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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

市橋伯一著「増えるものたちの進化生物学」を読みました。     ちくまプリマー新書

2023年12月09日 | 乱読は楽しい

人間が生まれてきたことに「目的や使命はないが、価値と生きがいはある」と言葉で明確に表現されて 

日頃もやもやしていた「人間の存在に対する考え」が、ちょっとすっきりした。

 本書のキモは「生命の発生も物理現象の一つだ」ということにある。

なんでそんな認識になるかを じゅんじゅんとこの書の中で説く筆者は

全編を読み終わった後、変った学者ではなく市井のフツーの社会人の一人であると思った。

内容紹介⇒

生命と非生命をわけるもの、それは「増える」ことである。増えて遺伝する能力は生物を進化させ、繁栄をもたらし、

やがて私たち人間に自由と生きる喜びを与えるとともに尽きることのない不安や迷いを植え付けることとなった。

生の悩みから生命の起源と未来を見つける知的間答の書。

この本の目次

第1章 なぜ生きているのか(私たちは何のために生きているのか
祖先へさかのぼる「望み」の連鎖 ほか)
第2章 なぜ死にたくないのか(なぜ生きているとこんなに悩みが多いのか
増え方の戦略は大きく分けて2つ ほか)
第3章 なぜ他人が気になるのか(長生きによって他の個体との付き合いが生まれる
他の個体との付き合い方のケース ほか)
第4章 なぜ性があるのか(自分以外に異性を見つける必要
生物によって違う性のありかた ほか)
第5章 何のために生まれてきたのか(不老不死が実現する人類の未来
私たちは幸せになれるのか ほか)

  市橋 伯一
イチハシ ノリカズ

市橋 伯一(いちはし・のりかず):1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科・先進科学研究機構・生物普遍性研究機構教授。

