帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (八十七) 寂蓮法師 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-30 19:26:51 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されて有り、それは、俊成の言う通り、まさに「煩悩」であった。

 


 藤原定家撰「小倉百人一首」
(八十七) 寂蓮法師


  (八十七)  
むら雨のつゆもまだ干ぬ真木の葉に 霧たちのぼる秋の夕暮れ

(一頻り降った通り雨の、水滴もまだ乾かない高い木の葉に、霧たちのぼる秋の夕暮れよ……はげしいおとこ雨の白つゆも、未だ乾かぬ真の男木の端なのに、きりりと立ちのぼる、飽きの果て方よ)

 

言の戯れと言の心

「むら雨…一頻り激しく降って過ぎ去る雨…通り雨…男雨…おとこあめ」「つゆ…水滴…汁…液…白つゆ」「真木…杉・檜など…高木…立派な木」「真…接頭語…美称」「木…言の心は男」「葉…葉…端…身の端…おとこ」「に…場所を示す…なのに…だけれども」「きり…霧…きりり…引き締まってゆるみのないさま…確り」「たち…立ち…起ち」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り」「夕暮れ…日の暮れ…ものの果て方よ(体言止めで余情が有る)」。

 

歌の清げな姿は、むら雨の去った後、霧立ち上る秋の夕暮れの風情。

心におかしきところは、その後も、間もなく、立派な男木の端の、きりりと立つ、飽き満ちた果て方よ。

 

新古今和歌集 秋歌下 五十首奉りし時、寂蓮法師。


 寂連法師は、藤原俊成の甥にあたる人で俊成の養子となったが、後に三十数歳で出家した。「新古今和歌集」に三十五首入集。藤原良経を筆頭とする撰者の一人だったが、完成を待たず亡くなったという。

 

寂蓮法師の歌をもう一首聞きましょう。新古今和歌集 巻第一 春歌上 摂政太政大臣家百首歌合に(藤原良経の歌合のために詠んだ歌)。


 今はとてたのむの雁もうちわびぬ おぼろ月夜のあけぼのの空

(今は、北へ帰るべきとき・ということで、田の面の雁も、つらくて気が滅入ってしまう、朧月夜の曙の空よ……井間は・今一度は、と言って、頼むのかりも、うち上げ、辛くなってしまった、おぼろげな月人おとこの夜が、白じらと明け初める、空しさよ)

 

「いま…今…井間…おんな」「たのむ…田の面…多のむ…頼む」「かり…雁…鳥の名…名は戯れる。狩り、猟、めとり、まぐあい」「田…多…言の心は女」「雁…鳥…言の心は女」「うちわび…辛いと思う…辛くて気が滅入る」「ぬ…してしまう…しまっている…してしまった…完了したことを表す」「おぼろ月…薄雲に隠れた月…薄ぼんやりとした月人おとこ」「空…空しい」。


 歌の「清げな姿」は、春の曙の空の景色で、「清少納言枕草子」冒頭の「春はあけぼの、やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、むらさきだちたる雲の細くたなびきたる」と同じである。「心におかしきところ」の趣旨も同じで、春の情の山ばの果ての人の気色。


 

平安時代文芸の国文学的解釈は、歌も、枕草子の散文も、表向きの清げな意味だけではなく、「心におかしきところ」が、深山の奥、玄之又玄なるところにあることを知らず、五合目に在る社を本宮と思い込み、詣でて満足して帰った人に似ている。平安時代の歌論と言語観を無視して、独自の奇妙な方法(序詞・掛詞・縁語など)を構築して解釈した結果である。我が国の平安時代の古典文芸は宝の持ち腐れ状態にある。