阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

白洲次郎と正子が暮らした町田市鶴川の「武相荘」を訪ねた。  その2  昼食は新百合ヶ丘の「とう庵」でゆっくりと。

2022年06月04日 | 関東あちこち

いずれもパンフレットから引用☝      click ☞ 簡単な白洲次郎の伝記

  白洲次郎は兵庫県芦屋の精道村で生まれ育ち 小学校は御影師範(現神戸大学発達科学部)の付属小学校を卒業して神戸一中(現神戸高校)に進んだ。

神戸一中を出た後 英国に留学しケンブリッジ大学でキングスイングリッシュを身に着けて帰国した。

その環境からか 彼は日本語の「いわゆる共通語」アクセントを知らず、日本語としては関東アクセントでしか話さない家族の中で

たった一人、生涯を関西弁を喋って過ごしたと娘さんの牧山桂子さんが何かに書いていたエピソードが可笑しい。

白洲正子の書斎に入ると、彼女の蔵書が前後左右の本棚にぎっしり詰まっていたが、 歴史書や古典や小林秀雄全集の中に 

 車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」や冨士正晴の「桂春団治」もあって彼女の関心の対象の多様性に驚いた。

そのほか南方熊楠の男色に関する本、ファーブルの昆虫記、神谷恵美子の著作も並んでいて これまで白洲正子の本を一冊も読んだことがなかったが

自分も知っているこういう本を読んで来た白洲正子ってどんな人だったのか興味が湧いた。

四十八瀧心中未遂

  帰りは鶴川の駅から二駅離れた新神会メンバーのホームタウン「新百合ヶ丘駅」に戻った。「新神会」の名は「百合ヶ丘」の新と、メンバー全員に縁がある「戸」の神に由来している。

幹事さんが予約してくれていた「築地 とう庵」の離れコーナーでゆっくり食事をしながら 武相荘の話や今の日本や世界の話やなんやかんやで

3時間ほどの男の喋りタイムはあっという間に時間が過ぎた。こうして顔を合わせてお喋りが出来る有難さをあらためて感じた。

 

 

 

 

 

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