専門は進化合成生物学。2006年東京大学大学院博士課程修了(薬学)、JST ERATO研究員、大阪大学大学院情報科学研究科准教授を経て、2019年より現職。

試験管内で生命を模した分子システムを構築することにより、生命の起源と進化を理解しようとしている。

遺伝情報を持ち、進化する分子複製システムを世界で初めて構築した。著書に『協力と裏切りの生命進化史』(光文社新書)。

 引用元。

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小説家佐江衆一さんの遺作「野望の屍」を読んだ。

2023年10月23日 | 乱読は楽しい

遺作の重み、そして敬意

保阪正康

 佐江衆一さんの遺作(『野望の屍』)を一読して深い感慨を覚えた。ああ作家として書きたかったテーマは、この点にあったのか、というように思える。昭和9年生まれ、太平洋戦争の始まった時は小学校(当時は国民学校と言ったが)の二年生であり、終戦時は六年生である。戦時下には東京からの疎開を体験している。世代論を持ち出すわけではないが、佐江さんの世代は少年期の戦時下体験が心理的な影になっている。
 大体がこの世代の作家はあの戦争に巡り合わせたが故の作品を書く。佐江さんもこの10年余前から、満州開拓団を書いた『昭和質店の客』や回天隊員を描いた『兄よ、蒼き海に眠れ』などを発表している。そしてこの『野望の屍』で、歴史の潮流を戦争時代に生きた少年の決着と覚悟で書かれたように思う。私たちはこういう指導者の作った時代に生かされたのだとの確認である。むろんこれを批判するとか恨みで書くというのではなく、ひとりの庶民がどのようにこの時代を見つめるか、といった姿勢を崩さずに書かれている。そのことが逆にこの作品に深みを与えていて、読者に改めて自分の生きている時代の確認を迫っているとも言える。
 舞台は1923年(大正12年)のミュンヘンのビヤホールから始まる。ナチ党の党首ヒトラーが取り巻きと聴衆の中央に座る。国家主義者のワイマール体制批判に耳を傾けながら、演説が佳境に入ると、ヒトラーは拳銃を天井に向けて撃ち、驚く聴衆を尻目に壇上に登る。そして、激烈な演説を始める。「共産主義者とユダヤ人どもがのさばるワイマール共和国政府を我々の一撃で倒す」というのだ。この出だしは、ヒトラーが登場するミュンヘン一揆の前夜祭のような演説会だが、佐江さんはこの場面にナチ党が持つ、あらゆる特徴を含めて書いているので、第一次世界大戦後のドイツの社会的混乱が全て盛り込まれている。
 つまり暴力と反ユダヤ、戦勝国への憎悪、そして何より復讐の心理である。
 続いてその頃にドイツに駐在して、第一次世界大戦そのものを研究、分析する日本陸軍の中堅将校の代表的人物である石原莞爾を語っていく。この頃には石原よりも4、5歳上の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、東條英機らがいて、やはり国家総力戦の研究をしている。しかしそういう将校とは別に、ドイツ社会の惨憺たる状況を正確に受け止める感性知性をもつ石原の存在に佐江さんは着目したのであろう。
 加えて石原は日蓮宗の国柱会の信仰員として、日々の生活を律している。国柱会の創始者である田中智学の上野公園での演説が、ドイツの荒廃状況を見る石原に想起されてくる。「父親、夫、兄弟、息子を大戦でなくし、国破れたドイツ人を、われわれ大和民族の日本人がベルサイユ条約で裁きうるや!」。石原の心底に「日蓮宗信者の軍人」という像が浮かんでくる。
 石原はドイツの著名な軍人や歴史学者に教えを乞い、その過程でヒトラーという一兵士が、「ドイツ民族純血の“民族フォルクス国家”」を目指していることを知ったと佐江さんは書く。石原の知的欲求、明晰な頭脳は他の将校の追随を許さないのだが、そのことによりドイツのナチスの野望と、石原に代表される日本軍人の野望とがどのように史実を作り上げ、そして崩壊していくか。それが佐江さんが自身の少年期の戦時下の状況を理解しようとする本書の主たるテーマであると言っても良いであろう。
 むろん本書はヒトラーと石原莞爾の動きを精密に追っているわけではない。ただしドイツは確かにヒトラーとその周辺の指導者により、野望が着々と形を作っていき、やがて滅びる歴史だが、日本はむしろ石原を疎外する形で軍事主導体制が崩壊していく。佐江さんは日本の軍事総体が主語となって崩壊する様を描きながら、この国の無責任体制が浮き彫りになるような形でまとめていく。そのことに気がつくと、本書に託した佐江さんの思いは、極めて重いというべきであろう。最後のページで、アジア各地で戦死した日本軍の兵士たちは、屍と化してなお「太平洋の彼方の祖国を見つめつづけている」と書く。そういう何百万の人々が、「今なお(この国の)明日を縛っている」という語が、この書のモチーフだということにもなろうか。
 あえてもう一点、本書の読み方を私なりに提示しておきたい。私見では、いずれ歴史的には第一次世界大戦と第二次世界大戦は連結していて、20世紀の「1914年から1945年までの戦争」と言われるだろう。第一次世界大戦の終結から第二次世界大戦の始まりまでの21年間は戦間期と言われるが、実は「平和」が煙草を吸って一服していたにすぎない。次の戦争の準備期間だったのである。
 この間の人物の動きを直視し、作品化したことに、佐江さんの遺作の重みがあると、私は受け止めた。そのことに敬意を表したい。

(ほさか・まさやす 作家)
波 2021年2月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール 佐江衆一

1934-2020)1934年、東京生まれ。1960年、短篇「背」で作家デビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、『黄落』でドゥマゴ文学賞受賞。自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーに。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞受賞。著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『長きこの夜』『動かぬが勝』のほか、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』『エンディング・パラダイス』の昭和戦争三部作など。古武道技術師範。『野望の屍』は最後の作品として取り組んだ渾身の史伝である。2020年10月逝去。享年86。

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「私と宗教」と言う本を読んで他人の宗教観はいろいろだと知った。 そして自分のカミさまは変わらなかった。

2023年10月18日 | 乱読は楽しい

インタビューアーがすぐれもので 突っ込だ質問が結構あって、どの人の内容も読むだけの価値があった。

 「宗教はその人の世界観だ」と言う表現が中にあって一番納得できた。

だからこそ宗教はそれぞれの人間の生き方まで決めてくるところがある。

この本を読んだけれど 自分はやはり外来宗教の ホトケ様でも、デウス様でもなく、

諏訪大社上社の神体山である守屋山が自分の先祖神として在ることは変わらなかった。

 本の中ではどの人たちの編も読ませたが、中でも「高村薫」さんと「小川洋子」さんと「立花隆」さんが持っている宗教観が興味深く、

それがこの人たちの人間を造っているなあと実感した。

本の内容説明

「死」、そして「生」と真正面から向き合ってきた表現者たちの言葉には、経済発展第一という戦後日本の価値観からの転換を迫られた災害後を生きる私たちが、

「こころの問題」を考えるためのヒントが詰まっている。日本を代表する一〇人の表現者が「宗教」とのかかわりを率直に語る。

目次

善男善女でない私がたどり着いた死生観が「空・縁起」なのです(高村薫)

わしの中の宗教心と近代主義をどう折衷するかが問題だ(小林よしのり)

超越者ではなく伴走者としての神(小川洋子)

ぼくが宗教嫌いになった理由(立花隆)

照れるけど「幸福写真」はいい!!(荒木経惟)

女優という職業、そして信仰(高橋惠子)

