1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

やはらかな心のこと

2007-12-12 16:05:38 | Weblog
今朝の朝日新聞の天声人語で蕪村門下の江戸期の俳人、高井几董(きとう)の句についてコメントがありました。

「やはらかに人分け行くや勝角力(かちずもう)」
土俵の上の気迫みなぎる勝負は、むろん相撲の醍醐味である。しかし勝負師の表情を消した力士のたたずまいには、春風駘蕩(たいとう)とした魅力がある。
勝負のあと、懸賞金に手刀を切る。その所作を広めたのは昭和初期の大関名寄岩。(手刀で)心という字を書いてありがとうございますの気持ちを表したそうだ。
一方、横綱朝青龍の懸賞金をつかむ身ぶりは大仰だ。勝ち誇り、戦利品でも分捕るような印象を残す。勝負のあと、荒ぶる心を鎮めて「やはらか」な力持ちに戻っていく。それが苦手なのだろう。

春風駘蕩とは春ののどかな様子を表した言葉ですが、緊迫した勝負のあとの力士のさわやかな、和らいだ表情を春ののどかさに例えたものです。
横綱にまで上り詰めるには、相撲の技のみならず、心の成長も必要だったのでしょう。相撲部屋で親方・兄弟子と暮らし相撲の技を磨き、心を磨いたのでしょう。横綱審議委員会における横綱推薦基準の中に「品格、力量が抜群であること」とあります。今は「力量」だけが先行しているので朝青龍問題や時津風部屋のような事件がおきるのでしょう。

娘の手術は14時間かかったものもあります。難易度の高い手術の上、時間が長引けば長引くほど細菌感染の可能性が高くなります。時間との闘いです。

長時間の緊張のあと、手術室から出て来られた担当医の先生方の表情は、まさに「春風駘蕩」でした。
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便秘のこと

2007-12-11 11:52:57 | Weblog
娘は長いこと寝たきりになっていたので、便の管理には気を使いました。動けないので便秘になりやすい上に、痛み止めとしてモルヒネを使っていたので猶更です。

モルヒネの副作用には便秘、嘔気、眠気があります。
少しモルヒネと便秘の関係についてお話しましょう。
末期癌患者の痛み緩和のためにモルヒネを使用しますが、便秘対策が不十分だとモルヒネ投与が持続できなくなり、癌疼痛治療成績を低下させてしまう事があります。モルヒネには鎮痛作用のほかに強い便秘作用があるので、モルヒネの長期反復投与に際しては確実な便秘防止がきわめて重要です。モルヒネ投与開始と同時に緩下薬の併用を始めます。緩下薬としては、蠕動刺激薬であるセンナが最もよく使用されます。どの緩下薬にも必要投与量に大きな個人差があるため、平常の便通の確保に必要な投与量を見極めなくてはなりません。排便を記録しながら投与量調節していくことが必要です。センナ製剤(プルゼニド錠)やピコスルファートナトリウム(ラキソベロン液)が一般的ですが、重質酸化マグネシウム(いわゆるカマ)も、よい補助的効果をあげる事が出来ます。
娘の場合、尾骶骨のところが「床ずれ」を起こして骨がむき出しになっていましたので緩下薬を使って下痢になってしまうと、そこからばい菌が入って全身にまわり生命の危機にさらされます。娘もそれを知っているので緩下薬を飲もうとしません。せいぜいカマを飲むくらいなので便秘に苦しみ、痔になってしまいました。
排便時、痔が痛むものですから私に補助を頼むのです。私自身も子供を産んでから痔を患っていて、どうすれば痛みを軽減できるかわかっていましたので助けてやる事が出来ました。そして夜、私は痔の薬を娘の患部に塗ってから帰るのが日課となりました。

抗がん剤の苦しみや手術の痛さを理解してやることは出来ませんでしたが痔の苦しみを共有してやる事が出来て「痔でよかった。」と思いました。

こんな話をして、どこかで聞いてたら「なにばらしてるのよ」と怒られそうです。
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3年目の大掃除のこと

2007-12-09 13:14:59 | Weblog
今日はとってもいい天気でした。昼間は暖かく絶好のお掃除日和。
そういえば3年前のクリスマス・イブの日、主人が大腸ガンの宣告を受け、その後、娘が発病し2年間の闘病生活を送ったので3年間大掃除をしていません。
カーテンを外して洗濯。網戸を洗い、窓拭き。「ガラスがない」みたいに外の景色がきれいに見えます。気持ちいい~。

