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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

小岩のフラワーロード商店街の理髪店に散髪に行った。  小岩駅構内の栃錦関の銅像の横顔はいつ見ても男前だ。

2024年08月21日 | 東京あちこち

某日 電車に乗って散髪にでかけた。床屋さんは地元にもあるが数年前に偶然入った小岩の理髪店が相性がいいのでそれ以来小岩に通っている

小岩駅のホームからフラワーロード商店街方向を望む。

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240818 旧中川定点観測ポイントから  あまりの暑さ故 水鳥の影も人の姿も見えず

2024年08月19日 | 東京あちこち

240818旧中川定点観測ポイントから 水鳥の姿も人もその影見えず

この日近くのコミュニティ会館で開催された「健康マージャン 支部大会」に参加しました。

八卓32名の老年男女が熱き卓戦を楽しみました。午前九時から昼食タイムを挟んで午後3時15分まで毎回メンバーを入れ替え全員4回戦を楽しみました。

 この健康麻雀サークルはポイントのみを競っていて 麻雀を技の変化を楽しむ清々しいゲームとして楽しんでいます。

支部長夫妻始めお世話して頂いた幹事さんたちありがとうございました。私は初めての支部大会卓戦の参加でしたが年三回開催されるそうです。

 大会が終わってから近くの「サンワローラン|業務用パン・焼き菓子・調理パンの卸専門店」の製造工場付属小売り店で

「とんかつサンドとカレードーナッツ」を買ってかえりました。二つ共に相変わらずおいしかった。ありがたいことに この会社の真面目な品質はずっと守られています。

買った後いつもの旧中川の堤を上がって真夏の遊歩道を少しだけ体感して すぐにゆりの木橋通りの日陰を縫って1kmの道を歩いて帰宅しました。

CLICK☟

旧中川の水鳥を見て パン工場付属の販売店「サンワ ローランのパン蔵」に寄った。      いつもの旧中川の定点観測ポイントに行きました その2

 

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九回裏にドラマがあった!神宮球場   8月6日 東京ヤクルトスワローズvs阪神タイガース

2024年08月07日 | 東京あちこち

☝NM©

【スワローズ活躍シーン】村上宗隆選手のサヨナラ打で接戦を制す!山田哲人選手が9号3ラン!|8月6日 東京ヤクルトスワローズvs阪神タイガース(神宮球場)

孫たちに観戦の機会を作って頂いたWさんありがとうございました。

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新宿西口のかっての小田急百貨店は完全に取り壊されて消滅した。   真夏の西新宿の49階のビルから空と街を見た     その2

2024年08月05日 | 東京あちこち

西新宿野村ビルの49階から空を見て街を見下ろしてから新宿駅の西口に向かって帰った。

 

 

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真夏の西新宿の49階のビルから空と街を見た     その1

2024年08月02日 | 東京あちこち

散歩会のランチの集まりは西新宿野村ビル49階の「響」だった。幹事さんがいつもの飲み放題メニューをつけてくれているので

薯焼酎のお湯割りと白ワインを何杯かお代わりした。会場からJR新宿駅の中央総武線のホームまで15分ほどかかるので

 すぐ足に来る昼酒はあまり飲んではいけないと思いつつ・・

 

6人のメンバーの話は南ア、トルコ、オランダ、イギリス、イラク、ボンベイなどにも飛んで2時間を超えた。

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7月の川霧に滲む旧中川の定点観測ポイントの風景

2024年07月17日 | 東京あちこち

240714旧中川定点観測ポイントにて

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JR小岩駅には懐かしい栃錦の銅像がある    散髪の後 うどん居酒屋「元咲」で馬刺しと天ぷらを

