阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

この1月の佐賀新聞に「狐狸庵」の取材記事が掲載されていた!

2015年02月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事
引用記事⇒「本当の復興 なお時間」 阪神大震災から20年
2015年01月17日 10時26分 佐賀新聞
阪神大震災で被災後、唐津市浜玉町山瀬の山あいに移り住んでうどん、そば店「狐狸庵」を営む溝部昭さん。↑震災で唯一無事だったうどんを練る機械は今も大切に使っている。
 6434人が亡くなった阪神大震災から17日で20年。神戸市東灘区で被災し、営んでいた食堂が全壊した溝部昭さん(78)は、震災後に唐津市浜玉町の山あいに移り住み、うどん・そば店「狐狸庵(こりあん)」を開いている。当時の知人とのつながりを今も大切にしている溝部さんは、「本当の意味での復興にはまだ時間がかかる」と感じている。
 溝部さんは知人の紹介で気に入り、震災前年の夏に人里離れた浜玉町山瀬地区への移住を決めていた。震災当日は、浜玉町を訪れる予定で早朝の電車に乗るため目覚まし時計を午前5時45分にセットしていた。ベルが鳴ったわずか1分後、「ドーンという音が来た」。
 自宅は無事だったが、2キロほど離れた住宅街の食堂は完全に押しつぶされていた。取り出せたのは柱に守られたうどんの麺を練る機械だけだった。倒壊した建物から親類を救おうと鉄の扉を何度も蹴り上げて靱(じん)帯を傷め、右足は今も思うように曲げられない。それでも「僕なんかつらいうちには入らないと思う」。
 妻の重子さん(68)とともに佐賀に移住するまでの1カ月半は、行き場がなくなった知人を自宅に泊めたり、家の近くで活動するボランティアに料理を振る舞ったりした。
 1995年は「ボランティア元年」とも言われる。溝部さんも神戸から離れて初めて、被災地が全国の人の善意で支えられていたことに気づいた。「自分たちが助けられただけに、人も助けてあげたいという気持ちは強くなる」。佐賀でも数年間で延べ100人ほどの被災者を受け入れた。店名物のいなりずしに使う油揚げやソバのかつおだし、箸袋などは今も神戸の知り合いから取り寄せている。
 4年前に起きた東日本大震災は「津波も原発もあって、神戸とは比較にならないほどひどい」。胸を痛めた。少しでも力になれればと店で福島の郷土料理を特別に振る舞い、売り上げを義援金にした。原発事故で家族や友人と離ればなれになり、何年もふるさとに帰れなくなった人のことを思うと、何事もなかったように再稼働へと向かう流れに違和感を感じている。
 「もう20年。いろんなことを思い出すので、震災の事はなるべく考えないようにしてきた」と溝部さん。神戸の街の変化を見続けたわけではないが、当時の友人たちとの会話の中で一つだけ気がかりなことがあるという。「震災を引きずっている人はたくさんいる。表面上は復興したといわれるが、庶民の問題はそっちのけのような気もする」。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メジロの眼に安堵の色が・・

2015年02月09日 | 船橋社中

船橋市から真冬の鳥の便りです⇒「ヒヨのりんごをカラスのカーコに 3度盗まれれました。今朝は、ベランダのテラスの手すりにひもを十文字で縛りました。
夕方 メジロが、仲間を連れて来ました。暗い中ですが 面白いので、おじさんのカメラで撮ってもらいました。バードウオッチングが人気なのが、分かります。」
船橋社中の社主ご夫妻が送って下さる写真のお蔭で、家でも小鳥によく目が行くようになりました。メジロもヒヨもムクドリも雀も来ますが、今年の明け方の寒さを
どこで凌いでいるのかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある日のランチは「具沢山のトマトソーススパゲッティ」

2015年02月09日 | ある日のランチ
スライスしたカブがシャキシャキしておいしい。トッピングは本来はスープに使うクルトン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みちのくの仏像展」@上野国立博物館、   ’15年一月東京あちこち その4/8

2015年02月09日 | 東京あちこち
一月某日、東京に行くことがあると、いつも一杯呑むことをお願いしているT.Mさんと上野駅の公園口で16時に待ち合わせました。
 東京でたまたま時間が出来ると、国立博物館は何時間も飽きることのない空間なのでよく訪ねますが、今回はT.Mさんのお勧めで「みちのくの仏像展」
を観覧することになりました。Mさんは既に一度見られているそうでした。偶然ながら事前にNHKのBSで「みちのくの仏像特集」を見ていたので、
私も期待して特設会場に入りました。やまと朝廷の軍隊に10年近く蹂躪された「いくさ」は大和朝廷側からすれば「蝦夷征伐」となっていますが、
現地の住民からすれば、最新軍備に身を固めた異民族の軍隊の侵略戦争でした。東北の民は阿弖流為(アテルイ)を指導者にたてて戦いましたが敗れました。
その結果として大和朝廷の宗教である仏教が東北の地にも布教されていきますが、大和人である仏師が製作した仏像と現地の住民仏師が彫った一木造りの仏像には
違いがあると言われています。仏像のお顔に東北の神々の面影が色濃く出ていると言われる由縁です。
 今回実物の仏様を拝観してまさにそうだと実感しました。慈悲に満ちたお顔の仏像と恨と憤怒を感じる仏像と・・
(仏像の画像は場内撮影禁止のためネットからコレクトしたものです。)



















寄木造ではなく一木造の仏像はまさに大木の中から仏が姿を現してくるという緊張感の中の製作なんでしょう。
作った人の鑿の後が残るお姿を拝観するうちに、千数百年の時空の差がなくなっていくような気がしました。
 今回T.Mさんに教えてもらって国立博物館に独立した建物の「法隆寺宝物館」があることを初めて知りました。

 今回はさっと一巡しただけですが、本腰を入れれば見るのに何日もかかりそうな世界の至宝が詰まっています。
それにしてもインドからブッダの教えが、中国と朝鮮を経てユーラシア大陸の東の端の島まで、
2千数百年かけて伝わったことの、宗教という存在が持つ力の凄さが法隆寺宝物館の展示品に現われています。

国立博物館のHPから引用
特別展「みちのくの仏像」
本館 特別5室 2015年1月14日(水) ~ 2015年4月5日(日)
みちのくの仏像といえば、一木造、素地(きじ)仕上げ、力強い表現などが思い浮かびます。その顔は悟りを開いた超越者ではなく、
人間味があります。厳しい自然に生きた人々の強さと優しさが表れているようです。この展覧会には、東北の三大薬師と称される、
黒石寺(岩手県)、勝常寺(福島県)、双林寺(宮城県)の薬師如来像をはじめ、東北各県を代表する仏像が出品されます。会期中には
東日本大震災から4年を迎えますが、仏像をとおして東北の魅力にふれていただくことで復興の一助になればと祈っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする