメリカは何よりも恐れている。

だから、日本と中国が手を組むことはない。
日本と韓国が手を組むこともない。
アメリカにとっては、東アジアの国同士が手を組むことなどあってはならないのだ。
日中韓は特にそうである。
『分断して統治せよ』
ヨーロッパのこの原則は、今も昔も変わらない。

しかし言い古された言葉でありながら、これに気づく人は少ない。
歴史的にそうであり、今現在もそうである。
なぜ日本人は、戦前と戦後を別のルールで動いていると、勝手に思い始めたのだろうか。
これほど簡単な事実を、自分とは関係のないことだと思っている。

このことに気づかなければ、日本はこのままジリ貧を続けるだろう。
日本の豊かさは昭和で終わっている。

日本人の従順さが今ほど手玉に取られているときはない。

日本は誰も助けてくれない。
アメリカも中国も。
そんな時代ではない。

ただ日中韓が分断されれば、それはアメリカにとって最も都合の良いことだ。
中国が悪い、韓国が悪い、それはそれで一理あることだ。
しかしもっと上の全体的な世界構図を眺める目がなければ、アメリカの思うつぼである。


バブル崩壊とソ連崩壊

2018-12-13 12:00:07 | 旧世界史14 1970~

木曜日

ソ連が崩壊して、アメリカにとって日本が不要になったから、日本の景気が悪くなったのではない。
アメリカはソ連を崩壊させるために日本の資金を利用した上でソ連を崩壊させ、さらにソ連が崩壊したことによって日本が不要になったから、ますます日本の骨の髄までしゃぶった。
これが平成30年間に起こったことである。

バブル崩壊は1990年。
ソ連崩壊は1991年。
連続して起こったこの2つのことの因果関係は、なぜか日本では話題にならない。

しかし、
1989年 ベルリンの壁崩壊。
1990年 日本のバブル崩壊。
1991年 ソ連崩壊。
1992年 欧州連合(EU)成立。

これらはすべてつながっている。
日本のアメリカへの接近と、ドイツの離脱。
日本では肝心なことが議論されないが、年表を眺めただけで「何かある」と思うのは当然のことだ。
隠しようもないことに、気づかないだけなのだ。


1980年代後半の日本のバブル経済は、アメリカによって引き起こされ、膨張した資産はアメリカに流れた。
その資金によって、アメリカは軍事力を増強し、「スターウォーズ計画」などのソ連との軍拡競争に乗り出していった。
その軍拡競争の果てにソ連が崩壊した。
それで日本の資産膨張は用済みとなり、同時にバブルは崩壊した。

そして日本そのものがアメリカにとって用済みとなった。
日本はドイツと違って、アメリカの一強体制のもと、なすすべもなく立ち尽くした。
それどころか、そのアメリカの一強体制にすり寄る人間が、日本の政界・財界に多数現れた。
これが平成30年間に起こったことである。

平成は謎だらけ、理不尽なことだらけである。
ウソの説明がまかり通った「平成」の御代の次に、どんな時代が来るのだろう。


【世紀末】 平成不況は、グローバリズムの一環

2018-08-11 17:05:04 | 旧世界史14 1970~

土曜日

平成不況の原因は、1985年のプラザ合意にある。中曽根康弘政権下である。米国主導のもと、日本と西ドイツ政府により円買い・マルク買いが行われ、これによりドル安に誘導された。これは通常、貿易摩擦回避のための、ドル安誘導だと説明されるが、ではドル安により米国の輸出は伸びたのかと言えば、全くそんなことはない。看板倒れである。
私はその看板倒れのことを批判しようとしているのではない。もともとその看板が間違っていたのではないかと思うようになった。本来の目的はそんなところにはなかったのではないか、と思うのだ。

このプラザ合意が行われた1985年は、ゴルバチョフが、ソ連共産党書記長に選ばれた年でもある。
ここでアメリカのレーガンとソ連のゴルバチョフという役者がそろった年でもある。ついでに言えば、日本の中曽根康弘という、アメリカ追随型の政治家もいる。

