時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

大阪府知事選、その後

2008年02月04日 | 政治問題
みんながみんなそういうわけではあるまいが、大阪人というのは、どうしてこうもタレントが好きなのだろうか?もう少し冷静に人物や政策を見るということができないのだろうか?
はしゃいでいれば良いという県民性なのだろうか?
さて、選挙戦の最中に、東国原宮崎県知事が応援に駆けつけたそうだが、これもよくわからない。
東国原知事の場合は、いかなる既成政党の支持も受けずに、「しがらみがない」ことを売り物に当選し、当選後も是々非々で政策運営を行っている。
これに対して、橋下氏は自民、公明の支持を受け、その基礎票を土台にして当選している。このような候補者を「しがらみがない」知事が応援すること自体がおかしいと、大阪府民は思わなかったのだろうか?
しかも、自民、公明両党は、橋下氏がその削減に取り組むと言明している莫大な借金を垂れ流してきた張本人である。この点に矛盾を感じないのだろうか?
最近の報道では、知事の「府債ゼロ」宣言に対して自公両党が噛み付いたと報じられている。また、業界団体との会合には出席しないと宣言している知事に対しても自公の議員に不満が募っていると伝えられる。
また、橋下氏は岩国市長選に対して、自治体が国防に口出しするのは憲法に違反していると発言し、物議を醸している。無知としか言いようがない。
国民は、国会議員を選出することによって、間接的に国政に参加するわけだが、選ばれた議員は、国会で何をやっても良いいうわけではない。国政に不満があれば、国民は大いに声を上げ、国会の議論を国民の意思に沿う方向に転換する権利と義務を負っているのは当然ではあるまいか。
薬害肝炎の解決などは、まさにそういう国民の声と運動が実現に大きな力になった端的な例である。
さて、知事のリーダーシップというのはもちろんだが、議会や国民の声を無視して府政の運営ができるわけはない。とすれば、自民、公明両党の指示を受けて当選した橋下氏は、早晩、自公両党の操り人形にならざるを得ないだろう。しかし、自公の言いなりでは、今度は府民が納得しないだろう。こういう点が「しがらみがない」東国原氏と決定的に異なる点である。
まぁ、大阪府民もそれなりの期待をした新知事なのだから、少しくらいは府民のためになる政策を実行するかもしれない。
編集長は、この新知事にまったく期待するところはないが、腐敗した自公政治に飲み込まれてゆく新知事をじっくりと見物させていただくこととしよう。