阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東京ぶらぶら③  都庁や平井の諏訪神社へ

2007年04月06日 | 東京あちこち

この日は虎ノ門からスタートし、平井の諏訪神社にお参りして荒川の土手に出ました。それから新宿の東京都庁を初めて見ました。都庁の建物を見た瞬間、これは現代の“江戸城”だと思いました。ここに毎日登城し勤番する、年金を含めて生涯収入の多い都の高級職員の方々は当時のお侍さまにあたるのではと・・。百姓や商人の我々民草は大人しく税を納めるのみで、文句も言わずに新しい巨大な城を造るのを見ていた。140年前に幕府政冶が終わったのですから、そろそろ次からはこんなお城が今更必要なのかと、物を言ってもいい。
☆このぶらぶらの時は虎ノ門から東京タワーを眺めてスタートしました。

自分が諏訪ルーツのせいか、不思議に各地の諏訪神社に縁があります。生まれた三重県の四日市市にも町の繁華街に鎌倉時代に諏訪から勧請された諏訪神社がありますし(すぐ近くに、今や小売業界で全国制覇の片方の旗頭になった「イオングループ」の前身、岡田屋呉服店がありました。)、家族と初めて関東で暮らした柏にも諏訪神社があって初詣などのお参りによく行きました。最近、身内が住んでいる平井にも諏訪神社があるのでお参りしました。
(それぞれの諏訪神社をクリックするとそれぞれの神社へ飛びます)
なお、我が家の現在の産土神は神戸御影の「弓弦羽(ゆずるは)神社」にお願いしていますが、代々の氏神は諏訪大社上社の摂社(筆頭子社)である八剣神社です。



今住んでいる神戸にも古くからの諏訪神社がありますが、知ったのはつい最近のことです。そろそろお参りにいっておかないと先祖神に怒られそうです。


お参りしたあとすぐ近くの荒川の土手にでました。都内とは思えない静かさで、広
い空が見えました。

写真を撮った場所は十マークのところです。

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2005年09月23日(金) ブログ「阿智胡地亭の非日乗」掲載
東京平井の諏訪神社
 東京の平井に住む身内から、近くの諏訪神社でお祭りがあったと画像を送ってきました。 
阿智胡地亭はこれまで、住んだ町やあるいは近くに諏訪神社があれば、諏訪大社の心情的な氏子として、必ずお参りしてきました。
四日市市や柏市などの諏訪神社がそれです。信州諏訪の諏訪大社が昔から各地に勧請されて分社を作っていて、長崎にまでもあり、長崎の諏訪神社は「おくんち」の祭りで有名です。
五島列島に行った帰りにもこの諏訪神社にお参りし、お札を頂いてきました。
 ☆諏訪大社の祭神は出雲を発し、諏訪まで逃げ延びた大国主命の子ですから出雲系氏族のカミさま(&もともと地元諏訪盆地の守屋族のカミさまとの連合)で、
大和系氏族に最後まで抵抗して戦った氏族集団の神社です。その神社の分社が東北から九州まで全国に一万近く分布している理由の一つは、
「武の神・戦の神」だから、後世になって各地の武士に招請されたと言われています。しかしそれだけの理由でこれほど分布するものでしょうか?       
 
 “なんでや?”
 
 ☆日本列島には、後に大和朝廷系氏族と言われるようになった渡来民の集団が、切れ目なく日本列島に渡って来る以前から住み着いていた連中がいました。
その縄文系狩猟民族の唯一生き残ったカミさまだったから、各地の同族の先住系氏族に呼ばれたのではないかと辛好は推測していますが、これからの自分のナンデヤ課題の一つです。
信州の本家の神社の祭り は7年目に一度ですが、平井は4年に一度だそうで御柱ではなく、神輿をかつぐそうです。
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