すでに中国は、1977年から鄧小平が実権を握っている。
その中国は、プラザ合意の前年の1984年から、人民元の切り下げがなされている。
それまで、1ドル=1.5人民元だったものが、1984年には1ドル=2.8人民元へと切り下げられている。
さらに1985年には、1ドル=3.8人民元、
1990年には、1ドル=5.3人民元、
1994年には、1ドル=8.8人民元、
10年間で、約1/5以下に切り下げられている。
同時に日本は円高に向かって倍になっているから、対円ではそれ以上約1/10の切り下げになる。
中国製品が1/10の値段になれば、100円ショップで中国製品がずらりと並ぶのは当然である。
日本は悪くない。日本は品質で負けたのではない。通貨切り下げ操作に負けたのである。

この頃すでに、「小さな政府」「自由競争」をめざすレーガンの政策は新自由主義と呼ばれていた。

プラザ合意から4年後の1989年にはベルリンの壁が崩壊し、
翌年1990年には東西ドイツが統一した。
同年1990年に日本のバブル経済が崩壊した。このバブル発生の原因もプラザ合意である。
そしてその翌年1991年にはソ連が解体し、東西冷戦が終結した。
といってもアメリカ一極集中がはっきりとした年だったが、そのことは当時からあまり報道されなかった。。
しかしそれをアメリカニズムとは呼ばずに、グローバリズムという呼び方をした。これも看板に偽りありである。名は体を表していない。

その4年後の1995年には、ウィンドウズ95が発売され、本格的なインターネット時代が始まった。これは情報革命とも言われるが、この主役もマイクロソフトというアメリカ企業である。
その翌年1996年には、橋本龍太郎内閣のもと、金融ビッグバンなるものが盛んに喧伝され、金融の自由化、グローバル化が促進された。
金融とインターネットは抜群の相性である。株口座も銀行口座も電子化され、今では自宅のパソコンのボタン一つで、株の売り買いも、現金の送金も、できるようになった。外国株の売買も、外貨の売買も同様である。
日本の金融界は外資によって荒らされまくりである。政府はもはや自国の金融界を統制できなくなっている。それは日本の金融界が、外国金融の影響下に位置づけられるということである。金融のグローバル化とは日本にとってはそういう負の意味しかもたらしていない。

日本は金融と為替によって負けたのである。産業資本の力ではどうすることもできない。金融資本とはそれほどグローバル経済のもとで力を発揮するのである。
もともとこのグローバル化を求めたのはアメリカの金融資本ではないか。

日本は1989年から平成となったが、
翌年1990年のバブル崩壊以来、今日に至るまで30年間、一貫して不況である。平成はずっと不況である。その間、日本の財政は借金(国債)を膨らまし続けた。
日本のGDP(国内総生産)はこの30年間、1985年のプラザ合意当時とほとんど変わっていない。
逆に中国はGDPを急拡大させ、2010年には日本を追い抜いた。
我々の給料は減り、金利も低下し今でもほとんどゼロのままだ。
日本経済の活力は失われた。
非正規雇用が増大し、豊かだった日本は様変わりした。
こんな国は日本だけだ。
先進国中最低である。

日本の富はどこに持って行かれたのか。
プラザ合意の時から、このシナリオはできあがっていたのではないか。
レーガン・中曽根会談が、ロンヤス会談ともてはやされたときから。
二人が互いに、ロン、ヤスと呼び合っていたというのだが、日本とアメリカが対等に話したことなど戦後一度としてないのだ。これも看板に偽りありである。

グローバリズムのために行われたことは、

1.プラザ合意
2.日本のバブル崩壊
3.人民元の切り下げ
4.レーガンというハリウッド大統領、
5.鄧小平、
6.ゴルバチョフ
7.冷戦終結
8.新自由主義

9.インターネット
10.金融ビッグバン

通常はグローバル化の要因として、7.冷戦終結8.新自由主義9.インターネット10.金融ビッグバンだが、
それに加えて、1.プラザ合意2.日本のバブル崩壊3.人民元の切り下げは、どうしても付け加えなければならないだろう。

これらのことがいったいどういう関係にあるのか。
研究は端緒についたばかりである。
平成はまだまだ深い闇の中である。

グローバル化の中で、一番犠牲になった国が日本である。
それを決定づけたのが、小泉純一郎と竹中平蔵である。
竹中平蔵は日本の政治家ではない。アメリカが派遣した何者かである。

今もアメリカの株価だけは伸びている。
ニューヨークのウォール街だけは堅調である。
ウォール街は、2008年のリーマン・ショックで世界経済をどん底に陥れたが、その発生も、その回復も、メカニズムはよく分かっていない。
2001年の9.11事件も、いろいろなことが多くの本でささやかれているが、それも実態は解明されないまま、イスラム原理主義集団のせいだとされている。
この実態が暴かれれば、世界は大変なことになる。

