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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

鯉のぼりがはためく亀戸の中央通り商店街を歩き 「松月」で柏餅を買い「松竹庵」で蕎麦を堪能した。

2024年05月19日 | 東京あちこち

向島百花園の帰途は東武電鉄の東向島駅(旧玉の井駅)から電車に乗り一つ先の「曳舟駅」で亀戸線に乗り換え 亀戸駅の一駅前の「亀戸水神駅」で下車した。

目指したのは亀戸中央通り商店街の「松月」で買う赤飯と「松竹庵」の蕎麦だった。残念ながら「松月」の人気アイテムの赤飯は売り切れだった。

2405亀戸の中央通り商店街と蕎麦屋[松竹庵」

蕎麦屋の女将さんは中国系の人だが 何の違和感もなく百花園に関する会話が続いた。

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その3/全5回

2024年05月18日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その2/全5回

2024年05月14日 | 東京あちこち

百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

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江戸時代に出来た向島百花園は野趣に富んだいい庭園だ    その1/全5回

2024年05月13日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

初めて訪ねたが 自然をたっぷり残した園の木々や花々にほれ込んだ。年に何回も訪ねることになりそうだ。

240503向島百花園

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旧中川河畔にアシの若葉が美しい。昼の日中に野性のカモが2羽昼寝していた。

2024年05月11日 | 東京あちこち

2505旧中川河畔

 

 

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増上寺の境内で東京タワーを撮影したらオオタカが映り込んでいた!

2024年05月05日 | 東京あちこち

昨日 身内の一人が撮影した。

Wikipediaから一部引用

オオタカ(蒼鷹[1]、大鷹、Accipiter gentilis)は、タカ目タカ科に属する鳥類で中型の種である。

名前は大きさからではなく、羽の色が青みがかった灰色をした鷹を意味する「蒼鷹(アオタカ)」に由来する[1]

日本における鷹類の代表的な種である。古今、タカといえば、オオタカを指すことが多い。

雄の全長約50cm、雌の全長約60cm、翼開長約100-130cm。大きさとしては同じタカ科であるトビよりも一回り小さく、カラスと同程度であるが[2]、尾羽は長いのが特徴。

小さめの体は森の中で木々や茂みの間を飛行する際に有利であるほか、長い尾羽は空中でのブレーキや方向転換に役立つと考えられている[3]

幼鳥の体毛は褐色をしているが、成鳥になると頭から尾羽にかけた上面が灰色になる。

灰色の体毛は光の当たり方によっては青っぽくも見えるため「蒼鷹(あおたか)」と呼ばれるようになり、これが名前の由来となった[3]

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亀戸天神のフジ祭りは大変な人出で賑わっている。    その2

2024年04月29日 | 東京あちこち

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亀戸天神のフジ祭りは大変な人出で賑わっている。

2024年04月28日 | 東京あちこち

24042亀戸天神藤祭り

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御茶ノ水駅から小川町交差点を通って神田美土代町あたりを歩く  1975年から13年間 通勤したあたり

2024年04月25日 | 東京あちこち

神田美土代町小川町昭和50年代の職場のあたり

この日は図書館から予約本到着メールが来たので 三冊受け取りに行った帰り 京葉道路のバス停で両国発小岩行きに乗り小岩へ移動。

行きつけの理髪店で散髪。そのあと総武線小岩駅から20分間電車に乗ってお茶の水駅へ。幸い電車はすぐ座れた。

 ぶらぶら歩いて50年近く食べている神田美土代町の「四川一貫」で担々麺を楽しんだ。

 歩行数 7093歩   歩行距離  4.6㎞

 

 

 

 

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旧中川に行ったら カヌーがひっきりなしに通っていた

2024年04月22日 | 東京あちこち

240419旧中川とカヌー

この日は亀戸で月一回の循環器内科の定期検診を受けた後 都営バスに乗り 浅間神社前で降りて旧中川河畔を散歩した。

 歩行数 5602歩  歩行距離  3.5km

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神田の雀荘で11時から19時まで卓戦を楽しんだ。

2024年04月18日 | 東京あちこち

4月某日 神田駅前の雀荘に出かけました。ここ2,3年 80歳代の4人で年間に7,8回ほど麻雀を楽しんでいます。

神田駅南口風景

 昭和50年代に神田美土代町の会社に13年間勤務していたときは、神田周辺のいろんな雀荘に毎日入りびたりでしたが 

それからほぼ45年もして また神田で共に麻雀が出来る3人のメンバーがいるのはなんともありがたいことです。

もはやあまり勝負にかけるより手造りを楽しんでいます。 そのせいか この日も負けでした。sigh!

 それにしても 囲碁将棋麻雀とどれも中国人が かの国で始めてくれたおかげで

こちらの列島人の現在の粘菌族も大いに無聊を慰めることが出来てありがたいことですヮ。

 

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上野公園は4月10日でも まだまだ名残の桜が人を喜ばせていた

2024年04月13日 | 東京あちこち

240410上野公園名残の桜

 

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西洋美術館の前庭など桜の上野公園風景

2024年04月12日 | 東京あちこち

240410西洋美術館など桜の上野公園風景

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上野の国立博物館の中尊寺金堂展は40分待ちの行列の盛況で驚いた

2024年04月11日 | 東京あちこち

240410国立博物館中尊寺展

ウイークデーでも年配者で一杯だった。並んだおかげで陽に焼けた。

それにしても900年も時代を刻んでも金堂と仏像を維持してきた人間はどういう階層のどこの誰か知りたいと思った。

 

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旧中川河畔の鳥たち

2024年04月09日 | 東京あちこち

旧中川河畔の鳥たち

 

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