帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの土佐日記 二月五日(今日からくして)

2013-02-14 00:10:53 | 古典

    



                          帯とけの土佐日記


 土佐日記 二月五日(今日からくして)


 五日。今日、かろうじて、いづみのなだより(和泉の灘を経て…和泉の海路の難所を通過して)、小津の停泊港に近づいてゆく。松原、目も遥かに続いている。誰も彼も、苦しかったので詠んだ歌、

ゆけどなほゆきやられぬはいもがうむ をづのうらなるきしのまつはら

(行けどもなお行き着かないのは、女の倦む小津の浦にある長い岸の松原……ゆけどなおゆきつけないのは、女のうんざりしている小つの心成る来しを、待つ腹のうち)。

このように言いつつ来るときに、「船を早く漕げ、日和が良いので」と催促すれば、船頭が船員たちに言うことは、

みふねよりおふせたぶなりあさきたの いでこぬさきにつなてはやひけ

(御船君より仰せである、朝の北風が吹き出す前に、引綱、早く引け……身ふ根より仰せである。浅く冷たい風、心に吹き出す前に、つなて勢いよくひけ)、

という。この言葉が歌のようだけれど、船頭の自ずからの言葉である。船頭はことさらに、われうた(中味の割れた歌)のようなことを言おうとしたのではない。聞く人が「あやしく歌めいて言ったなあ」と、書き出せば確かに三十一文字だった。

 

 言の戯れと言の心

 「和泉の灘より…難所の海路を経過して」「より…起点を表す…通過する辺りを表す」。

「ゆき…行き…逝き…京にゆき」「いも…女たち」「うむ…倦む…飽きてうんざりする」「小津(地名)…名は戯れる、女、かわいいおんな」「小…接頭語…美称」「つ…津…女」「うらなる…浦にある…心成る」「うら…心」「きし…岸…来し」「まつ…松…女…待つ」「はら…原…腹…心の内」。

「みふね…御船…身夫根」「あさきた…朝北…朝の北風…共寝の朝方心に吹く冷たい風」「つなて…綱手…綱の係…綱の端」「つな…ひも…緒…おとこ」「手…人を表わす…端を表わす…身の端」「はや…早…勢いよく…激しく」「引く…とる…めとる…まぐあう」。

 


 「今日、波立たないで」と、人々、終日祈る験があって、風波立たない。今しも、かもめが群れて遊ぶ所がある。京の近づく喜びのあまりに、或る童の詠んだ歌、

いのりくるかざまともふをあやなくも かもめさえだになみとみゆらむ

(祈り来る風の止み間と思うのにわけもなく、白いかもめさえ、どうして白波と見えるのかしら――童の歌なので艶なる余情はない)、

と言って行く間に、石津という所の松原すばらしくて浜辺が遠く続いている。同じく住吉の辺りを漕ぎ行く。あるひと(或る男…船君)の詠んだ歌、

いまみてぞみをばしりぬるすみのえの まつよりさきにわれはへにけり

(今見て、身のほど知ったよ、住江の松より先に、われは年齢経てしまったことよ……長いまつはらを今みて、おとこの身のほど知ったよ、澄みのえの待つより先に、われは尽き経てしまったよ)。

このとき、むかしへひと(今は亡き女児、生きていれば十五歳位の成人になっている)の母、一日も片時も忘れられないで詠んだ、

すみのえにふねさしよせよわすれぐさ しるしありやとつみてゆくべく

(住江に船さし寄せよ、忘れ草が験あるかどうか摘んで行けるように……澄みのえに夫根さし寄せよ、忘れられた女に、ききめあるかなと、つんで京へゆけるように)。

となむ(だなんて)。決して忘れようとするのではなくて、恋しい心地しばし休めて、またも恋う力にするつもり。

 

このように言って、もの思いに沈みながら来る間に、突然、風が吹いて、漕いでも漕いでも、うしろへ退き退いて、ほとんど船、海にうちはめてしまいそう、船頭の言うことには、

このすみよしの明神は、れいのかみぞかし。ほしきものおはすらむ(この住吉明神は例の神ですぞ、欲しい物が御有りのようで……この澄み良しの妙人は、例の女ですよ、欲しい物がお有りのようで)」とは、忌々しいことよ。そして、「ぬさをたてまつりたまへ(幣を奉り給え…ぬさお、立てまつり、たまえ)」と言う。言うに従って幣奉る。こうして奉るけれども、まったく風止まないで、いよいよ吹いて、ますます立って、風波が危ういので、船頭また言うことは、

 「ぬさにはみこゝろのいかねば、みふねもゆかぬなり。なほうれしとおもひたぶべきものたいまつりたべ(幣ではご得心できないので、御船も行かないのです。なおも嬉しいと思われそうな物を奉り給え……幣では身心がゆかないので、み夫ねもゆかないのです。なほ、嬉しいとお思いになられそうな物を立てまつりたまえ)」と言う。また言うのに従って、「いかがはせん(どうしょう)」と、「まなこもこそふたつあれ、ただひとつあるかがみをたいまつる(たいせつな眼さえ二つある。ただ一つである鏡を奉る……まなこさえ二つある。ただ一つである彼が身を屈身だけどたてまつるわ)」と言って、海にうちはめたので、くやしい。そうすると、とってつけたように、海は鏡の面のようになったので、或る人の詠んだ歌、

ちはやふるかみのこゝろをあるゝうみに かゞみをいれてかつみつるかな

(ちはやふる神の心を荒れる海に、鏡を入れて同時に見てしまったなあ……血はやぶる女の心を、荒れる憂みに、屈身の彼が身を入れて、同時に見てしまったなあ)。

とても、澄みの江、忘れ草、岸の姫松などという上(女)ではないのよ。目にもまざまざ、かゞみにかみのこゝろ(鏡に女の心)を見たことよ。船頭の心は、かみのみこゝろ(このよう女の心)だったのだ。


 言の戯れと言の心

 「見…覯…媾…まぐあい」「すみのえ…住江(地名)…澄みのえ…心澄んだ女」「え…江…女」「まつ…松…待つ…女」「へにけり…経てしまった…年月が経過した…こと成り果てた」。

「むかしへひとのはは…亡き女児の母…語り手」「すみのえ…澄みの江…心澄んだ女」「ふね…船…夫根」「わすれぐさ…忘れられた女…捨て置かれている女」「つむ…摘む…とる…まぐあう」「ゆく…行く…心逝く」。

「明神…霊験あらたかな神の敬称…妙人」「れいのかみ…例の上…いつもの女」「ぬさ…神に手向けるもの…上にたむけるもの」「かみ…神…上…髪…女」「みふね…御船…身夫根」。

「ちはやふる…神の枕詞…血早ぶる…人の枕詞」「うみ…海…憂み…思いの満たされない辛さ」「かがみ…鏡…彼が身…屈んでいる身」。

「江…女」「草…女」「松…女」「かじとりのこゝろ…船頭の心…物欲あらわに船をわざと進めない船頭の心」「かみのこゝろなりけり…(ひどい)女のお心だことよ」。


 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系 土佐日記による。