2011年3月14日(月)晴れ
東北・関東大震災の刻々報道されるニュースをみるたびに日本列島が沈没(物理的にも経済的にも)が現実味を帯びてくる。連日被災者の救出、支援が緊急である。今まで世界で経験したことのない大きな災害である。太平洋プレートにはまだまだエネルギーを溜めている場所があるらしい。茨城県沖や東京周辺に起きた地震だったらもっともっと大変である。今まで経験をしたことのないような大震災である。子ども手当、農家への戸別補償、高速道路の無料化などの政策を見直し予算の組み換えをしてでもこの国難に取り組むべきである。
~東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな~
「京都冬の一人旅6」
第2日目 2月28日(日)雨
城南宮を後にして昼食の場所へ。場所は京都駅構内の高級「グランビア京都ホテル」でバイキング。千葉県から一人で梅を観に来られた老婦人と同席。生ビールを飲みながら歓談。支払いは年をとってもダンディに振舞った。
京都冬の旅の一つの目的。「北野天満宮」の観梅である。
菅原道真公が都から大宰府へ左遷された時、屋敷の梅を観て詠んだ和歌である。そのことをふと頭に浮かべながら参拝した。
北野天満宮は学問の神様として親しまれている菅原道真公(天神様)をお祀りした神社である。「東風吹かば・・・」御歌や神社の神紋(梅鉢紋)にも代表されるように梅と天神様の関係は大変深く、境内・梅苑一円には約50種類1500本もの梅の木があり、紅梅白梅美しい花弁を一重・八重と咲き誇る風情は独特の趣があり、古くより都随一の梅の名勝としてその名を馳せている。
雨が降り寒くて梅も3分~5分咲きであったことと城南宮でしだれ梅を観てきたためか、パンフレットや旅行案内書に書いてあるほど梅の名所とは思わなかった。
私見だが水戸の偕楽園の梅苑の方が北野天満宮よりは規模も大きく種類も豊富のように思える。


梅苑西側を流れる、かって紙漉き場であった紙屋川ぞいには天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界と水防のために築いた土塁「御土居(おどい)」の一部が残存しており史跡に指定されている。
(続く)
東北・関東大震災の刻々報道されるニュースをみるたびに日本列島が沈没(物理的にも経済的にも)が現実味を帯びてくる。連日被災者の救出、支援が緊急である。今まで世界で経験したことのない大きな災害である。太平洋プレートにはまだまだエネルギーを溜めている場所があるらしい。茨城県沖や東京周辺に起きた地震だったらもっともっと大変である。今まで経験をしたことのないような大震災である。子ども手当、農家への戸別補償、高速道路の無料化などの政策を見直し予算の組み換えをしてでもこの国難に取り組むべきである。
~東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな~
「京都冬の一人旅6」
第2日目 2月28日(日)雨

京都冬の旅の一つの目的。「北野天満宮」の観梅である。

北野天満宮は学問の神様として親しまれている菅原道真公(天神様)をお祀りした神社である。「東風吹かば・・・」御歌や神社の神紋(梅鉢紋)にも代表されるように梅と天神様の関係は大変深く、境内・梅苑一円には約50種類1500本もの梅の木があり、紅梅白梅美しい花弁を一重・八重と咲き誇る風情は独特の趣があり、古くより都随一の梅の名勝としてその名を馳せている。
雨が降り寒くて梅も3分~5分咲きであったことと城南宮でしだれ梅を観てきたためか、パンフレットや旅行案内書に書いてあるほど梅の名所とは思わなかった。
私見だが水戸の偕楽園の梅苑の方が北野天満宮よりは規模も大きく種類も豊富のように思える。


梅苑西側を流れる、かって紙漉き場であった紙屋川ぞいには天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界と水防のために築いた土塁「御土居(おどい)」の一部が残存しており史跡に指定されている。

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