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「室戸へ」 お遍路記 10日目 平等寺(22番) 薬王寺(23番)

2020-09-30 06:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【10日目】 晴れ
 【札所】平等寺(22番) 薬王寺(23番)
 【地域】阿南市(新野 → 鉦打) → 美波町(由岐 → 田井の浜 → 木岐 → 日和佐)
 【宿】 山茶花 → きよ美旅館


 朝7時半頃、22番の平等寺横の民宿山茶花を出て、すぐ横の平等寺を打ちました。ここは徳島県阿南市の新野(あらたの)というらしいです。

 朝、宿の泊まり客で平等寺を打ったのは私とジャンヌ親子の3人でした。他の人たちは前日に平等寺を打ち終わっていたので、次の札所に向かわれました。平等寺から彼女たち2人と歩き始めました。


●写真 7時26分 平等寺の山門



●写真 7時54分 平等寺の本堂



●写真 8時6分 平等寺を歩きはじめたところ



●写真 8時21分 遍路道の標示



●写真 8時21分 四国のみちの標示



●写真 8時22分 遍路道の標示



●写真 8時23分 カーブミラーと私



途中、月夜御水庵を通りました。


●写真 8時40分 月夜御水庵



●写真 9時7分 月夜御水庵のあとの遍路道



 そのあと、遠回りして弥谷(いやだに)観音にお参りしようと思い、ジャンヌにそのことを告げると「母親が足が痛いから、遠回りはしない」ということでしたので、私だけ弥谷観音に回りました。
 「この先の郵便局の前で落ち合いましょう」とジャンヌが言いました。

 弥谷観音はダムの周辺にありました。ダムを巡る道路から階段を50段ぐらい上がったところにありました。道の下にも祠のようなものがありました。
 弥谷観音の御本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)で、個人的な興味をそそりました。うちの檀家寺のご本尊と同じだったからです。でもどういう仏様なのか自分が知らないことに、そのとき気づきました。

 このすぐ近くに鉦打(かねうち)という地名があります。鉦打とは鐘を叩きながら念仏を唱えた者のことで、そういう人たちがいたのかも知れません。


●(参考)空也上人像



●鉦打付近

 

●写真 9時37分 弥谷観音(いやだに)への橋からボートを見る

川を堰きとめたダム湖です。このダムの下に集落があったのでしょうか。


●写真 9時41分 弥谷観音の標示



●写真 9時51分 弥谷観音の人のいない納経所

現在、納経は慈眼山真光寺(阿南市福井町土佐谷4)が行っていて、寺に出向くか観音堂での納経を依頼するようです。


●写真 9時53分 弥谷観音への階段



●写真 9時55分 弥谷観音の境内



●写真 9時56分 弥谷観音のお堂

ダムがつくられたときに観音堂を再興して、この地に移設したようです。


●写真 10時32分 弥谷観音を出て合流地点を探した道

待合わせの郵便局は、この1本右の細い道にあって分かりませんでした。


 弥谷観音を出ると、そのあとの道が山道コースと海沿いコースの二つに分かれますが、ジャンヌたちと同じ海沿いコースを行くことにして、郵便局のところで落ち合う手はずでした。ところが私の地図上の郵便局の場所がずれていて、郵便局を見つけることができず、行きすぎてしまいました。

 それに気づいて引き返す時に、畑で農作業していたおばさんに「フランス人の女性2人が通らなかったですか」と聞きましたが、「さあ分からないねー」ということでした。
 道を戻っていると、そのあと後ろから来られていた男性のお遍路さんと会って尋ねてみると、「郵便局はもっと後ろにある」と教えてもらい、急いで戻ると、その郵便局の横で待っていたジャンヌ親子に会いました。かなり彼女たちは待っていたようです。弥谷観音も思ったより時間がかかりました。10時半頃に落ち合う予定が、11時ぐらいになっていました。地図は彼女たちがもっている英語版の地図のほうが詳しいようです。

 詫びを入れて、それからまた3人で歩きはじめて、標高120mの由岐(ゆき)坂峠(ここは遍路道ではなくアスファルトでしたけれども)、そこを3人で歩きました。坂道の苦手な私には50~60mの坂でもきついです。

