阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

通天閣と天王寺公園と浮世絵展

2007年04月15日 | 大阪あちこち
大阪で前後16年も勤務していたのに天王寺には行ったことがありませんでした。昨日初めて天王寺公園に行き、その帰りに“通天閣”の下を通り、“新世界”でソース2度漬けお断りの串かつを食べました。

ギメ東洋美術館の「浮世絵名品展」が大阪市立美術館で開かれています。この美術館は天王寺公園の中にあります。お花見のシーズンは終っていますが動物園もある園内に沢山の人が訪れていました。大阪の飲み屋で知り合った男性4人組とゲストの女性の総勢5人はまずパリから里帰りした「北斎・写楽・歌麿」の浮世絵展を鑑賞しました。館内に入ってびっくりしました。多くの老若男女が熱心に鑑賞していました。江戸時代の歌舞伎役者や花魁や芸者、お相撲さんたちがここにゆったりといました。
想像以上に展示数が多くて、今回も見終わるとぐったりしました。

同行メンバーの地元O大学の工学部教授Nさんは大阪育ちですから、公園にも詳しく、美術館の裏にある「日本庭園ー慶沢園」に案内してもらい、そこで一休みすることが出来ました。静かないい公園でした。鯉、鮒、メダカ、亀が沢山泳ぐ池を四阿から見下ろしながら一息入れました。

同じく同行の地元N放送局の元デイレクターMさんは連続テレビドラマのロケで何度か新世界に来ており、ぶらぶらしてからMさんの知っている串かつ屋で喉をうるおしました。やっぱり安くて旨い!。皆さんの話では、このあたりは昔と違ってすっかり綺麗になり観光地化して昔の面影はないとのことでした。確かに昔の映画
「めし」なんかで持っていたイメージの街ではもうありませんでした。

浮世の利害関係が一切ないこの4人組は付き合いだしてもう十数年になりますが、こうして時々一緒に行動して
「ほなまた今度」と別れて行きます。
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福島の「花見山公園」

2007年04月14日 | ゲストルーム
茨城県取手市のHさんからの便りです。
「先日、福島市街から南東約4kmにある「花見山公園」なるところに行ってきま
した。 ここは昔は養蚕の盛んなところでしたが、昭和の初めころから養蚕の合間に山を開墾しては花木を育てそれを町で販売するようになりました。その後仏花や生け花用花材のニーズが増し、花木を増やしてきました。 

一軒の農家が「きれいな花を皆さんに楽しんでもらいたい」と山を開放し、今は町の協力もあって「花見山公園」となっています。
山の頂上に立つと遠方に残雪の吾妻連峰が見られ、別名「桃源郷」と呼ばれているそうです。画像は福島市街遠景。

各種桜、花桃、木瓜(ボケ)、白木蓮、連翹(レンギョウ)、サンシュユ、四手辛夷(シデコブシ)、日向水木、・・・・・等々初めて見る花、初めて名前を聞く花もあり、周囲一面に花が咲き乱れていてまさに桃源郷であります。こんなところで皆さんと一杯やればどんなに楽しいかと、「のん平」の我輩はふと思った次第です。但し誰もお酒は飲んでいませんでした。(とくに禁酒の看板は無かったようですが・・・・)帰路、「土湯温泉」に入り、極楽な一日でありました。 
以上、近況報告まで!!!」 
画像は残雪の山々。          

Hさんにこう返事しました。
「これはまたスゴイ!話に聞く“桃源郷”が日本にもあるんですね。
福島市の「花見山公園」は初耳ですが、世間にはそんなに宣伝していないのでしょうか?
ところでHさんは関東圏の温泉に全部漬かってやろうとい野望でも持たれたのでしょうか?
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歩いて桜見物

2007年04月11日 | 花・草・木・生き物
曇り空でしたが近所の桜が満開のようなのでデジカメを持ってぶらぶら歩きました。







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ムムリク展はあと6日です。

2007年04月10日 | 音楽・絵画・映画・文芸

*ギャラリー遊美1周年企画*
 ムムリク展 ―Musique―

3月31日(土)~ 4月15日(日)
12:00pm~7:00pm

桜の名所(善福寺川近く)で、春の個展開催。新作と、アンコール作品を取り混ぜて、 Musique(音楽)を、イメージした個展。ぜひ、おいで下さい。

 開催期間 あと 6 日

個展のギャラリーはこちらです。
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リラの花が咲きだしました。

2007年04月09日 | 花・草・木・生き物
数年前から沢山の花をつけるようになったリラ(ライラック)の花が咲き出しました。この木は樹液がおいしいのでしょう、夏になるとセミが一度に20匹ほどとまります。

