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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百七十七〕宮にはじめてまいりたるころ(その一)

2011-09-19 06:01:00 | 古典

 

  



                 帯とけの枕草子〔百七十七〕宮にはじめてまいりたるころ(その一)



 の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百七十七〕宮にはじめてまいりたるころ


 宮に初めて参上した頃、もの(容姿髪形その他のわが様子の)恥ずかしいこと数知れず、涙も落ちそうになったので、昼は避けて・夜々に参って、三尺の御几帳の後ろに控えて居るときに、絵など取り出してお見せになられるのに、手さえ差し出せそうもなく、わりなし(わけが分からない…何だか苦しい)。「これはとあり、かゝり。それが、かれが(これは、ということなの、こうなのよ。それが、かれが)」などとおっしゃている。高杯を台にしてさしあげた御殿油なので・明るく(絵の人物の…我が)髪の筋なども、なまじっか昼よりもはっきりと見えて、まぶしかったけれど我慢して、絵を・見ている。たいそう冷たい頃だったので、さし出される御手のかすかに見えるのが、とっても美しい薄紅梅なのは、限りなく愛でたしと、見知らぬ里人の心地には、このような人がこの世にいらっしゃることよと驚くほどで、見守って差し上げている。


 暁にはすぐに下がろうと、心は・急く。「かつらぎの神もしばし(葛城の神も今しばらく…かつら着の上も今しばらく・居なさいね)」と仰せられる。いかでかはすぢかひ御らんぜられん(どうして、髪の筋目違いを、ご覧にならないことがあろうか)と思って、なおも伏しているので御格子も上げてさしあげない。女官が参って、「これはなたせ給へ(御格子・開放してください)」などと言うのを聞いて、女房が格子を開けるのを、「まな(だめよ・葛城の神が大勢居るから)」と仰せられるので、わらひてかへりぬ(女官たち笑って帰った)。

 
 ものなど問わせられ、何かをおっしゃるのに応えるまでの間が久しくなったので、「おりまほしうなりにたらむ、さらばゝや。よさりはとく(下がりたくなったのでしょう、それならすぐに。夜は早く参りなさいね)」と仰せられる。膝で移行し隠れるのはいまや遅しと、御格子を・上げちらしたら、雪が降っていた。登花殿の御前は、立蔀が近くて狭く、雪はたいそう風情がある。


 昼ごろ、「今日はやはり昼にも参れ。雪にくもりてあらはにもあるまじ(雪に曇って、かつらきのかみも・はっきりは見えないでしょう)」などと、たびたびお召しになられれば、この局のあるじも、「見苦しい、そのように籠もって居ようとする。あっけないほどにも、御前許されるのは、そのようにお思いになられるからでしょう。思いに違えるのは憎きものぞ」と、ただ急がせて出されたので、あちらにもこちらにも居られない心地するけれど、参るのはとっても苦しい。火焚き屋の上に雪が降り積もっているのも、めづらしうをかし(珍しくて趣がある…場違いの自分も珍妙でおかしい)。

 
 御前近くは、いつもの炭櫃に火をかっかとおこして、そこには、ことさら人はいない。上位の女房たち、御賄いに控えておられたそのままに、お側近くにおられる。沈香木の御火桶の梨絵のある側に、宮は・いらっしゃる。次の間に、長炭櫃に隙間なく居る女たち、唐衣を脱ぎ垂らしてある様など馴れて安らかなのを見ると、とっても羨ましい。御文を取り継ぎ、立ち居、行き違う様子などが、つつましげならず(遠慮がちではない)、もの言って笑っている。いつの世にか、そのように交じわりたいと思うのさえ、気がひける。奥に寄って三、四人集って絵など見ているのも居るもよう。


 しばらくして、さきばらいの高い声がすると、「殿参られます」といって、散らかっている物を取り遣ったりするので、どうして下がろうかと思うけれど、それ以上ちっとも身じろぎもできない、今すこし奥に引き入って、それでも見たいような・気がする。御几帳のきれめよりわずかに見つめていた。


 大納言殿(伊周)が参られたのだった。御直衣、指貫の紫の色、雪に映えてたいそう風情がある。柱のもとにいらっしゃって、「昨日今日、もの忌みでございますが、雪がひどく降りましたので、気がかりなのでそれで」と申される。「みちもなし(雪降り積り道も無し…道理もなし)と思っていましたのに、どうしてまた」と、宮の・御応えがある。兄の伊周・うち笑ひ給ひて(笑いだされて)、「あはれともや御らんずるとて(今日来る人を・感激ねと覧になられるかと…京来る人、を、あゝ感激と見るかと)」などとおっしゃるご様子も、これより優る言葉があろうか、物語の中で登場人物がやたら口にまかせて言っているさまに違いないだろうと思える。



 言の戯れと言の心

「かつらぎの神…葛城の神…容貌醜いということで昼間は葛城にある社に籠もっている神…かつら着の上…つけ髪の女…宮がお付けになられた我があだ名」「かみ…うへ…上…女」。


 会話の礎となっているのは、拾遺和歌集 平兼盛の歌。既に〔百七十四〕で紹介したけれど、もう一度聞きましょう。

里は雪降り積みて道もなし けふこむ人をあはれとは見む

山里は雪降り積り道も無し、今日来る人を、山里人は・あゝ感激とは見るでしょう……山ばのふもとのさ門は、白ゆき降り積り道理も無し、京来る人、おを、あゝ感激と見るでしょう)。


 「やま…山…山ば」「さと…里…女…さ門」「ゆき…雪…おとこ白ゆき」「けふ…京…宮こ…感の極まり」「みち…路…道…道理…道義」「見…覯…まぐあい」。



 我が身の恥は顧みず、宮の「愛でたきさま」を述べいる。喪中の追憶か。

ちぢれ髪のため短くして、かつら(つけ髪)を着けているので、「かつらぎの神(かつら着の上)」という見事なあだ名を付けて、堅苦しさ、恥ずかしさを和らげてくださる。

部屋を明るくしようとする女官に、「まな(だめよ・葛城の神が大勢居るのだから)」と言っては笑いを誘い、夜暗くなったらいらっしやいねと、かつら着を気にする人に配慮を示し、雪が降って薄暗いから昼間だけれど早くいらっしゃい(待ち遠しい)という誘いなど、ただの十七歳の女人ではない。上に立つべき人としての優れた才覚をすでにそなえておられた。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。