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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るにちがいない。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
かたらひ侍りける人の久しくおとづれ侍らざりければ、たかうなを
つかはすとて (読人不知)
四百六十三 君とはでいくよへぬらんいろかへぬ 竹のふるねのおひかはるまで
語らって情けを交わしていた人が、久しく訪れなかったので、たけのこ(筍)を遣るということで、(よみ人しらず・女の歌)
(君が訪わなくなって、幾世経ってしまったのでしょう、色を変えない竹の古根が、筍に・生え変わるまで……貴身、おとずれず、逝くよ・幾夜、経ったのでしょう、竹の子は古根が生まれ、変わる・彼張る、ほどまで・成ったのに)
言の戯れと言の心
「かたらひ…語らい…情けを交わす…片らひ…傍らひ…山ばに至らず傍らにひる」「ひ…ひる…放つ…体外に出す」。
「君…貴身…おとこ」「とはで…訪わないで…訪れずに」「いくよ…幾世…幾夜…逝く夜」「いろ…色彩…色情」「竹…言の心は男」「ふる…古根…降る根…古びた根…逝ったおとこ」「おひ…生える…極まる」「かはるまで…変わるまで…彼張るまで…元気回復まで」
歌の清げな姿は、訪れなくなって久しい男の元気回復を願って、すくすく育った筍を贈った。
心におかしきところは、山ばに至らず傍らに放た男が、久しく、お門、擦れる気配がないので、貴身の回復を促して筍を贈った。
男の長寿とその子の貴身の回復を言祝ぐ歌。この歌、拾遺集「雑賀」にある。
ある男の松を結びてつかはしければ (読人不知)
四百六十四 なにせんにむすびそめけんいはしろの 松はひさしきものとしるしる
或る男が松の枝を結んで、女の許に・遣わしたので、 (よみ人しらず・女の返歌)
(どうしようとして、結び初めたのでしょう、磐代の松は、寿命も・待つのも、久しいものと知りつつ・ですよね……何にしようとして、ちぎり結び初めたのでしょう、磐石の女の待つのは、久しい物と一緒の汁汁よ)
言の戯れと言の心
「なにせんに…何のためにか…何するためか」「むすび…結び…約束…ちぎり」「いはしろ…岩代…磐代…所の名」「岩・磐…言の心は女」「松…長寿…言の心は女…待つ」「もの…漠然とした事柄…物…身の端…おとこ」「と…内容を受けていう(引用のと)…と一緒に…共同の意を表す…門…おんな」「しるしる…知る知る…充分に知る…汁汁…つゆに濡れたさま」
歌の清げな姿は、結ばれたからには、末永き結婚を約束する。男が贈物に添えた心。
心におかしきところは、結ばれたからには、待つのは、久しき貴身と門の汁汁よ。女の返歌。
この歌、拾遺集「恋二」にある。片恋や忍恋の第二段階はこうなるのだろう。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。