今年は当たり年なのかやぶ椿の勢いが落ちません。



大根の花も咲き出しました。

金木犀の若葉が陽にあたってきれいです。
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諏訪の祭りは七年に一度の御柱祭

2007年04月08日 | 諏訪便り

八ヶ岳をバックにこれから「穴山の大曲り」に向かう上社の御柱。

母方の従兄や父方の従弟に誘われて2004年の御柱祭の山出しと木落し・川越えを
それぞれ生まれて初めて見物しました。祭の模様はこちらです。
この画像に皆で引張る大きな御柱が見えています。

上社の木落しは下社の木落しの崖よりは傾斜がゆるやかですが、それでも選ばれて
御柱にまたがって下りる若者たちは命がけです。



この時の見物記はこちらです。

*4月8日のNHKテレビ19:15「風林火山ー孫子の旗」に諏訪湖の御神渡り が登場するようです。  

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上諏訪の八剣神社とは

2007年04月07日 | 諏訪便り

上の写真は3年前に法事で諏訪へ帰ったときに写したものです。この神社には,
甲斐の武田軍団が諏訪を占領したときに武田兵が書いた落書きが,
そのまま残っているそうです。

八剣(やつるぎ)神社は諏訪大社上社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖畔の小和田地区の氏神さま
ですから、かなりの確度で黒曜石文化の縄文時代からの先祖代々の氏族神だろうと思います。



案内してくれた従兄に、これがうちの“まき”の祠だと教えてもらいました。
この祠の前にも4本の小さな御柱が建っていました。

小和田地区に昔から住む住人には、先祖を同じくすると伝えられている
いくつかの同族集団があります。それを“まき”と言います。
この“まき”と言う用語は日本各地にあるようですから、古代にまで
さかのぼる概念だと思います。語源を知りたいのですがまだわかりません。
撒き?巻き?牧? 英語で言う“CLAN”と同じことだと思います。

今は別に親戚付き合いをするわけではなくとも、あの家とは同じ
“まき”だと、皆それぞれが承知しているのだそうです。八剣神社の
境内にはこの“まき”の先祖神を祀る祠が、各“まき”ごとにいくつもあります。

年に一度“まき”の人たちは集まって掃除をし、その後、一緒にお茶を飲んだり
酒を温めて歓談すると別の時に聞いたことがあります。

この祠の小さな御柱も「御柱祭」の年の「小宮の御柱祭」で諏訪大社の全ての
子社の御柱が7年ぶりに建て直されるときに、新しく建て直されます。
小宮の御柱祭りは子供たちが主役だと聞きました。

残念ながら私は一回もこれらの行事に住人として、参加したことはありません。

親も昭和20年代、30年代に、九州や関西から子供を連れて故郷の祭りに
帰る余裕は当然ありませんでしたから。
(本記事は2006年1月18日の記事の再録です。)

家の神棚は神戸の神様と諏訪の神様で賑やかです。

こま犬は長崎の諏訪神社で頂いたものです。

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東京ぶらぶら③  都庁や平井の諏訪神社へ

2007年04月06日 | 東京あちこち

この日は虎ノ門からスタートし、平井の諏訪神社にお参りして荒川の土手に出ました。それから新宿の東京都庁を初めて見ました。都庁の建物を見た瞬間、これは現代の“江戸城”だと思いました。ここに毎日登城し勤番する、年金を含めて生涯収入の多い都の高級職員の方々は当時のお侍さまにあたるのではと・・。百姓や商人の我々民草は大人しく税を納めるのみで、文句も言わずに新しい巨大な城を造るのを見ていた。140年前に幕府政冶が終わったのですから、そろそろ次からはこんなお城が今更必要なのかと、物を言ってもいい。
☆このぶらぶらの時は虎ノ門から東京タワーを眺めてスタートしました。

自分が諏訪ルーツのせいか、不思議に各地の諏訪神社に縁があります。生まれた三重県の四日市市にも町の繁華街に鎌倉時代に諏訪から勧請された諏訪神社がありますし(すぐ近くに、今や小売業界で全国制覇の片方の旗頭になった「イオングループ」の前身、岡田屋呉服店がありました。)、家族と初めて関東で暮らした柏にも諏訪神社があって初詣などのお参りによく行きました。最近、身内が住んでいる平井にも諏訪神社があるのでお参りしました。
(それぞれの諏訪神社をクリックするとそれぞれの神社へ飛びます)
なお、我が家の現在の産土神は神戸御影の「弓弦羽(ゆずるは)神社」にお願いしていますが、代々の氏神は諏訪大社上社の摂社(筆頭子社)である八剣神社です。