これが我々の生きた時代である。
我々にはこの時代を生きた責任があるのではなかろうか。


日本経済つぶしの足跡

2018-06-02 14:28:33 | 旧世界史14 1970~

土曜日

ソ連崩壊後、何が起こったか。
時同じくして、日本はバブル崩壊。
日本の資産がいかにして吸い取られたか。
(戦争に協力させられるまでになったのか)
我々が生きた平成30年間とは何だったのか。


1980  1ドル=2元=240円(1元=120円)


1985.09 プラザ合意(円高誘導始まる)


1989.04 消費背3%スタート
1989.05 日銀、公定歩合引き上げ、3.25%
1989.06 中国、天安門事件 
1989.10 日銀、公定歩合引き上げ、3.75%
1989.11 ベルリンの壁崩壊
1989.12 日銀、公定歩合引き上げ、4.25%
1989.12 大納会、日経平均株価=38,915円(最高値)


1990.01 株価下落、バブル崩壊始まる
1990.01 1ドル=160円
1990.03 日銀、公定歩合引き上げ、5.25%
1990.08 日銀、公定歩合引き上げ、6.00%
1990.10 東西ドイツ統一


1991.01 湾岸戦争……アメリカによるイラク攻撃
1991.03 アメリカの景気拡大始まる ~2001.3まで
1991.05 ユーゴスラビア内戦
1991.07 日銀、初の公定歩合引き下げ、5.50%
1991.12 ソ連解体


1992.02 マーストリヒト条約調印……欧州連合
1992.03 中国の改革開放政策、本格的成長に乗る
1992.06 PKO協力法成立
1992.09 ポンド危機……イギリス
1992.12 BIS規制適用決定……自己資本比率8%枠
1992.12 NAFTA(北米自由貿易協定)……アメリカ、カナダ、メキシコ


1993.06 自民党分裂
1993.08 細川護熙首相就任


1994   人民元切り下げ(1元=10円)……約10年で1/10の元安(対円)
1994    赤字国債、毎年発行


1995    ワシントン・コンセンサス……自由化・民営化路線
1995    アメリカ「ドル高」政策
1995    就職氷河期深刻化
1995.01 阪神淡路大震災
1995.03 地下鉄サリン事件
1995.04 1ドル=79円
1995.05 NATO軍、セルビア攻撃
1995.09 日銀、公定歩合1%を割る(過去最低)


1996    日本経済は立ち直りつつあるとの論調が多し
1996    中教審一次答申……特色ある、総合学習
1996.01 橋本龍太郎首相就任(自民復活)
      構造改革……緊縮財政
1996.05 住専処理法
1996.09 小選挙区による初の総選挙……自民勝利
1996.11 金融ビッグバン
1996.12 ペルー大使館事件


1997   銀行の貸し剥がしさかん……BIS規制8%枠による
1997  「失楽園」「不機嫌な果実」ブーム
1997.04 消費税引き上げ → 5%
1997.06 神戸サカキバラ事件
1997.06 橋本首相の「米国債売りたい発言」
1997.07 アジア通貨危機
1997.08 ダイアナ妃、不審死

1997.11 北海道拓殖銀行倒産、山一証券倒産
1997.12 韓国デフォルト寸前でIMFから資金援助


1998   年間自殺者が初めて3万人を越える
1998   ECB(欧州中央銀行)設立
1998.01 クリントン米大統領のモニカ・ルインスキー事件
1998.02 ノーパンしゃぶしゃぶ事件……大蔵省が叩かれる
1998.04 外為法改正……外貨流入OK
1998.08 ロシア、デフォルト宣言
1998.10 日本長期信用銀行破綻……7兆円の公的資金投入
1998.12 日本債券信用銀行破綻


1999   ITバブル頂点
1999   グラス・スティーガル法廃止 → 金融の投機化
1999.01  ユーロ誕生
1999.01  ブラジル通貨危機


2000.04  小渕首相、急死
2000.06  新大型店舗法
2000.09  ITバブル崩壊……インテル・ショック
2000.11  イラクのフセイン大統領が、石油代金をユーロで受け取ると宣言
2000.11  自民党、加藤の乱……森内閣不信任案に同調


2001    日銀、初めて量的緩和を行う
2001.01  ブッシュ(ジュニア)大統領就任
2001.04  小泉純一郎首相就任
2001.09  9.11同時多発テロ
2001.10  アメリカ、アフガニスタン攻撃