おおいなるもの、目に見えないものをいかに映像化するかが最大の挑戦です(龍村仁)

ポンペイ、広島、アウシュヴィッツの悲劇を静かに伝える(細江英公)

患者さんと健常者を隔てているカーテンを取り除く(想田和弘)

人物ルポ 水木しげる―宗教とアニミズムを分けるものは何か

著者等紹介

渡邊直樹[ワタナベナオキ]

1951年東京都生まれ。大正大学表現学部教授、編集者、(財)国際宗教研究所評議員。東京大学文学部宗教学科卒業後、平凡社で月刊『太陽』を編集。

その後、『SPA!』(扶桑社)、『週刊アスキー』(アスキー)などを創刊、編集長を務める。

webコンテンツの制作を手掛けた後、『婦人公論』(中央公論新社)、『をちこち』(国際交流基金)編集長なども歴任

(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ。韓国人はすごい勢いで変化をしている国民だと実感した。男尊女卑社会を少しずつでも変える人たち。

2023年09月22日 | 乱読は楽しい

話題の映画『82年生まれ、キム・ジヨン』原作小説ダイジェスト(試し読み動画)  

 

 『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国で2016年10月に刊行されました。当初は担当編集者も1万部はいかないと予想していたそうです。
 
しかし1年足らずで10万部を突破することとなりました。本作は、キム・ジヨン氏(韓国における82年生まれに最も多い名前)の誕生から学生時代、
 
受験、就職、結婚、育児までの半生を克明に回顧していき、女性の人生に当たり前のようにひそむ困難や差別が淡々と描かれています
 
そして彼女はある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したように振る舞い始め――。彼女を抑圧しつづけ、ついには精神を崩壊させた社会の構造は
 
日本に生きる私たちも当事者性を感じる部分が多々盛り込まれています。

 韓国ではその共感性の高さから、国内だけで136万部という異例の大ベストセラーとなりました。K-POPアイドルなど影響力のある芸能人が度々話題にしたことでも注目を集めましたが、
 
ガールズユニット、Red Velvetのアイリーンが本書を読んだと発言したところ、一部男性ファンが「アイリーンがフェミニスト宣言をした」として一斉に反発、
 
アイリーンの写真やグッズを破損する様子を動画投稿サイトに投稿するという事態も起きました。

 アイリーンだけでなく、少女時代のスヨンやBTSのRMも『82年生まれキム・ジヨン』に言及しています。
 
2018年1月、少女時代・スヨンはYouTubeを介して放送されたリアリティ番組『90年生まれチェ・スヨン』で
 
「読んだ後、何でもないと思っていたことが思い浮かんだ。女性という理由で受けてきた不平等なことが思い出され
 
、急襲を受けた気分だった」と、BTS・RMも昨年、NAVERのVライブ生放送を通じて「示唆するところが格別で、
 
印象深かった」と本書にコメントを寄せました。

 さらには韓国の国会議員が文在寅大統領の就任記念に「女性が平等な夢を見ることができる世界を作ってほしい」と手紙を添えてプレゼントするなど
 
国全体に及ぶ社会現象を巻き起こしています。

 この反響から、本書を原作として韓国の人気俳優コン・ユ、チョン・ユミ共演で映画化もされ、主人公キム・ジヨンを演じるチョン・ユミとその夫役、
 
チョン・デヒョンを演じるコン・ユは「トガニ 幼き瞳の告発」「新感染ファイナル・エクスプレス」に続き、3作目の共演。キム・ドヨン監督が手がけ
 
韓国で公開後1か月で350万人突破の大ヒットとなりました。アメリカ、イギリスでも順次公開、日本でも2020年10月9日(金)に新宿ピカデリー他全国で公開が決定されました。

 中国・台湾でもベストセラーとなり、アメリカ、イギリス、フランス、ベトナムなど32の国・地域での翻訳化も決定した世界的な注目作です。

CLICK☟

筑摩書房 82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 斎藤真理子 (chikumashobo.co.jp)

 

映画click

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映画作家 「大林宜彦」さんの言葉  人はありがとうの数だけ賢くなり‥