今住んでいる神戸にも古くからの諏訪神社がありますが、知ったのはつい最近のことです。そろそろお参りにいっておかないと先祖神に怒られそうです。


お参りしたあとすぐ近くの荒川の土手にでました。都内とは思えない静かさで、広
い空が見えました。

写真を撮った場所は十マークのところです。

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2005年09月23日(金) ブログ「阿智胡地亭の非日乗」掲載
東京平井の諏訪神社
 東京の平井に住む身内から、近くの諏訪神社でお祭りがあったと画像を送ってきました。 
阿智胡地亭はこれまで、住んだ町やあるいは近くに諏訪神社があれば、諏訪大社の心情的な氏子として、必ずお参りしてきました。
四日市市や柏市などの諏訪神社がそれです。信州諏訪の諏訪大社が昔から各地に勧請されて分社を作っていて、長崎にまでもあり、長崎の諏訪神社は「おくんち」の祭りで有名です。
五島列島に行った帰りにもこの諏訪神社にお参りし、お札を頂いてきました。
 ☆諏訪大社の祭神は出雲を発し、諏訪まで逃げ延びた大国主命の子ですから出雲系氏族のカミさま(&もともと地元諏訪盆地の守屋族のカミさまとの連合)で、
大和系氏族に最後まで抵抗して戦った氏族集団の神社です。その神社の分社が東北から九州まで全国に一万近く分布している理由の一つは、
「武の神・戦の神」だから、後世になって各地の武士に招請されたと言われています。しかしそれだけの理由でこれほど分布するものでしょうか?       
 
 “なんでや?”
 
 ☆日本列島には、後に大和朝廷系氏族と言われるようになった渡来民の集団が、切れ目なく日本列島に渡って来る以前から住み着いていた連中がいました。
その縄文系狩猟民族の唯一生き残ったカミさまだったから、各地の同族の先住系氏族に呼ばれたのではないかと辛好は推測していますが、これからの自分のナンデヤ課題の一つです。
信州の本家の神社の祭り は7年目に一度ですが、平井は4年に一度だそうで御柱ではなく、神輿をかつぐそうです。
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ハナズオウ(花蘇芳)が満開です。

2007年04月05日 | 花・草・木・生き物
ハナズオウが満開です。マメ科なんだそうですが、花の後に出来る実を見るとマメ
科であることがわかります。実が出来たら画像を載せます。









花期 5~11月
科名 マメ科
属名 ギンゴウカン属
(ハナズオウ属)
学名 Cercis chinensis
英名 Chiness redbud
和名・
別名 すおうばな、ユダ・ツリー
性状 落葉小高木
原産地 中国
江戸時代に渡来した中国原産の落葉小低木。葉が出る前に、枝にびっしりと濃い赤紫の蝶形花を咲かせます。花のひとつひとつはごく小さいものですが、数がひじょうに多いので、枝がずおう色のモールのように見えます。原産地の中国では15mにもなるそうです。名前の由来は、花がジャケツイバラ科の「スオウ(Caesalpinia sappan)」で染めたような、黒みを帯びた紅色をしていることから。英名は「中国の赤い芽」という意味で、遠くから見ると小花が芽のように見えるための命名です。もうひとつ「ユダの木」という呼び名があり、花言葉はこちらの呼び方にちなんだものです。4月から5月ごろ、枝いっぱいに紫紅色の5弁花をつけます。白花品種「シロバナハナズオウ」もあります。 花色 黄
花言葉 裏切り
こちらから引用しました。
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君子蘭・ユスラウメ・椿

2007年04月05日 | 花・草・木・生き物
6株植わった君子蘭の鉢から花が6本同時に咲きました。冬の間ビニールを被せてずっと屋外に置いていたので葉が少し痛んでいますが花は無事に咲きました。
ユスラウメの花は小さいけど思わずじっと見てしまいます。

次々椿が開きます。
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房総の里山便り・・千葉県印旛郡から その2

2007年04月04日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集
上はカタクリの花。
千葉県印旛郡のM・Kさんから里山の花の画像の2回目が届きました。

里山の花第2回を送ります。
今回は、フデリンドウ、チゴユリ、カタクリです。

自宅から車で5分の里山の春は、スミレ、フデリンドウ、チゴユリから
はじまります。
今年は暖冬の影響で、例年より10日以上早く、フデリンドウ、チゴユリ
を見つけました。
まだ咲き始め出で、いずれも数輪しか咲いていません。