2002    1ドル=125円
2002.01  ブッシュの「悪の枢軸」発言……イラク・イラン・北朝鮮
2002.09  竹中平蔵、金融相になる


2003    日本政府、年間35兆円のドル買い → 米国債買い
2003.03  イラク戦争
2003.11  グルジア、「バラ革命」 → 親米へ


2004.03  労働者派遣法改正……製造業への派遣解禁
2004.06  道路4公団民営化法成立
2004.11  アラファト議長、不審死
2004.11  ウクライナ、「オレンジ革命」 → 親米へ


2005.02  堀江貴文のライブドア事件
2005.09  小泉郵政選挙
2005.10  郵政民営化法成立


2006.01  元ライブドア幹部、野口英昭氏、不審死
2006.04  小沢一郎、民主党代表就任
2006.07  橋本龍太郎元首相、不審死
2006.09  安倍晋三首相就任(第一次)
2006.12  サダム・フセイン元イラク大統領、絞首刑


ソ連と日本は使い捨て

2018-01-30 11:22:18 | 旧世界史14 1970~

火曜

1980年代に中国が急成長する準備は整った。
整ったところで、円高で日本の経済成長は止まり、
1991年にソ連は解体した。

日本の代わりは中国、
ではソ連の代わりはというと、統一ドイツである。
ドイツと中国は仲が良い。
中国は明らかに日本よりもドイツびいきである。
自動車も中国ではドイツ車が走っている。

ソ連と日本は使い捨てである。


1980年代からの人民元安

2018-01-30 10:45:59 | 旧世界史14 1970~

火曜

中国の鄧小平はアメリカに転んだが、イスラムのホメイニは転ばなかった。
ソ連のゴルバチョフもアメリカに転んだが、プーチンは転ばなかった。

だからアメリカは2001年の9.11事件を仕掛けて、イスラム世界を攻撃した。
最初はアフガン、次にイラク、その次は、チュニジア・エジプト・リビアの政権転覆。
アメリカはそれをアラブの春などといって喜んでいる。

1970年代後半、中国では毛沢東が死んで、鄧小平が実権を握った。
外交的には1972年に米中共同声明を出して、国交を回復し、準備は整っていた。
1980年代から本格的に中国の資本主義化が始まる。それを日本では改革開放政策と訳の分からない言葉で呼んでいる。
ここから中国の急成長が始まる。
1980年には、1ドル=240円=2人民元、だった。
1985年には、1ドル=240円=4人民元、になり、
1988年には、1ドル=120円=4人民元、になった。

これはどういうことだろうか。中国の人民元から見ると、
1980年には、1人民元=120円になり、
1985年には、1人民元=60円になり、
1988年には、1人民元=30円になったということだ。

この人民元安は何なのだろう。
10年も経たずに、人民元は円に対して1/4も安くなっている。
これが中国経済急成長のからくりである。
人民元はその後も安くなり続ける。
最安値は、1995年の1人民元=10円である。
1人民元は、120円だったのが10円になる。驚異的な安さである。
だから日本に百均ショップが乱立したのだ。

その間、日本はずっと円高で苦しんできた。

1980年代に世界は大きく変わった。
1985年のプラザ合意による円高、金利引き下げ、金余り。
1990年のバブル崩壊。
円高ドル安に目を奪われているが、本当は人民元の独歩安である。
1990年代に、中国経済は急成長を遂げた。
このことで世界が変わった。


リーマン・ショック後の日米株の動き

2017-09-10 09:52:09 | 旧世界史14 1970~

日曜日

1図.米国株(以下すべて2007~2017年の10年間)


2図.日本株


3図.ドイツ株



4図.ドル円為替


5図.ユーロ円為替


6図.ユーロドル為替


7図.人民元円為替


8図.日本国債10年利回り


9図.米国債10年利回り


10図.NYMEX金先物(参考)


11図.WTI原油先物(参考)



2008.9月のリーマン・ショック当時、心配されていたこと。
1.米国株の暴落。
2.ドルの暴落。
3.米国債の暴落(国債金利の高騰)。

2ヶ月後の2008.11月から、アメリカがQEという量的金融緩和を行い、紙幣を刷りまくっていたとき心配されたこと。
4.貨幣価値の減少 → 物価上昇 → ハイパーインフレ。

結果はどうか。
不思議なことにそのいずれもが回避された。
1.米国株。11000㌦ → 22000㌦に高騰(1図)。
2.ドル円相場。107円 → 78円 → 107円に回復(4図)。
  逆にユーロがドルに対して1.4㌦ → 1.2㌦へと下落している(6図)。
  つまりドルはユーロに対して下がるどころか値上がりしている。
3.米国債の金利も、上がるどころか、4% → 2%へと低下している(9図)。
  ということは米国債の価格は下落していない。
4.米国金利も低下しているから、米国内の物価も2%前後の軽いインフレ率で推移している。
  ハイパーインフレも今のところ起こっていない。

確かに現状はそうだが、この現状あまりに出来過ぎているのではないか。
リーマン・ショックから4年後の2012.10月頃に一つの変化がある。
その前月の2012.9月にそれまで死んだふりしていたアベシンゾーが突然、自民党総裁選に立候補し、あれよあれよという間に総裁選に勝利して自民党総裁になると、
次の月の2012.10月から円安・ドル高になり始めた(4図)。
ドルはその後約3年間で、80円 → 125円へと高騰した。
中国の人民元も高騰した。約3年間で人民元は12円 → 20円へと高騰した(7図)。
ドルと人民元の高騰は、3年後の2015.8月まで続いた。

アベシンゾーが自民党総裁になる13日前の2012.9.13日に、米国はQE3(量的金融緩和第3弾)を決定している。それは2年後の2014.10月まで続いている。
この頃アメリカはお金が欲しくてたまらなかったのだ。
量的金融緩和を実行しお金をジャブジャブとばらまき続けている米国ドルがなぜ高くなったのか。
通貨を増刷してばらまき続ければ貨幣価値が薄れ、通貨安になるのが当然なのに、なぜこんなことが起こるのか。

疑問は4つある。
1.アメリカはなぜ、企業実績が向上しないまま、どうやって米国株の暴落を防ぎ、株価を上昇させたのか。
2.アメリカはなぜ、ジャブジャブとドルをばらまきながら、ドルの暴落を防げたのか。
3.アメリカはなぜ、貿易赤字と財政赤字を改善しないまま、米国債の暴落(国債金利の高騰)を防げたのか。。
4.アメリカはなぜ、生産力が向上しないまま、物価上昇によるハイパーインフレを防げたのか。


答えは次の通りだ。
1.株高について
  QE(量的金融緩和)で増刷したお金は、実体経済には回らず、金融機関を通じて株の購入に流れた。

2.ドル高について
  日本を中心とした西側諸国に米国債を売りつけた。米国債を買うことはドルを買うことと同じであり、米国債を購入した国は自国通貨を売ってドルを買うのだから、需給関係からドル高になった。
対円ではドルは一時80円前後までドルは下落(円高になった)したが(4図)、対ユーロではドルは上昇している(ユーロが下落)(6図)。
2012.12月にアベシンゾーが首相になると、翌年2013.4月から日銀の黒田東彦とともに『異次元金融緩和』という円の増刷し始めた。するとドルは対円でも高騰した(4図)。アメリカの財政赤字の穴埋めに日本の円が使われたものと思われる。
これによってアメリカは株価上昇のための新たな資金源を手に入れた。
アメリカのQE(量的金融緩和)政策は
QE1(2008.11~2010.3)、
QE2(2010.11~2011.6)、
QE3(2012.9~2014.10)
と続くが、QE3は2014.10.29日に終了が決定された。
するとその2日後(時差を除くと1日後)の2014.10.31日、日本は即座に追加の量的金融緩和を発表した。
マスコミは報道しなかったが、日本の金融緩和資金でアメリカをファイナンスするということが、これほどおおっぴらに行われたことはなかった。
日本がアメリカをファイナンスするためには、日本の円を売ってアメリカのドルに交換(ドルを買う)する必要があったから、ドル高・円安傾向は続いた。
前に言ったように、そのドル高傾向は10ヶ月後の2015.8月まで続いた。