2023年08月16日 | 乱読は楽しい

人はありがとうの数だけ賢くなり

ごめんなさいの数だけ優しくなり

さようならの数だけ愛を知る

 森泉岳士 著 「ぼくの大林宣彦クロニクル」 40頁

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

読みだすと止まらず一気に最終ページまで読んだ。

なにしろ大林さんが持って生まれたエネルギーの強さが凄く、彼が生きた過程で出会った人間たちとの間の化学反応の大きさをも感じた。

大きな器の人間だったのだ大林宣彦さんは。しかもその器には汲めども尽きない水が湧いた。

大林さんは尾道を舞台にした映画で有名だが、残念ながら私は尾道映画は見ていない。

この本を読んで 尾道市や三原市などがある広島県の 広島市に3年間住んで知った かの地の住人の持つ人間の濃さを思い出した。

そしてこの本を読んで監督作品に「異人たちとの夏」clickあることを知った。

 この映画は今も私の中に強い印象を残しているが、当時は原作が山田太一であることと、名取裕子の演技の記憶が強く 監督が誰だったか覚えていなかった。

 しかし この一作だけでも大林さんの監督作品を見ていてよかったと思う。

この本を読んで こういう人が監督したからあの映画に強いインパクトを感じたんだと思った。

    やはり広島出身の監督「新藤兼人」clickさんの膝の上で遊んだことがあるというエピソードが心に響いた。

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加藤 仁 著 「城山三郎伝 筆に限りなし」を読む。

2023年08月08日 | 乱読は楽しい

2009年05月25日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

小説家の城山三郎は生涯、生真面目な一所懸命の人だった。

 昭和初年から10年くらいの間に、この列島で両親から生を受けた日本人の男女は、生まれ年一年刻みで、その個別の人生が違っている。

昭和2年生まれの城山三郎、本名杉浦英一は、真面目な筋金入りの愛国少年という[時代の子]でもあった。

商家の跡取りという立場から、父親の願いを入れて市立名古屋商業学校を卒業し、その後、やはり父親の希望を入れて、徴兵猶予のある愛知県立工専に入学し、

徴兵猶予となったが、日頃から杉本五郎中佐著『大義』などに心酔していた彼は、ある日父親に相談せず猶予を返上した。

そしてお国のために、昭和20年5月に海軍特別幹部練習生として志願入隊した。大竹、郷原の部隊を転々としながら、三ヵ月後広島の原爆の雲を見て終戦を迎える。

根が真面目で融通を効かせることが出来ない、杉浦英一が海軍の教育期間に受けた体験は過酷なものだったらしい。

 この伝記は彼の同年兵なども訪ね歩き、聞き書きをしているが同年兵の1人で、広島県の開業医は、その体験を一切語ろうとしない。

 彼は奥さんにも語ったことがないという。

職業軍人である内務斑の班長たちの社会的出身階層から見れば、「海軍特別幹部練習生」に応募してくるような旧制中学及びそれ同等以上の教育を受ける事が出来る出身階層に、

彼らは平時のシャバでは一生入ることは出来ない。そしてこの幹部練習生は訓練の後、促成とはいえ尉官に任命される。

古参の班長の中には、これらのことを思い、こいつら許せないと、恨みつらみと狂気を持って幹部練習生に当たるものがいた。

 後年の城山三郎こと杉浦英一の班長はそういう古参兵であった。

一般的に海軍の規律を陸軍の上に置いて語る、旧海軍の尉官以上の体験者が多いが、そういう体験は城山三郎にはなかった。

 殴られ嬲られ殴られが続く3ヶ月であったらしい

新藤兼人監督は32歳で海軍2等水兵として徴用された。

その体験を映画にしているが、当時の軍隊の訓練を受けた人間は、その体験を親にも子にも伝えたくないというのがよく判る映画だった。

こちら

城山三郎は、「大本営発表の赫々たる戦果」で尊敬していた帝国軍隊がカタチだけで、全く中身のないものであることを身を持って知った。

 彼は復員して、敗戦後の日本の社会の変化と自分のそれまでの18年の存在に折り合いがつけらずに、ほぼ一年間腑抜けのように引きこもっていた。

 彼が自分の中で、この時代の「おのれ」と「国家」の関係に決着をつけるのには 14年間の年月が必要だった。

彼は昭和34年に「大義の末」を書いた。   

「大義の末」の単行本後書き

この作品の主題は、私にとって一番触れたくないもの、曖昧なままで過してしまいたいものでありながら、同時に、触れずには居られぬ最も切実な主題であった。

「皇太子とは自分にとって何であるか」―この問いを除外しては、私自身の生の意味を問うことはできない。

世代にこだわる訳ではないが、私の世代の多くの人々もこうした感じを抱かれると思う。

柿見という主人公は、私の机上にこの数年間生きつづけ、この最終稿は一九五八年の春から半年かかって書き上げられた。

完成直後、いわゆる皇太子妃ブームにぶつかり、私は一時、発表意欲を削がれた。

ブームに便乗するようにも、ブームに水をかけるようにもとられたくなかった。

いかなる意味においても、ブームに関係づけられて見られたくはなかった。

私にとっては、もっと大事な、そっとして置きたい主題なのだ。

しかし、この作品は時代に限られながらも、なお時代を越えて生きて行くべき証言であることを思い、また、五月書房秋元氏の熱心なすすめもあって、発表することにした。

 一九五九年一月五日
 
            城山三郎

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この伝記を書いた加藤仁という人はノンフィクション作家で、定年を迎える前後の日本人の生活を取材フィールドにして作品を著している。