この里山には6年まえから、デジカメを持って散歩に行っていますが、
カタクリをみつけたのは初めてで感激しました。咲いていたのは、1輪でした。
チゴユリ


フデリンドウ




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塩飽本島を訪ねる

2007年04月03日 | ゲストルーム
広島県廿日市市のSさんからお便りを頂きました。画像はご友人のSkさんが撮影されたものです。

3月14日にTSS文化大の終業式の翌日、歴史探訪の修業旅行として総勢21名
でバスを仕立てて岡山の児島経由で「塩飽本島」(クリック)に行ってきました。瀬戸内海の島で周り
からの影響がなかったので、多くの史跡が残っていて大変勉強になりました。人名
(大名ではないという意味のようです)制と言う自治組織が信長、秀吉、家康らか
ら認知され、650人で1250石を領有することが認められた朱印状が交付さ
れ、代表の4人の年寄りで島を治めたそうです。大変珍しいことだと思います。

いずれも木烏神社です。鳥居が珍しいのです。笠木が反り返っているところです。これは年寄り宮本家の位牌型供養塔です。

この史跡として制札場、千歳座、年寄り(人名の代表者)家のお墓、塩飽勤番所
(行政、立法、司法の全てを取り締まっていた所)、笠島の町並みなどのほかに木
烏神社、東光寺、徳玉神社、笠島城跡等あって、日本にもこのようなところがあっ
たのかと驚きをもって見学しました。このようになったのは「塩飽水軍」が大いに
活躍したためで、その優れた操船術を生かして水軍として活躍。室町幕府の水運を
荷い勘合貿易(幕府と明の公式な貿易)を許されるまでになったそうです。

信長の石山本願寺攻めに参加以降「塩飽水軍」の名が知れるようになり、その活躍
ぶりは境港での「触れ掛り」の特権である信長の朱印状からはじまって、秀吉から
徳川幕府へと受け継がれ、これまでに例を見ない「人名 (にんみょう)」の制度が
確立されたそうです。「東回り航路」や「西回り航路」で繁栄をもたらされたが享
保(」1716年~)にはいり経済が逼迫して塩飽の水運は衰退、船方は舟子とし
て出稼ぎを余儀なくされた。厳しい状況下「塩飽大工」が台頭して、彼らは宮大工
や舟大工として「塩飽文化」を開花させ、全国に神社仏閣の建築工芸を広めたそう
です。
東光寺の木造薬師如来坐像です。平安後期の作といわれています。

名人芸といわれる宮大工の第一人者橘貫五郎は、備中国分寺や讃岐・善通寺の五重
塔を建造したことで知られています。塩飽船方衆最後の勇姿は、万延元年(186
0年)1月の咸臨丸の太平洋横断であるそうです。長年幕府の船方として高度な航
海術を身に着けた塩飽船方は、艦の操船者50名のうち実に35名に登ったそうで
す。開国以来初の海外渡航は、塩飽船方衆の快挙でもあったようです。

☆ Sさん、塩飽島があり塩飽水軍の存在も聞いた事がありましたが、こんな住民
自治の長い歴史があったのは知りませんでした。我々は明治以降の中央統制システ
ムに完全に慣らされ、官製教科書などでもこのような事実は取り上げられていない
のではと思います。
メールと画像有り難うございました。またあちこちの訪問先のことをご連絡ください。
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群馬県の四万温泉

2007年04月02日 | ゲストルーム
群馬県中之条町の四万温泉に行ってきました、と茨城県取手市のHさんから次のようなお便りがありました。

四万温泉に行ってきました。
「四万(よんまん)の病に効く温泉」という伝説が「四万(しま)」という名前の由来だそうです。
四万川に沿って出来た温泉町です。 源泉が川の中に流れ込んでいるようで、川の水が少し青みがかっています。 少し上流に「四万川ダム湖」があり、このダム湖の水の色がコバルトブルーです。
宿泊した旅館は「四万やまぐち館」で、四万温泉では一、二番の大きな旅館でした。 シーズンオフでしたが宿泊客が多く、シーズンになると予約が取れないことがあるそうです。

ひなびた山間の温泉宿」ではありませんが、四万川に面した大きな露天風呂があり
ゆっくりと長風呂を楽しんできました。 四万温泉には60軒ほど温泉宿が有りま
すので、探せばひなびた温泉宿があるかもしれませんよ!!。
ダム湖と残雪の山々の写真を添付します。

Hさん、お便り有り難うございました。いい温泉旅行をされましたね。
また旅行の画像をお待ちしています。
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