2024年06月17日 | 東京あちこち

兵庫県尼崎市の塚口で10歳11歳の小学4年生と5年生を塚口小学校に通ったが その2年の間「相撲」という雑誌を家で毎月買ってもらっていた。

 当時は栃若時代でラジオにかじりついて相撲放送を楽しんでいた、その雑誌で「小岩」という地名を知った。栃錦の出身地として。

まさか後年自分が82歳を過ぎて その小岩で散髪したり飲んだり食べたりするようになるとは思ってもみなかった(笑)。

Wikipediaから一部引用☟

JR小岩駅の栃錦銅像

この日は3か月に一度の歯の定期クリーニングと口腔ケアのあと電車に乗って二駅千葉側の小岩の行きつけの理髪店で散髪した。

そのあと讃岐うどんがメインの居酒屋「元咲」で いつもの赤身の馬刺しと天ぷらで芋焼酎を飲んで帰った。

 

15分で分かる小岩の住みやすさ|再開発で進化を遂げる23区最安級の街

【小岩 何かが過剰な街】総武線はなぜ遠回りして小岩を通るのか?水の上の闇市・ベニスマーケットとは?田園に突如現れるパラダイスとは?地蔵通り、昭和期の映画館、江戸川区小岩の歴史、決定版!

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旧中川の河川敷定点観測スポットをゆっくり歩いた。

2024年06月14日 | 東京あちこち

240602旧中川定点観測スポットにて

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荒川の河川敷のポピーは真っ盛り

2024年06月02日 | 東京あちこち

花畑の花は季節に合わせ 種類が変わっていく。ポピーはそろそろ終わるようだ。

  写真 Y.N©

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咲き始めた❝あじさい❞を見に「ふれあい橋」から「江東新橋」まで旧中川河畔を歩いた。 その2/2

2024年06月01日 | 東京あちこち

2005ふれあい橋から江東新橋まで旧中川河畔を歩く

 

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咲き始めた❝あじさい❞を見に「ふれあい橋」から「江東新橋」まで旧中川河畔を歩いた。 その1/2

2024年05月30日 | 東京あちこち

2005ふれあい橋から江東新橋まで旧中川河畔を歩く

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西新宿野村ビルの高層階にある「響」で散歩会の昼食の集まりがあった。

2024年05月29日 | 東京あちこち

5月某日 久しぶりに新宿に出かけた。今月の散歩会のランチの集まりは西新宿野村ビル49階の「響」だった。

     49階という階の高さは200mだそうでエレベーターも高速仕様のものが使われている。

野村ビルに入る前 東京都庁が見えたが、都庁の建物は何度見ても現代の江戸城にしか私には見えない。

あの城の中には現代の背広を着た二本差しが江戸時代のように高禄を食んで、町人のためではなく自分たち現代のお侍さまの一生の安定安寧のために

都内で現代の越後屋と組んで、いろいろ○○知恵を働かせているような場所だと・・・(笑)。

 飲み放題が付いた予約のランチコースのメインディッシュはステーキの選択もあったが全員魚にしたのは ほぼ全員が幸期高齢者のせいかもしれない。

六人で二時間ほどあれこれお喋りを楽しんだが 家に帰ってから 今回もまた山田太一さんの言葉が頭に浮かんだ。

「時折、夕食をとりながらのんだり、しゃべったりする友人がいる。しかし結局話の大半は忘れてしまう。

会っているときのおおざっぱな残像以上になにを知っているかと考えると、呆れるほど心もとない。

ただもう残像のよさでまた会うようなものだ。」

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旧中川の定点観測地点でボラの子の群れが起こすさざ波を見た

2024年05月26日 | 東京あちこち

240523旧中川ボラの子の群れが起こすさざ波

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その5/完

2024年05月24日 | 東京あちこち

帰りは百花園から東武伊勢崎線の東向島駅まで800mほど歩いて電車に乗り、隣の曳舟駅で亀戸線に乗り換えて亀戸に戻った。

 訪ねた先は今は地名を「東向島」と変えたが以前の「玉の井」である。

この日に当然ながら戦前戦後の往時の空気は微塵も感じられなかった。

 Wikipediaから⇒玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、

旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。

永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる。

帰りは都営バスではなく百花園から800mほど歩いて東武鉄道の東向島駅から電車に乗って亀戸へ向かった。

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その4/全5回

2024年05月22日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

 百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けまし

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