何かの雑誌で大掃除の特集を読んだ事があります。
働く主婦のために大掃除を手際よく済ませるためのアイデアが満載。
もともと掃除嫌いの私にぴったりだったのが「とりあえず玄関と水廻りだけ済ませましょう。」でした。
「トイレ・洗面所・風呂など水垢がつく所は毎日のお手入れが綺麗の近道。
玄関はお客様だけでなく、幸運も迎え入れます。きれいに保ちましょう。」
これが私のお掃除原則でしたが娘が外泊して帰ってくるときは部屋をきれいに掃除してから迎えに行きます。カーテンもかわいい柄に替えて。
風邪をひいては大変なことになるので加湿器と温風ヒーターで部屋を暖めておきます。

あの子が外泊するとき使っていた介護用ベッドは市の福祉センターに寄付しました。どこかでお役に立っていることでしょう。
今、家族でその部屋で寝ています。

あの子はこの天井を見ながら何を考えていたのでしょう。
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ブログのこと その後

2007-12-08 21:38:38 | Weblog
9月の終わりから始めたこのブログ。
思いつくままに書いて3ヶ月。「もう書くことないなあ。」と思っているとふと書きたい事が浮かんでくる。次から次に文章があふれ出てくる。あの子との思い出が昨日のことの様に浮かんでくる。すっかり忘れたと思っていたのに話した言葉までがよみがえってくる。
いつも読んでくださっている方、コメントを下さった方、本当にありがとうございます。当初の目的を果たすことはなかなか出来ませんが、あの子と過ごした年月が風化してしまう前にこうやって形に残すことができて本当によかったと思っています。
今日、娘の主治医の先生から電話がありました。
「研究は順調に進んでいます。次の段階の動物実験に入りますので、倫理委員会に諮るためにご両親のサインが必要です。お願いします。」という内容でした。

あの子は頑張っています。私も負けていられません。
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「泣く」ということ

2007-12-05 07:43:44 | Weblog
娘が発病してから今日まで本当によく泣きました。
今日は「泣く」ことについてお話しましょう。

人は悲しいとき、嬉しいとき、くやしいとき、怒ったとき、涙を流します。
涙にはコルチゾール(副腎皮質ホルモンの1種でストレスに反応して体内で作られる)という物質が含まれていることが発見されています。
人間はストレスを感じると、それを何らかの方法で体外に排出しようとします。それが涙なのです。
こんな実験例があります。
エレベーターに閉じ込められていた人たちの脱出後のコルチゾール量を測定した実験です。泣かなかった人には、泣いた人の2倍のコルチゾールが測定されました。
「俺は男だから泣かないぞ。」なんて強がっていないで男性もたまには泣きましょう。

でも感動したり嬉しくて泣く場合はどうなのでしょう。
中国医学では「強い感情は、病気を引き起こす。それは悲しみだけでなく喜びも同じ。とすれば、ストレスの発散としての涙という意味では、悲しくて泣くのも、喜びで泣くのも、感動で泣くのも、怒りで泣くのも、身体のバランスを保つシステムとしては、同じ。」と考えています。

人は泣くことで深い悲しみから救われる...。
神が存在するとすれば「泣く」ことは神が人に与えた最高の贈り物でしょう。

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ペットのこと

2007-12-04 21:35:17 | Weblog
娘は生き物が大好きでした。犬、ハムスター、ザリガニ、ヤゴ、亀、フクロモモンガなど色々いましたね。
幼稚園の頃、「テンちゃん」というオスのハムスターを飼っていました。
三輪車で遊んでいたときです。テンちゃんを自分の後ろに乗せて三輪車をこいでいました。テンちゃんが座席から落ちて、それを三輪車で轢いてしまったのです。テンちゃんは片目が飛び出し、ぐったりしていました。
獣医さんを訪ねると「どうしようもありません。あきらめてください。」と言われたので巣箱に戻して様子を見ることにしました。
次の日、恐る恐るゲージを覗き込むと...。なんとテンちゃんが餌を食べているではありませんか。目玉は飛び出していましたが...。
たくましい生命力です。彼はその後、嫁をもらい6匹の子をもうけ寿命を全うしました。
写真は今も家にいる亀です。ロシアリクガメ。娘が「カンキチ」と名づけました。
亀はある程度成長しないと性別がわからないのです。それなのにあの子は「カンキチ」と名づけ、ゲージにマジックで「カンキチ」と書き込み家族の顰蹙を買ったのです。