これまで雑誌の記事なども何回か読んだことがあるが、対象とする相手と同じ目線で書いているのに好感を持ってきた人だ。

 本屋の平棚でこの本を見つけたとき、城山三郎の伝記という事と、作者が加藤仁ということですぐ購入しようと思った。

著者紹介を今回読んではじめて知ったのだが、彼は城山三郎と同じ、名古屋出身の人であった。しかし著者は城山三郎に生前一度も会っていない。

城山が残した膨大なメモ、日記を読みに読み、城山の身内、友人・知人・担当編集者らとのインタビューを重ねて、加藤仁の中であらためて構築・再生された「城山三郎」像。それがこの本である。

読み出してすぐに城山が物を書き出したとき以来、手本の一つとした先輩作家として「庄野潤三」の名前が出てきた。

そして同じ昭和2年生まれで生前付き合いがあった分かり合える作家として「吉村昭」の名前も出てきた。

 二人共にもう長く自分が読み続けてきた作家だけに、自分が気が付かないだけで、この3人が書くものには何か共通性があったのかと不思議な気もし、また嬉しかった。

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「後期高齢者」が「幸期幸齢者」と思えることの一つに、自分が面白いと思う本だけを読めることがある。

2023年07月11日 | 乱読は楽しい

現在図書館から借り出している本。

 考えたらそれぞれ著者とは どの方もこちらからの一方的なお付き合いだが、その期間には長い年数がある。

もはや会社勤めで読んでおいた方がいいとか、ビジネス書のベストセラーとかの世界とは全く縁が切れて20数年たつ。

 「幸期幸齢者」のタームはこちらからお借りしました。

 

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映画監督「大林宣彦」の言葉から 「戦争を止めるのは正義ではなくて 人間の正気。」

2023年07月11日 | 乱読は楽しい

森泉岳士 著  『ぼくの大林宣彦クロニクル』から

「僕がつくったものはまだ映画じゃありません。それがみなさんの心のスクリーンに映ったときにはじめて映画になるんです。

映画とは対話です。みなさんがいるから僕がいる。映画というのはリアクションなんです」

「この映画は記録じゃなくて記憶です。記録だと目をそむけたくなるから。そういった写実的な記録ではなくて、芸術的な記憶であれば、人は忘れない。

それがピカソが『ゲルニカ』でやったことです」

戦争を止めるには、戦争とおなじくらいの力がいるんだよ。

それは正義じゃなくて、人間の正気。

もしも政治家や経済人が正義を叫んだら疑ったほうがいい

正義じゃなくて正気を求める。それが表現者のやることなの」

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世界14カ国語で翻訳が進行中の小説「空芯手帳」は優れモノの面白い本だった。

2023年06月30日 | 乱読は楽しい

{「だから私は嘘を持つことにしたの」―日々押し付けられる雑務にキレてつい「妊娠してます」と口走った柴田が送る奇妙な妊婦ライフ。第36回太宰治賞受賞作。

世界14カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げる}。

  (ネットから引用)

作者の八木詠美さんの二作目の小説が世界各国で翻訳されると知って、どんな小説なのか興味をもったので図書館に申し込んだら、すぐ借り出せた。

 一言で言うとトンデモナイ・妊娠噓つきの話だった。女性の身体に全く現実の妊娠と同じ状況が進行し、

その間の職場の人間や周囲とのやりとりが何の不自然さもなく描かれていて可笑しい。

    最後まで作者に騙されてるのかもと半分思いながら読んでいった。

作者は私も好きな津村記久子さんの著作をずっと読んできたそうだが、にじみ出てくるユーモアや、底の浅い男を「平べったい人間」と表現するなど

具体的な細部の表現に津村さんと通底する資質を感じる。この人の言葉の使い方はユニークで豊かでこまやかだ。

 今の日本の働く女性が受けている扱いの前線のありのままを 視聴率が欲しいテレビ報道の大仰さや、購読者の受けを狙う大手新聞社のフェイクか詐欺のような記事と違い

こんな風に余裕を持って会社や職場での男女差別の現実を書ける筆力に驚いた。

ヒヤヒヤもあり次の展開にドキドキもあり、借り出して読んだ甲斐のある本だった。面白い本だった。

   作家インタビュー

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「太平洋戦争に学ぶ日本人の戦い方」という本を購入した。

2023年05月27日 | 乱読は楽しい

図書館サイトで予約を入れようと検索したがまだ図書館に入ってなかったので購入した。題名にひかれて早くよみたいと思った本だ。

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東京23区をそれぞれの区の平均所帯年収で見る「東京23区×格差と階級」という本を読んだ。  今 首都東京圏のどこで生きていますか??