 その由岐坂峠を越えて下り道に入ると、やっと海に面した由岐(ゆき)漁港に出ました。そこは県道25号線沿いですが、由岐の町中には下らずに、そのまま町外れにある県道を南進します。あとでその日同宿した大石さんに聞いたところ、その日、由岐の町では何かお祭があっていたそうです。「見れば良かった」と思いましたが、でもそうすると今日も4時過ぎにしか着かなくなるので、結構きつかったと思います。

 歩き遍路は自由気ままにゆっくりと歩けるようですが、常に時間を気にしています。朝7時に宿を出て夕方5時に宿に着くのはかなりハードな行程で、10時間歩くことになります。3時か、4時には宿に入ります。そんなに早く着いて何をするかというと、洗濯やお風呂など結構することはあります。それに歩き疲れているためか、余った時間に休憩しているだけでもアッという間に時間は過ぎていきます。時間を持て余すということはありません。
 5時に着くとなると、すぐ洗濯し風呂に入って、6時から夕食です。息つく暇がありません。5時の夕食のところもあります。夕食を食べると疲れて何もする気が起こりません。そのあと同じ宿の人と話をして宿の手配をしたり、家族に連絡したりしていると、意外と時間は早く過ぎます。そして9時には寝ます。だから足の遅い私には、ゆっくり寄り道をする時間がなかなかありません。

 由岐の町を過ぎた踏切で、交通指導のお巡りさんに蛍光帯をもらいました。「トンネル内は危ないから、この蛍光帯をつけてください」とのことでした。どうもお遍路さん用に配られているようです。外国人女性二人連れのお遍路さんはお巡りさんにとっても珍しいのか、ジャンヌたちといっしょに記念写真を一枚撮られてしまいました。個人的な写真なのか、それとも警察業務の一環なのか、よく分かりませんでした。

 田井(たい)の浜駅で、ジャンヌ親子が休んでいるところで、私はこっそりJR牟岐(むぎ)線の線路脇にはいり小用を足しました。男はこういうとき便利です。でもこういうことができない女性は大変です。彼女たちは気づいているのか、いないのか、知らんふりです。


●写真 12時6分 田井の浜



●写真 12時8分 田井の浜



 それから20分ぐらい歩くと木岐(きき)という漁港にでました。そこの防波堤沿いの道に遍路休憩所がありましたので、そこで昼食をとりました。
 木岐(きき)というのは変わった地名です。さっきは由岐(ゆき)という漁港でした。近くにはJR牟岐(むぎ)線が通っています。この先に牟岐(むぎ)町があります。由岐(ゆき)、木岐(きき)、牟岐(むぎ)とつづく「き」とは何でしょうか。意味は分かりませんが、とにかくこのあたりは、「き」にゆかりのある場所らしいです。

 すぐ近くに住むおばあさんが出てきて、ポカリスエットを1本お接待してくれました。それをジャンヌたちと分けあって飲みました。
 おばあさんは80歳で、私が「九州から来ました」というと、「妹が福岡にいて、自分も長崎に住んでいた」ということでした。しばらく九州の話をしました。「昼食のゴミもここに置いていていいよ」と言ってもらい、水筒の水も入れさせてもらって非常にありがたいものでした。いくら四国にお接待の風習があるといっても、皆がみな優しくしてくれるわけではありません。ありがたくポカリスエットを頂戴しました。