女の子だったら「カンキチコ」って書き直さなきゃ。
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父娘のこと

2007-12-04 17:53:20 | Weblog
娘の父、つまり主人のことをお話しましょう。
彼は根っからの仕事人間で、結婚して以来、自分がガンになって入院するまで有給休暇もとった事がありませんでした。帰りはほとんど午前様でした。土日もなく3ヶ月休みなし、ということもよくありました。ですから上の子供たちは私が一人で育てたと言っても過言でないと思います。
そのおかげと言っては変ですが、年頃の娘と父親の断絶といった事が我が家にはありません。仲のいい父娘です。
娘の入院中も朝の通勤電車の中から、毎日メールを送っていたようです。ときどき娘が私に「今朝お父さんはこんなメールを送ってきたよ。」と言って見せてくれました。
主人は5歳の時に母親を乳ガンで亡くしています。
3年前には自分が大腸ガンで直腸をとりました。中期の進行ガンで今も経過観察中です。その手術の半年後に自分の娘が骨肉腫と診断されました。
当時は私も余裕がなく主人の気持ちを慮ることも出来ませんでしたが、今になって振り返ると、何とも形容しがたい気持ちであっただろうと思います。
夜中に物音で眼が覚めると、隣の部屋に電気がついています。気配でパソコンの前に座っているのがわかります。きっと娘の写真を整理しながら泣いているのでしょう。
以前、娘が亡くなる前に沖縄に行った話をしましたね。
「俺が末期がんになったら沖縄で暮らすぞ」と言っています。

何言ってんの。そんな余裕ないわよ!
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娘のこと 

2007-12-03 19:28:43 | Weblog
一番下の息子は毎晩、次の日の学校の用意をしてから眠ります。
習い事や塾も、一度も休まずに行っています。
石橋をたたいて割ってしまうくらい慎重な性格です。
学校の準備をしている息子を見て、「あの子は絶対こんなことしなかったね。」と主人と笑ってしまいました。
亡くなった娘は奔放な性格で、宿題を忘れようが、忘れ物をしようが全く気にしませんでした。
小学時代の個人懇談でこんなことがありました。
先生が「○○ちゃんはお家でお忙しいんですか?」「いいえ、どうしてですか?」「クラスで宿題をしてこない子が二人います。一人はお母様が問題集を買い与えていてその問題集をこなすので精一杯だということです。あとの一人が○○ちゃんなのです。」先生が放課後、娘を残して宿題をさせようとするのですが、先生の目を盗んでいつの間にかいなくなっているというのです。
あきれて次の言葉が出ませんでした。
私が、娘に「宿題はないの?」と聞くと「うん。」と答えていたので宿題を出さない主義の先生なんだなと思っていました。
お稽古事も塾もお姉ちゃんの影響で「行きたい。」と言って始めるのですが、続きません。コツコツと努力する事が嫌いで、そのくせ出来ないと嫌になるのです。
そうやっていくつもやめてしまいました。
親が「こうであって欲しい。」と望むことの正反対のことをやります。
育てにくい子供でしたが、反面よく気が付くやさしい子供でした。こちらが頼む前から気を利かせてくれるのです。あの子とは、よく取っ組み合いの喧嘩もしましたが、仲直りは早かったです。
主人は笑いながら「あの子が生きていたら、俺は絶対に切れていたと思う。10代でヤンママになって、勘当。子育てをしながら旦那とふたりで商売を始めて小さな店を持つ。結局、俺たちの面倒を見るのはあの子だったりしてね。」といいました。

なるほど...。
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クリスマスツリーのこと

2007-12-03 11:47:06 | Weblog
一昨日、このブログで「クリスマスツリーどうしよう?」と悩んでいましたがその悩みも解消されました。
土曜日、私は1日家を留守にしていました。夜中に帰ってみるとなんと、部屋の真ん中にクリスマスツリーが「デン」と陣取っているではありませんか。
主人と息子がかざったらしいのです。
カードだけで済まそうとしていた私の企みを知ってか知らずか?私の悩みが吹き飛びました。ツリーの横であの子は笑っていました。
翌日、主人が「あの子が生きていたらきっと『はやくツリーを出してよ』と言ってるだろうなと思って出しといた。」こう言いました。
毎年、子供に急かされてもなかなか出てこなかった「ツリー」。今年は早々と出てきました。今年の新しい飾りは4個。少し奮発しました。
 
新しい飾りは気に入ってくれた?
コメント (2)
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