2023年05月09日 | 乱読は楽しい

図書館で予約を申し込んでから 2か月ほどかかって ようやく読むことが出来た。本の存在は書評誌で知ったが 書名に惹かれて 興味を持っ人が多いようだ。

パソコンの前でこねくり回して作った本ではなく 実地調査の数値を用いて作られているので なるほどと思わせられて面白く読み進めた。

 明治維新から敗戦の年 昭和20年まで77年間 東京は帝都と呼ばれた。そして昭和20年から今年まで77年間は 首都・東京と呼ばれている。

江戸時代からすれば 合せて154年かけて日本人が作ってきた「東京」を それぞれの区に住む都民の 今日現在の「平均所帯年収」を切り口にして分析総合した面白い本だ。

 この切り口を使えば 日本全国いずれの市町村にも 日本と言う国には格差と階級があると思うが この本は日本の首都である❝東京❞に焦点を当てた。

   文中から一部⇒「東京を構成するそれぞれの地域も、その社会的・経済的特質によって、社会的空間の中に位置づけられるだろう。

都心のタワーマンションや歴史のある住宅地、名の知られた山の手の丘の上の住宅地などは、頂点に近いそれぞれの座標に位置つけられる。

これに対して住工混在地域としての歴史を持ち所得水準の低い下町のはずれの地域は底辺に近い場所のそれぞれの座標に位置づけられる。

こうして人々と地域が社会空間に位置づけられたときある人の住む地域はその人の社会空間における位置を表すものになる。

・・・・「どちらにお住まいですか」という問いは、地理的空間における居住地を尋ねる問いであると同時に、社会空間における相手の住所を尋ねる問でもある。

 

 

 

 

 

 

 この本を読んで 「金融資産の格差」の外に「文化資産の格差」という概念を知った。この資産の格差は世代を経るにつれ広がってゆくのだが

日本国がG7の諸国の中で国の予算の「教育費の比率を一番低い」ままおいてよしとする政策が続き 国民がそれにおかしいと声を上げないなら

日本における人間間の文化資産格差も広がっていく。

出版元の紹介文 

田園調布や六本木ヒルズ、山谷地区やシャッター通り、ホームレスが住む公園まで。東京23区内をほんの数キロ歩くだけで、その格差の宇宙が体感できてしまう。

東京は、世界的にみて、もっとも豊かな人々と、もっとも貧しい人々が住む都市だ。

そんな階級都市としての性格を強める23区の姿を明らかにし、そこに潜む危うさをいかに克服するかを探る。

◎ ブログ本記事掲載初出 2022年4月19日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ◎ 2023年5月9日追記

データに基ずく分析が興味深く、面白く読んだ。この本の内容は東京23区の土地の位置の歴史と現代の東京23区の位置からくる社会格差をするどく捉えている。

その捉え方の一方、他都市から若い世代が次々流れ込む東京という都市は、時代の変遷とともに、土地の価値判断基準もまた変わっていっているなとも思う。

 そして神戸市の東部からあるご縁で、後期高齢者になっての歳で東京23区の最東部の区(住工混在地域としての歴史を持ち所得水準の低い下町のはずれの地域は

底辺に近い場所のそれぞれの座標に位置づけられた)に住むことになった年金生活者の身からすると、歩いて10分の範囲に歯医者や内科など医院が五つあり、

区役所の支所、郵便局があり、コンビニも五つ、また商店街には五分で行け、また広大な緑の公園にも近く 旧中川と荒川に挟まれた中洲にある

住宅工場混在地の現在の下町の鉄筋長屋つまり集合住宅の生活は暮らしやすく感じる

    ちなみに現在のところ、県民の人口は少ない順に鳥取県の54万人次いで島根県66万人 高知県68万人 徳島県71万人、福井県の76万人だ。

ところが江戸川区の人口は 2023年5月1日現在、689,042人だ。人口だけで言えば江戸川県が出来てもいいほどだ。

 県の知事と東京都の一区長が同じような規模の人口を統制しているというのは不思議だ。

しかし自分の選挙区の範囲しかものを考えない衆参両院の国会議員たちは、だれも日本の国家全体の課題などは考えない。

 戦後78年になる日本の県や都・府・道などの行政区の制度は、実体に合わせた見直しがもう必須の時期になっていると思うが。

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沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を読みおわったら胸が一杯になった。

