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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

女優 原節子さんが健在なのがわかって嬉しい! 

2014年11月07日 | SNS・既存メディアからの引用記事
もう何十年もその消息が活字になることが無かった原節子さん。小津安二郎監督が60歳で亡くなった通夜で号泣し、その後、人の前に現れることはなかった。
それは1963年12月のことだからもう半世紀前のことになる。その原節子さんが小津映画の「秋日和」で共演した司葉子さんと今も時々電話しあっていることを知った。
本当に嬉しいことだ。







いつも「銀座百点」を送って下さるS.Kさんのおかげです。ありがとうございます。
 ネットで久しぶりに原節子で検索するとこの記事をみつけた。
 94歳今も「健在」 横浜が生んだ大女優・原節子 

2014.06.06 09:45:00   神奈川新聞

“原節子本”の一部。単行本だけでなく、雑誌は折に触れて特集を組んでいる。

 記者のパソコンを立ち上げると、壁紙(背景画面)に原節子が現れる。若い同僚には「誰、それ?」らしい。で、当方、横浜が生んだ、この女優の偉大さ、“永遠の聖女”と呼ばれる理由などを、あれこれ説明することになる。無言の引退と完璧な隠せい。近況を含めて、原の後半生はベールに包まれている。それでも、“原節子本”の出版は今も絶えない。6月17日で94歳。「原節子の基礎知識」と、本紙が独自につかんだ「健在情報」をお届けする。

■トップの証明

 俳優の評価に、客観的な尺度はない。一つの目安として、映画専門誌「キネマ旬報」が、かつて特集した「20世紀の映画スター」のランキングを紹介しよう。著名人74人の投票の結果は1位原節子、2位吉永小百合、3位京マチ子、洋画ではオードリー・ヘプバーンが1位にランクされた。

 また「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文春文庫)の女優ベストテンでは1位原節子、2位吉永小百合、3位高峰秀子。回答者の一人、直木賞作家の神吉拓郎は「原節子の前に原節子なく、原節子の後に原節子なし」と書く。

■15歳で銀幕へ

 原節子、本名・会田昌江は1920(大正9)年6月17日、横浜市保土ケ谷区に生まれた。私立横浜高等女学校(現・横浜学園)を2年で中退、姉の夫で映画監督の熊谷久虎の勧めで映画界へ。35年、15歳の時に「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビューした。

 国民的スターになったのは日・独合作「新しき土」(37年)のヒロインに抜てきされてから。戦後は黒沢明監督「わが青春に悔なし」、今井正監督「青い山脈」など巨匠の作品に相次いで出演、民主主義の象徴になった。

 そして、小津安二郎監督と出会う。世評高い「晩春」「麦秋」「東京物語」の3部作でヒロイン「紀子」を演じ、名実ともに大女優に上り詰めた。

■謎の引退

 原節子が際立っているのは、女優としての存在感だけではない。

 これだけの女優が記者会見一つせず、無言のうちに銀幕から去った。公に姿を見せたのは、敬愛する小津監督の通夜(63年12月13日)が最後。辺りはばからず号泣した、というエピソードが残る。翌年、原は東京・狛江の家を売り払い、鎌倉市浄明寺の熊谷監督宅に引っ越した。以来、姿を隠す。

 さまざまな憶測が流れた。ファンの心を捉えた(というより、ファンが信じたかった)のは「小津に殉じた」とする説。小津も原も、独身を通した。一時は結婚のうわさが立った2人。ファンは「永遠の聖女」の称号を原に贈った。

■厚いベール

 世間やメディアから、これほど完璧に“消えた”女優は珍しい。2000年に2度写真週刊誌に盗撮されてからは、秘密のベールはさらに厚くなった。映画誕生100年を祝う映画界挙げての催事や、小津監督生誕100年記念事業への出席を請われても、原はきっぱり断った。

 「早春」から「秋刀魚の味」まで6本の小津映画を手掛け、原と交流を持った元松竹取締役の名プロデューサー、山内静夫(鎌倉市御成町)ですら、彼女の近況は不明という。雑誌や新聞が度々、原節子特集を組むが、いずれも原の所在はつかんでいない。

 スターの座を捨てて語らず、姿を消して潔く-。引き際の美学が、また伝説になった。

■重大情報

 風の便りに、原節子情報が届く。××のケア付きマンションにいるらしい、○○の美容院で見掛けた人がいる…。その都度、確認に走り回るが、いずれも確たるものではなかった。

 3月下旬の某日、午後7時半すぎ。知人から、原に関する信ぴょう性の高い重大な一報が入った。文化部記者を総動員、鎌倉支局と藤沢支局の記者が加わって取材に奔走した。

 が、確証がつかめない。締め切り時間が迫る。最後の手段は、熊谷宅に直接当たるしかない。熊谷監督夫妻はすでに亡く、熊谷家は監督の子息(原のおい)の代になっているはずだ。

 9時40分すぎ、T記者がインターホンを押した。「夜分、申し訳ございませんが…原節子さんのお話を…」。招かれざる訪問者に、男性家人が答えてくれた。「元気にしてますよ」。T記者によれば、一緒に暮らしている人のような確信に満ちた言い回しだったという。

 結局、情報は空砲だった。が、収穫はあった。所在は確認できないものの、原節子は健在なのだ。紙面に載らなかった“特ダネ”である。 (敬称略)

■□■スターが下りてきた瞬間 北見秋満寄稿

 原節子との出会い。あれはヨコハマ映画祭がスタートする2年前だから、1978年だったと思う。

 場所は川崎ミスタウン(現チネチッタ)で一番大きな劇場、川崎グランド。8月の土曜の夜といえば、日本映画の名作を特集上映する“サマーオールナイト”が、ファンにはたまらない楽しみだった。

 その日のプログラムの1本は、小津安二郎監督「秋日和」。

 劇中、原節子と司葉子扮(ふん)する母と娘が、とんかつ屋で食事をするシーンがあり、原がコップに残ったビールを飲み干す。と、その時、割れんばかりの拍手が湧き上がったのだ。「なんだ、これは?!」。にわかには、理解しがたい興奮が広がった。

 「そうか。あの瞬間こそが、手の届かない高みにあるスターが下りてきたということなのだ」。“原節子神話”とともに、妙に納得してしまった。

 そして、もっとうれしかったのは、映画をよく知っている大勢のお客さんと一緒に原節子に出会えたことだった。  (ヨコハマ映画祭実行委員長)
「秋日和」予告編。

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スパティフィラムとガジュマルは元気です。

2014年11月07日 | 花・草・木・生き物
ガジュマルの鉢は木漏れ陽のある場所に置いています。
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金魚とメダカ

2014年11月07日 | 花・草・木・生き物
黒メダカの子が2匹、赤メダカの子が一匹、育っています。
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ある日のランチはメンクイシリーズ「スパゲッティ ナポリタン」

2014年11月07日 | ある日のランチ
永遠の大好物!
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