●写真 13時13分 木岐の遍路休憩所



●写真 13時23分 木岐の漁港



●写真 13時29分 木岐の浜辺



●由岐~田井の浜~木岐



 その木岐の漁港を出て、今度は山座峠への遍路道を登りました。
 その山座峠を越えると一度アスファルトの道にでたあと、また細い下りの遍路道に入りました。


●写真 14時33分 山座峠を降りた日和佐湾の入江



●写真 14時35分 山座峠を降りた日和佐湾の入江



●写真 14時35分 山座峠を降りた日和佐湾の入江

正面に休憩所が見えます。そこで休憩しました。


 1時間ほど遍路道を歩いて、日和佐湾の入江に出ました。その入江の周囲を半分回ったところにまた遍路休憩所があって、小休止を取りました。そこにさっき追い抜いた歩き遍路の男性が通りかかって、「何が釣れるんでしょうか。見に行ってきます」と言いながら波止場の方へ歩いていかれました。
 私がタバコを取り出して少し離れたところで吸っていると、ジャンヌが「お遍路をきっかけにタバコをやめたら」と英語で言いました。「それができたら苦労はしない」と言おうとしましたが、英語で何と言っていいか分からず、ただ「ディフィカルト(難しい)」とだけ言いました。母親が「タバコは高いでしょう」とまた言いました。「イエス」だけ応えました。
 喫煙者はどこの国でも不利のようです。でも「ちゃんと外で携帯灰皿を持って、人と離れて、迷惑がかからないように吸っているのだから良いでしょう」と言おうとしましたが英語が分からず、笑ってごまかすしかありませんでした。

 日常の簡単なことは身振り手振りをまじえたカタコト英語でも通じるのですが、こういう微妙な問題になると、なかなかうまく伝えられません。フランスからわざわざ日本までお遍路に来た理由も、もう少し聞いてみたかったのですが、答えは分かっていて「日本の文化に触れたかった」という答えが返ってくるでしょう。それ以上のことをどうやって尋ねたら良いのか、やはり私のカタコト英語ではなかなか聞けませんでした。それにそういうことに労力を使う余裕がないのです。休憩に専念したいだけです。

 ジャンヌの生まれはパリではなく、ドイツとの国境に近い町のようで、大学生の時からパリで1人住まいをしているようです。母親も働いているようですが、このお遍路のために長期の休暇を取ったようでした。さらに11月の下旬には父親も日本にやって来て2人と合流するようです。そういう家族がいっしょになっての休暇の取り方が日本人離れしていて、どういう休みの取り方をすればそんなことができるのだろうと少し不思議でした。

 ジャンヌは英語は堪能でしたが、日本語はほんの少しだけしゃべれる程度で、ほとんどは英語で話さなければなりませんでした。でも母親の英語と比べるとかなり分かりやすい英語でした。たぶんこれは彼女の学力によるものなのでしょう。普通のフランス人は英語が苦手なようです。
 ジャンヌが不思議がっていたのは、毎日お寺を巡っている中で、「寺」の読み方が「てら」と読んだり、「じ」と読んだりするのはなぜなのかということでした。我々は慣れてしまってとくに不思議に感じませんが、表音文字のアルファベットの世界に生きる人たちにとっては同じ文字に二つの発音があるというのは不思議なことなのでしょう。「日本の漢字には音読みと訓読みがある」と言おうとしたのですが、「音読み」を何というか、「訓読み」を何というか、さらに「音読み」とは何なのか、「訓読み」とは何なのか、そういうことを考えていると面倒くさくなって、これも「ディフィカルト(むずかしい)」と笑ってごまかすしかありませんでした。
 でも後になって、「てらはジャパニーズハツオン、じはチャイニーズハツオン」といったら分かってくれました。ジャンヌはその後も何か聞こうとしましたが、やはり会話の困難さを感じたのでしょう、言うのを途中でやめて歩き出しました。私も聞き返しませんでした。

 その日3人で歩いているときに、木岐の町で道ですれ違ったおばあさんが、私たちに向かって「お気をつけて」と挨拶をされました。ジュリアンが「ホワット(なに)?」と尋ねたので、その挨拶の意味を教えました。するとジュリアンは「オキオツケテ、オキオツケテ」としばらく口の中で繰り返していました。彼女の中に「オキオツケテ」という語感に敏感に反応するものがあったのでしょう。
 そのおばあさんは「お気をつけて」と言いながら、立ち止まり、両手を前にそろえて、丁寧にお辞儀をされました。美しい所作でした。そういう仕草はふだん身につけていなければ、とっさにはできないものです。ジャンヌは聡明な女性です。「オキオツケテ、オキオツケテ」と繰り返しながら、そのおばあさんの所作を脳裏に焼き付けているようでした。