2023年04月12日 | 乱読は楽しい

このノンフィクションに描かれている 「西川一三」という人は蒙古人のラマ僧になりきって日本政府の「密偵」として現地情報を集めながら

八年間中国大陸の奥深くを単独で歩き、生き抜いた人である。彼は山口県で生まれ、帰国してからは盛岡で生涯をすごしその地で亡くなった。

 西川さんは自分の体験を3年間の執筆で旅行記の原稿にまとめたあとは、理美容材卸業を営む市井の一商人として生きて盛岡の地で89歳で死んだ。

◎ 500頁を越える厚い本を読みだしてすぐに 人間にはここまで好奇心の強い、気力体力知力に秀でた人がいるのだとただただ驚いた。

勿論西川さんと言う人の存在を今回初めて知ったが、2008年に亡くなった彼とはこの地球上で同じ期間をかなり長い間共有していたことになる。

 人が持つ歩くという能力は本当にすごいものだ。彼は北海道の稚内から九州の南端に至る距離に相当する地をいくつも何度も我が足で渡っていく。

何のために? ただ自分がそうしたいから??

 この本を読み終わった時 何分かの間、理由なく胸がいっぱいになり、涙が出そうになった。

   576ページの本を二晩で読んでしまったのもひさしぶりの経験だった。

阪神淡路大震災を体験したあとからは 「小説ってどうせ作り物の話だよな」と思ってしまうようになってしまった。

  ただ作中にユーモアや諧謔があればなんとか読める。

ノンフィクションは違う。事実の圧倒的な積み重ねの記録は あさはかな自分の想像力をはるかに超える時がある。

 沢木さんありがとう。いい人間の日本人がいたことを教えてくれて。

 余談ながら西川さんが出会った各地の民族や村人の中に日本人そっくりに見える集団がいた描写がいくつか出て来る。

最近の人類学のDNA研究の成果ではある意味当然のことながらそのエビデンスの一つとしてなんか嬉しい。

 また西川さんの新規の場に向かっていく気概と行動力は、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出てから日本列島にたどりついた

その過酷な旅もこの西川さんのような人がいて意外とたんたんと実現したのかもと妄想が浮かんだ。

ホモサピエンスの「グレートジャーニー」をおこなった遺伝子が西川さんの体内に強く存在していた。

 

西川一三1918年、山口県に生まれる。1936年、福岡県立中学修猷館卒業後、満鉄大連本社に入社。41年、満鉄を退社し、張家口駐蒙大使館が主宰する興亜義塾に入塾。43年、同塾を卒業後、駐蒙大使館調査部勤務となり、中国西北部潜入を命ぜられ、内蒙古、寧夏、甘粛、青海、チベット、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパール各地を潜行。50年、インドより帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
秘境西域八年の潜行 抄 中公文庫BIBLIO』より

沢木耕太郎インタビュー かっこいい人

 インタビューの中で 印象に残る箇所

──沢木さんご自身は、西川さんの旅のどこがすごいと思いましたか。

沢木 ラマ僧に扮してラクダを引いて中国の奥地を旅するというのは、僕も彼と同じ状況だったらできたかもしれない、と思うんです。絶対に不可能ではないなと。

 でも日本の敗戦を知った後、2つ目の旅が始まるんですよね。密偵という使命から解き放たれて自由になるものの、国家という土台や頼るべきものを失ってしまい、お金もないし、頼る人もいない。そこから彼はまた旅を始めた。その何もない状態で僕は旅を続けただろうかと自問すると、やっぱり帰ることを考えただろうと思うんですね。けれども彼は旅を続けて、現地の人々の中に入り、言葉を覚え、そして最も下層の生活に身を浸して生きていった。それはたぶん僕にはできなかったでしょうね。

──敗戦を知った後も旅を続けたのがすごいと。

沢木 そこからの旅が、彼にとって本当の旅になる気がするんです。どのように生きてもいいという自由を手に入れてから、旅がどんどん純粋なものになっていく。ただ、知らないところ、見たことのないところに行きたいというのが目的になって、純化された豊かな旅を生きていくんですね。そこが本当にすごいと思います。

──敗戦を知ってからの旅は、沢木さんから見て理想的な旅に映りますか。

沢木 彼は、いろいろなものをどんどんそぎ落として移動していきました。人に頼らず、旅に必要なものすべてを自分で手に入れコントロールするというのは素晴らしいと思います。純粋で、理想的な旅の形なのではないでしょうか。

単調な日々を苦痛と思わない人

──『天路の旅人』を読んで、旅と同じぐらいすごいなと思ったのが、西川さんの人生の落差というんでしょうか、旅をしているときの予想外の出来事だらけのドラマチックな日々と、日本に帰国して盛岡で理美容材卸業を営むようになってからの何もなさ過ぎる日々の落差がすごいですよね。

