



2回目に勤めさせてもらったタービンとポンプの会社の本社が呉にあったので、呉には月に何度か行ったものだ。広島から呉線で海岸線を走る風景と
呉の町はとても好きだった。その前に最初の会社で広島に3年単身赴任したとき、たまたま呉出身のタクシーの運転手の車に乗った。タクシーに乗るといつもするように
その土地の話や世間話をしたら、呉は広島よりはるかにいい所だと誇りを持ってよく街の事を喋ってくれた。確かに神戸に似た呉の地形と人の気風は広島とは違うところがあった。
呉は戦艦大和を造った歴史があり町の古い人はそれを誇りにしていた。筋交いイトコの建築史家・藤森照信さんの父上から召集されて呉に配属された時の
戦争話を聞いたのはもう30年?も前のことだ。
タクシーに乗って不愛想に見える運転手さんも車内表示に出ている苗字を見て、ああ運転手さんの苗字は薩摩の方によくある名前ですよねとか喋りかけると
9割ほどの運転手さんの口はすぐにほぐれたものだ。東大阪市や草津市などにある初めて行くお客さんの会社の土地の評判など駅から乗るタクシーの
運転手さんによくこうして教えてもらったものだ。