帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十五)また、この男、志賀へとて ・(その一)

2013-11-18 00:11:34 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。

 
 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(二十五)また、この男、志賀へとてまうづるに・(その一)


 また、この男(平中)、志賀寺へ詣でたときに、逢坂の走井に、女たちが多数乗った車を、牛はずして停めてあったので、車(乗った女たち)、人が来たと見て、牛を掛けさせて行ったのだった。この男、車の供の人に、「どちらへ、いらっしゃる人か」と問うたところ、「志賀へ」と答えたので、女車より少し遅れて(男は馬に乗って先だたず)ついて行くと、あの逢坂の関(あの男女合う坂山ばのせき)越えて、(女車は)待っていた。近づいて来る間に、車よりこのようなことを言いかけた。
 逢坂の名に頼まれぬ関川の ながれて音に聞く人を見て

(人に逢う坂の名に、頼んでしまう、関川のように流れて噂に聞く人を見たので……合う坂の山ばの汝に、身を託してしまう、関門、川の、ものは流れて、うわさの人を思って)。


 言の戯れと言の心

「逢坂…合う坂の山ば…合致する絶頂」「な…名…評判…汝…君の汝身」「頼まれぬ…頼みにしてしまう…頼りにしてしまう…身を託してしまう」「関…関門…女」「川…女」「音…うわさ…(色好みという)噂…(合坂を女より少し遅れて諸共に越すという)評判」「人…男」「見て…思って」。

 

このようだったので、あやし(いぶかしい……妖しい・なまめかしい)と思って、さすがに(やはり……そのままにしておけずに)来て、男、返し、
 名に頼むわれも通はむ逢坂を越ゆれば君にあふみなりけり

(逢坂という名に頼む、われも通おう、逢坂を越えれば、君に逢う身だったなあ……わが汝に頼む、我もゆき通おう、合う坂の山ば越えれば、あなたにおかれては、合う身成ることよ)。

 
 「名…汝…親しきものをこう呼ぶ」「あふ…逢う…合う」「に…対象を示す…主語を示す」「なり…である…断定を表す…成り…成る…成就する」。


と言って、この女が「どちらへ」と言ったので、男「しがへ(志賀寺へ…其賀へ・其の祝賀に)ですね、詣でる」と言ったので、やがて(すぐさま)「さは、もろともに、ここもさなむ(それでは、もろ共に、こちらもそうなのよ)」と、行ったのだった。諸共にやって来て、寺に参り、着いてからも、男の局は、女の局近くにしたのだった。こうして、話など沢山、おかしく、お互いにしたので、をかしと思ふ(興に乗る…おもしろいと思う)

 この男、参った所より寺の方角は、方塞りになっていたのだった。明くる日まで居ることはできなかったので、方違えられる所に行くことになったのだった。「命惜しきことも、ただゆく先のためなり(災い避けて・命が惜しいのも、ただ、あなたとの・将来のためです……わが汝身の命惜しむのも、ただ、あなたの・逝く先の山ばを思うためです)」と言って行ったので、女たちも、やはり居て呉れるよりもものさびしくて、「さらば、いかがはせむ、京にてだにとぶらへ(それでは、どうしましょう、京でね、訪れてよ……さようなら、どうしましょう、山ばの頂上でよ、とぶらえ・冥福祈ってね」と言って、内裏で宮仕えする人たちなので、曹司も、使っている人々の名なども尋ねておいたのだった。この男、うちうけながらも(ぶしつけながらも…前置き無くも)、出立し難かったので、このように、

 たちてゆくゆくへも知らずかくのみぞ 道の空にてまどふべらなる

(出立して行く、行方も知らず、このように・別れがつらいまま、道中、空しくて迷いそうだ……絶って逝く、行方も知らず、掻くの身ぞ・かくばかり、みちが空ぞらしくて、途惑いそうだ)


 「たち…立ち…起ち…絶ち…断ち」「ゆく…行く…逝く」「かく…斯く…掻く…かきわけ進む」「のみ…ばかり…の身」「みち…道…かよい路…女」。


 女、返し、
 かくのみしゆくへまどはばわが魂を たぐへやしまし道のしるべに

(そのように、もっぱら行く先、途惑うのでしたら、わたしの肝っ玉を、付き添わせましょうか、道のしるべに……掻くの身が、逝く方惑うのでしたら、あたしの水玉を添えましょうね、かよい路のしる辺に)。


 「かくのみし…斯くのみし…掻くの身肢…おとこ」「たま…魂…精神力…玉…水玉」「みち…女…おんな」「しるべ…道標…誘導…汁辺」。


 また、返ししようとするときに、男、女の供なる者ども、「夜が明けてしまう」と言ったので、立ち止まるのをやめて、この男、浜辺の方(方違えの方角……端間辺のお方)に、人の家(他人の家……女の井へ)に、入ったのだった。(つづく)


 

「日が暮れるぞ」や「夜が明けるぞ」というのは、従者が主人を急かせる常套手段。
 歌のやり取りを聞いていても「歌の様や言の心」のわからない者には退屈なだけである。当人どうしは、色好みなきわどい会話であっておかしい。


 この男、方違えの家は、あらかじめ決めてあったのだろう、女の家である。さすがに色好む人らしい。さてその後、車の女とはどうなったのだろうか。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。

 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。