二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

生かされるも、

2019年08月12日 07時29分08秒 | ニ言瓦版
何か、人の運は、飛行機で、分かるのかもしれない。




「いつも手元に置いている航空券がある。「日本航空123便羽田発大阪行き」。日付は(1985年8月)9日だが、変更前は12日だった。墜落した日航機に搭乗することになっていた持ち主の横浜市青葉区の西山徹さん(80)は「自分の代わりに亡くなった人がいる。その人の死に報いるためにも大事にしてきた」と話す。事故から34年がたった今も、プラスチックのカバーで覆われたチケットはきれいなままだ。

日本航空123便羽田発大阪行きの航空券(手前左)。変更する前の日付は(1985年8月)12日だった=7月7日、横浜市青葉区
 音響機器メーカーの取締役をしていた西山さんは当時、母親の初盆で兵庫県丹波篠山市に帰省するため、85年8月12日の大阪行き123便を予約していた。広島市の家電販売会社の社長から電話が入ったのは同月上旬。「定価で売れるはずがないと思っていた(御社の)製品を客がどんどん買っていく。一席設けるから、ちょっと来てくれ」。取引先の誘いに応じ、出発を3日早めた。
 接待を受けるなどし、丹波篠山市の実家に着いたその夜、「123便、レーダーから消える」。テレビ画面に信じられない字幕が表示された。
 「今とは違い、お盆にしか夏休みが取れなかった時代。9日当日、羽田空港でチケットの交換を申し出た際には、係の女性からものすごく感謝された」と西山さん。「ただ、あんなことになるとは。自分が予約していた席に喜んで座った方が犠牲になった。何とも言えない気持ちはずっと持ち続けてきた」という。
 事故から10年目を迎えた95年8月12日には、「どんな方かは分からないが、供養したい」と、妻と一人娘と一緒に墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」にも登った。
 西山さん自身もその後、喉頭がんを患い、10年余り前には緑内障にかかり、両目の視力をほぼ失った。「でも、私は生きている。何てことはない」。今もラジオで国内外のニュースをチェックし、近くに住む孫や海外に住む友人らとの交流を楽しみに過ごしている。 」



分からないことだ、生死と、その後の身体。
生きてるの地獄、死ぬもどうか。
難しいことだ。
生かされるも。


ーーーーーーーーーー
「日本航空123便羽田発大阪行き」

しらべた。この飛行機に乗らなかった人。


「「日本航空123便羽田発大阪行き」


「著名人
坂本九(歌手) - NHK-FM放送で『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』[※ 23]の収録後、友人である元マネージャーの選挙応援として、翌日に行われる事務所開きに駆け付けるために大阪に向かっていた[29][※ 24][※ 25]。
北原遥子(女優・元宝塚歌劇団雪組娘役) - 帰省先の横浜の実家から大阪の友人に会うために搭乗していた[30]。
中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)
石田一雄(阪神電気鉄道常務取締役) - 以上2名は当事故当日に都内で行われた日本民営鉄道協会の会議に出席し、帰阪のために当便に搭乗した。
浦上郁夫(ハウス食品工業(現・ハウス食品グループ本社)代表取締役社長) - グリコ・森永事件の終息を父の墓前に報告するために大阪に向かっていた。
塚原仲晃(医学博士・大阪大学基礎工学部教授) - 1986年から開始予定であった文部省特定研究「脳の可塑性」の責任者として同研究に関する文部省との打ち合わせのため上京し、帰阪のために搭乗した。
辻昌憲(元自転車競技選手・シマノレーシング監督) - グリーンピア三木で行われるシマノグリーンピアロードレース大会開催のため都内の日本アマチュア自転車競技連盟での打ち合わせを終え、同僚社員とともに同便に搭乗していた。
竹下元章(元広島カープ捕手、指月電機製作所社員) - 第67回全国高等学校野球選手権大会の群馬県代表となった東京農大二高野球部に在籍する高校2年生の息子の応援で甲子園球場へ向かうために搭乗していた。
石野喜一(神栄石野証券代表取締役社長)
藤島克彦(コピーライター)
緋本こりん(同人漫画家) - 事故前日(11日)に都内で開催されていたコミックマーケットにおけるアニメ雑誌『ファンロード』関連のイベントに参加し、帰阪するため搭乗。
山本幸男(ミサワホーム専務取締役)
和田浩太郎(美容研究家、ミス日本審査員)





搭乗を回避していた著名人
明石家さんま(お笑いタレント) - 事故当日夜の「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)に出演するために搭乗予定だったが、搭乗前の仕事である「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)の収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたため[31]。
麻実れい(女優) - 当便に搭乗する予定であったが、事故当日の搭乗前の仕事が予定より早く終わり、1便早い飛行機に振り替えたため。
逸見政孝(フジテレビアナウンサー)とその家族(晴恵・太郎・愛) - 大阪の実家に帰省するために搭乗予定だったが、妻・晴恵が飛行機嫌いであることに加え、長男・太郎が直前になって「新幹線のほうが安いから」と提案して変更したため[31][32]。
稲川淳二(タレント) - 事故当日、東京で健康番組「稲川淳二のためになる話」の収録を終えたあとに大阪入りするため搭乗予定だったが、体調不良により翌朝の新幹線による移動にスケジュールを変更したため[31]。
久万俊二郎(阪神電気鉄道社長・阪神タイガースオーナー) - 前述の日本民営鉄道協会の会議に出席し終了後に当便で帰阪する予定だったが、私用で出席できなくなったため、前述の中埜・石田の両名が代理で出席した。
佐々木正(電子工学技術者、シャープ副社長) - 大阪の実家に帰省するために搭乗予定だったが、急遽、フィリップス本社社長と会食することになり搭乗をキャンセルした[32]。
勝谷誠彦(コラムニスト) - 搭乗予定だったが、友人に会いに京都市へ向かうために東海道新幹線に乗り替えたため[33]。
当時の笑点メンバー(五代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久蔵(現:林家木久扇)、林家こん平、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(現:六代目三遊亭圓楽)、古今亭朝次(現:桂才賀)、山田隆夫)- 翌日の徳島での阿波踊りに参加するために当初予約した便が悪天候のため、大幅に遅れ、代案でひとつ後の当便に搭乗する話が直前に出たが、こん平が「予約していた便で行こう」と提案したため、予約した便に搭乗し難を逃れた。しかし、阿波踊りに同行する予定だった広告代理店の数名は、万が一のためという理由で当便に搭乗し犠牲になった[34]。
ジャニー喜多川(芸能プロモーター・音楽プロデューサー・ジャニーズ事務所代表取締役) - 搭乗予定だったが、仕事の都合で直前にキャンセルした[35]。」



死の航空券かもしれない。
乗る飛行機。

キャンセルか、乗れるか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 疑問。 | トップ | 辛いは、 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニ言瓦版」カテゴリの最新記事