3.米国債について
 暴落の可能性のある米国債は買い手のつかない『札割れ』を起こす危険があったが、
2009.9月の民主党への政権交代後、翌月には米国債の購入を渋っていた自民党の中川昭一元財務大臣が死に(2009.10)、
それを引き継いで米国との距離を置こうとする民主党政権の鳩山首相や小沢一郎を政権中枢から外し(2010.6.2)、
それと同時に菅直人という米国の言いなりになる人間を日本の首相に据えることにより(2010.6.8)、
TPPという米国に有利な貿易協定を受け入れさせる方向に進んだ(2010.10)。
そしてさらに2年後、アベシンゾーを自民党総裁にさせて自民党が政権の座に復帰すると(2012.12)、
4ヶ月後に『異次元金融緩和』を実施させることにより(2013.4)、
米国債をいっそう日本に購入させた。
これにより米国債の『札割れ』の心配はなくなった。 

4.ハイパーインフレについて
 日本に『異次元金融緩和』をさせ、その資金によってアメリカをファイナンスさせると、米国債暴落の心配はなくなり、米国債の信用もドル紙幣の信用も一時的には維持された。米国債もドルも高騰した。
未来のことは分からないが、これにより米国のハイパーインフレは今のところ食い止められている。

以上が私の答えである。

(ちなみに、2013.4月以降のアベノミクスによる株高は、『外国人買い』によるものである。外国人が日本株を買っているだけである。それも米国政府と結びついた機関投資家による『外国人買い』である。
アベシンゾーは、アメリカに資金を貢ぐ見返りとして、日本株をつり上げてもらっている。そのことによって見せかけの好景気をつくるためだ。
しかし外国人は日本の景気が良いから日本株を買っているのではない。
量的金融緩和によって、日本の経済がジャブジャブになり円が安くなったため、外国人が安い日本株を買っているのである。円安になると、外国人にとっては為替の関係で日本株も安くなる。そこを買っているのである。
だからすこし円高になると、外国人にとっては日本株も高くなるため、そこを売る。
円安になると日本株が買われ、円高になると日本株が売られるのはこういうためである。
外国人にとってはゲームのようなもので、別に日本に本気で投資しているわけではない。日本株が有望だと見ているわけでもない。
ただ日米政府間の合意で日本株を買うことになっているから、円安で買い、円高で売っているだけである。
そしてこのゲームでも勝っているのは、多くのインサイダー情報をもつ外国人投資家であり、負けているのは日本の個人投資家である。それを分かっていながら、政府は証券業界と一緒になって株式投資を勧めている。あこぎなことである。)



ここ10年近くのアメリカの株上昇の推移(1図)は、グラフを見れば分かるように非常になだらかである。
このなだらかさから何を感じるか。日本の株のグラフ(2図)の変則性と比べたらそのなだらかさは一目瞭然である。
10年近くもこのようななだらかなグラフが続くことは株の世界ではない。非常に人工的ななだらかさである。ほとんど一直線だと言って良い。それは人為的に株高がつくられたからである。一定の傾斜配分で。そうでなければこのような直線にはなり得ない。
ということは、今の米国株価は人工的につくられたものであり、本来の米国企業の実力を反映したものではないということである。
そのことはドル高についても、米国債についても言える。
日本からの資金流入(ファイナンス)がなければ、こんなことは起こりえなかったのである。

2008年のリーマン・ショック当時、クレジットデフォルトスワップ(CDS)という市場には現れない、いわば企業間の闇取引(相対取引)の不良保険債権の額が莫大なものであることが心配されていた。
しかしその後、この不良債権のことはトンと報道されない。まるでなかったことのようにマスコミ報道から消されてしまっている。
しかしその不良債権は厳然として残っている。
それが発火して大火事にならないように、そこにも日本の金融緩和資金が使われたはずだ。

その証拠には、リーマン・ショックの被害が少なかったはずの日本が、その後の10年近くの間、先進国中、最も低金利で、最も経済成長率(GDP)が低く、最もひどいデフレに苦しんでいるなかで、相変わらす巨額の国債発行を続けている。アメリカの好景気は日本の景気を犠牲にした好景気である。
こんな見せかけの好景気がいつまで続くか。

アメリカ株が下落するタイミングはいつか。そのことが焦点になる。そのとき日本株の『外国人買い』が終わる。アメリカはそれどころではなくなるから。当然、日本株も下落する。

日本人がやるべきことは何なのか。アベノミクスではあるまい。
株高も円安も、日本人を豊かにしてはいない。
金融策だけでは経済は豊かにはなれないのだ。
それは日本の政治の失策が大きい。
もっと愚直に、もっと厳しく、世界と対峙することだ。
政治の役割は大きい。政治がちゃんと経済を育てていかなければ。
今の日本は、政治が経済の足を引っ張っている。
日本の政治が二流だということはみんな知っているが、これ以上二流の政治家が増えると日本がもたない。


