阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

うつらうつら気持ちよさそうな14歳10か月の犬。

2013年11月30日 | 身辺あれこれ
寝ている合間を見つけて食事をして庭に出て・・。日中もほとんど気持ちよさそうにまどろんでいます。時々寝ながら悲しそうな声を上げるところを
見ると、どんな夢を見ているのか聞いてみたい気がします。
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カラー動画で撮影された昭和元年のロンドン

2013年11月30日 | びっくり画像・映像
1926年ロンドンの美しいカラー映像
The Huffington Post | 執筆者: Hunter Stuart 2013年11月27日 16時59分 JST




カラー動画でとらえられた1926年のロンドンは、実に美しい。

この動画は、1898年にロンドンで生まれた映画撮影技師のクロード・フリースグリーン氏が、1920年代におよそ1350キロにわたる英国全土の撮影旅行に行った際に撮ったものだ。当時の英国の都会生活についての見事な史料になっている。

フリースグリーン氏は、旅をしながら英国の田舎の生活を撮影し、無声紀行映画『The Open Road』(幹線道路)を制作した。1926年に撮影旅行を終えてロンドンに戻り、活気があふれ、威厳に満ちていた故郷の街が経済停滞に沈む様子にカメラを向けた。

しかし、同氏が撮影した映像には、当時の英国の高い失業率や、停滞した経済についての状況はほとんど現れていない。その代わり、このフィルム(世界初のカラーフィルムのひとつでもある)には、ため息が出るような美しいロンドンの街の風景の一部が収められている。

ロンドン橋の上を、英国初の2階建てバスがゆっくりと進み、太陽に照らされたハイド・パークの中を、若い女性たちが散歩する。また、ペティコート・レーン・マーケットには、多くの男性たちが集まっているが、彼らの多くはその10年前の第一次世界大戦中、西部戦線の塹壕で戦っていただろう。

フリースグリーン氏が映画The Open Roadを制作した主な目的は、同氏が父親と発明した新しいカラーフィルム技術「バイオカラー」をハリウッドに売り込むためだ。しかし、この努力は失敗に終わった。

この動画を修復してYouTubeに掲載した英国映画協会(BFI)は、次のように説明している。

フリースグリーン氏は、米国市場を獲得する目的で大西洋を渡ったが、米国にはすでに、同氏の技術よりも優れた、2枚のフィルムを用いて記録するカラー映画彩色技術「テクニカラー」が普及していた。さらに、1925年に同氏が数回参加した業界試写会では、The Open Roadはまったく評価されなかった。同氏が亡くなった後、この作品は、英国映画協会が運営する国立映画テレビアーカイブに寄贈された。
フリースグリーン氏の努力は、生前には報われなかったかもしれないが、現代のYouTube等のサイトで、われわれに1926年のロンドンの姿を伝えてくれることになった。今後も永久に残ってほしい作品だ。

[Hunter Stuart(English) 日本語版:丸山佳伸/ガリレオ 引用元
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昨日の夕食は「鯖の味噌煮と豆腐、大根、ネギ、小松菜など温野菜」

2013年11月30日 | ある日の肴/夕食
豆腐と大根など野菜にゆず味噌がよく合いました。
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