 私にもジャンヌたち親子にはいろいろ聞きたいことがあったのですが、歩くのに精一杯だったことと、そして何よりも私の英語力不足のため、多くは聞くことができませんでした。
 毎日毎日ヘトヘトになるまで歩いているなかで、言葉の通じない外国人とコアな話をすることは難しいものです。天気と、時間と、峠の標高と、足のマメのことばかり話してました。それはお遍路に共通した関心事です。他のことも忘れてしまったわけではないのですが、しだいに頭の奥に沈み込みます。でも深く沈み込んだものはいつもと違った仕方で頭の奥で発酵しているようです。それがどういう形で現れるかは分かりません。

 県道25号線を南に進み、途中にえびす洞というものがありましたが立ち寄る時間がありませんでした。内部が波濤で浸蝕洞となっている海に浮かぶ岩山があるそうです。「えびす」という名前の由来は分かりませんが、興味を引かれます。えびすさんとお遍路さんは地元の人にとっては同じようなものだと思います。


●写真 15時00分 えびす洞付近の海



●写真 15時02分 えびす洞を振り返る



●写真 15時03分 えびす洞付近の海

母親のナンシーが「光がきれい」と言いました。


●写真 15時10分 ホテル白い燈台

ホテルの白い灯台というホテルを見ました。


 国民の宿うみがめ荘というのもありました。このあたりはウミガメの産卵地だということです。
 美波町役場の前を通りました。薬王寺のある日和佐はこの美波町にあります。宿はその薬王寺の近くです。


●写真 15時25分 美波町役場



 日和佐の町に入ると、23番札所の薬王寺の大きな赤い塔が見えました。川を渡る赤い欄干のある橋で昨日宿で一緒だった韓国人のキムさんと会いました。キムさんは薬王寺から戻ってくるところでした。宿はこの近くのようです。


●写真 15時31分 日和佐の赤い橋から薬王寺を望む



●写真 15時31分 日和佐の赤い橋から日和佐城を望む



●写真 15時38分 薬王寺の山門



●写真 薬王寺を望む



 午後4時前、参道を通って薬王寺に着きました。薬王寺の大きな赤い塔は、瑜祇(ゆぎ)塔というそうです。長い階段を上って、その薬王寺の本堂にたどり着きました。

 薬王寺を打ったあと、ジャンヌたちと別れました。ジャンヌたちは韓国人のキムさんが紹介したフランス人のご主人が経営する民宿にいっしょに泊まるようです。


●写真 16時14分 きよ美旅館



 宿のきよ美旅館に着きました。薬王寺の参道沿いにありました。大石さんはすでに到着されていました。宿泊客は大石さんと私の2人でした。洗濯物はそこの女将さんが洗って干してくれました。

 風呂に入ると気持ちの良さに思わず「アアッ」と声が出ました。疲れ切った体をお風呂に沈めると本当に極楽のようです。小さいお風呂でしたが、これで十分です。体の節々が痛く、特に足の裏は熱を帯びているようです。私の場合、足の小指にかなり負担がかかっているようで、押すと痛みがあります。体の先端部分というのは小さい部位ですが、痛みはきついです。いつまたマメができてもおかしくない状態です。

 風呂を上がると、浴衣に下駄を履いて、近くを散歩しました。


●写真 17時19分 きよ美旅館の通りから薬王寺を望む



●写真 17時24分 薬王寺を望む



●写真 17時26分 きよ美旅館の裏を流れる北河内谷川



●日和佐



 大石さんと2人、畳部屋でビールを飲みながら夕食を取りました。明日は鯖(さば)大師の宿坊に泊まろうかと悩んでいたところ、大石さんもそこに泊まる予定だと言われました。大石さんは若い頃から登山をしていたそうで、とても健脚です。私にはきつい遍路道でも、大石さんには余裕があるようです。
 ここの23番の薬王寺から、室戸岬にある次の24番の最御崎寺(ほつみさきじ)まで約80キロの距離がありますが、その間には一つも札所(お寺)がありません。明日からは数日、黙々と歩くだけです。約10キロつづく無人の海岸道路もあります。お遍路の間では有名な所です。
 この札所のない区間をどう越えるか、ずっと考えていました。2日間で80キロを行くなど、私にはとてもできません。普通は3日で越えるようです。私は「3日で行くか、4日で行くか」、迷っていました。
 「とりあえず明日は鯖大師に泊まろうと思います。そのあとのことはまだ決めていません」と大石さんに言うと、「そんな泊まり方をする人を初めて見ましたよ」と大石さんは言いました。「でも昨日のジャンヌたちもそうでしたよ」というと、「外国人はそうですが、日本人では珍しいですよ」と言われました。
 そのことは私も薄々感じていて、多くの日本人は2~3日か10日前後の区切り打ちが多く、それも2回目、3回目の人が多いため、出発の前に日程を決めて宿を手配してから出発される人が多いようです。大石さんも約2週間のお遍路中の宿をすべて予約してから出発されているようです。
「大石さんは、自分で歩ける距離を分かられているんですね。私は、明日どれくらい歩けるか、前日の体調を見てみないと分かりませんから」と言うと、「あっそうか、初めての人はまだ分からないかも知れませんね」と言われました。
 その言葉から多くのことが分かってきました。たぶんそれは本当なのでしょう。歩き遍路にはそれだけベテランが多いのです。私のような初めての歩き遍路はかえって少ないのです。日本人は、自家用車か公的交通機関でお遍路をされている方が多いようです。
 ただそれは私が何冊か読んだ歩き遍路の案内書に書かれていることとは、だいぶ違います。多くの本には「飛び込みで宿に泊まろうとしても宿も困りますから、遅くとも当日の午前中までには予約をしましょう」と書かれてあります。それに従って、私は前日の夜には予約を入れてます。ほとんどの宿は前日でもオーケーでした。実際には当日の朝でも、いけるのではないでしょうか。ただ宿はバタバタするでしょうけど。

 室戸岬までの80キロを「3日で行くか、4日で行くか」、ちょっと悩みました。それに室戸岬あたりはゆっくりと歩きたいという思いもありました。室戸岬はいつの間にか私の目標になってました。最初はそこまでたどり着けるかどうか不安でしたが、焼山寺の遍路ころがしを越え、鶴林寺と太龍寺の二山つづきの遍路ころがしを越えて、やっと室戸岬へたどり着ける道が見えてきました。「室戸まで行けそうだ」、そういう希望がわいてきました。
 室戸岬は空海が修行をしたところです。他にも修行した場所はあるでしょうが、やはりメインは室戸岬です。「そこまでたどり着けるだろうか」という不安が、出発したときにはありました。室戸岬にある24番の最御崎寺の宿坊と、26番の金剛頂寺の宿坊には泊まりたいと思っていました。二つのお寺は近いですし、いろいろ見所があるようです。地元ではこの二つの寺は、東寺と西寺としてセットで呼ばれているようです。

 問題はそこまであと何日で行くかです。「室戸岬までの海岸を一人で歩いてみたい」、そういう思いもあります。私は空海が通ったであろう海を見てみたい、という思いが強くなっています。まだ見ぬ室戸岬への海岸が見に浮かびます。

 部屋に戻って4日で行こうと決めました。ただ「宿は2日後までの予約にしておこう、どうなるか先は分からないから」と思いました。
 明日は大石さんと同じ別格霊場の鯖(さば)大師の宿坊に予約を入れました。「夕食が5時からですから、5時までに来てください」ということでした。
 明後日の宿も取りました。鯖大師の20キロ先の民宿いくみに予約しました。この日から2日後までは宿の予約をすることにしました。心配なのは足の調子ですが、20キロなら行けそうです。足の裏が熱を持ちつつあるのが分かります。足の裏に湿布をしました。

 夜、妻にラインでメールしました。「おかあちゃんが恋しくなってきた」とメールを打つと、妻はあまり本気にしていなかったようで、再度同じことを打って送ると、にべもなく「わかったよ」の一言でした。なかなかお遍路の一人寝の寂しさが伝わらないようです。なかなか眠れません。

 足引きの 山鳥の尾の しだりおの ながながし夜を ひとりかもねん(柿本人麻呂)

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