二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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そうなのか。

2014年09月27日 04時39分44秒 | ニ言瓦版
52才か。
早いというより、
体重の影響か、体の問題かもしれない。
病気が原因か。



「プロ野球、ソフトバンクホークスなどによると、南海やダイエーで捕手として活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行(かがわ・のぶゆき)さんが26日、死去した。52歳だった。葬儀などは未定という。


 徳島県生まれ。大阪・浪商高校(現・大阪体育大浪商)で甲子園に3度出場し、1979年春の準優勝に貢献。後に中日などで活躍した牛島和彦投手とバッテリーを組み、通算5本塁打を記録した。

 79年のドラフト2位で南海ホークスに入団した。巨体を生かした豪快な打撃で人気を博し、捕手だけでなく内野手を務めたこともあった。球団が南海からダイエーに変わった89年、現役生活を終えた。通算10年間で714試合に出場、打率2割5分5厘、78本塁打の記録を残した。その後は野球解説者などを務めた。九州を拠点に少年野球や社会人野球の指導にも当たった。近年は腎臓などを患い、入退院を繰り返していた。

 ◇スーパースターの死「早いよね」

 香川さんとともにバッテリーを組み、1979年センバツ準優勝、甲子園をわかせた後も中日などでエースだった牛島和彦さん(53)は、香川さんを「中学時代からスーパースターだった」と振り返り、故人をしのんだ。

 野球漫画「ドカベン」に登場する明訓高校の捕手で、強打者の主人公・山田太郎にそっくりの太めな体形と豪快なスイングで活躍した香川さんは、細身の牛島さんとともに、甲子園の大舞台での活躍で、一気に人気をさらった。

 78年の第50回センバツに出場、79年第51回大会では準優勝。この年の夏の甲子園では3試合連続本塁打を放つなど、甲子園に春夏通じて3回出場し、5本塁打を放った。

 79年のドラフト2位で南海に入団。1年目の80年には初打席初本塁打を放ち、期待に応えるデビューを果たした。同学年で中日に入団し、ロッテに移籍した牛島さんも「彼がいたから、自分も頑張れた」。良き友であり、ライバルの存在に、大きな刺激を受けていた。

 香川さんは10年間のプロ生活で通算714試合出場、打率2割5分5厘、78本塁打だったが、人なつっこい人柄で引退後も九州で人気を博し、一方で、少年野球の大会を主催するなど、野球界への貢献を続けた。長男も2006年夏の甲子園に福岡工大城東高で出場した。

 牛島さんは「長い間会っていなかった。体を壊したと聞いていたので、大丈夫かと心配していた」と話した。青春時代をともに駆け抜けたチームメートの悲しい知らせに「早いよね」と寂しそうにつぶやいた。」



時代は、流れていくのかもしれない。
ドカベンの漫画と、似ていた姿は、甲子園を沸かしたことだ。
ご冥福を祈ります。
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