沢木 確かに大きな落差がありますよね。その落差を生み出すキーになるのは、彼が「自己認証」を必要としない人だったということなんですよね。誰かに認めてもらいたいとか、周りからすごい人間だと思われたいとか、そういう欲求をほとんど持っていなかった。外部の目線、視線によって自分を認証してもらい、それを喜びとするようなことがまったくない人だったと思うんです。

──『天路の旅人』には、毎日、毎日、ずっと同じことを繰り返すのがラマ僧の一生だという記述がありました。西川さんの盛岡での生活は、まるで宗教的な修業のようですね。元旦以外364日働き、毎日の行動も食べるものもルーティン通りです。

沢木 確かにお寺で修業しているのとほとんど変わらないですよね。でも彼は、日々の同じことの繰り返しがそんなに嫌いではなかったんじゃないかと思います。無限に繰り返される単調な日々というのが、そんなに苦痛ではない人だったと思う。

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沢木耕太郎 著 「天路の旅人」を読み始めた

2023年04月02日 | 乱読は楽しい

終日在宅 

〇 沢木耕太郎 著 「天路の旅人」を読み始める。

一部引用・・・・

 

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「元カレの遺言状」という『このミステリーがすごい!大賞』を取った小説を図書館で借りて読んでみた。

2023年02月23日 | 乱読は楽しい

こんな大賞clickがあることも 賞金額が1200万円であることもこの小説clickを読むまで知らなかった。

  作者が一年だけだがプロ雀士だったことと、弁護士であるという経歴を知ってそれに興味を持ったので借り出した。

ミステリー小説は若いころ「ハヤカワ・ミステリマガジン」clickを毎月買って読んでいたが 最近はもう長く読んだことはない。

読みだしたのはいいが 登場人物が生きている世界に感情移入ができない。この小説の世界になかなか感覚がついていけない。

なんか別の時代の、別の国のそらぞらしい話のように思えて、三分の一ほどで読むのを止めた。

  図書館に返す期限が近付いて来た時に 返す前にもう一度パラパラっと続きに目を通してみた。

すると話の運びの旨さや謎解きの面白さが急にわいてきてそれからは一気呵成に最後まで読んでしまった。

なるほど確かに読ませる構成力と内容があった。

 たまには 手を出さない本の分野に入るのも頭のクリーニングにはいいのかもしれない。

 「新川帆立」という宮崎県出身の作者は いまアメリカ在住だという。

彼女が念願の息の長いプロの小説家になれるかどうかは 私には登場人物の呼吸や感情の動きがよりわかる描写が欲しい。 

彼女自身も他者の書いたいろんなジャンルの本をもっと読んでいけば、もう一冊「売れる本」が書ける人だと思う。

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福田和代著「オーディンの鴉」を読みました。

2023年02月22日 | 乱読は楽しい
2010年12月06日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

内容(「BOOK」データベースより)

「私は恐ろしい」。不可解な遺書を残し、閣僚入り間近の国会議員・矢島誠一は、東京地検による家宅捜索を前に謎の自殺を遂げた。

真相を追う特捜部の湯浅と安見は、ネット上に溢れる矢島を誹謗する写真や動画、そして、決して他人が知り得るはずのない、彼の詳細な行動の記録を目にする。

匿名の人間たちによる底知れぬ悪意に戦慄を覚える二人だが、ついに彼らにも差出人不明の封筒が届きはじめる…。

スケールの大きなクライシスノベルを得意とする作者が挑んだインターネット社会の“闇”。

♪知らないうちにネット上に自分や自宅や家族の写真が流され、住所も電話番号も全部ネット上で知られる。

キャシュカードの購買記録も、自動販売機の上の防犯カメラで撮られた自分の動画もすべて流れる。

その対象になった国会議員の自殺からストーリーが始まる。

東京地検の特捜検事が主役で、YouTube、Twitter、2チャンネルなど現在のネットツールを道具に使ったこの情報犯罪小説は、

読み進むにつれなんとはない恐怖で背筋が寒くなってくる。

情報を制する者は社会を制するというフレーズが、何度も胸の中で反芻する。

これはフィクションなのだが、もしかするともう実際に個人は丸裸になっているのかも知れないと思ってしまった。

面白かった。久しぶりに読んでる小説がまだまだ終わって欲しくないと思える筆力の作家に出会った。

最終段階でのネット技術を駆使した逆転どんでん返しは胸がすく。またところどころに切れ味のいい短剣のような文章も挟まっていてドキッとする。

昨年から今年の初めに雑誌に連載されたこの小説は、海上保安官のYouTube動画流出事件や最近のWikiLeaksの情報流出を予告していたような内容だ。

また一人すぐれもののエンターテイメント作家が誕生したことを喜ぼう。

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