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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
あづまよりあるをとこまかりのぼりて、前前ものいひ侍りける女のもとに
まかりたりけるに、いかにいそぎのぼりつるぞなどとひはべりければ
読人不知
四百六十一 おろかにもおもはましかばあづまぢの ふせやといひしの辺にねなまし
東路より、或る男、上って来て、前まえから、情けを交わしていた女の許にやって来たときに、どうして急いで来たのなどと、女が・言ったので、(よみ人しらず・或る男の歌)
(この旅を・おろそかに思っていたのだなそれで、東路の伏せ屋という野辺に、寝てしまっていたようで・急いで来た……思いを・おろかに思っていたようなので、吾妻路が、伏せやというくすぶった山ばのないのべに、寝てしまうからだろうなあ・急いで上るくせがついて)
言の戯れと言の心
「おろか…疎か…なおざり…疎略…愚か…劣っている」「ましかば…だとすれば…のようなので」「あづまぢ…東路…吾妻路…我が妻の路」「路…通い路…おんな」「ふせや…伏せ屋…粗末な庵…燻るやど…燃えないや門…燃え上がらないおんな」「の辺…野辺…山ば無し…伸べ」「ねなまし…寝てしまっていたのだろうな…きっと寝てしまったためだろう」「な…ぬ…完了を表す…してしまう」「まし…仮想したことを表す、それに、不満などの意を込める」
歌の清げな姿は、東路で、伏せ屋とかいう変わった宿に寝てしまったようで、起きると野辺だった・急いで来たのだ。
心におかしきところは、吾妻路は、思いが疎略でね、山ばのないのべで、眠ってしまうのよ・急いで上る癖がついた。
この歌、拾遺集「雑賀」にある。上りつめた感の極みは、慶賀の至りであるべきを、この男、いささか粗雑だったようで。
年月をへてけさうし侍りける人のつれなくのみ侍りければまかりていまはさらに
よにもあらじといひ侍りてのちひさしくおとづれずはべりければ、このをとこの
いもうとにさきざきもかたらひてふみかはし侍りけるにいひつかはしける
四百六十二 こころありてとふにはあらずよのなかに ありやなしやのきかまほしきぞ
年月を経て、想いを懸けていた男が、つれない感じだけだったので、引いて、今更ながら、世にも無いことよと、女が・言った後、男が・久しく訪れなかったので、この男の妹に、前々から語らい文を交わしてしていたので、言って遣った、(よみ人しらず・女の歌)
(わたしを愛しく思う・心があって訪うのではなく、世の中に健在かどうか聞きたいだけなのよ・生きてるよと言って遣って……心をこめて、極みを訪ねるのではなくて、夜の中で、生きているか逝ったか聞きたいだけなのよ・もっと心を入れてと言って)
言の戯れと言の心
「こころ…愛しく思う心…恋する心…乞いし求める心」「とふ…訪う…問う…(消息を)たずねる…(絶頂を)訪う」「よのなか…世の中…男と女の仲…夜の中」「ありやなしや…健在か亡くなったか…消息…未だか逝ったか」
歌の清げな姿は、年月経ても、男はつれなく接するだけ、女の不満を、男の妹に助け舟を求めた。
心におかしきところは、疾しつき経ても、心を入れて頂上へ送り届けてくれない男、未だか果てたかだけの夜のなか。
この歌、拾遺集「雑賀」にある。この男の慶賀の極みも雑だったようである。
このような歌に、序詞、掛詞、縁語などという奇妙な解釈方法は無力である。藤原俊成は「歌の言葉は・浮言綺語の戯れのようなもの」そのうちに主旨や趣旨が顕れるという。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。