日銀は、バブル崩壊後に金利を引き上げるという考えられないことをやった

2017-05-25 10:49:53 | 旧世界史14 1970~

木曜日

昔を思い出しながら、1987年当時を書いてみる。
なぜ1987年か。
それは私の感覚では、「バブル」が終わった年だからである。

バブルのきっかけになったプラザ合意が、1985.9月である。ここからまず急激な円高が始まった。
1985年当時のドル円相場は1ドル約240円ぐらいだったと思うが、その年の終わりにはなんと1ドル160円になった。いわゆる協調介入による円高ドル安である。

驚いた政府は、次の1986年に4度の公定歩合引き下げを行った。跳ね上がった円を円安にするためである。
5.0%の公定歩合が、3.0%になった。ここからバブルが起こった。
銀行預金から、株や土地取引への資金シフトが起こった。

次の1987年には十分バブルの意識は庶民の間に行き渡っていた。
不動産屋は土地投機に走り、普通の家庭の主婦が株投機に走っていた。
このような光景がごく普通に見られた。
株が上がり、土地が高騰していることをすでにみんなが知っていた。

そういう状態が半年以上続いた後、同年1987.10月にアメリカのウォール街でブラックマンデーが起こったのである。アメリカでの株の急落である。
私の中ではこのときバブルは終わっていた。
確かにその後も株価はじわじわと上がり続け、2年後の1989.12月に38915円の最高値をつけたが、その間バブルはすでに一時の勢いを失っていた。

1990年からは一転して株価は下がり続ける。
この下落の底がどこなのかは分からなかったが、今までの急騰ぶりがあまりにも激しかったことを見れば、その反動がまともに来れば大変なことになる、という意識は共通してあった。

ところが日銀は、バブル崩壊を警戒するどころか、株が下がり続ける中で公定歩合の引き上げというありえないことを行った。
景気が悪くなり始めたところで、金融引き締め策を取り始めた。考えられないことである。
日銀総裁は、三重野康である。マスコミはバブル退治の「鬼平」として盛んに三重野を持ち上げた。
1987.2月に2.5%まで下がっていた公定歩合は、1989.5月から引き上げられていたが、株が下がり始め、景気後退が明らかなこの1990年にいたっても2回ほど引き上げられ、6.0%になった。
おかしいのはこの年1990年の引き上げである。
1990年は、国民の中ではとっくにバブルは終わっていた。
バブル終焉の意識をみんなが持ち、経済が不況に向かう中で、なぜ公定歩合を引き上げる必要があったのか。全く理屈に合わないことだった。

一般には1989年の年末までバブルは続いたことになっている。
だから次の1990年の年初からの株価の下落は一時的なもので、当時は誰もバブル崩壊を予測していなかったということになっている。
しかしこれは明らかに我々の意識と違う。
実際にはその2年前の1987年にバブルは終わっていたのである。
庶民の意識では、1987年にバブルが終わって景気低迷が始まった3年後の1990年に、なぜ日銀が真逆の金融引き締め策を採り始めたのか。

長期の生命保険に入っている方は分かると思うが、公式のバブル崩壊後(1990~1991年)に加入された人は、今から見ればその貯蓄部分は驚くほど金利が高い。
その金利は、バブル終盤のバブル対策として打ち出された高金利の時代(1988~1989年)よりも、さらに高利回りなのである。
それだけ不況の中で金利が高く設定されたということである。(当時はまだ自由金利ではない。市中金利は日銀の公定歩合に連動していた)

日本のバブルは人災の面がある。
なぜなら、バブル崩壊後の景気低迷期に金利を引き上げるという考えられないことをやったのだから。
そしてこれは、たんなる人災ではなく、あえてそういうことをしたのではないかという恐ろしい話がある。

この問題の広がりは、バブルが頂点を迎えたと一般にいわれるのと同年の1989年にベルリンの壁が崩壊し、
バブル崩壊が明らかになった1990年に、同時に東西ドイツが統合したことと関係している。
そしてさらに翌1991年にソ連が崩壊している。
つまり日本のバブルは、冷戦終結と関係しているという話である。

1990年前後に一気に何もかもが変わった。
私はこれが不思議でならない。
このことはいろいろな糸が別々に説明されることが多いが、本当は一つの大きな糸につながる話かもしれない。