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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(96)いつまでか野辺に心のあくがれん

2016-12-11 19:20:22 | 古典

             

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下96

 

春の歌とてよめる                (素性)

いつまでか野辺に心のあくがれん 花し散らずば千世もへぬべし

春の歌と言って詠んだと思われる……春情の歌ということで詠んだらしい。 (そせい)

いつまで、花の・野辺に心が憧れるのだろうか、花が散らなければ、千年でも、ここで・過ごすだろう……いつまで、野辺で、山ばの京に・心が憧れているのでしょうか、おとこ花、散らなければ、そのまま・千夜も過ごすおつもりでしょうか)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「か…疑問を表す…詠嘆を表す」「野辺…下野・外野…中枢ではないところ…山ばではないところ」「あくがれ…あこがれ…思い焦がれ…心乱れて浮かれ」「ん…む…推量をあらわす」「花…木の花…男花…ここは親王のこと…おとこ花」「散らず…消えず…果てず」「千世…千代…千年…千夜」「へぬべし…経てしまうだろう(推量)…経てしまうがいい(適当)」。

 

いつまで、花見の・野辺で、心浮かれているのだろうか、花が散らな無ければ、千年でもこのまま過ごすだろう。――歌の清げな姿。

いつまで、野にて、心浮かれ山ばの京に憧れているのでしょうか、おとこ花散らなければ千夜も過ごしてしまうおつもりか。――心におかしきところ。


 男花咲かせることは、諦めて捨ててください。汚れた世に千年も過ごすおつもりか。歌の深い主旨は、やはり出家の勧めのようである。この頃、たとえ親王が姓を賜り臣に下っても、出世などおぼつかない、或る藤原氏一門の世になっていたのである。


(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)